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生徒の話


 エベレインは、イスキアがつれていった。ティノーヴァは、気分が悪そうなアーヴァンナッハのせなかを、なんとなく軽く叩く。

「あれは、大それた真似ができる性格でも、頭でもないぜ」

「……そのようだ。だが一応、アニマフ先生に、ハーゼ苔とやらの話を聴く」

 ティノーヴァは頷く。心情的には、エベレインはまったく無関係だと思うが、演技という可能性もないではない。

 アーヴァンナッハが席を立って、窓を開けた。風が吹き込んで、アーヴァンナッハの金髪がさらさらとわずかになびく。アーヴァンナッハは髪を一部しかくくっていなかった。その一部は、例の記章を結びつけているだけで、紐で括っているのではない。

 ティノーヴァは、日記に書かれていたことが影響しているのだろうと考えている。メイノエは、死ぬかもしれないという恐怖のなかにあって、自分の財産から髪をくくるのに丁度いいだろう紐を、兄へ遺す、と書いていたのだ。

 ティノーヴァは椅子の背凭れに腕をかけ、マグを掴んでアーヴァンナッハを見ていた。アーヴァンナッハの後ろ姿には、哀しみがはりついている。それは、彼が長年ためこんできたものなのだろう。オークメイビッドの王家は、彼のいう通り、魔物に殺されてきた。人数は少ない。ラツガイッシュ人のティノーヴァだってそれは知っている。

 未婚の王族は数える程で、子どもはメイノエしか居ない。今の王夫婦に、あたらしい子どもが期待されているそうだが、年齢を考えればほぼ不可能だ。フェアマティ家は存続の危機なのである。

 ティノーヴァは、この憐れな王子になにかしてやりたいと思った。なにができるかなんて解らないけれど。


 すっかりさめた酒をのみほしても、イスキアは戻らなかった。かわりに、背の高い、男の教員がやってくる。

 イスキアは、エベレインを治癒魔法の教員へ預けた後、気分が悪くなって倒れ、今は部屋で横になっているそうだ。アーヴァンナッハは無表情で頷いていて、ティノーヴァはなにも反応しなかった。

 アーヴァンナッハの言葉は正しい。よい研究者だからよい指導者であるとはいえないのだ。フィルラムはイスキアを誉めていたが、研究ひとすじで来ていて、突然子ども達の指導を任されても、勝手は解らないだろう。だからメイノエは肩身のせまい思いをしていた。

 そういう無責任な大人が、ティノーヴァは嫌いだ。自分の手に余ると感じたら、ひきうけなければいい。


 魔法学校は、試験会場を移動が困難な村に設定したことに対して、負い目を感じているのだろう。イスキアの代わりに来た教師は、アーヴァンナッハがハーゼ苔のことを聴くと、裏手にある「栽培棟」へ案内してくれた。

 大きな箱形の建物で、内部には太陽のように眩しい灯が点っている。れんがか石でできた、背の高い、長い箱のようなもの幾つもがあって、なかには土が詰まっていた。やはり、れんがか石で、幾つかに区切られている。その上に、苔を植えて育てているらしかった。成程、この高さなら屈まずに作業できる。

 そこでは、赤い宝石の飾り襟をつけた子が、数人作業していた。


 男の教師の話に拠れば、彼ら彼女らは一度留年していて、なおかつ今年度の成績が中程度の者らしい。それより成績が悪いと試験さえうけられない。もっと成績がよければ、一度留年していても、卒業試験と同等の試験をうけさせる。

「それに通っても三年に進級するだけですが、翌年の試験で上級課程へ進む資格を得られる可能性が残ります」

「彼らは?」

「彼らは、来年の試験をうけても、卒業資格を得るだけです。グルバーツェ内に住んで学校に通い、施設を利用することはできますし、一定の研究成果をあげれば上級課程へはいることもできます」

 アーヴァンナッハは頷く。ティノーヴァは、生徒達の作業をじっと見ていた。


「エベレインなら、そこです」

 〈魔法茶〉のような色の肌をした女生徒が、顎で示した場所は、まばらに苔が生えていた。女生徒は吐き捨てる。「あの子音痴なんです。楽しそうに歌いながら作業するんだけど、耳から溶けそうなくらい音を外すの。来なくなってくれて清々したわ」

「意地悪ばかりするしね」

 隣で作業している女生徒が、苦笑いでいった。それから、教員と話しこむアーヴァンナッハを見る。「メイノエのお兄さん、綺麗ね。メイノエと全然違う。妖精でもまざってるのかな」

「比べられないでしょ。実のお兄さんじゃないんだから」

「それもそうか。だとしても、血はつながってるんでしょ? 一体全体、メイノエはどうしてあんなにそばかすだらけで、みっともないおちょぼ口なのかしら」

「醜い湿地の妖精が祝福したのよ、調剤の腕とひきかえにあのご面相。じゃなきゃルルッファの性質(たち)の悪いいたずらだわ」

「調剤ができてもあんな見た目だなんてわたし耐えられない」

 ふたりは満足そうに鼻を鳴らす。ティノーヴァは辟易して、別の生徒へ話をききに行った。


 ほかも、役に立ちそうな情報はない。大概、エベレインが視界から居なくなって嬉しい、エベレインがふたりの失踪に関わっているのではないか、というのと、兄に比べてメイノエは不格好だ、不美人だ、可哀相なくらいにみすぼらしい、という、悪口のような意見ばかりである。

 ただ、ひとりだけ、興味深い話をしてくれた。

「あいびき」

「ええ。わたし、フィルラム達の隣の部屋なんです」

 紫色の髪で目許が隠れた細身の少女は、低声(こごえ)で云う。「メイノエは王女さまだし、いっちゃまずいと思って、先生にも秘密にしてたんですけど、フィルラムの弟さんなら話します。わたし、彼女達に戻ってきてほしいし。ふたりともいい子だから、居ないと雰囲気が悪くて」

 ティノーヴァは頷く。この女生徒はまともらしい。

 女生徒は更に声を低める。

「ふたりの部屋は廊下の端っこで、その隣のわたしの部屋は、わたしの同室の子が入学してすぐに退学しちゃったから、わたしひとりでつかってるんですけど。一年生の、途中から。夜になるとたまに、ふたりの部屋から、話し声がするんです。四人くらいの。もっと多いこともありました」

「女生徒じゃないのか?」

「いいえ。わたし耳はいいので。男女の別は、よく解りませんけど、少なくとも女生徒ではないです。あんな声、構内で聴いたことないもの。……それで、フィルラムがひと節ふた節歌うと、嬉しそうにはしゃぎ声がするんです。彼女達、ゼルドに魅入られていたんじゃないかしら」


 ゼルド、とは、妖精の一種だ。

 十四・五歳の少年の姿で、夜にあらわれる妖精。料理や刺繍の巧い娘のところに来て、魂をひとくちかじっていく代わりに、その技能を更に伸ばしてくれる。娘は長生きできないが、死んだ後はゼルドが迎えに来、常世の国で夫婦になって暮らす。その子どもが新しいゼルドになる。

 たしかに、料理や刺繍が相当上手なメイノエなら、ゼルドに魅入られそうだ。それに大概の技能は、度を超して素晴らしいと、妖精に好まれるという。フィルラムの歌声なら妖精がひきよせられても仕方ない。ゼルドどころか、シゃラエーグだって引き寄せられるだろう。

「でもあれは、何度も来るものじゃないだろう」

「別のゼルドかも。その度に技能を伸ばしてもらっていたんだとしたら、メイノエが一年生のうちに、三大秘薬を全部つくってしまったのも、当然のことですもん」

 女生徒はちょっと、羨ましそうにした。「わたしにも、ゼルドが来てくれるくらいの技能があればな」


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