王女に会うこと
小物だな、というのが、エベレイン・トナンラックを見たティノーヴァの、偽らざる感想である。
ティノーヴァとアーヴァンナッハは、魔法学校に居た。
昨夜、堂々と正面からのりこんで、エベレインに面会を申し込んだのだ。ティノーヴァはともかく、アーヴァンナッハは一国の王子である。それも、世界に名がとどろいている、オークメイビッドのだ。
トナンラックなんて小国の、しかも王位継承権のない、結婚したら確実に宮廷を去る王女が、アーヴァンナッハの面会を断ることはできまい。ティノーヴァにだって解ることだ。
しかし、エベレインには解らなかったかもしれないな。
アーヴァンナッハは大国の王子であり、なおかつエベレインが執拗にいじめていたメイノエの、義理の兄だ。トナンラックの威光を笠に着てそういう行動を繰り返していたらいいエベレインは、なにか文句をつけられるのではと怯え、出てこない可能性もあった。義姉の書くとおりなら、相当な愚か者のようだから。
ひと晩あったのだから、自国に連絡をとり、どう対処すべきかと聴いたかもしれない。
学校に許可をとり、今日、こうやって応接室をかりることができた。応接室といっても、ここはどうせ魔法学校だ。学舎なのだから華美なものなどありはしない。テーブル、椅子、花びんとその台。いけられた花。それくらいだ。
ふたりはあたためた酒を提供され、アーヴァンナッハが眉をひそめてそれを拒み、ティノーヴァはありがたく吞んだ。そこへ、目のまわりが黒ずんで、いかにも寝ていない様子のエベレインが、教師とともにのこのこやってきた。
思っていたよりもみすぼらしい、とも、ティノーヴァは思った。きらびやかに着飾っているか、きつめの美人を想像していた。実際のエベレインは、その辺の娘が着ているような、スカート部分のふくらみがそんなにないドレスを着て、黄土色の髪はさっぱりと、肩口で整えている。顔は十人並みで、美人ではないが不美人でもない。魔法学校の飾り襟とマント、帽子がなかったら、目にもとまらないだろう。
市場や服屋へ行って、はやっているドレスや装飾品などを気前よく買ってゆく。それが、ティノーヴァが街中で収集した、エベレインに関する情報だ。だからおそらく、エベレインは普段の格好はしていないだろう。
欺瞞がある。自分達が、フィルラムとメイノエの関係者だと知って、地味なドレスを選んできたのだ。性質の悪い小妖精め。
ティノーヴァは立とうとした。相手は義姉の親友をいじめていた人間だが、一応王女さまでもあるのだ。ここから、ラツガイッシュとトナンラックの関係が悪くなっても困るし、子ども染みた真似はみっともない。
しかし、腰をうかしたティノーヴァの腕を、アーヴァンナッハがひっぱった。ティノーヴァは再び着席する。低声で、アーヴ、というが、アーヴァンナッハはエベレインを冷たく見ていて、なにも答えない。
エベレインはびくっとしてから、かたあしを下げるお辞儀をした。「お、お初にお目にかかります、王子、わたくしはエベレイン」
「名前なら知っている。無用なやりとりはなしでいこうではないか」
「はあ……」
エベレインはもじもじしている。アーヴァンナッハは怒っているようで、椅子を勧めない。ティノーヴァは目を白黒させていた。
エベレインの半歩後ろに控えていた教師が、咳払いした。「エベレインさん、そちらへ」
「あ、はい」
エベレインはほっと息を吐き、ティノーヴァの向かいに座る。教師はアーヴァンナッハの向かいだ。白髪頭の女性で、眼鏡。アーヴァンナッハに拠ると、フィルラム達の指導教官らしい。
エベレインは、課題や薬材をメイノエから横取りしていた。ということは、同じ指導教官の下についているのだろう。まったく別の指導教官なら、そのようなことは起こるまい。
アーヴァンナッハのいっていたことだ。実際、エベレインとその指導教官をと、アーヴァンナッハが交渉して、まず白髪のイスキアだけが来た。そして、「フィルラム達のことが心配で部屋に閉じこもっている」エベレインを、こうしてつれてこさせたのだ。
おかしなこともあるものだ。エベレインも試験をうけている筈なのに、どうして学校の寮にひきこもっているのだろう。
エベレインと目が合う。トナンラックの王女は、すっと目を伏せた。
アーヴァンナッハが冷ややかにいいはなつ。
「何故呼び出されたのか、心当たりがあるだろう、エベレイン王女」
「こ、こころあたり、ですか。さあ。わかりませんわ」
舌が巧く動かないのか、エベレインのレフェト語はぎこちなく、耳障りだ。ティノーヴァは口角を下げる。アーヴァンナッハは冷たい表情だ。あの顔をされたらどんな要求にでも従ってしまう。こわくてたまらないからな。
「君は記憶になにか問題でも抱えているのか?」
「……はい?」
「オークメイビッド王家は、若いうちに魔物に殺されるのが常なもので、生憎実例を見たことはないのだが、年をふると、自分の名前や周囲の人間との関係などが、おぼろげにも記憶できないようになると聴く。若く見えるのだが、君もそのくちだろうか」
エベレインは口をぽかんと開けた。イスキアが口をはさもうとしたが、アーヴァンナッハがさせなかった。
「アニマフ先生、黙っていてもらいたい。あなたは優れた研究者なのだろうが、優れた指導者ではない」
「解っています」
イスキアは静かにいう。「エベレインさんとメイノエさんの間に、問題があったことについてでしょう。わたしは気付かなかったし、結果としてメイノエさんに窮屈な思いをさせました。ですが、片方の意見だけで」
「義妹は嘘を吐かない。オークメイビッドの王家は嘘偽りを嫌う。どんな理由でも嘘を吐くことはない。その義妹が、フィルラム嬢の書いたことを訂正しなかった。それだけでわたしには充分だ」
アーヴァンナッハはどうしてそんなことができるのか、さっきよりももっとずっと冷たい目で、エベレインを見据えた。
「それで、どうだろう、エベレイン王女。なにか思い出せただろうか。義妹が居れば、君のその、たしかに自分でやったことを思い出せないという奇妙な症状を治す薬を、持っていたかもしれないが」
「わ、わたくし」
「君のお国へ問い合わせたほうがはやいだろうか。それほど距離もない。わたしが赴いてもいいのだが? オークメイビッドの王女にいやがらせをしていたとなれば、君はまずいことになるぞ」
エベレインは恐慌状態に陥った。立ち上がって喚いたのだ。「わたくしだってやりたくてやったのではないわ!」
今度はティノーヴァと、イスキアが、ぽかんとする番だ。
エベレインは目を血走らせ、肩で息をしている。煩わしいのか、帽子をとってテーブルへ叩きつける。
「わたくしはここへ学びに来たの。それなのに、お兄さま達が、オークメイビッドの王女を攻撃しろと! わたくしの意思ではないわ! そうしないと援助を打ち切るといわれたのだもの!」
「そうか。そのようなことだと思った」
アーヴァンナッハは微笑んだ。エベレインは荒い息で、静止している。ティノーヴァは顔をひきつらせる。
「アーヴ?」
「トナンラックのように王女の立場が弱ければ、エベレイン王女がメイノエを攻撃しだした段階で、王なり王子なりがやめさせる。三年も野放しにしていたのだから、エベレイン王女の気持ちひとつの問題ではないと思っていた。侍女が一緒に来ているのだから、トナンラックの王家へ報告しない訳もない」
アーヴァンナッハは優しくいう。「まったく、君のお父上や兄上は、面白いひと達だな。ラツガイッシュと岩塩の取引を成立させて、恩を売りたいのだろうが、オークメイビッドは君らの思っている十倍安く塩を売っている。比較検討さえしてもらえないだろう。諦めたほうがいいと伝えておいてくれ」
「し。しお?」
「それも知らないのか。君は無知らしいから、仕方ない。……まともな人間であれば、オークメイビッドの王女を攻撃しない。何故か解るか、エベレイン王女?」
エベレインは幼子のような仕種で、頭を振った。
「オークメイビッド人は、侵略に対してあらがう以外に戦をしない。そして、オークメイビッド人の考える侵略は、王家への攻撃も含まれている。君はオークメイビッドに、トナンラックを攻撃する名分を与えたのだ」
エベレインは呆然と、椅子に座りこんだ。
それからのエベレインは、神妙に、アーヴァンナッハの質問に答えていった。
兄達に命ぜられて、入学直後からメイノエにいやがらせをしていた。
兄達の命令に逆らえないのもあったが、メイノエが自分よりもいい成績で、それが鼻についていたから、いじめは気分がよかった。
それから、本当は自分が料理人をやめさせたのに、メイノエがやめさせたのだと噂を流した。寮についての話も同様で、トナンラック王家が、王女が住むに相応しい寮にしろと学校に申し入れ、寮舎が立て直された。
ティノーヴァが市場で聴いたのは、エベレインが買いものをする度に、とりまき達がせっせとばらまいていた、偽の情報だったのだ。
エベレインは、同時に入学していた侍女や、トナンラックの貴族令嬢達を味方につけ、メイノエの持ちものを隠したり、提出する薬をだめにしたりした。
「でも」
エベレインは魂がぬけてしまったのか、表情がうつろだ。「あの子は、難しい薬でも沢山つくっていて、わたくし達が壜を叩き割るくらいではなんともなかった。オークメイビッドから援助はない筈なのに、本を隠してもすぐに同じのを買って」
「そうか。それで君らは、メイノエとフィルラム嬢が行方しれずになったことについて、なにか関わっているのか?」
エベレインは激しく頭を振る。かすかに怯えだけ、表情ににじむ。
「そんなおそろしいこと……で、でも、お兄さま達から、邪魔するようにとは、命ぜられていました」
「どのように?」
「〈手紙の本〉を奪うとか、そういうことでいいと。学校の備品を損ねたら、試験には合格できないだろうからと。でもわたくしはやっていません。ふたりが居なくなった時も、わた、わたくしが疑われるのじゃないかって不安で、お友達もわたくしを避けて」
エベレインは怯えきっていた。表情の動きは乏しいが、怯えが空気を伝わってくる。ティノーヴァは呆れた。結局こいつは保身を考えてる。フィルラム達が居なくなって心配しているんじゃなくて、そのことで自分が疑われたり、断罪されるのではないかと気をもんでいる。
「で、ですから、関係ありませんわ。わたくしはずっと、ハーゼ苔の栽培をやっていました。それがわたくしの試験内容です。誓って。学校を出てなどいません」
アーヴァンナッハは小首を傾げる。
「誓う?」
「神に誓います」
「君は信用ならない」
アーヴァンナッハは顔をしかめた。「主に誓ってはならない。主に限らず、誓いとは簡単に口にしてはならないものだ」
「か、かんたんでは」
「君の主張は解った。メイノエ達になにもしていないのだな? 今度のことに関して?」
エベレインは頷いて、泣き出した。
こちらの作品、今月の25日(2021/04/25)に完結します。その日はいつもよりはやめに三話投稿いたします。




