ヴァイデを食べる
ティノーヴァはベッドを飛び降りて、出て行ってしまった。
アーヴァンナッハは両掌を、見詰める。ラツガイッシュの食事は口に合うが、体には合わない。手に浮腫が出ていた。
ヴァイデを食べれば浮腫はとれる。先王の妃がそういっていた。あのかたも、魔物退治で死んでしまった。勇ましい夫婦から、どうして義妹のような、優しすぎる子が生まれたのだろう。
ヴァイデ。
アーヴァンナッハは、鞄と傘を持って部屋を出た。
「ティノーヴァ」
ティノーヴァは一階に居て、配膳を手伝っていた。冒険者に話をきいているらしい。東の丘陵地帯について。
冒険者達は、いかにもオークメイビッド人らしいアーヴァンナッハがあらわれると、にやにやした。オークメイビッド人は、基本的に争いを悪徳とみなし、喧嘩やなにかはめったにしない。だから、ここに来るまでも、アーヴァンナッハは散々からかわれてきた。なにをいわれてもなにをされても、逃げこそすれ応戦はしない。ティノーヴァのように、ぼんやりしているところに突然襲いかかってきたら、反射で返り討ちにしてしまうが。
だが今は、どうでもいい。
「なんだよ」
「手が浮腫んだ」
不機嫌そうだったティノーヴァは、アーヴァンナッハの言葉に口をぽかんと開けた。冒険者の男が、アーヴァンナッハの金髪をひとすじ、すくいあげる。忍び笑いが周囲にある。アーヴァンナッハはそれを無視する。
「ヴァイデを食べに行く。踊る獺亭へ」
「は……?」
「浮腫にいい。それからさっきの話だが、頷けない」
ティノーヴァの表情が歪んだ。なにかいおうとしたが、アーヴァンナッハはそれを制す。「今はだめだ。話をしたい相手がグルバーツェに居る。エベレインだ」
「にいさん、綺麗な髪をしてるな。肌も女みたいに綺麗じゃねえか。俺が酒を教えてやろうか?」
冒険者がいった。笑いが起こった。ティノーヴァが横目に男を見た。とてもいやそうに。
アーヴァンナッハは義妹に感謝した。傘はひどく丈夫なのだ。皮鎧を着けた屈強な男を殴っても、少しも曲がらない。
「あんた、むちゃくちゃをするんだな」
「そうか?」
「争いは好まないんだろう」
「わたしが傘を振りまわして喚かなかったら、君が同じようなことをしたんじゃないのか」
アーヴァンナッハは、数歩後ろをついてくるティノーヴァを振り返る。ティノーヴァは、図星だったようで、口を尖らす。アーヴァンナッハは微笑んだ。庇ってくれようという心は嬉しい。友人というのは、こういうことをいうのだろうか。
アーヴァンナッハは王族であり、対等のような口調で喋る者など居ない。先王夫婦と現王夫婦はアーヴァンナッハより上で、それ以外は差はあれど下だ。
ティノーヴァの態度はどこか清々しい。義妹もこんな気持ちだったのかもしれない。フィルラムに対して。
「わたしのことで君の名誉をけがす必要はない」
「名誉?」
「戦わないのは名誉だ」
「あんたのことは一生理解できそうにない」
ティノーヴァは呆れ顔でいって、アーヴァンナッハに並んだ。「あと、あんたは喚いてない」
「喚いたとも。わたしに触れようと思うのならまずその汚い手を新品に替えてこい、その上で跪いてゆるしを乞えと」
「あれは脅したんだろう。俺はオークメイビッド人はおそろしいと学んだ。あんな顔で静かに、相手の神経をずたずたにひき裂いた場面を見ちゃあな」
アーヴァンナッハは肩をすくめる。なにがおそろしいものか。もっとちゃんとした呪いの言葉をいい放つこともできたのだ。それを、極めて穏当な言葉を選んだ。ただ、語気が荒くなってしまったのが、自分で情けない。
踊る獺亭は、日記の通り、市場のすぐ傍にあった。人気の店のようで、満席だ。ふたりは外で、席が空くのを暫く待った。
「エベレインって、トナンラックの?」
「ああ」
「なにを訊くんだよ」
「別に」
「あ?」
「会って話をしたい。義妹に対していやがらせをしていた相手を見てみたい。様子によっては、なにか事情を知らないか、訊いてみようか」
ティノーヴァは呆れ顔になっている。アーヴァンナッハは傘をくるくるとまわした。
「他国の王族に直に会うことは、めったにない」
「は……あ、そう。よかったな」
「よくはない。わたしは機嫌が悪いんだ。とてもむしゃくしゃする。君のお得意が飛び出しそうだよ」
「やめてくれよ。あんたの顔で汚い言葉を喋るのは我慢ならない。あんたはもっと、花とか星とか鳥とか月とか、そういう美しいものの話をすべきだ」
ヴァイデのスープはおいしかった。焼いただけだと、外れのかぼちゃのような味だが、なにか工夫があるらしく、栗に負けず劣らずだ。
ふたりはそこの亭主にも、フィルラムとメイノエのことを訊いたが、よくふたりでヴァイデのスープを食べに来る、という話だけしか聴けなかった。
ふたりは踊る獺亭を出て、街の中心部へ向かう。悪名高い魔法学校へ。




