義兄、義妹を捜す 1
グルバーツェの中心には魔法学校がある。
そもそもラツガイッシュという国そのものが、魔法と不思議に彩られているが、なかでも都であるグルバーツェは飛び抜けている。
生まれて初めてラツガイッシュを、そしてグルバーツェを訪れたアーヴァンナッハは、街のぐるりを囲む塀を仰ぎ、呆然としていた。これが、自分と同じ人間の手になるものだろうか? 見る限り、わたしの身長の五倍はあるぞ。まったくもって信じがたい。
そして、そこに自分が居ることも、我がことながら彼は信じられないのだった。
この金髪の青年は、二・三度頭を振って、まるでそれが命綱ででもあるかのように黒い傘を握りしめ、歩いてゆく。
アーヴァンナッハは、門へと向かっていた。そちらも、アーヴァンナッハが生まれ育ったオークメイビッド王国では、ついぞ見たことがないような、大きなものである。とりつけられた扉も分厚く巨大で、ただただ圧倒された。
樫の木製なのだろうか、とアーヴァンナッハは思う。黒金で固定された赤茶色の、分厚い板は、ニスをかけてあるのか、つやつやと光っている。
扉は両開きで、今は片方が開け放たれていた。そこへ、アーヴァンナッハ同様、グルバーツェへ進入しようと、人々が勇んで詰めかけている。
どうしてそのような色なのか解らないが、青い鎧の集団が居て、門を潜ろうとする人間を厳しく審査していた。どんな金属ならあのような色になるのだろう。
アーヴァンナッハは、まるっきり頼りない気分で、審査を待つ行列に並んだ。身分を証明するものか、魔法学校からの入学許可証、或いはラツガイッシュの官僚の襟章があれば、荷物検査をうけた上で通れるらしい。それ以外は、青い鎧のひとりが、腕を掴んでどこかへつれていっていた。この国の利益の多くを生み出す、魔法と錬金術の秘密が、門の向こうにはあるのだ。不用意に出入りはさせまい。
アーヴァンナッハは首に下げた記章を、外から見えるように、外套の下からひっぱりだした。薄紅色のリボンに通した、掌に握り込めるくらいの大きさの、金でできたものだ。オークメイビッドであれば、これ一枚あれば話は通じる。王城の門衛でさえ、アーヴァンナッハのあしを停めることはできない筈だ。
問題なのはここがオークメイビッドではないことだった。
ラツガイッシュとオークメイビッドは、海を越え、数百年に及ぶ友好関係を築いている。内陸国であるラツガイッシュにとっては、安定した価格で塩を融通してくれるオークメイビッドは、とてもありがたい存在だろう。
それにグルバーツェは、世界中から、魔法を学ぶ為に数多のひとがおしよせる街である。アーヴァンナッハの持つ記章の意味を知っている官僚は多いに違いない。で、あるが……門衛までがそれを知っていか、アーヴァンナッハは自信がなかった。記章ひとつでおしかけたのは、早計だったかもしれない。
しかし、父母の判断を待つひまはなかったのだ。アーヴァンナッハにとって、この三年間、心配の種であった義妹が、忽然と姿を消したというのだから。
その報せが届いた時、アーヴァンナッハは魔物退治に出ていた。遠征先で〈口伝て鳥〉から、母の泣くような声を聴いたあの瞬間を、アーヴァンナッハは鮮明に覚えている。
今、思い出しても、ぞわっと肌が粟立った。頭皮が突っ張るような感覚がある。困難なことは多多あれど、しあわせな家庭が、義妹の失踪で、突然明るさを奪われた。
アーヴァンナッハはそれでも、責務である魔物退治をこなし、父母の許へ帰った。五日程の帰路がやけに長く、そして苦しく感じたのは、あれが初めてだ。途中で馬の具合が悪くなり、最後のふつかは走った。
父母は、義妹の肖像画を飾ってある部屋で、泣きながらアーヴァンナッハを迎えた。その半月前、アーヴァンナッハが魔物退治に出る時にはふっくらしていた顔が、ふたりともやつれ、頬がこけている。その上、どちらも目を泣き腫らし、子どものように不安そうだった。アーヴァンナッハは事態の深刻さを思い知った。義妹はまだ見付かっていないのだ。
アーヴァンナッハは、義妹が失踪した情況をくわしく聴いた。
グルバーツェの国立魔法学校へ入学し、治癒魔法と錬金術を専攻して三年間学んできた義妹は、試験の最中に姿を消したらしい。同室の女生徒も、一緒に行方不明になっているとのことだった。
試験内容は、指導教官の指定した村へ行き、最低三ヶ月の奉仕活動をすること。そして、薬の材料になる桃を手にいれて戻ること。
期限は一年、課題をふたつともこなせば、卒業、もしくは更に上級の課程へ進める。
義妹は幼い頃から本の虫で、たまたま魔法力を持ち、魔法をつかえたこともあって、三年前魔法学校へ通いはじめた。自分の意見などめったにいわない義妹が、勝手に〈口伝て鳥〉をつかって入学の条件を問い合わせ、すでに口頭での試験を終えて入学の資格はある、と家族に突きつけたあの日、両親はそれを喜んだ。好きなことを学んできなさいと涙ぐんで。
だが、本当をいえば、アーヴァンナッハははじめから反対していたのだ。
義妹はおっとりしていて、気は優しいが、すぐに泣く。強い口調で問い質したりしようものなら間違いなく泣くので、議論などはしようもない。もともと、大勢が集まる学校で勉強をする、なんてことには向かないのだ。
それに気が優しいといったって、限度がある。アーヴァンナッハが鍛錬につれていっても、魔物でさえ可哀相だといって殺そうともしなかった。折角の魔法力が無駄だと、どれだけ苦々しく思ったろう。
数度、訓練させようとして、不可能だったから、アーヴァンナッハは匙を投げた。義妹はそれ以来、ほとんどを書庫や図書室で過ごしていたのだ。こんなことになるのなら無理にでも外に連れ出すのだった。錬金術なんて訳の解らないものにはまりこみ、三年も無為に過ごした揚げ句、失踪してしまうくらいなら。
それに、アーヴァンナッハは知っていた。義妹は、結婚するのがいやで、逃げたのだ。
魔法の勉強だの錬金術の我が国への普及だの、その言い訳でしかない。オルアム公爵の跡継ぎがそんなに悪いだろうか? たしかに少々愚鈍な男だが、浮いた話もなく、魔物退治も数多くこなしている、信頼に足る人間だ。
なにより、国一と名高い美男である。女というのは、顔貌のよい夫をほしがるのではないのか? そりゃあ、あの子よりも二十上だが、それくらいの年の差は騒ぐようなものではない……。
自分が審査される番になって、アーヴァンナッハははっと我に返った。結局、記章ひとつで楽に門をくぐれた。ちらっと掲げた途端、門をくぐる許可が下りたのだ。杞憂に終わったのだ。
アーヴァンナッハはほっとしながら、簡単な審査を受けた荷物を返してもらい、礼をいって街へと這入っていった。門衛はご丁寧にも、魔法学校の場所まで教えてくれた。義妹から聴いて知っていたけれど、アーヴァンナッハはその門衛にも礼をいった。
門のむこうでまた、圧倒される。オークメイビッドとこれ程の差があろうか!
そこにはひとが居た。大勢のひとが居た。国許では祭りや式典でもないと見ないような人数だ。ヴァイデの葉のかりいれやなんかでもない限り。アーヴァンナッハは暫く、頭のなかがまっしろの状態で、人通りを見ていた。
段々と、それがどういうひと達か、解ってくる。商人が多いようだ。あちこちで取引の声がしていた。ラツガイッシュの公用語のひとつはレフェト語で、レフェト語はオークメイビッドでも公用語のひとつになっているから、言葉の心配はない。数量や金額が耳に飛び込んできて、頭のなかに響く。
建物は石造りで、どれも大きい。大きいものが幾つかあって、小さいものがその何倍かある、というようなことではない。目にはいる建物すべてが大きい。しかも驚くことに、色鮮やかな絵の描かれた大きな布が、建物の上からさがっていたりする。こちらはユスニアモラ語でなにか書いてあり、生憎アーヴァンナッハには大意しか汲みとれないが、どうやらなにかの店を宣伝しているらしかった。
そして、人々は元気よく喋り、取引し、なにかを食べ、また飲み、大道芸人が曲芸をして観客から金を投げつけられていた。まるで建国を記念する祭りの日のようだ。騒々しく、俗っぽく、それでいて心が躍る。
アーヴァンナッハは傘を握りしめる。義妹が二年目の修了試験でつくったものだ。とてもよいできだと先生に誉められた、と、〈口伝て鳥〉越しに自慢げに話していた。
傘にはさらさらした不思議な生地がはってあって、それはとてもうすいのに、水を弾く。アーヴァンナッハは義妹からこれを贈られて以来、雨の日の散歩で上半身を濡らしたことはなかった。
これには魔法学校の学生がつくったものだという印がつけられている。魔法学校へ行って、義妹のことについて訊く為に、持ってきた。
いや、違う。わたしはあの子が心配なのだ。だから、あの子のつくったものを持って、こうやってさまよっている。
アーヴァンナッハは今まで故郷を出たことはない。だから、自国が普通なのか、ラツガイッシュが普通なのか、判断できなかった。
道はひろく、石畳が敷かれている。グルバーツェに辿りつくまでに、ふたつの街を通ったが、そちらでも石畳は至るところに敷かれていて、眩暈がしたものだ。オークメイビッドでは、都や、一部の大きな街にしか、石畳は敷いていない。費用も手間も、途轍もなくかかるからだ。戦をする国は貧しいと思っていたが、これは一体どういうことだろう。これだけのものを維持する財があるのだろうか。
アーヴァンナッハは、オークメイビッドは豊かな国だと思っていた。侵略的な戦を放棄し、魔物退治に専念しているからだ。そのおかげで民に強いる負担は少なくてすんでいる。
だがこの国はどうだろう? その辺りを歩いている人間でさえ、あのような絹の肩掛けを羽織っているではないか? もしかしたら、我が国は貧しいのだろうか。義妹がいっていた、錬金術の普及云々というのは、本当に必要なのかもしれない。
アーヴァンナッハは心中穏やかでないまま、街の中心部へと歩き続ける。
グルバーツェの中心には、円形の土地があり、そこはすべて魔法学校の土地だ。学生か教員、許可を得た者しか立ちいることはできない。
そのまわりを囲んでいるのが、市街地だ。北西にはおもに、学校の関係者が住み、北東には職人街があり、残りは一般市民や商人などが暮らしている。この国の者は神を信じないと、アーヴァンナッハは思っていたが、教会も幾つかあるそうだ。神への愛を忘れてはいないかとアーヴァンナッハがちくりとやったら、義妹はかたい声で、礼拝は欠かしていませんと返してきた。
そうだ。それもまた、義妹をここへ遣るのにアーヴァンナッハが賛成できなかった理由のひとつだ。ラツガイッシュは、国民が神への信仰を持たなくてもいい国だ。
この世界に生まれた者が、どうして神を信じずに居られるだろう。物心ついた頃から司祭の説教を聴き、神を身近に感じてきたアーヴァンナッハにとっては、神を信じない者は信用に足らない。
してみると、この豊かさも、表層的なものなのではないだろうか。真に豊かであるといえるのは、神を信じ神を愛している者ではないのか。
わたしは狼の巣に義妹を放りこんでしまったのではないか?
アーヴァンナッハは、義妹が心配なのと、義妹を安易に他国へ行かせた自分がゆるせないのとで、周りがまともに見えていなかった。突然、外套をひっぱられ、しりもちをつく。
不届き者かと思い、立ち上がって振り向いたアーヴァンナッハの後ろを、馬車が勢いよく走り抜けていった。そのまま歩いていたら、アーヴァンナッハははねられていただろう。
アーヴァンナッハは、振り上げていた傘をおろした。目の前には、灰色の髪をした少年が片膝をついて、アーヴァンナッハを睨んでいる。
「……あー」アーヴァンナッハは左手に傘を持ちかえ、少年へ右手をさしのべた。「ぼんやりしていたようだ。大事ないか、坊や?」
手をぱちんと叩かれた。アーヴァンナッハはむっとして、手をひっこめる。
少年はふんと鼻を鳴らして立ち上がる。「どこぞの田舎貴族か。服装からすると、オークメイビッドの人間だな。臆病者の国だ」
「なんだと?」
アーヴァンナッハは眉を吊り上げる。少年は嫌味な笑いかたをした。
「臆病者じゃないか、どこの国とも戦わないなんて」
「オークメイビッドは臆病で戦わないのではない」
「そうか。そうだろうとも。それじゃあ王女さまもなにか、詮無いご理由で、中途退学なさった訳か? 疫病神め」
吐き捨てて、少年はアーヴァンナッハの持つ傘を一発蹴り、走っていなくなった。
アーヴァンナッハはあっけにとられていたが、頭を振って、再び目標へ向かって歩き出した。傘はなんともない。
オークメイビッドはたしかに、侵略されない限りはどこの国とも戦うことはない、と内外に宣言している。法典にも明記されている。
それは、臆病だからではない。すでに充分なものがあるのに、これ以上は望まないというだけだ。手に余るものを持っていたって意味はない。器よりも多い水はこぼれて無駄になるだけだ。そして、一時にすべてを失うような悲劇だって起こりうる。
あの少年には解らぬ理屈だろう。単なる一般市民だ。土地の管理や、魔物への対応が、どれだけ大変だと思っているのか。周囲の国がきちんと魔物退治をしていない為に、こちらにも流れこんでくる魔物にまで対応せねばならぬというに……。
街そのものは豊かだが、住んでいる人間の心までは豊かとは云えないようだ。そう思って、アーヴァンナッハは何故か安心した。
魔法学校の塀が見えてくる。先程の塀のような大きさではないが、綺麗な白い塀だった。なにでできているのだろう。石のようにも見えるし、れんがのようにも見える。
門についた扉は開け放たれていた。門衛らしい者も立っていない。生徒らが出入りしている。
生徒か否かはすぐに解る。服そのものはばらばらだが、魔法学校の生徒をあらわす白い飾り襟と、それにとりつけられた、入学年を示す宝石があるからだ。義妹のは、たしか、赤だったか。
それから白いマントと、緑がかった白の、大きな帽子も、生徒達は身に着けている。うなじのところで、鮮やかな翡翠色の蝶々結びが、ひらひらと揺れている。
アーヴァンナッハは、義妹と同じ学年の子は居ないだろうか、と、それを眺めた。指導教官へとりついでもらいたい。もしくは、義妹がどこに居るのか、心当たりはないだろうかと尋ねたい。
出入りしている生徒達の飾り襟には、黄色か空色の宝石がついていて、義妹と同年入学の子は居ないようだ。
考えてみれば当然である。アーヴァンナッハの義妹は、三年の修了試験途中で行方不明になったのだ。魔法学校は一年から三年までだ。
三年の修了試験というのは、留年でもしていない限り卒業試験でもある。より優秀な者は上級課程へ進めるが、大概はそのまま卒業していくと聴いた。
つまり、あれの同学年は、行方不明になどならずに試験をこなしているのだ。おそらく。
アーヴァンナッハは肩を落とし、魔法学校の門を潜った。それにしても意外なことに、咎める者はなかった。