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塩の話


 ふたりは翌日、日記を読んだ。アーヴァンナッハにとっては度々、気分が悪くなるくだりがあり、その度に中座して廊下をひと巡りし、気分を落ち着かせて戻る。

 ティノーヴァもまた、落ち着いてはいなかった。アーヴァンナッハのように立ち歩くことはないが、目を逸らし耳を塞ぐ仕種を頻繁に見せた。

 ふたりにとって、姉妹が居なくなる直前の手記だ。落ち着いてなどいられない。


 すべてを読む頃には日が傾いていて、ふたりともぐったりしていた。アーヴァンナッハは椅子の上で膝を抱えたまま動けず、ティノーヴァは両手足をばらばらの方向へ向けて、ベッドへ寝転がっている。

「つまり」

 ティノーヴァが唸る。「あの……ばかフィルラムは、どんなやつが居るかも解らねえ、得体の知れねえ集落へ、のこのこ行きやがったのか。おいはぎが住んでる隠れ家かもしれないのに?」

「わたしの義妹(いもうと)が先に行ったようだ。君のお姉さんよりも無鉄砲らしい。意外にも。それとも、友人が迎えに来てくれたと思っていたようだから、錯乱していたのだろうか」

「集落らしきものを見付けたのも、そこへ行こうといいだしたのもフィルラムだ。あの、ばかの、まぬけの、愚か者」

 ティノーヴァはそういってから、手足をばたつかせ、訳の解らない喚き声を出した。流石に、アーヴァンナッハも、それを咎める気になれない。自分はオークメイビッドの王子なのだという自覚がなければ、それよりもっと酷い行動をとったに違いないからだ。

 今すぐ魔法学校へのりこんで、手当たり次第に教員を殺してやりたい。


 義妹(いもうと)はいじめられているらしい。トナンラックといえば、ラツガイッシュから北方向にある、小国だ。あの国は土地こそ少ないが、岩塩と翡翠の産地として有名だ。

 岩塩か。トナンラックは、前から横槍をいれてきたのだ。ラツガイッシュとオークメイビッドの、塩の取引に関して。

 まだ先王が生きていた頃、植物の種についての取引がトナンラックとあった。〈口伝て鳥〉越しに話した折、トナンラック王家の妙にへりくだった態度は気色が悪かった。それを覚えている。

 トナンラックの岩塩はたしかに品がいい。だが、その分値も張る。ラツガイッシュに恩を売る目的で、多少安くするとしても、オークメイビッドの海塩程の安値にはできないだろう。


 オークメイビッドは、ラツガイッシュとは兄弟国だ。少なくとも、ラツガイッシュはそういう。オークメイビッド人とラツガイッシュ人は祖先をともにしていて、ふたつの国は兄弟として助け合うべきなのだと。

 だから、オークメイビッドはラツガイッシュへ、塩を安く融通する。ラツガイッシュはオークメイビッドに、木材を安く提供する。そういう取り決めだ。

 その決まりができた頃と比べ、オークメイビッドは豊かになり、林業も盛んになった。今、人魚に船を転覆させられる危険を冒してまで、わざわざラツガイッシュから木材を運ぶ必要はなくなった。だから、例の取り決めは、オークメイビッドにとってはもう旨味はない。

 しかし、内陸はどうあがいても内陸のままだ。ラツガイッシュの北方向にはトナンラックのような国が幾つかあり、「裂け目」と呼ばれる奈落が、そこら中にひろがっている。その向こうに海があるが、ひとの住めるような場所ではない。移動や運搬のことを考えると、そこを手にいれても益は少ない。

 かといって、東方向はティアッハメイブ、東南にはカイザナーグという大国がある。そのずっと向こうには海があるが、ことをかまえるには危険が大きい。

 南方向はといえば、海はある。正確にはラツガイッシュは内陸国ではない。だが、南の海へ至るには、どんな時期であろうと雪を戴く山脈を越え、絶壁をくだる必要がある。こちらも、手間をかけて海まで行っても、そもそも塩をつくる場所を確保できない。だから内陸国であるのと一緒なのだ。

 そして西方向には、アーヴァンナッハも通ってきた、沿岸に細長くひろがる国、リウブがある。リウブ国民は生粋の海の民で、生まれついた海を譲ることはありえない。よその人間に海をとられるくらいなら、人魚と手を組むのがリウブ人だ。

 つまり、ラツガイッシュは決して、自力で塩を手にいれることはできないのだ。


 アーヴァンナッハは、ラツガイッシュはそう豊かでない国だと思っていた。なにしろ、ほかの内陸国と比べて、半額以下で塩をおろしている。きっと、国民はつましく、支配階級も国の尊厳を失わない程度に控えめにしているものだと思っていた。オークメイビッドの常識で考えればそうだ。

 だから、いざラツガイッシュを訪れて、石畳や巨大な塀、絹をまとった人々、城のような学舎を見た時の驚きは、大きかった。オークメイビッドにはあのような立派な建物はないし、一般市民が絹を身にまとうのははれの日くらいだし、石畳は都など、一部の大都市に、控えめにはってある。

 オークメイビッドは騙されていたということだろう。義妹(いもうと)のことでいっぱいいっぱいでも、アーヴァンナッハには解った。

 二国は年始の式典に祝辞をおくりあうし、オークメイビッド王家に新しい命が生まれれば、ラツガイッシュ議会員の連名で、祝いの品が届く。

 だが、オークメイビッドの人間が、海を越えてはるばるラツガイッシュを訪れることは、ほとんどない。

 知られなくばいいと口を拭っていたのか、そもそもどういった理由で取り決めが交わされたかを知らぬのか。理由はどうでも、オークメイビッドは利用されていた。長き時を経て、片方にだけ得な取引を、そうと知らずに維持させられることによって。


 面白い話だな、と、アーヴァンナッハは思う。たしかに、間にリウブがあり、海を隔てて相当な距離が開いているのに、オークメイビッドとラツガイッシュの人間は似通っているのだ。事実、祖先は同じなのかもしれない。いわば、実の兄弟である。

 それが、このようなことになるのか。助け合うという名目で、片方だけが儲かる取引をして。

 アーヴァンナッハは、うつぶせで動かなくなったティノーヴァを見た。それと比べ、この男には忠義がある。信義がある。義理の姉であっても、心からその身を案じ、こうやって自分の得を考えずに捜し続けている。

 不思議なものだ。わたしも、義理の妹を捜している。ティノーヴァにしてもわたしにしても、義理の姉妹が居なくなったからといって、困ることはない筈だ。

 わたしは魔法学校へ抗議し、糾弾すればいい。義妹(いもうと)はほとんど公務にも出ず、民衆の人気もさほどではないから、わたしが窮地に陥ることはないだろう。

 ティノーヴァは、フィルラムが生きようが死のうが、ダエメク樹液の産地として名高いノーシュベルの、誇り高いトロエラ家のあとを継げるのだ。今、義理の姉の為に動いて、怪我をしたり死んだりしたら、なんにもならない。

 わたし達はなんの得にもならないことをしている。そうしたいからそうしている。


「アーヴァンナッハ」

「ああ。なんだ、ティノーヴァ」

 アーヴァンナッハはあしを伸ばす。ティノーヴァは地を這うような、低くてくらい声を出す。

「日記に書いていた道を辿ろう」

 アーヴァンナッハは答えない。ティノーヴァは洟をすする。泣いているらしい。

「俺はこんなのはいやだ。こんなふうにフィルラムと別れなくちゃいけないのは。なあ、俺はどうしてだか、フィルラムが死ぬのだけは絶対に俺より後だと、そう思ってるんだよ、アーヴァンナッハ」

「わたしも似たようなことを考えていたよ。どうせわたしは、魔物退治ではやくに死ぬんだから、それまでに義妹(いもうと)をきちんと結婚させて、その子どもが王位を継げるようにしようと」

 ティノーヴァがゆっくりと上体を起こし、こちらを向いた。涙に潤んだ目で、アーヴァンナッハを睨んでいる。

「そんなこというなよ。あんたも長く生きるんだ。あんたも、あんたの妹も、フィルラムも、俺も、しわくちゃのよぼよぼになって、歯が全部抜けて頭の毛もなくなって、他人に下の世話をされてでも、命が尽きるまで生きるんだよ」

 アーヴァンナッハは黙っている。ティノーヴァは喚く。「家族が老いてもないのに死ぬのはもうごめんだ」


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