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日記をひもとく 2


 宿泊費もうくし、よなかまで話し合いができる。そういう理由で、ふたり部屋に移った。アーヴァンナッハにしても、ティノーヴァにしても、荷物らしい荷物はない。二・三日程度のきがえと、金くらいのものだ。アーヴァンナッハはそれに、傘と、魔法学校からかりた、〈手紙の本〉の写しがあるが、荷物の移動は一瞬で終わった。

 くっつけたベッドのまんなかに、アーヴァンナッハは日記の写しをひろげる。ティノーヴァは不満げな口調だ。

「くそ、俺も魔法学校へ行っとくんだった。俺の居所が村に伝わるのがいやで……」

「言葉遣いが悪いぞ」

「アーヴ、あんたはかあさんと同じことをいう」

 ティノーヴァはぼそぼそと喋る。「今朝だって、〈口伝て鳥〉を通じて叱られたんだ」

「ご家族に連絡したのか」

 弾んだような声が出てしまって、アーヴァンナッハは内心どぎまぎする。しかし、この少年のことは心配だったのだ。家族に黙ってひとりで、移動に十日もかかる街に出てくるなんて、正気の沙汰ではない。ノーシュベル村では、ティノーヴァも行方知れずになったと、騒動になっていただろう。


 だが、アーヴァンナッハが思っていたのとは違う言葉が返ってきた。

「連絡したよ。半銀貨を払ってさ。ひとしきり怒鳴りあげられてから、俺が義姉(ねえ)さんを捜してるっていったら、そんなことだろうと思った、ってさ」

 成程、家族には、ティノーヴァの行動なんてお見通しだったのだ。アーヴァンナッハはちょっと笑い、ティノーヴァに睨みつけられてやめる。

「それで、帰れといわれたのでは?」

「いや。ブィグラスって両替商に金を送るからつかえって。金が底をついたら諦めろって」

「寛大なご両親だな」

 皮肉でもなんでもなく、思ったことをいうと、ティノーヴァは首をすくめる。「そりゃそうかもしれないけど、義姉(ねえ)さんはほんとの娘だし、心配なんだろ。でも、頼れないよ。俺が勝手にやってることだ」

「では、どうするんだ、資金は」

「今までは、あさはやくに、荷運びの日雇い仕事をしてた。外国人だろうとガキだろうと、ろくに調べもせずに働かせてくれるんだよ、ああいう場所は。村でためてた金はまだあるけど、そういう仕事をしてたほうが、義姉(ねえ)さん達のことをきいてまわりやすかったんだ。変じゃないだろ? ここに通ってた娘さんが居なくなったらしいな、なんて話になってもさ。薬種問屋だけは、荷運びの人足を専属で雇ってるから、巧く近寄れなくて」

 アーヴァンナッハは苦笑する。単なる無鉄砲な少年かと思いきや、どんどん好もしい面が見えてくる。本当に、軍にはいれば頭角をあらわすだろう。そのくせ、ねじけたところがなく、気がいい。こういう弟が居たら、鍛え甲斐があった。


 ふたりは、天井からつり下がった灯を点し、肩をつきあわせて日記を覗きこんだ。はじめのページから、順繰りに読んでいく。

 文章は、基本的にはレフェト語だが、たまにウル語やネーラジュ語がまざる。ウル語はティノーヴァが読み上げ、ネーラジュ語はアーヴァンナッハが読み上げた。お互いの義理の姉妹のかわりに。

 初めのうち、女性とふたりは楽しそうだった。同じ試験であることを喜び、試験内容を報された日の午後と、次の日いっぱいをつかって準備をしていた。

「〈無限の鞄〉……」

「錬金術の秘宝のひとつだ。義姉(ねえ)さんがいってた。上級課程にすすまないと、つくりかたどころか材料も教えてくれないんだそうだ。それを自分でつくったって、メイノエ嬢は凄まじいな」

 おそれるようなティノーヴァの声に、アーヴァンナッハは頷く。義妹(いもうと)はほかにも、数々の薬をつくったらしい。見も知らぬ、義妹(いもうと)の友人、フィルラムの言葉をかりれば、「秘薬って呼ばれるようなものは大概」。

 試験が巧く行きそうにないから逃げた、という線は、やはりない。


「ごめん」

 ティノーヴァがぴょんとベッドを降り、出ていった。フィルラムが馬にのれないというところを読んでいた時だ。

 アーヴァンナッハは暫くじっとしていたが、ティノーヴァが戻ってくる気配がないので、廊下へ出た。

 ティノーヴァは扉のすぐ傍に居た。膝を抱えるようにして座りこみ、壁に腰をつけて、耳を塞いでいた。

「ティノーヴァ?」

 アーヴァンナッハは片膝をつく。ティノーヴァは震えている。体が強張っていた。「気分がよくないのか?」

 ティノーヴァのせなかに手を置く。ティノーヴァはびくっとして、アーヴァンナッハを見た。日に焼けた顔があおざめている。

「治癒を」

「いい。そういうことじゃないんだ。ごめん」

 ティノーヴァは立ち上がり、部屋に戻った。アーヴァンナッハもそれを追う。


 ティノーヴァは、せなかを丸めてベッドに腰掛け、日記から顔を背けている。

「ティノーヴァ」

「ごめん。ちょっと……いろいろあるんだ。落ち着くまで、待ってくれ」

「いろいろとは?」

 憎たらしい少年は軽く肩をすくめた。「俺の家族が殺されたって話」


「ころ、」

 言葉が続かない。ティノーヴァは声を低め、もそもそという。

「あんた達には解らないよ。俺もオークメイビッドに生まれてたらよかった。下らない土地争いだ。こっから南東の、もともとラツガイッシュだった街に生まれたんだ俺。今はカイザナーグの土地だよ。大昔はティアッハメイブの土地だったっていうけど」

 ティノーヴァはふふっと笑った。「俺はトロエラ家の人間なのに馬にのれるんだ。ノーシュベル村生まれじゃないからな。馬なんて居たらダエメク樹がはげにされちまう。それくらい、馬はあの木の葉が好きなんだ。ノーシュベルのじいさんどもは、ダエメク樹の葉を食い散らかす馬を毛嫌いしてて、俺が乗馬できるってだけでばかに……ああ、そんな話は要らないよな。フィルラムの無駄話がうつった」

 ティノーヴァはせなかをますます丸める。自分の体をまもろうとしているみたいだとアーヴァンナッハは思う。

「突然カイザナーグの軍が攻めてきた時に、両親は四歳の俺と、二歳(ふたつ)上の兄を同じ馬にのせて、とにかく北西へ向かって走れっていった。最初は兄が手綱をひいてたけど、途中で俺がかわった。兄は流れ矢にあたって、手綱をなんとかできる状態じゃなくなったんでな。いや、自分の呼吸もなんとかできる状態じゃなかったな。それでも、流れ矢が俺にあたらないように、ずっと覆い被さってくれてた」

 アーヴァンナッハは顔をしかめ、ティノーヴァの隣へ腰掛けた。なにもいえない。オークメイビッドは五百年以上、不戦を貫いてきた。今では隣接する国も、不用意に越境してこようとはしない。

 戦うつもりはないから放っておいてくれという国を攻めようものなら、自国民から非難されるからだ。大抵の戦は、自分達の権利が侵害されているという気持ちからはじまる。もしくは、民衆のそういう気持ちをあおって、戦の雰囲気をつくりあげて。

 戦をすると決めるのは国でも、実際に戦う兵は、ほとんどが単なる一般市民だ。自分達にとって脅威でもない、戦いを拒否している国へ攻め込むなど、士気の上がりようがない。オークメイビッドは安全なのだ。自分から仕掛けない限り。

 だから、不意に隣国から攻撃される、という情況は、計り知れない。


 ティノーヴァは呻いている。

「それで……別の街へ辿りついた。そこで、兄を弔ってもらって、母親が最後に、身分証を持たせてくれててさ。そこから叔父さんに連絡がついて、迎えに来てくれた。今の父さんだ。俺の産みの母の弟。俺を養子にしてくれた。それでノーシュベルにひっこんで、十年以上も出てこなかった。ノーシュベルは国境(くにざかい)から遠いし、ダエメク樹のおかげで攻めてくるばかは居ない。臆病なことだよ。安全な巣穴に隠れた()()だったんだ、俺は」

「君の経験を考えれば、その行動ははじるようなものではない」

「そうかよ」

 皮肉ととったか、ティノーヴァは笑った。が、アーヴァンナッハの表情を見てすぐにそれをひっこめ、顔を歪める。「あんたは本気でいってる」

「ああ。わたしは偽りは嫌いだからな」

「あんたはばかだ」


 ティノーヴァが、続きは明日にしてほしいというので、アーヴァンナッハは日記を仕舞った。

 ふたりはなにも喋らずに、灯をつけたまま寝た。どちらにも、暗闇にいやな思い出があるのだ。ティノーヴァは一夜、兄の死体を背負って馬を走らせたし、アーヴァンナッハも夜更けに、魔物との死闘の末、先王を看取った。

 そして今はどちらも、失踪した義理の姉妹を捜している。

 いつもの悪夢と一晩過ごさなければならないようだ。


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