義弟と義兄、御者に会う 2
御者はそれ以上、おいはぎについて話せなかった。突然馬車を囲まれ、魔法をくらって御者台を転がり落ち、気絶したからだ。
だが、フィルラムの声で、うっすら意識をとり戻したという。内容までは解らなかったが、おいはぎがふたりになにかを要求しているような感じだった。
おそらく、金や金になるものを寄越せ、といっていたのだろう。
その後、魔法がつかわれ、複数人の叫び声やあしおとが聴こえた後、御者は再び気絶した。スフェアル(水の塊のような魔物だ)にしつこく体当たりされて目を覚まし、馬が居なくなっていたので、慌てて近くの集落へ向けて走った。
「馬はおいはぎに盗まれたんだと思います。まだ見付かっていませんから、ティアッハメイブにでも持っていって、売ったんでしょう」
御者はまたしても項垂れる。「実は、魔法学校の先生から、見舞金だと、金貨を20枚ももらって。メイノエ嬢がそうするように、学校の先生に伝えたってききました。道中、ずっとつけていた、あのノートで……怪我の治癒と、馬を弁償するのとで、3枚くらいつかっちまったんです。残りはお返ししますから」
「いや、義妹の意思なのだから、必要ない。なにか滋養のあるものでも食べ給え」
アーヴァンナッハはそういい、席を立つ。ティノーヴァも立った。「失礼した」
「なああんた、またなんか訊くことがあるかもしれない。思い出したことがあったら紙にでも書きつけて、誰かに言付けてくれ。俺達は灯籠亭に泊まってる」
ティノーヴァははやくちに伝え、さっさと出ていくアーヴァンナッハを追った。
「アーヴ?」
アーヴァンナッハは、店の近く、日の差さないせまい路地で、しゃがみこんでいた。顔を見られたくないようで、両手で覆っている。
「なあ、大丈夫だって。義姉さんはそんなに簡単にくたばらない」
「……そういう言葉遣いは、感心できない」
「解ったよ。義姉さんならどんなことがあっても、簡単に死んだりしない。しぶとい人間だからな」
アーヴァンナッハは何故か、小さく声をたてて笑った。訳の解らないやつだと思ったが、すぐに解った。
笑っているのではない。アーヴァンナッハは泣いているのだ。
ティノーヴァは、どうしようもなく、立ち尽くしている。アーヴァンナッハはなかなか泣きやまない。その姿をさらすのは可哀相で、ティノーヴァは誰も路地を覗きこまないよう、立ち塞がるみたいにしていた。大の男が公衆の面前で、涙を流しているのだ。憐れを催しても仕方ない。
それに、アーヴァンナッハは、三年も義妹に会っていないのだ。去年は休みの時に戻ってきた義姉と違って、メイノエは戻りたくても戻れなかったのだろう。往復に、急いでも四ヶ月はかかるようだから。
きっとメイノエは淋しかったろうし、アーヴァンナッハもそうだ。でなくば、遠路はるばる、義妹を捜しに来るだろうか。
アーヴァンナッハは苦しそうに呼吸していた。ティノーヴァは困って、また、頭を掻く。
「……その呼びかた」
「ん?」
ティノーヴァは、アーヴァンナッハの小さな声に、耳をすます。
「先王が。……メイノエの実の父上が、わたしにそのようにおっしゃっていた。幼い時分のことだ。夜の平原で、魔物に慣れる訓練がこわくて、逃げ出すと、王族の務めを果たしなさい、単なるアーヴになっていいのか、と。オークメイビッドでは、王家の者は決して、略称で呼び合うことはない。王家から追い出すこともできるという意味だ」
「ああ……」
ティノーヴァは唸る。「悪かったよ。アーヴァンナッハ。あんたを傷付けたり、困惑させるつもりはないんだ。二度とアーヴなんて呼ばない」
「そういうことをいいたいのではない」
アーヴァンナッハは手をおろし、立ち上がる。うすくらがりでも、血の染みみたいな色の瞳が、涙で濡れているのが解った。頬に涙の筋が光っている。
アーヴァンナッハは無理に笑みをうかべた。見ていて痛々しい。ティノーヴァは目を逸らしたいのをこらえる。
「メイノエの行動は実に、オークメイビッドの王族らしい。おいはぎに追われ、こわいだろうに、御者の心配をし、治癒にかかる金を工面することに心を砕いて……それをわたしは、試験の結果が思わしくなかったので逃げたのだろうと思っていた。いや、そう考えて、安心したかった。メイノエがまた、わがままで、戻りたくなくてやったことだろうと。だから自分には、なにひとつ責任はないと、そう思いたかったのだ」
「……アーヴァンナッハ」
アーヴァンナッハの声は震え、ひっくり返り、訊いているだけでもつらい。ティノーヴァはだが、聴いていた。それがアーヴァンナッハにとって必要だろうと思った。
「わたしの所為なのだ。あのように心優しい子を理解してやれなかった。したくなかったのかもしれない。わたしは強くあるように努めてきたから、魔法力があるのに魔物さえ殺せないあの子がいとわしかった。責務を果たしてほしかった。わたしひとりに背負わせないでほしかった。だが、あの子に……あの子にはそういったことは無理だと、理解した。だからせめて心穏やかに過ごせるようにと、王家に劣らぬ財を持ち、当人も温厚で、また魔物退治にも積極的な、評判のいい、サートゥン・オルアムとの婚約をとりつけた。だがあれは、結婚をいやがり、海を越えて逃げた。わたしがあの子をオークメイビッドから追い出したようなものだ」
「アーヴ、アーヴ落ち着けよ」
ティノーヴァはアーヴァンナッハの肩を掴む。昨日なら反撃されていただろう。だが、アーヴァンナッハは我を忘れている。義妹のことが心配で。
ティノーヴァは、アーヴァンナッハの肩を軽く揺すった。
「オークメイビッドはみんなそんななのか。戦いをやめる筈だ」
「なにがいいたい」
「あんた、気が優しすぎるんだ。妹さんが心配でたまらないんだろう。それで自分を責めてる。でも、俺達がやるべきことは、今はそれじゃない。ふたりを捜すことだろ。それから今みたいにいえよ。追い詰めて悪かったとでもさ。それに大体、おいはぎが出なくちゃ、義姉さん達はエイフダーマへ行って、課題をちゃんとこなしてた筈だ。違うか? あんたの妹さんは、優秀なひとなんだろう。うちの義姉さんと違って、二年の時でも完璧な傘をつくれた」
アーヴァンナッハは黙る。
ティノーヴァは、アーヴァンナッハを抱きしめた。アーヴァンナッハのほうがだいぶ背が高いので、ティノーヴァがしがみついているような格好だ。端から見ると滑稽だろうなと、ティノーヴァは思う。
ティノーヴァは、声が震えそうになるのをこらえた。したくない話をする。
「俺小さい時、ずっと夢見が悪くて、毎晩うなされてたんだ。飛び起きて泣くと、義姉さんがこうしてくれたよ」
あの頃はなにもかもがおそろしかった。ノーシュベル村に慣れていなかったし、父母や兄のことが思い出されて。
アーヴァンナッハはなにもいわない。
ティノーヴァは呻く。
「こうやって悪夢からまもってくれた礼を、俺はまだちゃんといってない。だからとっとと見付け出そう。俺は礼をいう。あんたは謝る。でもそれは、当人が居るところでにしようぜ」




