5.Mr. shark(again)
「七海先生はいますか?」
決意を新たにした俺が向かったのは、職員室だった。
ちょうど部活動が行われている時間だからだろう、先生はほとんどおらず、空席のデスクが目立った。もしかしたら七海先生もいないかもしれない、なんて考えは杞憂に終わり、彼女は山積みの書類に埋もれるようにして、デスクにかじりついていた。
「あれ、どうしたの宵山君」
こんな暑い日だというのに、七海先生は律儀にもスーツ姿だった。さすがに上着は着ていなかったが、見てるこっちが暑くなる。職員室はクーラーがきいていて逆に寒いのだろうか。うちの部室にも少し分けてほしい。
「もしかして成績悪かったからってお願いしにきたの? ダメだよー」
「いや、そういうことではなくて」
即座に否定すると、七海先生はなぜだか少しだけしゅんとなった。なんでだろう。
放っておいて、俺は用件を単刀直入に告げる。
「部長の住所、教えてほしいんですけど」
前に聞いたことがある。七海先生は部長のクラスの担任だ。ならば、当然部長の住所を知っているはず。
「東雲さんの?」
「はい」
「ダメよ」
が、七海先生は首を横に振った。
「天川さんのときも言ったでしょ? 今はプライバシーとか個人情報とか厳しいもの。いくら生徒の頼みでも、それは聞けないわ」
私が高校生のころはいいかげんだったのにねー、と愚痴っぽく漏らしながら、
「そもそも、宵山君と東雲さんは同じ部活じゃない。知ってるんじゃないの?」
「それは、まあ」
七海先生の言うことはもっともだ。だけど知らないものは仕方ない。言ってしまえば、俺と部長の仲など、その程度ということだ。信頼し合っているわけでもなく、気心が知れているわけでもない。薄い氷のような関係。
かといって、ここで足踏みしているわけにはいかない。俺にできること、俺がやるべきことをやらないといけないのだ。
だから……すみません、七海先生。
俺は覚悟を決め、小さく拳を握る。
「それはそうと先生」
「ん?」
「先生も最近忙しいと思いますけど、ちゃんとリフレッシュとかできてますか?」
「え? 突然どうしたの? たしかに期末テストとか成績とかいろいろあったけど、大丈夫よ。もしかして先生のこと心配してくれたの? なんだか照れちゃうなあ」
「それはよかったです。遊園地でも楽しそうでしたしね」
「……え?」
瞬間、七海先生の笑みが硬直した。
「あ、そうそう」
俺はスマホを取り出し、とある写真を見せる。部長が撮影し、メッセージアプリで送り付けてきたあの写真を。
「俺もこの間のテスト休み、遊園地に行ったんです。そこですごくいい写真が撮れたんですよ」
「宵山……君?」
「ほらこれ。着ぐるみに抱きついてる写真なんか特に――」
「ちょっ! すとっぷすとっぷ!」
七海先生は大慌てで俺のスマホを奪おうと立ち上がってきた。が、俺はそれをひょいとかわし、わざとらしく別の方向――別の先生が座っている方に目線を移し、七海先生に聞こえるほどの大きさでつぶやく。
「でもどう思うでしょうね。他の先生が聞いたら」
「ぎくり」
「生徒の模範たる七海先生が、まさかテスト休みにこっそり遊園地に行ってるなんて」
「あ、あははー。なんだか宵山君らしくないよ?」
必死に牽制してくる七海先生。だけど、らしいとか、らしくないとか、今はそんなの気にしていられない。
「……先生」
ぴくり、と目の前の小さな方が震える。スーツを着ていなければ、年下の女の子をいじめているみたいな錯覚に陥りそうだった。
「教えて、もらえますよね?」
今一度問う。
「……はい」
うつむくように、七海先生は首肯した。
それから「はあ~」と盛大にため息をつくと、引き出しからファイルを取り出し、メモに写し取っていく。
「こんなはずじゃなかったのになあ」
悔恨にも似た感情がこもった声を漏らしながら、
「もっと生徒から慕われて、頼られる先生になりたかったのに」
「十分頼りにしてますよ」
「それは頼りにしてるんじゃなくて便利使いっていうの! もう、宵山君はもっといい子だと思ってたのに」
「すみません」
俺だって自分がここまでするとは思っていなかった。知らず知らずのうちに、部長に影響されたってことなんだろうか。
七海先生は再度、落ち込むように息を吐くと、
「はいこれ、東雲さんの住所」
うさぎの耳がついたピンクのメモが渡される。教師の字とは思えないほどかわいらしい丸文字が書かれていた。
「ありがとうございます」
「言っておくけど、これで写真の件はチャラだからね! ちゃんと消しておいてね」
「それはまあ」
「……まあ?」
「善処します」
「もおおおー」
泣きそうな顔になりながら、ぽかぽかぽか、と胸をしこたま叩いてきた。
「宵山君のいじわる」
そう恨み言を放つ七海先生の姿が、あまりにもアンバランスすぎて、思わず俺はどきっとしてしまった。