1.Rooftop in summer
夏の日差しが、容赦なく降り注いでいた。
目を細め、手をかざす。世界の果てまでこの晴れ空が続いているんじゃないか、なんて幻想を抱きながら。
俺は、屋上に立っていた。
「あっつ……」
まさにうだるような暑さ。コンクリートの床が太陽光を反射するせいもあるけど、それだけではないような気がするのは、きっとここが町で最も太陽に近い場所だからだろう。
屋上に来るのは、あの夜以来だ。あの時は暗くて気がつかなかったけど、こんなにも広かったのか、なんてのっぺりとした灰色の床を見て思う。
あの夜と違うところがあるとすれば、この場に立っているのが俺だけだということだろう。目線の先に、かつて見た女の子の姿はない。
「ハルー」
屋上の扉が開いて、ひょっこりと女の子が顔を覗かせた。夕月だ。
「ゴミ袋もらってきたよー」
「ああ、悪いな」
「うわっ、暑っ! ハルってばよくこんなところにずっといれたね」
俺にゴミ袋を渡すや否や、すぐさま影になっている扉の近くに身体を引っ込めた。
「日焼け止め塗ってきて正解だよー」
ちょっとでも暑さを和らげようとしているのだろう、制服はいつもにも増して着崩していて、首元の肌色面積が大きい。少しだけ目のやり場に困る。
「にしても、天文部って意外と大変なんだねー。屋上の掃除しなくちゃだなんて」
「他に使う部がないからな」
俺はついさっきまで使っていた竹ぼうきを床に置いた。
屋上を使えるのは天文部が天体観測をする時だけ。となれば水泳部がプールを掃除するように、運動部がグラウンドを整備するように、天文部が屋上の掃除を行うのは必然的というわけだ。
「でも、いいよねこの場所。この季節はちょっとアレだけど、いい感じに風も吹くし、なにより眺めが最高だよ」
俺が集めた落ち葉やゴミを袋に詰めながら、夕月は言う。
「こんなにいい眺めなら、他の生徒にも使わせてくれてもいいのになー」
「危ないからじゃないのか。ほら、柵だって古くて背も低いし」
それ以前に、全員立ち入り禁止だと思ってる生徒がほとんどだろう。
「それに、お前はもう『他の生徒』じゃないだろ?」
数日前に出した入部届をもって、彼女は晴れて天文部員となった。もう「部外者」ではないのだ。だからこうして、屋上の掃除を手伝ってもらっているわけだが。
「あはは、そうだったね」
「今日は陸上部いいのか? いや手伝ってもらっておいて今さらなんだけど」
「いいのいいのー。今日の練習は午後からだから」
「ならいいんだけどさ」
今日は終業式なので、まだ午前中だがすでに放課後だ。
「後は片付けくらいだけだし、俺がやっとくぞ」
「いやいや、あとちょっとなら私もやるよ」
「馬鹿、お前は昼も外で練習なんだろ?」
これからがっつり部活だというのなら、こんな炎天下の中、これ以上手伝わせて体力を消耗させるわけにもいくまい。
「バカはそっちだよ」
ゴミ袋を一度床に置いて、こちらへと歩いてきた。……拗ねてる?
夕月は俺の真ん前で止まり、顔を覗き込んでくる。真上からの太陽光でできた二人の影が繋がり、ひょうたんみたいな形になった。
「前にも言ったでしょ? なんで私が天文部に入ったのか」
「そりゃ、まあ」
『私はがんばることを諦めない。私はハルと一緒にいたいって思うの』
入部届と一緒にもらった言葉。夕月の気持ち。忘れるはずもない。
「天文部に入ったのも、ここでこうしてるのも、私がやりたいからやってるの。そりゃー陸上だって好きだけど……好きな人といる時間も、大事にしたいの」
なんて言うと、夕月は勝ち気に笑って、
「諦めないって、決めたしね」
「あ、ああ」
あまりに臆面もなく、ストレートに言ってくるので、俺は詰まった返事しかできない。ずっと見てきた幼なじみの顔のはずなのに、あの日以来、少し違って見えてしまう。派手すぎない化粧。大きな目。赤みを帯びた頬。
「ちょ、ちょっと、照れないでよ。私も恥ずかしいじゃん」
「言い出したのはそっちだろ」
俺は右を向いて目線を逸らす。
こんな風に面と向かって好意を向けられるのは初めてなのだ。どうするのが正解なのか、よくわからない。
「むー」
何に納得がいかないのか、唸る夕月。かと思えば、
「あっち向いてほい」
「え?」
瞬間、彼女の指先と、俺が向く方向が重なった。
「はーい、ハルのまけー。ジュースおごりねー」
「ちょ、おい! そんなのナシだろ」
「もうダメでーす。私、先にゴミ片付けに行ってるからー」
くるんとターンしてゴミ袋を掴むと、扉から校舎内の影へと身体を滑り込ませる。
「オレンジジュースよろしくね。はー喉渇いたー」
たんたんたん。聞こえてくるのはリズムのよい階段を駆け下りる音だけだったが、彼女が上機嫌であることを悟らせるには十分だ。
「……ったく」
とんでもない新入部員がきたもんだ。
俺は汗で濡れた頭を掻くと、掃除道具を片付けて屋上を後にした。




