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16.What I(you) can

 俺にできること。それを実行するために、俺は以前の行動をなぞるように、昼休みの時間に草むらをかき分けて進んでいた。降り注ぐ陽光とセミの声はそれこそ初めてここに来たときをリフレインしているみたいな錯覚に陥らせる。


 草むらを抜ける。額から頬にかけて一筋の汗が伝い、それを拭う。数日ぶりに目にする悠然とそびえる桜の木。その陰には、天川あまかわ先輩が座り、ひとりスケッチをしていた。

 相変わらず絵画みたいに風景と一体化しているせいで話しかけるのがはばかられる。


「また来たの?」


 逡巡していると、ありがたいことに向こうから声をかけてきてくれた。


「今日は一緒じゃないのね」


 鉛筆を動かす手を止め、一瞬だけこちらに目を向けるが、やっぱり興味はないようで、すぐさま目線はスケッチブックに落とされる。もし部長がいたら前みたいにこの場から離れようとしたのだろうか。


「今日は、個人的に来たので」

「個人的?」


 天文部としてではなく。『諦め屋』としてではなく。

 宵山晴人という、一人の人間として。


「じゃあ何の用?」


 俺と天川先輩の間を、さああ、とわずかに熱を帯びた風が吹き抜けていく。絵画を閉じ込める額縁が消え、隔たりを見せていた境界が、曖昧になる。


高座たかくらに言ってないんですね。美術部を辞める理由」


 ぴたり。再び鉛筆が止まった。天川先輩はそれから小さく息を吐いて、


「誰から聞いた、なんて不毛なことを訊くのはやめておくわ。あなたが知った事実は変えられないし」


 ぱたん、とスケッチブックを閉じる。一瞬、前みたいにこの場から立ち去ろうとしたのかと危惧きぐしたが、天川先輩は座ったまま俺の方に身体を向けた。どうやら、俺と話をする気になってくれたらしい。


「彼には言ったの?」


 彼、とは高座のことだろう。


「いえ、先輩が言ってないのに俺が言うわけにもいきませんから」

「そう……」


 俺の答えを聞いた天川先輩は、どこかほっとしたように肩の力を抜く。


「展覧会で二人の絵、見ました」

「それで?」

「先輩の絵からも、高座の絵からも、伝わってきました。絵が好きな気持ち」


 絵の技術とか、うまさとかはよくわからない。だけど、素人の俺にも二人の純粋な気持ちだけはちゃんと理解できた。


「そういえば、うちも二人だけの部活動なんですよね。でも、部長はロクに活動してくれないから実質一人みたいなもので」


 俺は苦笑しながら言う。


「一人だけでやるって、寂しいと思うんですよね」


 それが今まで二人でやってきたものなら、なおさらだ。


「……言わなくていいんですか?」


 訊くと、天川先輩は眉をぴくりと動かし、初めて俺の方に顔を向けた。瑠璃色の瞳が、俺のずべてを飲み込む。俺も自分をさらけ出すように見つめ返す。

 やがて、天川先輩はゆっくりと一度まばたきをする。俺が興味本位で質問をしているわけではないと理解したのか、小さく口を開いて答えた。


「あなた、私たちの絵を見たって言ったわよね?」

「は、はい」

「見比べてみて、どう思った?」

「それは、ええと……天川先輩の方が断然すごかったです」


 どう答えようか迷ったが、言い繕っても仕方ないので正直に答えた。


「そうよ。素人のあなたが見てもわかるくらいの差」


 自慢でもなんでもなく、ただそこにある事実として、天川先輩は言う。


「その差を、彼がわからないはずがない」


 高倉は、知っている。彼我の絶対的な差を。同じ高校生だというのに、越えられない、いや、越えようとすること自体がおこがましい実力差を。


「彼、少なからずそのことで悩んでたのよ。本人は秘密にしてるみたいだけど、私にはすぐにわかった」

「もしかしてそれが理由、ですか?」


 自分が美術で海外留学することを、高座に告げない理由。

「だって、話したらきっと落ち込むもの」

「先輩との差をもっと実感して、ですか」

「それだけならまだいいわ。最悪、絵を描くことをやめてしまうかもしれない」


 ただでさえ圧倒的な実力差がある上に、留学してしまったら、きっと周りは一層才能の有無を高座に突きつけるだろう。無遠慮に、容赦なく。天川先輩は、そう言いたいのだ。

 スケッチブックを握る手に力が込められる。


「……私ね。彼の絵、好きなのよ」


 そう告白する天川先輩の表情は、今まで一番柔らかいそれに思えた。


「彼には絵を描き続けてほしい。たとえ私のことを嫌いになったとしても」

「だから、理由も告げずに出ていくんですか?」

「ええ」

「伝えないんですか? 高座の絵が好きだって気持ちも」

「そんなの、無理よ」


 天川先輩はあっさりと否定する。


「私、口下手だもの。うまく伝える自信なんてない。今までの部活の時だって、ちゃんと会話できたことなかったし……。それに、彼はきっと私のことなんて、悩みの種くらいにしか思ってないわ。いつも比べられて、自分が惨めになる原因くらいにしか……」

「そんなことないです」

「え?」

「そんなこと、ないです」


 高座が、本当に天川先輩のことをなんとも思っていないのなら。比較されるせいで自分の絵に納得がいかないなんて悩みを抱えているだけなら。

 覚悟を決めて俺たちのところに来るはずがない。天川先輩の意思を尊重して、美術部の廃部を諦めたいなんて、依頼をしてくるはずがない。


 高座はきっと、大事に思っている。


「だから、ちゃんと気持ち、伝えてみませんか」


 俺があまりにもきっぱりと否定したこともあって、天川先輩は目を丸くしている。が、すぐに表情を曇らせて、


「で、でも今さらなんて言ったらいいかなんてわからないわよ。言ったでしょ? 口下手だって」

「伝える方法なんて、いくらでもありますよ」


 俺は今一度、天川先輩の方を見つめる。伝えたい気持ちがあるのに、伝えないなんて、悲しすぎる。伝えることを諦めるなんて、見過ごせない。


「そのスケッチブック、見せてもらっていいですか」

「……いいけど」


 あまり気は進まないといった様子だが、天川先輩は一旦それを閉じてから渡してくれる。

 ぱらぱらとめくって、中を見る。そしてその中でも、最初のページに描かれていたものを見て、俺の手は止まった。


「これって……」

「な、なによ」

「いえ」


 これは短く返事して、スケッチブックを返した。これで伝わらないはずがない。だって、俺にだってわかるくらいなんだから。


 だから、俺は天川先輩にこう告げる。


「大丈夫です。先輩の気持ちは、きっと伝わりますから」

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