34 Reverse World あの子がくれた異世界
『灼熱のリザレクション リバース』のサリックスルートを進め、誘拐イベまで進めた。ハナが推していた乙女ゲームの、リメイク作品である。
悪役令嬢パンジーが主人公バレットの力を悪用しようとし、父イヴァンと共謀してバレットを攫うというイベントである。……パンジーは父とは疎遠だったはずだが、悪事を働く時だけは馬の合わない人間同士でも協力出来るというものである。そんな所のリアリティを高めないで欲しい。
「このイベはしゃっくり無印にはないんだっけ?」
「ないよ」
乙女ゲーに一番詳しそうな知り合いがマリだったのでプレイに協力してもらっているわけだが、どうやら既プレイだったようである。ハナとは趣味は合わず共通の話題に困ることがよくあったので、趣味が似ていたマリの事が羨ましくもあった。
……ところで、ここでの「しゃっくり」とは、乙女ゲーム『灼熱のリザレクション』の略称である。
(しゃっくり……)
(しゃっくりかあ……)
言ってから、ようやく(もっとマシな略称はなかったのか……)と呆れた二人であった。
「大体、このパンジーとかいうやつ黄島司令に似ててムカつくのよ」
「ワオ理不尽憤怒だ!……リコ、司令が罪を被ったのは分かってるんだろ?」
「分かってるわよ。そもそも司令を大罪人に仕立て上げたのは私だもの」
「平然と語られる違法捜査来たな……」
敵ではあったが、正義の人でもあったのだろう。司令の意志に沿うように大罪人として扱ったが、それ以上に貶めようとは思わない。
「それと、個人の感情として恨むかどうかは話が別よ」
戦争を長引かせ、国力を疲弊させ、ハナの命を奪った張本人。いくら正義の人であったとしても、それは事実だ。
背中に背負った大太刀の鍔に、そっとカチャリと触れた。ハナの死体の断片を素材にして作った、何種かの武器の一つだ。鍔には、あの子のトレードマークであった矢印の意匠を象っている。
柄側から見て時計回りに外に向かう矢印が四つ四方に出た、ハナの戦闘の癖を反映したデザインだ。あの子は矢印をフェイントで曲進させる時、理由がなければ右に曲げる癖がある。模擬訓練で私に散々指摘されても、結局最期まで治らなかった。
芯材にはあの子の左腕の骨、柄にはあの子の左手の皮膚が使われている。鞣されているのでそのままの肌触りではないが、今でも時折、この柄を握っていると、あの子の左手と手を繋いでいるような、そんな錯覚を覚える。
戦闘に使われて荒れていた右手と比べると、悲しくなるくらいに綺麗だった、ハナの左手。左利きの私に合わせようと、マジックワンドの扱いを練習してくれていた、ハナの左手。去年の一月には、一緒に撮ったプリクラで、お互いの頰をくっつけて相手の顔を反対側の手と自分の顔で挟むポーズにして、私の顔の右側でピースしていた、ハナの左手。フォークの使い方が下手だった、ハナの左手。二年前の八月には、製図を教えてもらう時に、後ろから私の左手に添えられていた、ハナの左手。一番機敏に動くのが、訓練中でも実戦中でもなくテレビゲームをしている時で、呆れてしまった、ハナの左手。三年前の二月には、四年前には、五年前には──
初めて会った日、右手で握手した後、私が左利きだと知った後に、じゃあ改めましてと言ってもう一度左手でも握手してくれた、ハナの左手。
最期の別れの日、飛び立ち特攻するその瞬間まで握っていた──ハナの左手。
私は、あの子が飛び立った後即座に指揮と射撃を開始した。突入部隊が包囲されるのを遅らせるため、京都盆地-奈良盆地-大阪平野を包囲していた全前線部隊に砲撃戦を継続指示しつつ、自身も長射程重力弾で突入部隊を援護し司令部到達まで守り通した。
司令部が大規模な魔力爆発によって壊滅したとの報告を確認したのち、全部隊を進撃。京都本軍の降伏は理由は判らないが早かった。残る分軍を包囲撃滅して降伏させ、残存戦力がいないことを確認し、皇居と大本営と総理大臣官邸に幕府軍の富士旗を突き立て、幕府軍の勝利をマスメディアに宣言し、暫定的な対応と今後の方針の指示を済ませ、その後に一人になった後に、ようやく私はわんわんと泣いた。
“勝ててよかった”
“損害が抑えられてよかった”
“死者が少なくてよかった”
“リコが無事でよかった”
“よかった”
“よかった”
“よかった”
“よかった”
よかった。
よかった。
よかった。
よかった?
皆が、“よかった”とそう言った。
何が、どう、よかったのだろうか。私にはさっぱり分からなかった。戦勝の喜びは微塵たりとも湧いてこなかった。
あの子と親しかった人達にも、最高権力者となった私を面と向かって罵れる者はほとんどいなかった。それでも、あの子がいた孤児院の院長は、私に面と向かってはっきりと恨み言を言ってきた。その時に、ようやくあの子が少しは浮かばれたような気がしたのだった。
私自身が指導者としてあまりに沢山の殺しを指示してきたというのに、一人の友人の死を殊更に悲しんでいるなんて、私はなんて身勝手な人間なのだろうか。
「……リコ、変わったなあ」
「……え」
どういう事だろうか。
「昔のリコは、仕事に関わる話では、自分個人の感情の話なんて絶対にしなかった。公人の立場としての話しかしなかった。今のリコは、ちゃんと『恨んでる』っていう自分の感情を出せてた」
驚いてしまった。この感情が肯定された事もそうだが、何より、自分では変化していないと思っていた己自身が、実は変化していた事を指摘された事に。その私の驚き顔に、マリは呆れた顔をする。自覚が無かったのかと、そう言いたげだ。
……二人にも、よくこんな呆れ顔をされたなあ。私、変わっていけてるのかな。
「感情を出すのは、まあ困る時もあるけど、基本的には良い事だ、特に心身の健康にはな。だから、ちゃんと悲しい時は悲しい顔をして、悲しいって言うようにしろよ?ミミにも、ハナにも言われただろ?」
「……」
私は人間が下手な自覚はある。戦争の引き金を引いた私には、悲しむ資格は無いと思っていた。だけれども、私が友の死を悲しむことを、許してくれる友人達がいる。なら、ちゃんと悲しむことにしよう。そう思った。慣れていないから、少しずつ、だけど。
「……私ね、あの子が死んで悲しかった」
「うん……」
友人達は勿論分かってくれていたけど、自分の口でそれを言った事は、今までただの一度もなかった。沢山殺した私にたった一人の死を悲しむ資格などないと、そう思っていたからだ。
「辛くて、苦しくて、死んでしまっちゃいたくて、悲しくて、怖かった。何もかも置いてけぼりにして死んでしまいたいって思ったの」
「うん……分かってる」
ただただ、頷く事だけに徹してくれているマリ。私は、理性の魔術である月魔法を国でいちばん上手く使える。理論が感性に対して完全に優位に立っているから、首肯以外の言葉をかけられてしまえば、それへの返答に思考が切り替えられ心の整理ができなくなる。それを分かって、マリはこうしてくれているのだ。置いてけぼりにされるかもしれなかった、それに怒ったって何もおかしくはなかったというのに。
「私がそんな事を考えてしまった事も、怖かった。まだやらなきゃいけない事も、終わらせなきゃいけない事もたくさんあるのに、そんな事を考えてしまったから」
「うん……うん」
マリは私の肩を持ち、私の顔が膝の上に乗るように腕を引く。私は無抵抗にマリの膝の上に顔をうずめる。
今も、こうしてどこか他人事のように状況を分析している自分がいる。私にとって、私すらもただの一人分の人間の価値、より多くの者が救えるなら容易に切り捨てうる等価の価値、それだけの価値しか持っていなかった。それを、そんなのはやめろ、私達にとってあなた個人はそれ以上の価値がある、そう言って止めてくれたのがミミとハナだったのだ。
……私、ずっとみんなに守られてきてたんだなあ。
「私、この国を良くしようと頑張ってきて、必死で色々頑張ってきて、それで、」
「うん……その調子」
言葉が止まらなくなってくるのが自分でも分かった。情動のままに言葉を紡げるようになったのか、ここで吐き出せなければ次の機会は遠いという冷静な判断によるものなのか、あるいはその両方なのか。それは、自分でも分からなかった。私の理性が不完全になってきている、それだけが分かった。
「みんながいるここが、みんながいるこの国が、大好きだったから、頑張って、良くしようって、そう思って」
「うん」
目に熱いものがこみ上げてくる。
こんなに感情のままに喋ったのはいつぶりだっただろうか。……おかあさんとおとうさんが、お空の島*に行ってしまった時かな。
「今までこんなに頑張ったことなんて無いってくらい頑張って、それで、国を変えられて、良くすることができて、……でも、いたはずのみんなのうち、ハナは、いなくなっちゃった」
「うん……」
親友達のために頑張ったのに、その親友のうちの一人だったハナは、いなくなってしまった。
悲しくて、悲しくて、やりきれなかった。
「そのことがとても悲しくて、そう思ってしまう自分のことも嫌になって、どうにもならなくなっちゃって、訳わかんなくなっちゃって、それで……」
そこで、私の言葉は止まった。泣いているばかりで、言葉が出てこなかった。
「うん、分かってるよ。──おつかれさま、リコ」
「────」
その、慈しむように言われた、たったそれだけの一言で──溜め込まれていたものがとめどなく溢れ出した。
「─ハナぁ、置いていかないでよお……私、ハナとみんなのために頑張ったんだよお……」
マリの膝に顔をうずめ、泣きじゃくる。みっともない。情けない。涙と鼻水が、盛大にマリのロングスカートと私の顔を汚していく。マリは、私の頭を優しく撫でてくれている。ああ──温かいなあ。
マリの一言で、私の戦争はようやく終わって、総帥としての重責を捨てる事が出来たのだった。
「なんで、なんで先に行っちゃうのお……早過ぎるよお……もっと、ずっとそばに、いてほしかったよお……」
マリは、ただ静かに聞いてくれている。
あの子は、多分私のことを、先にどんどん行ってしまう人だと思っていたのだろう。自分の感情もよく分かっていないくせに、人の感情だけは何よりもよく分かってしまう私には、あの子は隠したがっていたあの子の気持ちも、薄々分かってしまっていた。
とんでもない。あの子こそ、自分の感情すら分からない赤子のような私を、私の行く末を、導いてくれた人だった。いつも先を行って、楽しいものを教えてくれて、導いてくれる人だった。
いつも私の先を行って、私に手を振ってきてくれて……結局、死ぬ時ですら私より先に行ってしまった。
あの子が私の泣き顔で興奮するような変態でも(あの子は気付かれていないと思っていたようだが、私は気付いていた。まだまだだったね)、あの子の命を天秤に掛けた末切り捨てていても、あの子は私の、大切な人だったのだ。
「どうしてえ……どうしてよお……ハナぁ……」
「……よしよし」
泣いて、泣いて、泣き喚いて、今までの人生で泣かなかった分を全て返済するくらい泣き喚き続けて、マリが涙に気化熱を奪われて寒さに震え始めるくらいまで、私は泣き続けたのだった。
★★★★★★★★★★★
「……さて、プレイに戻るわよ」
「オイイイイ!切り替え早過ぎだろオオ!流石のマリさんもビックリだよオオ!」
マリが服を着替えて戻ってきた時には既に私はピタリと泣き止んでいた。
「その銀◯口調やめて」
「てへぺろ♡」
切り替えの器用さは、私の特技だ。めそめそ泣いて、泣き喚いて、泣き疲れるほど泣き続けたら、今度は、あの子のために笑うのだ。あの子は、私が笑って過ごしていられるのが、一番嬉しいはずなんだから。
こうして軽口を叩きあえる友人達と一緒にいられる事を願ったりするくらい、罰は当たらないはずだ。泣いて、泣き喚いて、泣き終えて、ようやく、そう思えるようになった。
ハワイの葬式は、笑って飲んで騒ぎながらするものだ。新たな旅の幸福を祈って、故人の旅立ちを祝うのだ。だから、ハナの旅立ちを、私も笑って祝おう。笑えるようになろう。
あの子がいない世界を、あの子がくれた世界を、ちゃんと笑って生きていく。それが、私の、あの子への追悼だ。
「サリックスが、通りすがりの謎の女性サリーを名乗って、単身バレットを救出しにくるのよね?バレットに付けられた、サリーという呼び名で」
*お空の島……ハワイ神話における天国で、12の聖なる島々。普段は空中に浮いているが、神々の意思によって移動する。





