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32 パンジーの屈辱

 無言で飛び立つパンジー。急速で屋敷に向かっている。ようやく嘔吐が止まったローズは、フラフラと立ち上がってサリーを背負い、後を追って飛び立った。



 ローズは、空の旅路の間、柴咲花としての前世の記憶を思い返していた。先程の凄惨な現場を見て、半ば無理矢理に想起させられたものだった。

 あまり楽しい人生ではなかったのでなるべく思い出さないようにしていた。だが、今はそうでもして気を逸らしていなければ血と肉ばかりの戦争の記憶を思い出してしまう事になる。陰気な人生を思い出していた方がいくらかマシだった。



 ★★★★★★★★★★★



 物心ついた時には私の両親は既に亡くなっていた。私は施設に入れられていた。唯一、リビングかどうかすらわからないほど記憶が薄れたどこかの部屋で、両親が血を流して死んでいた記憶だけが、私の両親の記憶だった。幼き私は多分、死という概念も分からずに動かぬ母親にあうあうと乳をねだっていた記憶がある。


 私の中身は空っぽだった。施設の施す教育は一対多のものであり、どうしても人数の分だけ薄まってしまっていた。多くの子供が自動的に受けられる二人分の専属情操教育がまるっきり欠落した私は、意志も情動も自我も欠落した無感動な子供だった。

 強い願望も、望む目標も、自我も、何も無かった。それでも、同じ境遇の子供達にはちゃんと自我がある人もいたので、本質的に言えば私は元々そういうつまらない人間だったのだろう。


 何も無い私は、張りぼてとなる何かを欲した。何も無い人間である私は、何も無く消えてしまうのを恐れた。

 何かがしたいわけでもないのに、「何かをしなければならない」という強迫観念のみが私を突き動かした。何もしたい事が無いから何かをする、なんて皮肉な話だろうか。


 何も無い私は、鍛錬する時間だけは沢山あった。遊ぼうという情動すら希薄なのだから、する事がそれしか無かったからだっだ。身の入っていない空虚な鍛錬ではあったが、最低限誇れるレベルよりは上だが雲の上には絶対に届かない、その程度の魔術だけ身に付けられた。


 私は警察機動隊の魔術師部門である、魔導機動隊員になった。この空っぽな私でも何かを成し遂げられる、そう思ったからだった。だが、今にして思えば、私を虐げていた世界が恨めしくて、八つ当たりがしたかっただけなのだろう。


 ある女性の同僚がいた。同年代かつ同期であり、むさくるしい男職場の中で数少ない同性であった事もあり、彼女とはすぐに仲良くなった。赤みがかった金髪で浅黒い肌を持つ、とても背が低い女性だった。彼女は、自身をリコと名乗った。移民のネイティブハワイアンの母と日本人の父のハパ*だそうだ。彼女も、物心付いた後ではあるが、両親を亡くしていた。


 リコは私と同じく月属性魔術が使えた。汎用属性としては陽属性魔術と並び最も行使者が少ない属性であり、その点でも私は仲間意識を抱いていた。

 魔術の属性はその使用者の気質を反映するものであり、月魔術の行使者の条件は「極度に理性的である」という事。「極度に本能的である」事を条件とする陽魔術と対になるものであったが、要するにカタブツであるという事で、その事でも自身を卑下していた私は後ろ暗い共感を感じていた。


 リコは、魔術においては右に出る者のいない正真正銘の名門校の出身だった。中途半端な自称名門、他称滑り止めの有象無象の学校の出身でしかなかった私は劣等感を感じていた。まあ、真に他者の幸福を願って戦っていた彼女と、ハリボテの肩書きを欲しがっていただけだった私の意志力には天と地程の差があったのだから、当然の惨めな結果だとも自嘲していた。


 リコは苛烈な人だった。まず第一に狡猾な策謀家であり、次に非情な執行官であり、そして冷酷な指揮官であり、更に鮮烈な戦闘員であり、最後にようやく甘味が好きで絵を描く事が好きな小心者の女性である、そんな人だった。彼女はとても心優しい人で、なればこそ世の悲しみを排するため鬼神にも悪魔にもなれた。

 他者憎しで合法暴力組織(ポリ公)の末席を汚しているだけの身の私とは、大違いだった。ますます私は自分の矮小さが惨めになった。


 リコはどんどん上の地位に登っていった。先に進む彼女と停滞する私に大きな差が付いてしまった後でも、友人として話している彼女と私は、良き友人となれていた。彼女が少しでも、地位を誇示する鼻持ちならない人物であったなら、その関係は破綻していたであろう。

 そんな慎ましやかな所すら、私の惨めな劣等感を掻き立てるには、あまりに十分だったが。


 リコは次第に、その高い実力と苛烈な外面によって、名が知られるようになっていった。ネームド(異名持ち)というやつだ。彼女はその特徴的な魔術から、【SL】(蒸気機関車)と呼ばれた。

 彼女の蒸気魔術の出す白煙と黒煙、飛行時の風切り音、戦闘に使われる爆破術式の轟音は、ある時は悪を薙ぎ払う正義の執行者の象徴として、またある時は意思を砕く絶望の防護者の象徴として、畏れ敬わられる様になっていった。

 彼女は彼女を追うマスメディアすら飼い慣らした。世に正義を伝え、世の悪を挫く為に。彼女が理想的な英雄として振舞う事で、悪の芽は潰れ正義の芽が芽生えた。後世の平和の礎となるために、彼女は私生活すら投げうって最高の英雄を演じた。痛々しい自己犠牲だった。


 彼女はただただ無慈悲なまでに平等な執行機関であった。人は、誰しも大事にする人、大事にしたいと思う人がいる。そして、名も知らぬ見も知らぬ他者よりも、親愛なる誰かを不平等にも優先してしまうものだ。

 しかし、リコはそれを良しとしなかった。不平等であるからと。知己(ちき)で無かったというだけの理由で誰かを取り零したくないと、誰も取り零したくないと、ただただそれだけの理由で、彼女は冷酷なまでに平等に英雄として、断罪者として振る舞った。見も知らぬ101人の命を救う為に、歯が折れ口内を噛み切る程口を食い縛りながらよく見知った100人の命を切り捨てられる人間だった。


 何故そんな事が出来るのか、と一度聞いた事がある。無遠慮で不躾な質問だった。

 しかしリコは面喰らったあと、少しはにかみ「全ての人を愛しているから」と、恋する少女のような面持ちでそう答えた。歯の浮くような答えだったが、彼女の今までの行動がその答えを裏付けていた。何より、質問の内容におよそそぐわぬ、肩透かしで間の外れたようなその表情が、却って、彼女が真実全ての人々を心から愛している事を伝えていた。

 人が特定の人に恋をし愛を捧げるのと全く同じように、リコは全ての人々の尊き営みに、きらめく輝きに、恋をして愛していた。

 まさしく博愛、まさしく聖者だった。私は彼女のその答えに驚き、心から尊敬すると同時に……強い疎外感と、諦念を感じた。

 彼女は私とは別の人間だ、私は彼女のようにはなれない、と。


 ある時私とリコが対峙したテロリストは、私達の元同僚であった。失踪するまでは、互いによく交流もしていた相手だ。

 彼の主張には、一部頷ける箇所もあったが……実際の行動は、その主張が成し遂げたい目的に辿り着くにはあまりに迂遠で無関係であり、そして何より無関係な人々を殺し過ぎていた。手段と目的が結び付いていると本人達だけが思い込んでいる、よくある悲しいテロリズムだった。

 リコは、相手の人となりを良く知っている事を活かし……確実に相手を仕留める、無慈悲で、卑劣で、冷酷で、底冷えする程におぞましい作戦を立案した。

 作戦は、虚しくなる程に完璧に成功した。追い詰められ八方塞がりにされた事に気付いた彼は、半狂乱になって反撃してきた。

 私は彼を斬ろうと思った。斬れなかった。一瞬の迷いで動きが止まった私は、当然の如く反撃をまともに喰らい戦闘不能のダメージを負った。……あの時彼は私を仕留められたはずだ、彼も迷いがあったのだろうか。

 私は、リコと彼がぶつかり合うのをただ見ているだけしか出来なかった。リコは……迷いなく相手の最も嫌がる攻撃をし、迷いなく相手の迷いにつけ込み、迷いなく相手の命を最短で刈り取った。そして事件は終わった。

 彼が殺し過ぎていたから、彼が止まれなくなっていたから、彼の命を止める事をもって彼を止めた。

 口で言う事は、余りに容易い。しかし、一切の迷いが許されない局面で、知っている相手の命を迷いなく冷酷に刈り取れる人間がどれほどいるのだろうか。私は出来なかった。リコは出来た。知っている他者も見も知らぬ他者も平等に愛し、その命を平等に守ろうと真に心から願ったからこそ彼女はそんな事が出来たのだ。

 私は、そんな彼女の聖者としての在り方を、恐ろしいと思ってしまった。恋する少女の表情で全ての人々への博愛を表明した彼女が、全く同じ動機で冷徹に殺人犯を処理した事を、恐ろしいと思ってしまった。知己を殺める事を彼女が誰よりも苦しんでいる事を、私は知っていたと言うのに。


 彼女は、血を浴びながら、憎しみも悲しみも、希望も羨望も、その小さな背中に全て背負っていった。それでも、その心優しく臆病な内面を知っているのは私だけだという優越感もあった。戦っている時の彼女はいつも仏頂面で、マスコミに映る彼女はいつも微笑を浮かべていて、それ以外の気を抜いた表情は私の前でしか見せていなかったからだ。

 劣等感に駆られた私は、彼女を必死になって追いかけた。彼女を追いかける事が無かったら、私は一生ネームドにはなっていなかっただろう。追いかけて、追いかけて、彼女が日本最強の魔導師とまで目される様になった頃にようやく、私はライフル弾と呼び慣わされる様になった。


 彼女は危うげだった。公人として非情に徹して仁王立ちする彼女の勇ましげな背中は、私人として背筋を丸めてスケッチブックと向き合う彼女のいじらしい背中とは、むごたらしいほど乖離していた。

 そんな重い物を背負っているのに、彼女は決して微笑を絶やさず、泣き言を言わなかった。私にも。その張り付いた笑顔の裏に、苦しみを抱えている事は分かっていた。いつか彼女はその重荷を背負いきれなくなり、綻びて、擦り切れて、潰されて、ポッキリと折れて壊れてしまうんじゃないか。そう心配していた。


 そして実際に、彼女は折れた。折れてしまった彼女を絶望の淵から掬い上げたのは、ミミという女性だった。私ではなかった。


 ミミは嵐の様な人だった。ミミは私よりも弱かったし、私より非情になれるわけでも、私よりリコの実力を追い縋れるわけでもなかった。リコの追っかけをしていたミミが目をかけられリコに弟子入りした時も、少なくともこの時点では芽が出ていなかった。

 でも、彼女の折れ砕けた心を、力尽くで拾い上げていったのはミミだった。ミミも同じようにあの子の内面を知っていた。ミミは、自らを使い潰す悲壮な覚悟を背負っていたリコに対し、そんなのは許さない、力尽くでも止めてやる、と言い放ったのだった。ずっと側にいた私が我が身かわいさで手をこまねいているうちに、リコの異質さを恐れて足踏みしているうちに、ミミはリコの心に踏み込んでいった。彼女はミミの手を取った。


 私は、リコの一番にはなれなかった。



 ★★★★★★★★★★★



「考えてみればあの二人の真似事ばっかりしてるわね。未練がましいったらありゃしない」


 飛びながらそう自嘲する。パンジーが自らを犠牲にするその姿が、性格も何もかもが全然違うのに、あまりにもリコにそっくりだったから。そんな彼女を希死念慮から拾い上げる方法ですら、私はミミの劣化コピーだった。私の中身は、ずうっと空っぽだった。

 あの舞踏会の日決めた覚悟すら、実はリコの真似事だったんじゃないか?


 突如、巨大な殺気を感じた。

 屋敷の方からだ。


 鳥達が一斉に飛び立ち、獣達が怯えて遠吠えを始めた。

 生命の危機を感じ取ったからだった。

 そしてその反応が起こった規模は、さっきの森の異変よりも遥かに広範囲だった。


 何が、あったというのか。

 とてつもないことが起きた、それだけは分かる。


 この殺気は、パンジーのものだ。そして、今世でパンジーから感じたどの殺気もよりも、前世で黄島司令官から感じたどの殺気よりも、その殺気は巨大で強烈なものだった。

 殺気は嫌という程するのに、魔力も闘気も全くと言っていい程感じない。あまりに不自然な違和感だ。

 ローズは本能的に怯えると同時に、強く高潔で、しかしどこか儚げで今にも消えてしまいそうな、そんな危うげな少女の命運を案じた。


 嫌な予感がする。

 また、彼女は、死にに行こうとしているのではないか。

 また、彼女は、自らを犠牲にしようとしているのではないか。苛烈で痛ましい、あの子のように。


 焦る心が術式を乱す。逸る脚が出力を荒らす。それでもなんとか飛行を続け、屋敷近くまで到達した。


 二人は屋敷周辺、殺気の発生源とは反対側に降り立つ。

 イヴァンらしき声と手下らしき野次が聞こえる。

 石垣を伝い、角から様子を伺った。


 何が待っているのか、分からない。分かりたくない。分かりたくないと思っていても、逃げ出す勇気すら持つ事が出来ない。縋りつくように、祈るように、閉じていた目蓋を開く。


 きっと何かの勘違いだ。パンジーは何事もなく、いつものように、その腹立つ表情を見せて──






































「わたくしが、ぜんぶ、まちがって、おりました!おゆるしください、おとうさま!」


 パンジーはイヴァンの目の前で笑顔で全裸で土下座していた。

*ハパ……ハワイ語で「半分」の意。ここでは混血の事を指す。

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[一言] あ、イヴァンこれどんな反応しても死ぬな…… 生かしておいたのが間違い
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