31 肉片
バレット失踪の急報に、急いで帰路を辿るパンジー一行。四匹の早馬で森の道を駆け抜ける。
「タイミングが良過ぎる。まさかお父様が仕掛けてきた……!?」
イヴァン・エルムントは欲深く愚昧で、お世辞にも賢明とは言い難い人物だった。狭い領内で肉親同士で権力争いをする。戦略的に見てそんな無益な行為に手を出すのも、あの愚か者なら有り得ない話ではない。
「ですが、我々のいない間に人質を取るなんて知恵が回るとは思えません」
確かにその通りだ。戦略上は無意味にも程があるのだが、戦術上は局地的ではあるが有効な策を取られてしまった。あの愚か者にはその程度の知恵もないはずだ。
「誰かが入れ知恵をしている可能性があるな。軍事的、産業的資産を欲しがった誰かが……」
不味い。もし本当にイヴァンが仕掛けてきたのであれば、事態は最悪だ。生産している兵器は爆撃機だけではない。あの馬鹿と、その馬鹿を唆した馬鹿にこの時代の兵でも扱える兵器が多量に渡ってしまえば……
悲惨な未来を想像し、三人は青ざめる。
「急ぐわよ」
★★★★★★★★★★★
「──静か過ぎる」
三人は異変に気付いていた。先程から馬車が森を駆ける以外の音が一切聞こえてこない。森の奥で魔物や獣、鳥の鳴き声が一切聞こえず、気配すらも感じ取れないなど有り得ない。
自分達の感覚よりも獣達の野生の勘は鋭い。森で育ち、森の中であれば気配というものに獣以上に聡くなったバレットでもなければ、アウェイグラウンドである人間達は獣達の感覚に判断を委ねるべきであろう。
そしてこの規模の異常。嫌な予感が駆け巡る。人知を越えた異変が起きる、前兆。
そしてそれは森というものをよく知った早馬の御者も同様であった。客の身分は知らされてはいないが、一行の真剣な表情と積まれた大金から、やんごとなき身分の人間が何らかの一大事に急馬を飛ばそうとしている事は想像が付いた。
そして、その一大事とこの異常はおそらく関係がある。
目的地バルクに向かえば向かうほど強まる違和感。既に必死の速度で走る馬を、手綱を振るって更に急がせる。賢いこの馬達も同じく危険を感じ取っているようであり、普段は拒否する速度を自ら出していた。
焦りで注意力が欠落し──ワイヤーで御者の首が飛んだ。
★★★★★★★★★★★
神経が切断された御者の身体は瞬時に硬直。手綱を強く引っ張られた馬達は停止命令だと解して急減速した。
コントロールを失った馬車はつんのめるように横転しかけたが、
「『ストップ』!」
ローズの術式により不自然な角度で傾きを止め横滑りしながら復原して停止。
馬達は乱暴な命令に憤慨して振り返り……御主人様だった首無し死体を目にした。そして恐怖に怯え暴れ出す前に、突如飛来した、属性魔力への変換すら為されていないただのマナの塊に頭部を吹き飛ばされ、切断面から血を吹き出しながらその命を終えた。
即座に扉が蹴破られ三人が降り、術式を起動して戦闘態勢を取る。
「……囲まれた!」
降りた時には既に、森から現れた四十人程の謎の人々が一行を取り囲んでいた。
子供が一人も見当たらない事と、こんな森の奥に入る理由が想定できないことを除けば、一見ただの老若男女の平民に見える。しかし、目からは生気が失われ、表情は虚で姿勢もだらんと垂れ下がっていた。森で付いたであろう生傷は手当てもせず放置されている。
一見して、異常。
「うぅ、あぅあ。おー、うー、えう?」
ただただ、廃人が呻くような、赤子が喃るような喃語を発するばかり。ローズ達の前世で言うホラー映画に登場する架空の存在“ゾンビ”のような異様な雰囲気を纏っていたが、それらに共通していた獣のような攻撃性すら、目の前の存在からは感じられなかった。
三人は術式の段階を進め具現化する。ローズは、輪状に循環している矢印を。パンジーは、自身を囲む旋風を。サリーは、光り輝く大剣を。
「盗賊……か?」
「こいつらが盗賊に見えるのかしら?それなら楽だったんだけど」
「だよな……森の様子もおかしいが、こいつらはもっとおかしい。殺気が無さ過ぎる」
殺気どころか、およそ気の動きすら感じられない。不穏な状況とは裏腹に、感じられるのは不安定な魔力のみ。気付くのが遅れたわけだ。
「何故だ……何故呆人が魔力を扱える……!?」
サリーの言葉に二人もその気配のもう一つの異常性に気付く。魔力は精神の力。意識があるかどうかすら定かでない人間が、不安定であろうともマトモに戦闘に供せるレベルで魔力を扱える道理が無い。
そして、呆けているというのに奇妙に統率の取れた動き。
「何らかの精神干渉を受けている……?操られているのか……?」
そうだとしたら本当に不味い。操られていて危険を省みないこの数を無力化するのは困難だが、かといって殺してしまえば心神喪失状態の無実の人間を殺害する事になってしまう。
「……来る!」
膠着状態が終わり、集団が一斉に動き出し接近してくる。殺害も視野に入れるしかない。
呆人達は大量の魔力を放出している。本来本人達に扱える許容量を大きく上回る量を強制的に行使させられているのか、脂汗を垂れ流し血管から出血を起こしている。
三人は殺害を覚悟し構え──
ぱん。
──四十人の呆人たちは自爆してその命を終えた。
「──あ?」
咄嗟に展開した防御術式は自爆により放たれた魔力の奔流に耐えきれず破壊される。威力は十分に殺せたので大したダメージは受けなかったものの……血と肉塊と糞尿が直接三人に降り注いだ。
「──っがあああああぁぁぁあああぁぁぁぁッッッッッ!!!」
★★★★★★★★★★★
ローズは絶叫した。
殺そうとした、でも殺したくはないと思っていた敵が、殺すまでもなく目の前で死んだ。
周囲に死だけがあった。
サリーは自失していた。
脳が処理を拒み、尻餅をついて倒れる。
そして嘔吐した。
パンジーは呆然としていた。
自分が殺していない相手が、死んだ。
無造作に、無価値に。
成程、知性も技術もない兵士を始めから使い潰す気ならカミカゼが最適解だ。現に火力の集中によって防御術式が破壊され、多少の肉体的ダメージは受けた。
肉体的ダメージより精神的ダメージを与える意図が──全くなかったとは思えないが。
「うぷ」
水魔術の滝で、付着した血と肉と糞尿の混ぜ物を全員分乱雑に洗い流す。体を這う吐き気のするぬかるみは、洗い流せた。
精神を苛む吐き気のする嫌悪感は、洗い流せない。
「おげえええええええええええ」
前世で触れた死体の山の柔らかさが、前世で浴びた敵の返り血の生ぬるさが、前世で自爆して感じた体の千切れる激痛が押し寄せてくる。
馬車で押し込んだ堅焼きのパンが全て大地に還元される。
「おえっ、えおっ、うえっ、おええええええええええええええ」
気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。
既に空っぽの胃の中身を、まるで拒否感そのものを吐き出すかのように絞り出す。
勿論、拒否感の居場所はそこではないのだから、当然吐き気はおさまらない。
糞尿の発するスカトールとアンモニア、俗に血の匂いと呼び慣わされる1-オクテン-3-オンとトランス-4,5-エポキシ-(E)-2-デセナールの不快な金属臭が鼻水の隙間から恐怖を呼び覚ました。
涙が、鼻水が、涎が、吐瀉物が、顔を汚し続ける。
サリーに背中をさすられる。自身も嘔吐したにも関わらず、ローズの身を案じていた。死という衝撃に慣れ過ぎていなかった彼であればこそ、目を背けて他者を気遣う余裕が出来たのだった。
正面から受け止めてしまったローズは身体的嫌悪感で精神的嫌悪感を逸らすしかなかった。
臓腑が蠢き、吐瀉物を大地にぶちまける。何度も、何度も。固形物を吐き尽くし、胃酸すらも吐き尽くして尚、何も入っていない胃から絞り出すように嘔吐し続けた。そうでもして喉と内臓を痛めつけ続けなければ、片と化した死者が自分を責め立ててくる。
ローズは四肢をついた自身の影を見つめ続け、視覚を遮断するしかなかった。
一方、唯一倒れ込む事なく直立したままのパンジーはと言えば。
「殺す、殺す、殺す。殺してやる、殺されたこいつらの全員分の痛みを味合わせてから、殺してやる。四十度、殺してやる。圧殺して、暗殺して、殴殺して、鏖殺して、怨殺して、潰殺して、虐殺して、強殺して、挟殺して、禁殺して、撃殺して、減殺して、故殺して、絞殺して、惨殺して、斬殺して、刺殺して、射殺して、銃殺して、呪殺して、焼殺して、食殺して、畜殺して、溺殺して、毒殺して、突殺して、罵殺して、爆殺して、謀殺して、抹殺して、密殺して、滅殺して、薬殺して、要殺して、格殺して、屠殺して、焚殺して、撲殺して、落殺して、轢殺して、殺してやる」
壊れたクルミ割り人形のように殺害方法を連呼していた。





