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008 熱に浮かされて

屋敷を案内した後の二人

 次の日――


「……死に、そう……」


 わたしは熱に浮かされていました。頭痛が酷く、音もはっきりと聞こえず、体中が焼けるように厚くて、耳の穴から熱湯を流し込まれているみたいでした。吐き気もあります。


「う……よい、しょと……」


 しかし、仕事を休むわけにはいきません。病気だとわかったら、服を脱がされる可能性もあります。少しでも男だとバレる可能性を潰すために、できるだけのことはしないと。


 いつもより二倍くらいの時間をかけて着替えると、ちゃんと着こなせているか確認するために、鏡の前に立ちました。


 そこには顔を真っ赤に蒸気させたわたしが映っていました。肩に触れるか触れないかという長さの髪には花の髪飾りがついています。これは少しでも女の子らしくなれたらと思い、アルジェントに買って貰ったものです。しかし、こうして見ると自分でも驚くほど女の子にしか見えません。熱のせいで頭がおかしくなっているからかもしれませんが、女にしか見えないからこうして屋敷内の人を騙し通せているのでしょう。身長が百六十cmもないこと、細身であることも幸いでした。


 いつもの自分と変わらないことを確認すると、 覚束おぼつかない足取りでわたしは真理様の部屋に向かいました。


 壁を支えになんとかたどりつくと、倒れこむようにして扉にもたれました。扉を叩きますが、中から返事はありません。それなのに、意識が朦朧としていたせいか、わたしは中に入ってしまいました。


 ベッドの毛布が盛り上がっているのが見えます。真理様はまだ寝ているようです。時計を見ると……十一時でした。いつもより、一時間も早く来てしまったようです。


「ん……んん……ん?」


 毛布がもぞもぞと動きます。わたしが煩くしてしまったせいで、起こしてしまったようです。真理様は上体を起こして、時計を見た後、不機嫌そうな顔でわたしを見ました。


「……おい、まだ一時間前だろ。わたしの大切な睡眠時間を……」


 言いかけて固まります。真理様は眉を潜めて、わたしを見ていました。


「お、おい、大丈夫か?」

「な、なにがです、か? わたしはいつも通りです、よ?」

「嘘をつくな。顔、真っ赤だぞ。ふらついてるし……完全に風邪だろ」

「いいえ、そんなことは――」


 瞬間、体から一気に力が抜けてしまいました。


 足から骨を抜かれたかのように、膝がくずおれてしまいます。視界が揺さぶられ、体が溶けてしまいそうでした。自分が立っているのか、倒れているかも定かではありません。

 なにも聞こえません。真理様が今どうしているかもわかりません。


 わたしはこれで三回目となる気絶を経験したのでした。


 *・*・*


 気絶したときは、毎回、母の夢を見ます。


 ――どうして私は産まれてきちゃったんだろう。


 母は強い人でした。ですが、強いからといって弱音を吐かなかったかといえば、そうではありません。時々、人が変わったように弱気になるときがありました。そういったとき、彼女はわたしを力強く抱きしめるのでした。


 傍に誰かがいることを、自分に証明しようとしていたのだと思います。憶測でしかないですが。


 ――私ね、未だにわからないことがあるんだ。


 その言葉はわたしに向けられたものだったのか、ただの独り言だったのか、わたしにはわかりません。母は湿った声で続けました。


 ――確かにね、私は他の人とは違うよ。必要のない力を持ってる。だけど、なにも危険じゃないでしょ? 私はこの呪いの力を自由自在に扱うことができる。力が暴走することはない。なのに……どうしてこんな目にあうんだろう。


 泣いてはいませんでした。堪えている様子もありません。


 ですが、確かに母は悲しそうでした。だから、幼かったわたしは少しでもその悲しみを和らげることができるよう、貧困な語彙を捻りだして言いました。


『ボクはね、お母様が産まれてきてくれて、よかったです。お母様がいなかったら、ボクはこの世界に産まれてこられなかったんですから』


 母の耳に届くように、ハッキリとした声で言いました。すると、彼女は満面の笑みを浮かべたのでした。


 ――ありがとう――そう言ってくれると、私も嬉しいよ――。


 母の声と顔が薄くなっていきます。意識が戻りかけているのでしょう。


 そして、気づいたことがあります。母は確かに笑ってくれていましたが……ちっとも嬉しそうではなかったのです。むしろ、悲愴に満ちていました。勿論、そんな感情の機微を、幼かった頃のわたしにわかるわけがなく、仮面の笑顔を貼り付けている彼女の胸に自分の顔を埋めていました。わたしの顔は笑顔でした。


 わたしの言葉では、彼女を救えなかった。


 その事実が、わたしをとてもやるせない気持ちにさせました。


 *・*・*


「――お、起きたか」


 目を覚ますと、真理様がわたしを見下ろしていました。慈愛に満ちた表情がそこにはあり、無条件にわたしは安堵を覚えました。


「なんか、とても苦しそうに呻いていたが、嫌な夢でも見ていたか?」

「夢……そうですね、夢を見ていました……嫌な夢でしたね」

「そうか……」

「真理お嬢様! 氷を持ってきました!」

「お、丁度いい所に来た」

「はい、どうぞ……樹里ちゃん、大丈夫?」

「はい……大丈夫ですよ……」


 真理様は遥さんが持ってきてくれた氷を袋に包むと、わたしの額の上に置きました。冷たさが額を通して、わたしの体内に浸透していきます。


「どうだ? 冷たいか?」

「はい……気持ちいです……」


 わたしは自分の部屋のベッドで寝ていました。遥さんの話によると、真理様がおぶって運んできてくれたそうです。わたしはその場面を想像しました。きっと、彼女の小さな体ではかなり苦労したに違いありません。


「……真理様、ご迷惑をかけてすみませんでした」

「謝るな。感謝しろ」

「ありがとうございます……」

「本来なら仕事放棄で解雇だ。だが、今回だけは許してやる。今度はこういったことがないよう、しっかり自己管理をするんだな」


 真理様は怒っていました。無理もありません。使用人としてわたしは失格です。自分の健康の管理ができないのに、お嬢様のお世話など充分に果たせるはずがないのです。


「あの、あたし、仕事があるのでここで……」

「ありがとう。行っていいぞ」

「失礼します」


 遥さんは部屋を出ていきます。静寂が空間を支配します。わたしはなにを言うべきなのか、考えに考え抜いたのですが、一向に最適解が見つかりません。もたもたしているうちに、真理様が口を開きました。その瞬間、怒声が飛ぶのかと思い、目を閉じてしまいましたが、


「――ごめん」


 出てきたのは、思ってもいない言葉でした。細い指先が、わたしの頬に触れます。


「きっと、わたしのせいだ。わたしのせいでお前が調子を崩したんだ」

「そんなこと、ないですよ。わたしの管理能力が甘かったから……」

「……ドアノブ」

「えっ」

「ほら、屋敷案内の前にわたし、お前に下らない悪戯をしただろう。あれ、適当に倉庫から持ってきたものなんだ。あれに毒かなにかが含まれていて……お前の体を蝕んだんだよ、きっと」


 伏し目がちに真理様は言いました。いつも強気で高飛車な彼女が、今はとてもか弱い普通の女の子のように見えました。もしかしたら、これが本来の彼女の姿なのかもしれません。脆弱な自分を隠すために、わざと攻撃的な態度をとって、誰も寄せ付けない様にしていたのではないでしょうか。


 わたしは暫時、言葉を忘れていましたが、真理様の誤解を訂正しなければならないという思いに駆られ、口を開きました。


「……すみません、真理様はあれを倉庫の何処から持っていかれたのですか?」

「ああ、奥の方の木箱から持ってきたものだ」

「奥の木箱……もしかして、玩具が沢山入っている箱ですか?」

「ん、確かそうだったな」

「なるほど。なら、あれには有害なものは含まれていませんね」

「え? そうなのか?」

「はい、名前は忘れましたが、あれは玩具の一種です。作ろうと思えば、作れますよ」


 ですから、わたしの不調とあの悪戯の間に因果関係は成立しません。真理様が気に病む必要性はないのです。


「それなら……あの開けるなって扉に触れたから」

「それも違いますよ。注意書きには『開けるな』って書いてあったんですから。もし、触れただけで害を与えるなら、『触れるな』って書くはずですし」

「……むぅ」


 真理様の弾丸は早くも尽きてしまったようです。わたしは頬の上の真理様の手を握ります。


「だから、真理様が気に病む必要はありません」

「……はあ」


 ため息をつくと、真理様が手を握り返してくれました。


「お前みたいな使用人は初めてだよ。なんでだろうな……お前相手だと調子が狂う。前みたいに罵倒できないし、乱暴にできない」

「あはは、嬉しい言葉です」

「こっちは嬉しくない。ほんと、なんでだろうな……雰囲気か?」

「雰囲気ですか?」

「ああ、お前、儚いんだよ!」

「は、儚い?」

「そうだ、こっちが少しでも棘のあることを言うと、簡単に吹き飛ばされそうなんだよ。見ていると、怒りが溜まってくる」

「す、すみません」


 真理様はもう一度ため息を吐くと、空いている方の手で額をつねりました。そして、顔を背けて言いました。


「……そのままでいい」

「えっ」

「っ! そのままでいいって言ってるんだ! 変わるなってことだよ!」


 真理様の顔は真っ赤でした。羞恥を誤魔化すように声を張り上げる姿は、やはり駄々をこねる子供のようです。


「そっちの方が、わたしはまた誰かを傷つけずに済む。だから……少なくとも今は、そのままでいてくれ。自分のことが嫌いだなんて、言うな。言わないでくれ」

「…………」


 いつか、わたしは真理様に、こんな自分が嫌いですと言いました。あの風呂場での会話を覚えていてくれたようでした。あんな下らない泣き言を言うわたしを、彼女は励ましてくれているのです。わたしは泣いてしまいそうでした。下を向いたら零れてしまいそうです。真理様の言葉が、声が、優しさが傷口に染みて癒していくのを感じます。痛い、痛いです。だけど、嬉しいのです。わたしは幸せ者なんだと、確信を持って言えます。


「なあ、話せる気力があればでいいんだが、お前――じゅ、樹里のことを聞かせてくれないか? わたしは知りたいんだ……お前のこと」

「――はい、勿論です」


 わたしは即答しました。


 ずっと隠してきた過去を誰かに話すのは、とても勇気のいることです。わたしには勇気がなく、ずっと誰にも話しませんでした。ですが、真理様にならわたしのことを話してもいいと思えたのです。


 真理様は次々と質問をしてきました。わたしは丁寧に答えていきました。


「好きな食べ物はなんだ?」

「特にないです。嫌いな食べ物もありません。なんでも好きです」

「尊敬している人は誰かいるか?」

「母です」

「そういえば、樹里は雨無家から来たんだったな? どうしてだ?」

「雨無家にわたしの場所はなかったもので、追い出されたんです。色々な偶然が重なって、今こうして真理様に仕えています」

「そうか……それは大変だったな」

「そうですね。でも、こうして真理様と会えたので、よかったです」

「……もし、お前が男だったら女たらしになっていただろうな」

「えっ‼ い、いや、そんなことないですよ」

「褒めてないぞ。まあ、いいが……じゃあ、次の質問だ――」


 話を聞いていると、わたしの脳内にあるイメージが浮かび上がってきました。


 わたしは今のようにベッドに寝そべっています。ですが、体のあちこちに亀裂が入っていて、中にあるはずの内臓や血管が外へ溢れています。真理様はそんなわたしの汚く、醜く、臭いのきついソレを一つ、綺麗な指先で持ち上げると、触って、嗅いで、寝ているわたしに向かって、この臓器が生きる上でどれだけ大切か、どれだけ重要な役割を負っているのかを力説し、本来あるべき場所へ戻してくれるのです。それはわたしの全てを肯定しているのと同義でした。一つずつ、バラバラになったわたしが戻っていって、新しい自分が形成されていくようで、変な気持ちになりました。体の内側から擽られているような、こそばゆさがあったのです。


 楽しかった。こんな時間が続けばいいのにと思った。


 わたしは苦しみを忘れて、真理様との会話に没頭しました。


 打ち明けると決意しながらも、全てを話せていない自分に気づかないふりをしながら……

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