006 屋敷巡り
掃除を終えて、今度こそわたしたちは屋敷内を歩きました。部屋を出て歩いている真理様の姿を見て、他の使用人方は驚いていました。「あの真理お嬢様が……」「凄い! 写真を撮りたい!」等と、ひそひそ話をしています。それが気に入らないようで、真理様は頬を膨らませながら言います。
「なんなんだ、珍しいものでも見たような目をして」
「仕方ないですよ。事実ですし」
「……随分、この短期間で偉くなったんだな、お前」
「すみませんでした」
会話をしながら、わたしたちは歩きました。厨房や、庭、書庫など、様々な場所を巡りました。真理様は興味深そうにそれらを眺めていました。使用人の部屋が並んでいる所に来ると、
「なあ、お前の部屋は何処なんだ」
「わたしの部屋は一番奥の右側ですね」
「ふーん、そうか」
興味なさげでした。なら聞くなよと言いかけましたが、なんとか吐き出す前に飲み下しました。
ムカついたので、わざわざわたしの部屋の前まで連れて行きました。しかし、態度は変わりませんでした。これ以上なにをしても真理様の心を動かすことはできないと悟り、別の場所の案内をしようとすると、わたしの部屋の前の扉が思い切り開き、わたしの体に衝突しました。痛みよりも意識外からの衝撃に、その場で蹲ってしまいます。
「え――あっ、ごめん!」
「いたた……そ、その声は遥さん?」
「樹里ちゃん⁉ ご、ごめん、本当に!」
痛む額を抑えながら顔を上げると、遥さんが立っていました。心配そうな表情で、わたしに手を伸ばしてくれています。わたしはその手を握って立ち上がろうとしますが、
「ま、ま、ま、真理お嬢様⁉ こ、こんにちは⁉」
隣にいる真理様に気づいて取り乱したのか、手を引っ込めてしまう遥さん。わたしの手はなにも掴めず空を切って、勢いのまま床に突っ伏してしまいます。皮膚が捲れてしまったような痛みが、顔面を襲いました。踏んだり蹴ったりです。
「あ、ごめん! 樹里ちゃん!」
「い、いえ……大丈夫、です……」
「はあ、お前はなにをしているんだ」
今度こそ遥さんの手を掴んで立ち上がります。
「ま、真理お嬢様! 初めまして! 使用人の九十九遥と言います!」
「九十九? ああ、あのメイド長の孫か」
「……孫?」
「ああ、樹里ちゃんは知らないか。実はあたしの祖母もここの使用人でね、数年前までメイド長をしてたんだよ。でも、歳が歳だから退職したんだよね。で、長の座を引き継いだのがあたしの母なんだよ」
「あれ、いつの間にか変わっていたのか。言われてみれば、少し若くなっていたような……」
「どれだけ興味ないんですか真理様は……少しくらい周囲のことに興味を持った方がいいですよ」
「興味など持てるか。わたしはあいつが嫌いだったからな」
「そうなんですか?」
「ああ、あいつだけはどれだけ罵詈雑言を浴びせても、しつこく来たからな。なんかよくわからないことばっかり言って、色々な意味で不気味だった」
「あはは、祖母もよく愚痴を言っていましたね」
「だろうな。とことん罵倒したからな」
「でも、祖母は真理様のことが大好きでしたよ。確かに愚痴が九割でしたが、残りは「あの娘、本当はいい心を持っている。ただ、表現するのが笑えるくらいに下手なだけだ」って」
「……わたしはお前のことが微塵も好きじゃなかったと、会う機会があったら言ってくれ」
「あはは、わかりました」
真理様は窓の外へ顔を向けました。恥ずかしくなると、人から顔を見られないようにするのが彼女の癖らしいです。遥さんも察したのか、僅かに口角が上がっています。この場に真理様がいなかったら、間違いなく爆笑していたでしょう。
「あの、遥さんはどうしてこんな所にいるんですか? あと、その片手にある……」
「ああ、これ?」
遥さんは丸い網籠を持っていました。林檎や蜜柑などの果物や、折り紙の鶴が入っています。
「今からね、さっきも話にも出てた祖母の見舞いに行くの。これは見舞い品」
「お見舞い……体の調子が悪いんですか?」
「うん、今はこの屋敷の奥の方で療養してるの。もう、結構な歳だからね……長くないみたい。あたしに使用人としてのなんたるかを叩きこんでくれた方だから、ちゃんと見舞いに行かないと」
「そうなんですか……」
「ふん、今日会うのか、さっき言ったこと、一言一句そのまま伝えるんだぞ」
「はい、きっと、喜ばれると思います!」
「…………」
真理様は眩暈でもしたのか、額を抑えました。もしかしたら、真理様は遥さんの祖母に対してもタジタジだったのかもしれません。
「あ、時間もないので、ここで失礼します、真理お嬢様。樹里ちゃんもじゃあね」
「さようなら、遥さん」
遥さんはこちらに手を振りながら、走っていきました。後姿が見えなくなると、真理様がポツリと呟きます。
「……あいつ、苦手なんだが」
「元メイド長の孫ですからね、似ているのかもしれません」
「あ? なんか含みのある言い方のように聞こえるが?」
「気のせいですよ」
「……お前も嫌いだ」
真理様はため息をつくと、鈍い足取りで歩き始めました。わたしは彼女の横につきました。ころころと変わる彼女の表情を見るのが、楽しくて仕方がありませんでした。
*・*・*
歩いている途中、真理様が聞いてきました。
「なあ、この屋敷にはお前以外に専属使用人とやらは存在するのか?」
「はい、いらっしゃるそうです」
「……孤児を引き取って、そいつに使用人をつけてるんだろ?」
「そのようですね。ですが、真理様のようなお嬢様も数人、この屋敷に住んでおります。彼女らがいる所に案内しましょうか?」
「いや、いい。聞いてみたかっただけだ。それで、夢野家の分家のお嬢様なんだろう?」
「はい、そのようです」
「ふーん……知ってたらでいいんだが、そいつらはわたしを含めて何人いるんだ? 引き取られた奴も含めてな」
「えーと、確か……十六人だったと記憶しています」
「そうか――去年と変わってないんだな」
それ以降、会話は途切れてしまいました。
無言のままに歩いていき、湾曲した階段をのぼって二階にあがると、目の前に屋敷内の扉とは全く別物の扉がありました。木が朽ち、ドアノブは錆び、百枚はゆうに超えるお札が貼られてあります。まるで、なにかを封じ込めているようでした。扉の中心には、『誰も入るな』という汚れだらけの紙が貼られてありました。禍々しい気配に、誰もここには近寄りません。
「……ここになにがあるか知ってるか?」
「いえ、知りません。入るなと言われているので」
「そうか、わたしも知らない……知りたいと思ったことはないか?」
「ない……とは言い切れませんが――」
「じゃあ、開けてみるか」
え? と聞き返す間もない速さで真理様はわたしの手を掴むと、強引にドアノブを握らせました。扉が軋むような音が背筋をなぞりました。
「ちょ、ちょっと! 駄目です駄目です!」
「ははは、嘘だよ嘘」
しかし、すぐに手を離してくれます。一気に肝が冷え、汗腺から汗が吹き出しました。
「心臓が止まるかと思いましたよ!」
「冗談だよ。そんなこと、わたしがするわけがないだろう?」
しそうだから怖いんですよ! 本当に開いちゃったらどうするんですか!
「……もし、触れただけでなにかが起きるんだったらどうするんですか?」
「大丈夫だ、問題ない。ほら、なにも起きてないじゃないか」
「確かにそうですが……」
「ほら、そんなことより」
真理様は話を逸らすように、何処かへ走り出しました。追いかけると、彼女は手摺の上で頬杖をつきながら、一階を見ていました。玄関を入ってすぐの部屋は二階まで吹き抜けになった大きなホールがあり、二階からでも一階を見下ろすことができるのです。彼女の視線を追いかけると、使用人たちがホールの掃除をしているのが見えました。一階は軽い爆発でも起こったかのように、塵や破片が散らばっています。
「お前はカゲの存在を信じているか?」
「え?」
聞き慣れない単語に、敬語も忘れて聞き返してしまいます。
「あ、夢野家以外ではそうは呼ばないか。ま、所謂、霊って奴だ。少しだけ特徴は違うらしいけどな」
「霊……」
「この屋敷には死んだ者が滞りやすいって言われている。わたしたちはそんな彼らをカゲと呼んでいるんだ。カゲは特に夜に出現するが、朝や昼間にも見ることができると言われている」
「真理様は信じているんですか?」
「ああ、この目で見てしまったんだ。信じるしかない」
「そうなんですか……」
「その口振りだと、まだ、そういう経験はないみたいだな。だが、いずれわかると思う」
「はあ」
にわかには信じ難い話です。ですが、この世界ではなにが起きるかはわかりません。それに、ここは夢野家――呪いの家なのです。霊くらい、いても不思議ではないでしょう。
「……そのカゲ? ですか。それがこの一階の状態となにか関係があるんですか?」
「ああ、この屋敷には――カゲを駆逐する部隊が存在するみたいだ」
「駆逐? カゲって倒せるものなんですか?」
「さあな、わたしも話で聞いただけで、詳しくは知らないんだ。きっと、あの一階の惨状はカゲとの戦闘の結果なんじゃないかとわたしは思ってる」
「なるほど……」
わたしはカゲという一見、荒唐無稽な存在に強い興味を抱きました。この屋敷の書庫にもしかしたら、それに関する記述があるかもしれません。今度、時間があるときに読んでみますか。
今は仕事中です。真理様のことだけを考えていなければ。
わたしはカゲのことを脳の奥へと片づけました。
*・*・*
「ここは……えーと」
それまでは順調に案内できていたわたしですが、その部屋だけは上手く説明できませんでした。いや、説明すべきか迷ったのです。
――儀式の間。
扉の横に設置してある部屋名札にはそう書かれてありました。わたしは迷いに迷った末、この部屋の役割について説明しようと思いました。
「……いいよ、別に」説明しようと口を開きかけたわたしを、真理様が制します。「ここはいいんだ……別の所に行こう」
触れるな、そう警告しているようでした。そうです、わたしが体に触れられたり、裸を見られたくないと思うように、真理様にも触れて欲しくない、言って欲しくない部分はあるはずなのです。ですから、わたしは彼女の言った通り、説明を放棄しました。
「……わかりました。では、別の場所を案内しましょう」
「何処なんだ?」
「裏庭の奥です。森を抜けると――そこは岬なんですよ。海が見えるんです」
「へえ……そういえば、ここからでも海らしきものは見えるな。直接、見てみたいな」
「今から行きますか?」
「ああ、行こう。因みに、どれくらい歩くんだ?」
「一時間くらいですね」
「……台車とかなかったっけ」
「はは、歩きたくないんですね……」
「お前がわたしのことおぶってくれてもいいんだぞ」
「……台車探してきます」
「は? なんだ? わたしが重たいとでも言いたいのか?」
「どっちも詰みじゃないですか……」
真理様はわたしを困らせたいようです。ここから反撃に出ようかと思いましたが、上手い返しが見つかりませんでした。無言でいると、勝ち誇ったような笑みを彼女は浮かべました。子供のような無邪気な笑みに、負けたわたしも笑ってしまいました。それが気に入らなかったのか、真理様はふんと鼻を鳴らして、早足で裏庭の方へ歩いていきます。
しかし、真理様はわたしを走って振り切るようなことはしませんでした。きっと、わたしが追いつくのを待ってくれているからだと……都合のいい解釈をしました。そうであって欲しいという願望も含まれていましたが。
「待ってください!」
わたしはその小さな背中を追いかけました。
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