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005 黄昏に消えた茜

 次の日、真理様はいつもの彼女に戻っていました。来るのが遅いとか、早く昼食を持って来いとか、人を物だと思っているかのような言い方で命令してきました。彼女はいつもわたしの仕事の一つ一つにケチをつけてきました。


 しかし、そんな彼女が唯一、褒めてくれる部分がありました。


「……美味しいな、これ」


 それは食事です。真理様は自分が食べたいものでなければ、口に運んできてくれません。味があわなくても食べようとしてくれません。口をつけずに料理を残すこともあったそうです。


 ですが、それはわたしより前の使用人たちのときの話。わたしが作る料理は美味しそうに食べてくれました……時々、はねのけることもありましたが。


 机の上に並べられた料理は白米、焼き魚、味噌汁などの和食です。雨無屋敷で出る食事は殆ど和食で、必然的にわたしと母に振る舞われていた残飯も和食でした。食べながら、母はこの料理はどんな工程を経て作られるのかなどをよく説明してくれました。ですが、実際に料理はしたことはなく、実践したのはこの夢野屋敷に来てからです。遥さんが料理の全てを叩き込んでくれました。使用人として雇われた次の日のことです。


『多分ね、真理お嬢様は庶民的な味が好みなんだよ』

『庶民的、ですか?』

『そうそう、言い方は悪いかもしれないけど、陳腐な味が好きなんだ。今までは高級な食材とか普通の家庭じゃ使われていない技法を駆使した料理を出してたんだけど、全部撃沈だったんだよね。食べてくれるときはあったけど、美味しそうに食べてはなかったね』

『なるほど、でも……庶民的と言われてもどんな味か想像つきません』

『大丈夫! わたしがこの一週間弱で叩き込むから』

『それは助かるんですが……九十九さんに庶民的な味ってわかるんですか? お嬢様に料理を出してるのに』

『大丈夫だ! いいからあたしの言う通りに作りなさい』

『わかりました。お願いします』


 結論として、遥さんの予測は当たっていたのです。彼女が教えてくれなかったら、すぐに首を切られていたでしょう。


「これ、誰が作っているんだ? 一度、会ってみたい」

「わたしです」

「……なんだって?」

「わたしですよ」

「……やっぱり不味い」

「えっ」


 真理様はわたしから視線を外しました。しかし、箸の動きは止まっていません。


「……嘘、やっぱり美味い」

「ありがとうございます」

「新しい料理人が来たと思ったんだけどな」

「え、この屋敷には元から料理人はいないんですよ。使用人が当番制で料理を作っています。当番制って言っても、全員が均等ではなく、料理が上手い人の方が多く割り当てられています。真理様の場合は専属の使用人か、雇われた料理人が作っていたらしいですけど」

「へえ……そうだったのか、知らなかった」

「ふふっ、美味しいと感じられたなら、とても嬉しいです」

「調子に乗るな」

「いたっ」


 真理様はわたしの額を指先で弾きました。時々、自分がお嬢様の使用人だということを失念してしまうことがあります。悪い癖はちゃんと克服しておかなければ。


「はあ、なんか調子が狂うなあ……」

「あはは、すみません」


 *・*・*


 トイレで用を足した後、わたしは真理様の部屋に戻りました。扉を叩きますが……返事はありません。わたしは音を立てないように、扉を開けて中に入りました。


 真理様は椅子に腰かけていました。膝の上には本が乗っていて、窓からさした茜色の光が、部屋の隅で列をなしていました。真理様は窓の外の景色を眺めたまま、ピクリとも動きません。


 日課のようなものです。真理様は一日に一回はこうして、窓の外を一心不乱に眺めているのです。余程集中しているのか、声をかけても反応がありません。こうなってしまえば、わたしにできるのは息を殺して彼女を見守っていることだけでした


「…………」

「…………」


 静寂が部屋に滞っています。


 背をこちらに向けているせいで、真理様の顔を見ることができません。ですから、わたしにできるのは想像することだけです。


 彼女は今なにを考えているのだろう。


 彼女の目にはなにが映っているのだろう。


 わたしはもっと真理様のことを知りたいのです。しかし、彼女の心を知るには、本人に聞いて教えて貰うしか方法がありません。心は見えない臓器なのですから。お腹を割き、臓器をかき分けて中身を覗いても、心を見つけることはできないのです。


「…………」


 この時間は、いつも五分程度で終わります。


 真理様は一息吐くと、わたしがいることに気づいたのか、少しだけ目を大きく開きました。


「すみません、覗くつもりはなかったのですが……」

「いいよ、邪魔しないように気を使ってくれたんだろ?」


 真理様は立ち上がると、大きく背伸びをしました。服が上に引っ張られ、綺麗なくびれと臍が露になります。


「なあ、お前、時間あるか?」

「はい、ありますよ。何処かへお出かけですか?」

「ああ、お出かけというか、ちょっと屋敷内を歩くだけ」

「そ、そうですか」


 失礼なことに、わたしは驚いてしまいました。真理様が部屋の外へ出ると自ら言うなんて、とても珍しいです。


「お供させていただきます」

「あ、そうだ。ついでにこの屋敷の道内をしてくれないか?」

「案内ですか? わたしなんかよりも、真理様の方が詳しいと思いますが」

「長い間暮らしているからって、必ずしも詳しいってわけじゃないんだ。わたしは……恥ずかしいことに、部屋に籠っていることの方が多くてな。他の部屋のことは全くわからないんだ」


 少しだけ顔を紅潮させ、頬の下辺りを指先でなぞります。その仕草に、思わず胸が躍りました。


「今からお出かけになりますか?」

「ああ、そうする。わたしはすぐに眠たくなるからなあ」

「わかりました。お連れします」


 少しでもお嬢様に快適な生活を送らせるのが使用人の務めです。扉を開けるという簡単な行為も、出来る限り省き、お嬢様の手を煩わせませないようにするのです。わたしは真理様よりも先に扉を開けようとしました。


 しかし、ドアノブを握ろうとして――ベチョリ――不愉快な音がしました。


「ひゃ―――っ⁉」


 咄嗟に手を離すと、粘り気のあるものが絡みついていました。またわたしは真理様の悪戯に引っかかってしまったらしいです。振り向くと、悪戯を仕掛けた張本人は笑い声をあげるのを堪えていました。


「……ごめんごめんっ、ちゃんと掃除するから! ……ぷっ」

「当たり前です! もう! 屋敷を案内できなくなるじゃないですか!」

「だから、わたしも掃除するよ。水と雑巾で掃除できるか?」

「なにをココにつけたのかによって、掃除の仕方が異なります。なにを塗ったんです?」

「…………」

「どうして無言になるんですかっ⁉」

「いや、な……まあ、皮膚が爛れたりすることはないと思うぞ?」

「なんで疑問なんですか! 本当になにを塗ったんですか⁉」


 真理様は逃げるようにして、部屋を出ていきました。水を含んだ雑巾で擦れば粘りは取れましたが……結局、粘りの正体は教えて貰えませんでした。


 体に異常が起きたりは……しませんよね?

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