この幽霊味噌汁しか作れないそうです
「はい、だいちゃん。ご飯!」
多分5歳くらいだろう、大きな真ん丸の目をした女の子が砂の入ったお茶碗を渡してくる。
「ありがとう!○○ちゃん。」
受け取る俺の手も小さい。周りには滑り台しかない。小さな公園だ。
すぐに気がつく。これは夢だ、何度も見ている夢。俺が覚えている一番古い記憶….一番幸せだったころの記憶だ。
「○○ちゃんは、ご飯を作るのが上手だねー」
「えへへー、お母さんに好きな男の子にはちゃんとご飯を作るようにっていわれてるからね。特に……
「だいちゃん!おきて!!遅刻するよ!!!」
唐突な大声で目が覚める。目を開けるとニコニコ笑顔の少女の顔が目に飛び込んできた。
「おはよう!だいちゃん。早く起きて、顔洗っておいで。朝ご飯もできてるよー。」
「あーおはよう。ってこのポンコツ幽霊が!!まだ5時半じゃねーか!」
「だって、私。眠気とか無いし、暇なんだもーん。」
このご時世信じられないかもしれないがこの少女は幽霊らしい。俺が一人暮らしを始めてしばらくして出てくるようになった。俺は幽霊もオカルトも全く信じていない派だったので、人間の変装か?はたまた立体映像か?と疑ってかかったのだが、壁はすり抜けるしそれっぽい機械も部屋のどこにも見当たらない。テンプレ通り害悪しかない幽霊だったら除霊なり引っ越すなり何らかの対策をするところだが、こいつは味噌汁だけは作れるという意味のわからない特性持ちで、それが悔しい事に滅茶苦茶おいしい。時々今日のように朝ものすごく早く起こしてくること以外は何の害もないどころか、朝ご飯を作る手間が少なくなる、目覚まし代わりになる(大体は言った時間に起こしてくれる)とメリットしかないので除霊などは考えず、放置している状態である。
「えへへー、おいしい?」
起こされたらしょうがないと一通りの準備を済ませ、朝ご飯を食べていると幽霊が期待満々といった感じで尋ねてくる
「あー、今日も美味いよ。いつもありがとな。幽霊さん」
「もーそろそろ名前くらい付けてよー。いつまでも幽霊さんだとそっちも呼びにくいでしょ??」
「お前は名前も覚えてないんだろ?お前が自分の名前思い出したら呼んでやるよ。ところで、この味噌汁どうやって作ってんだ?」
「ひどーい。もーいつもだいちゃんはそうなんだから。ちゃんと思いだしたら名前呼んでね。約束だからね!えーと、それでお味噌汁はの作り方はねー…..」
そう、この幽霊記憶喪失らしく自分の名前や生前何をしていたかなど何一つ覚えていないらしい。だからいつも幽霊さんとか、幽霊と呼び捨てにしているのだが、最近そう呼ぶと怒り始めるようになった。そういった時に俺はいつも味噌汁の話をふることにしている。こいつは唯一自分の覚えていた味噌汁の事になるとやけに饒舌になるのだ。前世よっぽど味噌汁にこだわりがあったのだろう。料亭とかで味噌汁だけ作らされる下っ端みたいな感じだったのかもしれない。そんなのあるか知らないけど。
何度も聞いてもう覚えてしまっている幽霊式味噌汁の作り方を聞き流していると、彼女はジト目でこっちを睨んできた。
「もーだいちゃん。ほんとに聞いてるの??」
「あーめっちゃ聞いてる。めっちゃ聞いてるよ。」
「ほんと?今はいいけど、私なんでここにいるかもわかってない状態で、いつ消えちゃうかもわからないんだからね。そしたら……」
「もういい、わかってるよ!」
急に大声出した俺を幽霊がびっくりしたように見つめる。
「もう俺大学行ってくるよ。今日夕飯は食ってくるから。じゃあな」
そう言って吐き捨て、逃げるように家から出ていく俺にも、
「じゃあね、いってらっしゃい」と彼女は悲しそうな眼をしながら返事をしてくれた
大学についた俺はすぐに講義室に入る。同じ専攻の奴もいるが挨拶もしなければ目も合わさない。俺には友達もいなければ彼女もいない。つまりボッチというやつだ。今日の夢のように小さい頃は友達が人並みにはいた。特に夢の女の子とは仲がよく、いつもおままごとに付き合わされたり、小さい頃にありがちな結婚の約束なんかもしたような気がする。相手の名前も覚えていないが。しかし、小学校入学くらいから親の仕事が忙しくなり、その都合で転校が多くなった俺は段々と人との別れに恐れを抱くようになった。今と違ってSNSもそこまで発展していなかったし、何より携帯を持ってなかったのが大きかった。俺は転校先で何度も何度も友人関係を作っては、すぐにリセットするという事を繰り返した。そうして、その内に何もかもめんどくさくなってしまったのだ。結局すぐに壊れてなくなる人間関係というものに。
それは大学生になって生まれ故郷に帰ってきた今でも変わっていない。サークルにも部活にも入らず、ただボーっと授業を受けて、帰る。それが今の俺の生活だ。今朝の態度も認めるのは癪だが怖かったんだろう。幽霊がいなくなるという事が。その別れが。
「ねえ、デートしようよ」
寝休日を楽しんでいたら、急に幽霊がこちらをのぞき込んできた。
「はー?お前って地縛霊じゃないの?この部屋から動けない的な」
「ちがうよー。私だいちゃんについてる霊だからだいちゃんが行くところは一緒に行けるし、関係するところにも大体行けちゃうかも」
薄々気づいていたが、こいつ俺個人についてる霊らしい。
「なんでお前、俺に憑いてんだよ...自慢じゃないが人とかかわることが少ないからな、憑く理由もない筈なんだけどな」
「そんなのわかんないよー。私も記憶ないんだから。でもデートしたら思い出しちゃうかも」
「いやだ、気が進まない」
「んーでも憑いてる理由がわからないと怖くない?実はお味噌汁に毒とか入れてるかもよ?…それにこの前お願い一つ叶えてくれるって約束したよね?」
そうだ。この前めんどくさい時に味噌汁の話を持ち出すのがバレて非常にご立腹だったので、一つ願いを聞くという約束で何とか宥めたんだった。でも、すぐにいう事を聞くのも少し癪だ。
「聞くといっただけで叶えるとは言ってない」
すると、幽霊は意外そうに
「ふーん。お味噌汁に毒が入ってるとは思ってないんだねえ。でも素直にいう事聞いてくれないと、セミの抜け殻くらいは入れちゃうかもよ?」
などといつものニコニコ笑顔でこちらを見てくる。今は5月だ。セミの抜け殻はどこにも落ちてないだろ、と内心思ったが
「しょうがないな。一度だけだかんな」
彼女の言う通り、俺はデートを承諾したのだった。
実は人生初デートだったが、相手は見知った顔も見知った顔、そもそも向こうも着替える服がないという事でいつもと同じ格好で外に出る。
「で、どこか行きたいところとかあるのか?」
「だいちゃん昔ここに住んでたんでしょ?昔の事とか教えて欲しいな。」
「んじゃまあ、ここら辺適当に歩いて回るかー。俺も引っ越して以来散歩とかもしてないから覚えているかどうか怪しいけど、それでもいいか?」
「うん、全然大丈夫!」
そんな感じで、適当な感じで始まったデートだったが意外と体は覚えているものだ。
「ほら、あの木に皆登ってみんなで遊んでたんだよ。」
「へー。だいちゃんはどんくさそうだから一人で登れなくて虐められてたりして...」
「そ、そんなことねえよっ」
幽霊に煽られたり
「あの橋、度胸橋。この橋から飛び降りられることが一種のステータスだったりするんだよな。」
「だいちゃん。意外と高いな。今飛び込めって言われたら無理かも、って思ったでしょ」
「いやいやいや、そんなまさか…」
また幽霊に煽られたり
「ここの駄菓子屋のおばちゃんが怖くてな。選ぶのが遅いと急かされるんだ。」
「それ急かされてたのだいちゃんだけでしょ」
「誓ってそんなことはない筈だ。」
「おっ。あんただい君かい。久しぶりだねえ。昔とちっとも変わらんね。こっちに戻ってきたってのは聞いてたけどねえ。あんた覚えとるかい?あんたが選ぶの遅くて他の子まで待たせたからよーく急かしたもんだよお。」
「.........」
まさかのおばちゃんに煽られたり。
煽られっぱなしだったが、幸せな時間を思い出すのは楽しいものだ。気づいたら夕方になっていた。
「くっそー。あのばばあめ。ふつう話すか?そんな昔の事」
「あははは。でもだいちゃんのこと覚えててくれたね。飴もおまけしてくれたし。」
「飴数個で俺を買収できると思うなよ。それで、どうする?もう帰るか?」
そう提案した俺に幽霊は首を横にふる。
「ううん。だいちゃんもわかってるよね。私たちが行かなきゃいけない場所。あの砂場のある公園」
そうだ。流石にもう気づいていた。俺に憑いているといったこの幽霊。ここら辺を探索したいといった理由。やけに昔の事を知っているような口ぶり。間違えようがなかった。
「いやだ、あの公園へ行ったら、全部思い出してしまう。そしたらもう…」
お前は居なくなってしまう。そう言いかけた俺に
「お願い。行きたいの」
そのおおきな目で見つめられて、気が付けば頷いていたのだった。
久しぶりに来た、その公園は昔と同じままだった。滑り台と砂場以外何もない小さな公園。夕方だからだろうか少子化の影響だろうか、俺たちの他に人影はなかった。
彼女と並んで砂場に座る。彼女がこちらを向き見つめあうようになった瞬間、記憶がフラッシュバックしてくる。
「あーちゃんは、ご飯を作るのが上手だねー」
「えへへー、お母さんに好きな男の子にはちゃんとご飯を作るようにっていわれてるからね。特にお味噌汁!毎日、食べるものだからとっても美味しいお味噌汁を作りなさいって!いつか絶対だいちゃんにも作ってあげるね!」
そうだ、あーちゃん。この子はあーちゃんだった。そして、おままごとでいつも出してくれたのは味噌汁だった。ヒントは毎日出てた。なんで忘れてたんだろう。
「どう?思い出した?」
ああ、昔と同じ。大きな目、まっすぐな目だ。
「全部思い出した。君は……」
言いかけて気づく。さっきまで完全に色づいていた彼女の体が透けてきている。
彼女は寂しそうに笑いながら口を開いた。
「うん、思い出してくれたみたいだね。私も全部思い出した。ううん、途中からは全部思い出してた。」
「私、だいちゃんが引っ越してから、お父さんが交通事故で死んじゃってね。お父さんもだいちゃんも一辺に無くしちゃったって、すごく辛かった。お母さんも私を養うことに必死でなかなかしゃべる機会もなくなっちゃってね。」
「その中で、いつかお味噌汁を作ってあげるって約束、ずっとずっとそれだけが私の生きる希望だった。だからかな、こんなお化けにまでなって出てきちゃった。自分でも引いちゃうよ。」
強い風吹いて砂が舞うが彼女の表情は変わらない。当たり前だ。幽霊なんだから。
「でも、だいちゃんは私のこと忘れてた。昔と変わっちゃったのかなって思ったけど、接してるうちに根本的には変わってないって分かった。同時に私との別れをものすごく怖がってるっていうのもわかっちゃったんだ。だから転校して何か嫌なことがあったのかなって。それで人とのお別れを怖がっちゃってるのかなって。だからこれだけは伝えておきたかった。」
「まってくれ…」
「だいちゃんが覚えてなかったとしても、貴方を覚えてくれてる人はたくさんいるよ。さっきの駄菓子屋のおばちゃんみたいに。そして私みたいに、その思い出を大切に、人生で一番の思い出だと思っている人もきっといる。」
「まってくれ、おれは…!!」
「君にお味噌汁を作ってあげられなかったのが、私の未練だった。だから初めの日で私は消えるはずだったんだ。だけど、私を思いだせないのを見て、別れを怖がってるのを見て私の未練は変わったんだ。私との別れを後ろ向きに捉えないでほしい。もっと前向きに色々な人とかかわって、たくさん笑顔でいて欲しい。でも、もう大丈夫だよね?」
これまで俺は別れてしまう人との絆はなくなるもんだと考えてた。でも、この娘はそんな俺に、死んでまで気持ちを感謝を伝えてくれようとしていたんだ。人との絆は無駄じゃなかった。会えなくとも喋れなくても俺は、この子の支えにはなれていたのか….。
溢れ出てきそうになる涙を必死でこらえ、無理やり笑顔を作り出す。笑顔での別れがこの娘にできる最高の恩返しだ。
「ありがとう。今まで色々してくれて。俺朝弱いから、起こしてくれるのほんとに助かってた。」
「うん。」
「味噌汁もおいしかった。」
「…うん。」
「……ひどい態度とってごめんな」
「.........うん。」
「そしてなにより…俺のことを忘れないでくれて、覚えていてくれて、ありがとう…..っ」
「…..う..ん….っ!!」
きっとこれが最後の言葉だ。ずっと彼女が俺に求めてきたこと。彼女の最後の未練。
「色々ほんとにありがとう。じゃあな、あーちゃん。」
その名前を言うと同時に更に彼女の体は薄くなっていく。そして
「…やっと名前呼んでくれたね。さよならだいちゃん。」
その言葉とともに彼女は消えてしまった。元から何もなかったように、彼女など世界のどこにも存在してなかったかのように。だけど….
「なんだよ..結局お前も最後泣いてんじゃないかよ…」
俺の胸の痛みは残っている。何年ぶりだろう。仲のいい人と別れる胸の痛み。避けてきた痛みだ。久しぶりに感じたそれはやっぱり最低で、だけど彼女がこの世にいた証明のような気がして、俺は砂場でずっとその痛みに耐え続けた。今度は彼女を忘れないように、この胸に深く刻むこむようにずっと、ずっと。
目覚まし時計が鳴る。朝6時半。彼女が起こしてきた時間よりは少し遅いがまあいいだろう。
一通り身支度を済ませ、食事の準備をする。ご飯と納豆、焼き魚に幽霊式味噌汁だ。なかなか彼女ほど美味くは作れないが、それでも友人たちに飲ませたら好評だった。誰から教わったか聞かれたので、幽霊だと答えたら欠片も信じてもらえなかったが。
あれから俺は少しずつ人に話しかけるようになり、友達もでき始めた。ここら辺に住んでる人だと、昔の事を覚えてる人も多く、自分だけが妙な殻に引きこもってたんだと恥ずかしくなる。人間関係が変わって少し忙しくはなったが、それ以上に前より日々が楽しくなった。ここにあーちゃんもいてくれたら一番だったのだが、彼女はもう成仏してしまった。二度と会うことはないだろう。
食事を片付け、大学に行く支度をしていると急にインターホンが鳴った。友達が時々来るようになったとはいえ、朝からとは珍しい。不思議に思いながらドアを開けるとそこには、
「おはよう…..改めて会うと何言っていいかわかんないね。私、生霊だったみたい。でもこれで一緒に居られるね!大好きだよ。だいちゃん!!」
拙筆失礼しました。