不死鳥もどき
この物語はフィクションです。
登場する人物・都市伝説などは架空のものであり、実在のものとは一切関係ありません。
また、特定の人物への誹謗・中傷を示唆するものではございません。
本作品を通じて生じた問題には、筆者は一切責任を負い兼ねませんので、予めご了承ください。
数週間前までの残暑は、綺麗さっぱりと無くなってしまったみたいだ。
段々と肌寒くなってきた、十月半ば。月初から制服の衣替え準備期間も始まって、クラスの女の子の殆どはもう長袖になっていた。
もうすぐ冬服への完全移行期間になる頃だし、自分もそろそろ、仕舞っていたブレザーを出さなくちゃなぁと、欠伸をしながらぼんやりと思い浮かべる。
朝の登校時間は退屈だ。特に一緒に行く子もいなければ、一人が嬉しいわけでも無い。
見慣れた景色には飽きたし、特に楽しみがあるわけでも無いこの時間は、一体なんのためにあるのか。……と、思っていたのもこの間までだ。
「あ、おはよー中野君!」
背後から、キリキリとした金属音と共に、声が聞こえた。振り返るとそこには、あの憧れの顔がそこにいた。
「おはよ、広井さん。早いね」
乗っていた自転車から降りて、引きながら僕の隣へとやって来る。その距離感に、思わずドキリとする。
「中野君だって、まだ七時半なのに登校してるじゃない」
「いやぁ、朝の誰もいない教室が好きなんだよね。一人でボーッとしてるのが、朝の楽しみ」
「何それ、中学生なのにおじさんみたーい」
「えぇ、そうかな……」
僕の名前は中野浩司。特に特技だとか、得意なことは何もない、市内の中学校に通う、ごく普通の二年生だ。
そして、彼女は隣のクラスの広井四葉さん。普段から大人しい雰囲気で、優しくて話しやすい女の子だ。
十一月の初めに行われる、合唱祭の委員会で先日知り合い、最近は朝こうして、二人で一緒に登校している。
「広井さんは、おじさんみたいな人は嫌い?」
「ううん、寧ろ好きかなぁ。私、いつもうるさい人はあんまり好きじゃないから、中野君みたいに静かな人の方が好きだよ」
「そ、そうなんだ……!」
心の中で、グッと拳を握った。
そう、僕は今、広井さんに恋をしてしまっている。
こんなにも可愛らしくて大人びた彼女は、僕みたいな弱っちぃ男には向かないのかもしれない。
けれども、先日初めて彼女と話したその日から、思わずその優しさに一目惚れしてしまった。
「……じゃあやっぱり、将来結婚するなら、大人しい男の人のほうがいい?」
思い切って、僕は彼女に問うた。だけど、次の言葉に今度は違う意味で、思わずドキリとする。
「うーん。いきなり結婚って言われてもなぁ。まだ私達、中二だよ? 十年先のことなんて分からないし。好みだって変わってるかもしれないし――もしかしたら、もう生きてないかもしれない」
夢見少女なんかとは、全くの正反対な意見だ。恐ろしく現実的で、それは寧ろ未来を見据えているんじゃないかと思えてしまうほどに、冷静な答えだった。
「もしかしたら、あと十分後に事故で死んじゃうかもしれないよ?」
「や、やめてよ……。怖いこと言わないでよ?」
「ふふっ、冗談だよ。自分が交通事故に遭う確率なんて、一年間で〇・五パーセントって言われてるんだって。よっぽど運が悪くないと、事故になんて遭わないよ」
お菓子を買ってもらったちびっ子のように、楽しそうにそのセリフを告げてみせる。
どうしてそんな確率の話を知っているのかは分からないが、きっと色んな知識を持った頭の良い人なんだろうと、その時の僕は思った。
「中野君はさ、私に死んでほしくない?」
「あ、当たり前だよ! せっかく仲良くなれたのに、友達が死んじゃったら、誰だって悲しむよ」
「ふふっ、そっか。……優しいね、中野君は」
耳元でボソッと囁かれる。そんなセリフに、単純な僕の胸は高鳴る。
「優しくなんかないよ。僕なんか、嫌なところいっぱいあるし、悪いところもたくさんあるから……」
「でも中野君は、自分がダメだってところに詳しいんでしょ? ダメなところをたくさん知ってるってことは、それだけ直せるところがたくさんあるってことだよ。そうでしょ?」
「広井さん……うん、ありがとう。少し元気が出た」
「そっか、良かった。男の子は、元気なのが一番だよ」
こちらを向いて、微笑んでくれた。その笑顔で更に惹かれてしまうのと同時に、少しだけ不安が晴れた気がする。
やっぱり、自分はこの笑顔が好きだ。
「あ、そうだ中野君」
ふと、何かを思い出したかのようにポツリと呟く。
「中野君ってさ――都市伝説って信じる?」
楽しそうに、彼女が問うた。
「都市伝説? ……うんと、信じるとか信じないの前に、あんまり詳しくないから……」
「そっかぁ。じゃあね、昨日ネットで見た都市伝説なんだけど――」
そう前置きをして、彼女が話を始める。楽しそうにしている彼女の言葉に、思わず聞き入ってしまう。
「不死鳥は、分かるかな?」
「……不死鳥? 不死鳥って、あの不死鳥?」
「そ、あの不死鳥」
不死鳥。別の言い方をすれば、フェニックス。何度死んでも生き返ってくるという、伝説上の生き物だ。
「その不死鳥がどうしたの?」
「うん、それがね。自分の名前に四が付く子が、十四歳の時に、十四日の日に高いところから飛び降りて死んじゃうと――不死鳥になれるんだって」
ゾッとした。いきなり、なんてことを言い始めるんだ。楽しそうに話してくれているはずなのに、僕はちっとも楽しくなんか無い。
「ほら、不死鳥の『ふし』ってさ、十四も『ふし』って当て字で読めるでしょ? 名前の四も、死と同じ『し』だし。その繋がりから、その都市伝説が生まれたんだって」
聞いたことのない話だ。そんな都市伝説があるとは、初耳だ。一体どれほど有名なのか、僕には全然分からない。
「へ、へぇ……。広井さんは、信じてるの?」
「私? うーん、信じてるとか、信じてないワケじゃないけど、興味はあるよね」
「……まさか、実際にやってみようとかは考えてないよね?」
「まさかー? 私は別に、死ぬ気はないよ。……今はね」
「今はって……」
「中野君。未来なんて、誰にも分からないんだよ。さっきも言ったけど、もしかしたらあと十分後に、事故で死んじゃうかもしれない。今日の夜に、誰かに誘拐されて殺されちゃうかもしれない。来週には大地震が起きて、たくさんの人が亡くなっちゃうかもしれない。そんなの、誰にも分からないんだよ」
「それは、そうだけど……」
そんな小難しいことを言われたって、僕には分からない。そんなことをいちいち考えているよりも、もっと楽しいことを考えていたいと思う。
誰かが死ぬとか、殺されるとか、そんなことを考えるのは、胸の奥が痛くなる。
「さっき中野君は、私が死んじゃったら悲しむって言ってくれたけど……もし私の気が変わって、死ぬことになっちゃったり、事故に遭ったり、誰かに殺されちゃったりしたら、ごめんね」
「そんな、別に謝ることじゃないじゃん。それに、死ぬ気なんて無いんでしょ?」
「うん、無いよ。だから、こうして謝ってるんだよ。……もしもの時のためにね」
「はぁ……」
分からない。一体彼女は、何を伝えようとしているのだろうか。
女の子はよく「おませさん」とも言うけれど、ただ僕がまだまだ子供なだけで、彼女の方がよっぽど大人ってことなのだろうか?
「中野君も、大事な人には恥ずかしがらないで、想いを伝えておいたほうがいいよ。後になって、後悔しないためにもね」
「うん……分かった」
早起きのスズメ達が、電線の上に列になって並んでいる。一匹のスズメが飛び立つと、その群れは一斉に羽ばたいていってしまった。――まるで小さな、不死鳥のように。
◇ ◇ ◇
給食を食べ終わった、昼休み。
ちょうど二週間前に借りていた、図書室の本が読み終わったため、その返却をするために、僕は廊下を歩いていた。
――次借りる本、どうしよっかなぁ? 最近はミステリーとかSFものばっかり読んでるから、今度は違うジャンルも読んでみたいなぁ。
たどり着いた図書室に入る。本を返す前に、次に借りる本を探すため、そのまま本棚とにらめっこを始める。
――んー。『君と僕の心臓』かぁ。……青春ものかな?
太陽をバックに、制服姿の自転車を引いた女の子と、私服姿の男の子が向かい合っている表紙が目に入った。
その小説を手に取り、パラパラとめくってみる。どうやら、高校生男女の恋愛ものみたいだ。
男の子のほうは心臓の病気を持っていて、残りの余命が僅かという時に、ヒロインの女の子と出会った。そんなあらすじだ。
――恋愛ものは読んだことないけど……ちょっと、興味ある、かな。
どうして突然、その小説に興味を持ったのかは言うまでもない。その男女を、自分と彼女に見立ててしまったからだ。
もし自分が、残りの命が少ない状況になった時、一体どうするだろう。そんな風に思ってしまった。
――大事な人には恥ずかしがらないで、想いを伝えておいたほうがいい、かぁ。僕もこんな風になったら……広井さんに、告白とか出来るのかな?
もちろん、今の自分には、告白できる勇気なんてものは無い。自分達はまだ出会って間もないし、お互いのことをまだ殆ど知らない。
そんな自分達が、親しい関係になるだなんて、まだイメージすら湧かない。
――……変なこと考えるのやめよ。取り敢えず、この本にしてみようかな。
パタンと本を閉じて、そのまま奥のカウンターへと向かう。借りていた本の返却と、新たに借りる本の手続きを済ませると、ようやく僕は図書室を出た。
そうして、自分の教室へと戻ろうと、廊下を歩いていた時だった。
「知らない! あんな奴になんか、絶対謝ってたまるもんか!」
人気の少ない、美術室前。突然、どこからか悲鳴に近い声が聞こえた。
――な、なんだ……? 部屋の中から聞こえたけど……。
美術室の中を、ドアの小窓から覗いてみる。しかし、そこには誰もいない。
「―――でしょ? ―――なんだから、謝らなきゃ―――」
けれどもやっぱり、美術室の中から声が聞こえる。だとしたら、その隣の美術準備室だろうか。
普段は先生しか入ってはいけない扉の前に立って、そのドアの小窓を覗いてみる。
そして、途端にその中身を知ってしまった自分を悔いた。
――ひ、広井……さん?
僕が想いを寄せている、あの彼女の顔があった。そしてもう一人、彼女に抱きつかれている女の子がいた。
――確かあの子は、臼井四季さん……。広井さんと一緒に、委員会で来てた子だ。なんで二人が、こんなところで……?
盗み聞きなんてものは、ドラマとかで悪役の人がするものだと思っていた。その度に、自分はこんな大人にはならないようにしようって、そう誓い続けてきた。
けれども今は、そんな悪人役を、自分が演じていることに、その時の僕は気付かなかった。
「しーちゃん、いつまでも強がってちゃダメ。色んなこと言われてるけど、それでも立ち向かわなきゃ」
そっと離れては、広井さんが、臼井さんの両肩を掴んでいる。対して臼井さんは、ふて腐れたようにそっぽだ。
「じゃあ、立ち向かっててみんなと仲良くなれるの?」
「なれるとかなれないとかは分からないけど、自分から仲良くなりたいって思わなきゃ、なれるものもなれないよ」
「そんなの、四葉の勝手じゃん。勝手な思い込みじゃん。そんなこといくら願ったって、あいつらが変わるわけない。……分かってるんだよ、そんなこと最初から!」
広井さんの手が振りほどかれる。けれども、広井さんは口を閉ざさない。
「でもねしーちゃん、未来は誰にも分からないんだよ? もしかしたら、何かがきっかけで仲良くなれるかもしれないじゃない。それなのに、最初から自分で周りを閉ざしてたら、結局何も変わらないんだよ?」
「いいんだよ! こんな世界変わらなくたって! こんなつまんない世界なんか、無くなっちゃえばいいんだよ!」
「……しーちゃん、静かに。誰か来ちゃうよ?」
「ぐぅ……」
握り拳を震えさせて、臼井さんが今にも何かを殴りたそうにしている。
どうやら、僕がここにいることを、二人は気付いていないようだ。
「……名前でその人が決められるなんて、おかしいよ。『陰が薄い臼井』だって? 『死期が近い四季』だって? こっちが黙ってたらあいつら、好き勝手言いやがってさ! なんで親はこんな名前にしたんだよ! もう嫌だよ!」
「しーちゃん、お父さんとお母さんのこと、そんな風に言わないの。ね?」
「知らないよ! 親の事情なんてさ! 大体、なんで四葉は私のそばにいてくれてるの? 四葉もあいつらに言われて、私の嫌なとこ見つけてとか、言われてるんでしょ!?」
「そんなことないよ。私は昔から、しーちゃんが大好きな友達だよ」
「信じられないよ、そんなの。ウチの親ですら、好きだなんて言ってくれたことないのに。……誰も、私のことなんて……っ!?」
臼井さんが驚くと同時に、思わず僕も声を出しかけた。咄嗟に口を手で押さえて、声が漏れないようにする。
――ひ、広井さん……。今、臼井さんに……何、したの?
一瞬の出来事だった。彼女は臼井さんのことを引き寄せると、そのまま顔を近付けたのだ。それはもう、友達という領域を超えた、全くの未知なる境地だった。
同じく、驚きを隠せない様子の臼井さんが、口元を抑えてぽかんとしている。そんな中一人、広井さんは恥ずかしそうに、モジモジしていた。
「……四葉、なんで?」
「……言ったでしょ。私、しーちゃんが好きなの。だから、それを分かってほしくて、私のファーストキスをしーちゃんにあげたの」
「だからって……。ファーストキスは、将来付き合った男の人にあげたいって、アレだけ言ってたのに……」
「ううん、いいの。だって私、それくらいしーちゃんのこと大好きだし、大切だから。だから、しーちゃんを選んだの。私、しーちゃんにずっと付いてくよ。どこまでも、どこにだって」
「四葉……」
女の子二人が、恥ずかしそうに見つめ合っている。そんな光景を、僕は今まさに盗み見ている。
きっとこれは、本来他人は見てはいけない一場面なんだと思う。
けれども、不思議と大きな後悔は無かった。広井さんと臼井さんがそんな関係なんだという事実を知って、何かが崩れるようなショックを受けたと同時に、なんとなく僕には広井さんなんて人は似合わないと思い込んでいた自分に、ケリを付けられたという安心感にホッとしていた。
やはり自分には、彼女よりもっと良い人がいるんだと思う。これからはまた、その人を見つける恋の旅路となりそうだ。
――……本、借りちゃったけど、読み切れるかな、これ?
手に持っている本を見る。
先程までは、どんな風に話が展開するのだろうとワクワクしていたくせに、今はそれとなくこれを読むことに、躊躇いを覚えてしまっていた。
もしかしたら、読み切れないまま返すことになってしまうかもしれない。
一先ず、これ以上の盗み聞きは良くないだろう。
僕はそのまま、中の二人にバレないよう、そっとその場を離れようとした時だった。
「……そうだ。ねぇ、しーちゃん。こんな都市伝説があるの、知ってる?」
「都市伝説?」
ふと、そんな広井さんの声が聞こえて、再び中を覗いてしまう。罪悪感を覚えたのは、中を覗いた後だった。
二人は抱き合って、まるで恋人のようにしていたからだ。途端にドキリとして、視線を床へと落とした。
「うん、それがね――」
「浩司じゃん。何やってんの?」
「……あぅえ!?」
咄嗟に、誰からか話しかけられて変な声が出る。しまったと思って、チラッと中を覗いたけれど、どうやらバレてはいないようだ。
改めて声のほうを見る。話しかけてきたのは、クラスメイトの男友達だった。
「あ、いや……ちょっとね。ペン落としちゃって、拾ってただけだよ」
咄嗟に、偶々ポケットに入れていたシャーペンを取り出して、それとない嘘を吐いた。
そんな僕の嘘は怪しまれなかったようで、彼は小さく「ふーん」と唸っただけだった。
「それよりさ、今日の放課後、お前暇? 矢野んちで遊ぶってなってんだけど、お前も来る?」
「放課後? うん、いいよー。じゃあ僕も行くよ」
「おっけ、じゃあ矢野んとこ行ってくるわ。お前もくるか?」
「あ、うん。じゃあ行く」
そうして、僕は彼に連れられるまま、美術準備室の前を後にした。――その時、彼女達がどんな話を繰り広げていたのかなど、想像することすら知らずに。
◇ ◇ ◇
普段と何も変わらない、放課後の時間。ようやく帰り際の先生の話が終わって、解散になる。
いつものように掃除当番の場所へと向かって、それとない感じで掃除を済ませる。
今日は全ての部活がお休みの日だ。それもあって、各々が自由に時間を過ごしているようだった。
僕はというと、そのまま遊ぶ約束をつけていた矢野君の家へ向かうために、揃ってみんなで校舎を出ようとしていた。――そんな折に。
「……なんか、外うるさくない?」
矢野君が、ポツリと呟いた。
「……ホントだ。なんかあったのかな?」
みんなにつられて、僕も聞き耳を立ててみる。――確かに、何やらざわざわとした声が聞こえてくる。
「――ちゃん! ――るの!?」
今度は、甲高い悲鳴のような声が聞こえた。どうしたのだろうか。
「なんか、女の人叫んでね?」
「なんだろ、行ってみるか?」
「そうだね、行こ行こ」
みんなが靴を履きながら、急ぎ目に外へと出て行く。僕もみんなに付いて行こうと、靴箱から靴を取り出した。
『中野君ってさ――都市伝説って信じる?』
「……っ!!」
頭の中で、その一言が木霊した。
「んあ? どうしたの、浩司」
みんなが僕の小さな悲鳴に気付いて振り向く。
――もしかして……あの時のは……。
「……ねぇ、今日って何日だっけ?」
恐る恐る、僕はみんなに問うた。
「なんだよ、急に」
「いいから!」
「えーっと……十四日だよな、確か」
「うん、十四日――って、浩司!?」
名前を呼ばれる前に、既に僕は階段に向かって走り出していた。
どうしてだ、なんで早く気が付かなかったんだ。もっと早く気付いていれば、そんなことしなかったかもしれないのに。
いや待て、まだそうだとは決まったわけじゃ無いじゃないか。そうだ、彼女のことだ。きっとそんなこと、あるわけ無い。あるわけが無いんだ。
三階まで上って、ゾッとした。既に屋上への道は、生徒達でごった返しており、少しでも様子を見ようとしている人達でいっぱいだった。
「ちょっと、どいて! ごめんなさい! ごめんなさい!」
そうだとしても、僕は行かなくちゃいけない。――もしかしたら、僕が唯一彼女達のSOSを知っていた人なのかもしれないのだから。
「ちょ、ちょっと君! 危ないから、下がってて……」
人混みをかき分けて、勢いよく上ってきた僕の目の前に、咄嗟にその場にいた先生が立ち塞がった。どうしてこんな時に、こんな邪魔が入るんだ。
「先生! 僕に行かせてください!」
「ダメだ! 危険過ぎる!」
「お願いします! 僕、今日の朝に助けてって言われてたかもしれないんです! 僕が助けてあげられなかったからかもしれないんです! お願いします!」
先生の服を掴んで揺らす。こんな時なのに、先生はしばらく唸って、ずっと考え込んでいた。
こんなことをしている間に、もう全てが終わってしまうかもしれないのに。
「先生!!」
最後の一押しをする。これでダメなら、力ずくでも通ってやる。そう思った時。
「……分かった。けど、私も後ろに付いていく。なるべく近付かないと約束出来るか?」
ようやく先生が、首を縦に振ってくれた。
「っ! は、はい! ありがとうございます!」
先生と一緒に、僕達は屋上へと上った。その扉を開いて、やっとの思いで僕は対面を果たす。
「広井さん! 臼井さん!」
手を繋ぎ合った、二つの背中に向かって叫ぶ。僕の声に反応して、それらはこちらを振り向いた。
「……中野君。来てくれたんだ」
少しだけ嬉しそうに、広井さんが微笑んでくれた。その笑顔に、僕の未練がドキリとする。
「二人とも、なんでこんなことしてるんだよ! やめようよ、こんなこと!」
「……中野君。今日の朝、言ったよね? 未来なんて、誰にも分からないんだって。その言葉の通りだったよ。どうやら私、今日ここで死んじゃうみたい」
広井さんがニコッと笑う。その笑顔とは裏腹に、言っていることは最悪だ。
「でも……まだ分からないよ。もしかしたら、僕が説得して、死なない未来になるかもしれないでしょ? だからそんなのは、誰だって分からない……」
「分かるよ」
僕の言葉を遮って、今度は臼井さんが強く言い放った。
「私はもう、四葉しか信じないって決めたの。あなたがいくら私達に説得したって、何も変わらない。もう意味無いの。諦めたほうがいいよ」
半ばバカにした様子で嘲笑う。そんな彼女に、僕は苛立ちを覚える。
「……諦めるもんか。そんな未来なんて、僕が変えてやる。二人が死ぬのなんてやめようって、思わせてやる」
「出来るの? 今ここで私達が飛び降りちゃえば、それも意味無くなるんだよ?」
「そうかもしれないけど……でも、きっとあるはずなんだ。……広井さん。今朝、大事な人には恥ずかしがらないで、想いを伝えておいたほうがいいって言ったよね?」
「うん、言ったね。それがどうしたの?」
「じゃあ……僕が今から言うこと、ちゃんと聞いて欲しいんだ」
僕の言葉を、広井さんが待っている。まるで、全てを見透かしているような目で。
――言うんだ……。今言わなくちゃ。広井さんに、生きようって思ってもらうためにも……!
今ここで言わなくては、男が廃る。少しでも強い男になりたいんだろ? 頑張れ、僕。
「その……」
胸が壊れそうになる。やっぱり僕の未練は、諦めを知らなかったみたいだ。
そんな未練を認めてやると、僕は大きく息を吸って、それを声に変換して吐き出した。
「す……好きです! 広井さん!!」
公開告白――。数秒程、周囲の雑音がスッと消えて無くなると、咄嗟に反響するかのようにたくさんの声々が、屋上に響き渡った。
当の本人である広井さんは、まさかそんなことを言われると思っていなかったような目で、口をあんぐりと開けていた。
しかし――いつまで経っても、彼女は口を開いてくれなかった。返事を出さない彼女に、段々と僕の気持ちは萎れていく。
「……僕じゃ、ダメ、ですか?」
弱々しい声が空気に擦れる。
そして、そんな僕の言葉を聞いた広井さんの姿に、僕は再び驚愕した。
「……遅いよ、バカ」
「え……?」
いつの間にか、肩を揺らして、涙を流していた。どうして突然泣き出してしまったのか、僕には全然分からない。
「もう私、しーちゃんと一緒に不死鳥になるんだって、そう決めたのに……。なんで今更、そんなこと言うの……? 酷いよ……」
「え、酷いって……」
そんなこと、突然言われたって分からない。詳しく理由を聞こうと、口を開いた瞬間に、先に彼女が先手を取った。
「……しーちゃん」
「……うん、そうだね」
手で涙を拭うと、広井さんが呟いた。真正面と向き合い直して、小さく一歩を踏み出す。
「ひ、広井さん! ま、待って!」
「中野君」
背を向けられたまま、最後に名前を呼ばれて、ドキリとした。――それが最後の彼女の言葉なんだと、どこかで悟った自分がいた。
「……ありがとう」
刹那、二人が大きく腕を広げて宙に舞った。
学校じゅうから湧き上がる悲鳴は、一切僕の耳には届かなかった。
◇ ◇ ◇
三日後。彼女達二人の飛び降り自殺が原因で、学校は一週間休校になった。
どうやら、精神的にきている子達が多いようで、普段通りに授業を行えるのは、一、二ヶ月後だろうと先生達が言っていた。
二人の飛び降りる姿を一番間近で見てしまったのは、紛れも無い僕だ。
それなのにどうしてか、不思議と精神的に病んでしまうことは無く、それ以上に、彼女たちの残骸を、屋上から覗いてもなんとも思わなかった。――いや、思えなかったのだ。
問題無く受け答えが出来ることから、昨日と一昨日は警察の人からの質問責めにあっていた。
僕は何も悪いことなんてしていないのに、まるで僕が悪人みたいな顔で、朝から晩までずっと拷問だ。
ようやく今日は解放されて、気晴らしに散歩に出てきていた。
長い長い川が流れる、その一端の河川敷。散歩好きな人はよく通る、散歩コースにもなっている場所だ。
その河川敷の斜面に寝転んで、僕は学校から借りた本を読んでいた。
向かいの大きいサッカーコートでは、高校生らしき人達が練習をしていた。一見サッカーっぽいが、ボールの大きさから見るに、恐らくフットサルだと思える。
「あぁ、もう。踏切鳴っちゃったよ。ここ長いんだよなぁ、駅近いから」
ふと、後ろから男性の声が聞こえた。
ムクリと起き上がって、振り返ってみると、その隣にはもう一人、背の高い女性も立っていた。
「先輩がのそのそと、亀さんみたいに歩いてるからですよ。先輩の先祖は亀なんですか?」
「いや、なんだ亀さんって。んなワケないでしょ。っていうか、君だって俺と話しながら同じ速度で歩いてたよね?」
「違いますよ、勘違いしないでください。私はただ、亀さんみたいな先輩の歩幅に合わせていたんです。ちゃんと感謝してくださいよ」
「あー、はいはい。そりゃあどうもー……」
聞いているだけで、男性の方に思わず同情したくなるような会話だ。
僕だったら、あんな女性とは十分も一緒にいられないだろう。きっと、地獄絵図になるはずだ。
「……そういえば、聞いた? この近くの中学校で、女の子二人が屋上から飛び降り自殺したんだって」
そろそろ変な盗み聞きはやめよう、そう思った矢先のことだった。
そんなことを言われたら、やめるどころか聞き入ってしまう。
「あぁ、なんか聞きましたね。講義中に、陽キャの女性組が話してましたよ。『将来があるのに』とか、『誰かに相談出来なかったのかな』とか、思ってもいないことを散々言ってましたね」
思わずムッとした。何も知らないくせに、言いたい放題言いやがって。
「はぁ。そりゃあまた、色々言ってたんだな」
「あの人達は、当人の気持ちを知ろうともしない偽善者ですからね。綺麗事だけ並べて、自分からは何もしようとしない人間のクズですから」
「いやでも、クズって言い方はどうかと思うけど……」
「いいんですよ、ホントのことですから」
「はぁ……」
まるで自分の言いたいことを代弁してくれているかのように、女性の言葉には全て共感出来た。
もしかしたらやっぱり、あの彼女とは気が合うのかもしれない。
「因みに先輩は、どうして二人は死んだと思いますか?」
「え? そりゃあ、家に不満があったとか、学校に不満があったとか……」
「……はぁ。やっぱり何も分かってない。先輩は、いつまで経っても陽キャのクズですね」
「なんっ!?」
男性が女性に食いかかるも、そんな態度も全て無視して、彼女は話を続ける。
「いいですか、教えてあげます。一人で自殺をするのなら、そりゃあ先輩の言った通り、何かしらに不満があったという線が濃いのかもしれません。けれど、それも確実にそうだとは言い切れません」
「……と言うと」
「死にたいと思う理由なんて、人それぞれなんですよ。誰かのために死にたいと思う人もいれば、一概に死にたいと思ってなくたって、生きる理由が見当たらなきゃ死にたくなるものです。……いや、違いますね。死んでみたくなるんですよ。死んだらどうなるのか、試したくなっちゃうんです」
「試したくなる……?」
「ええ、そうです。彼女達は、二人で飛び降りたらしいですね。考えられるのは、両者が死にたいと思っていたパターンと、どちらかが死にたくて一緒に死んでくれる人を探してたパターン。――そう、考えられませんか?」
「それは……そうかも、しれないけど……」
「きっかけはどうあれ、一緒に何かをするというのは、非常に心強いものですよ。相手のことを、信じていればいるほどね。先輩だって、スポーツやってて分かるでしょ?」
「それは分かるんだけど、やっぱり誰かと死のうとする気持ちは、あんまり分からないというか……」
そう言うと、女性は呆れた様子で大きなため息を吐いた。つられて僕もため息を吐く。
「陽キャの先輩にはきっと、一生分からない感情ですよ。理解しようとしても無駄です」
「はぁ……そういうもんなのか」
どうしてこの気持ちが、あの男性には分からないのだろう。やっぱり人間というのは、全然分からない生き物だと思う。
全員が、全員の気持ちを分かり合えればいいのに。
「ほら、とっくに踏み切り上がってますよ。どこ見て突っ立ってるんですか。まったく……先輩は、頭の後ろに目があるんですか?」
いつの間にか上がっていた踏み切りを渡りながら、彼女が男性へ一言告げた。
「なっ! うるさいな、いちいち一言多いんだよ」
「うるさい人ですね、さっさと行きますよ」
「いやなんで真似して言い返すんだよ!? 大体ね、本城さんは……」
そんな会話を繰り広げながら、男女の二人組は踏み切りを渡って行ってしまった。
再び僕は流れる川と向き合うと、見ているだけで退屈になりそうな空を見上げた。
みんな、彼女達は二人とも、死んでしまったと嘆いている。か弱い命が、また亡くなってしまったと、寂しそうに語ってみせる。
けれど――それでもやっぱり、僕は全然悲しくなんかなかった。
頭も体も飛び散らかして、全身血まみれになった体を見ても、吐き気すらも湧かなかった。
死んだとか、どうだとか、死んだ理由なんてのは、正直どうでもいい。
大切なのは、これからの彼女達の話だ。
「……不死鳥」
カラスの群れが、真上にある木の枝に止まった。それはまるで、真っ黒な不死鳥達に見えた。
あの日。二人で飛び降りたその様は、まるで美しい不死鳥のようだった。言うならば、“不死鳥もどき”だ。
あの都市伝説が本当ならば、彼女達はあのまま、立派な不死鳥になれるだろう。大きくても、小さくても、どうでもいい。彼女達が、立派な不死鳥になれるのならば。
そしてそれは――彼女達が再び蘇ってくることを意味する。
「……待ってるよ、広井さん。ずっとずっと、大人になっても。不死鳥になった君が、蘇って僕のところに戻ってくるまでね」
手に持っていた本をパタンと閉じたと同時に、木の枝に止まったカラスの群れが飛び立つ。
あの川の上を羽ばたくのはもしかすると、不死鳥になった彼女達なのかもしれない。
最後まで一読、ありがとうございました!
今回作中には、筆者が書いている連載小説『アウトドア系男子が、自宅警備員になる方法』から、本城さんと先輩の二人をゲスト出演として登場させました。
興味がある方はぜひ、そちらもご一読いただければ幸いです!