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 04・指きりの約束

 


「えっと、お師匠様のお知り合いですか?」

「ええ。昔からの付き合いよ」



 キリエの昔からの付き合いのある人。エリノアの記憶の中にはまったくない人だ。そもそもキリエ自身の人付き合いが少ないのだから、必然的にその相手はエリノアも知るところになる。

 それなのに、目の前の女性は見かけたことがなかった。

 古い付き合い、顔を見たことがない人……もしかして、あの、鈴蘭の封蝋の人!?



「キリエったら、ぜんぜんあなたに会わせてくれないんだもの」

「当然でございましょう。まるで物盗りの如く、非常識な時間に訪問してくる方に、エリノアを会わせるのは教育上よろしくありません」



 薄暗がりの中、光が走った。それはエリノアの頭上を通り過ぎて、女性の目の前で止まる。

 背後からした声は、間違いなくダニエラのものなのに。エリノアは振り向くことができない。それどころか、声を出すこともできなかった。

 目の前の光景に、思考が停止する。


 女性の顔の前に、刃物があった。どう見てもそれはダニエラが愛用している肉切り包丁で。文字通り、何かに刺さったかのように、“空中”に停止していた。

 女性は白い手袋をした指先で、その刃物を摘む。



「相変わらず怖いメイドね。『止めてなかったら』刺さってたわよ」

「褒め言葉として受け取らせて頂きます。シエネフィルミリアースタ様」

「よく覚えていること。シエネで結構」

「断りいたします。シエネフィルミリアースタ様」



 エリノアを背中に隠すように、ダニエラが前に出てくる。



「キリエ様はすでにご就寝です」

「あら。あの術具バカ、生活習慣を改善したの?」



 なんともすごい言葉が出てきた。あの術具バカ! と。

 やっぱり目の前の女性――シエネは、キリエと付き合いが長いらしい。そうでもなければ、とてもじゃないけど言えない。間違ってもエリノアには無理だ。



「こちらに来られる際は、ご連絡を下さらないと困ります」

「仕方ないでしょう。こっちは今、大変なんだから。連絡入れるのも一苦労なの」

「左様でございますか」



 キリエを、呼んでくるべきなのだろうか。困惑の表情を浮かべ、エリノアはぎゅっとダニエラの服を握った。



「メンテナンスの依頼よ。ダニエラ、キリエを起こしなさい」



 作業台の上から降りたシエネは、ダニエラに“命じた”。

 すっと顎を引き、綺麗な姿勢を見せる様子は、さながら貴族の令嬢のようだ。エリノアは使用人ではないけれど、思わず頭を下げてしまいそうになった。シエネは命令をすることに、人を使うことに慣れているような気がする。

 エリノアはダニエラに頼みごとやお願いはするけれど、ああやって命令することは出来ない。



「その必要はない」

「お師匠様」



 手燭を片手に工房に入ってきたキリエを見て、エリノアの顔が引きつった。

 ……どうしよう、どこからどう見ても機嫌が悪い。キリエの寝起きがどうなのかエリノアは知らないけれど、どうやら今は悪いほうに下降しているらしい。特に今は、目つきがいつも以上に険悪だ。



「シエネ、連絡くらい入れたらどうだ」

「さっきもダニエラに言ったけど、こっちは今大変なのよ」

「そうか。さっさと指を見せろ」



 言いながらキリエは、自分が使っている作業台に座る。まだ眠気が残っているのか、くしゃりと前髪を握るとあくびを噛み殺していた。キリエの意外な姿に、エリノアは目をぱちくりさせる。

 足取りはふらついてはいないけれど、今のキリエに工房を歩かせるのは危ない気がする。確かキリエは指を見せろと言っていた。ならば大きな工具は使わない。エリノアは工房の棚に必要な工具を取りに動く。師匠であるキリエがメンテナンスを始めると決めたのだから、弟子見習いは素早く道具を揃えるだけである。

 ダニエラが何かいいたげな目で見ているが、結局は諦めて明かりをとるためのランプに火をつけ始めた。



「動きに支障が出たのか?」

「いえ。今回を逃したら、次はかなり先になりそうなの。だから来たのよ。連絡なしで来たのは謝るわ」



 ダニエラに肉切り包丁を返しながら、シエネが謝罪を含めた目礼をした。

 キリエの隣に腰を下ろすと、シエネは白い手袋を外す。絹ような質感の手袋から現れたのは、細くきれいな指――ではなく、マメとタコだらけの荒れた手だった。



「向こうも降り始めたのか?」

「とっくに降ってるわよ。間があいたのも原因でしょうけど、外皮の損傷が激しくてね」

「なら剣を振るのをやめればいいだけだろう」

「剣をおろしたら、私はただのお飾り。舐められるだけよ」



 人目を気にせず、シエネは左の手から小指を外した。外したその指の付け根には、確かに術具を繋ぐ接続部が存在していた。

 たまたま作業台の上に工具を置いていた、エリノアの目に入る。



「小指……」

「そうよ、おチビちゃん。これは私がまだ若かった時の、高い勉強料ってところね」



 自分の指のことだと言うのに、シエネの口調は軽いものだった。けれどその目はどこか悲しげで、エリノアは口に出してしまったことに反省した。

 術具技工師としてその腕を振るうのなら、自ずと判るだろうに……誰しも、進んで術具を身につける体になったわけではないと。



「ごめんなさい。私、無神経なこ――」

「おチビちゃんは、指切りって知ってる?」

「ゆびきり……ですか? あの、指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ますの、指切りのことですか?」



 むしろ、それ以外の指切りを本当は知りたくなかった……。街の友達や、騎士の人たちから、それなりに怖い意味での指切りも聞いている。それを聞いて耳を塞いで怖がるエリノアを、みんなは面白がっているのだ。まったくもって酷いことに。

 シエネはエリノアへ向くと、その長い足を組んだ。シエネの背に隠れるように、キリエは作業を始めたらしい。こちらの会話に入る様子は全くない。

 これはあれだろうか? さっさと終わらせて寝てしまおうと言うことですか? お師匠様。



「そう、その指切りってね、本当はそんな可愛い約束事のおまじないじゃないのよ」

「おまじない……」



 ――じゃあ、約束だから指切りだ。

 うん。指切りげんまん、嘘ついたら……針千本のーます。指切った!

 よくある、簡単な約束のおまじない。本当は、もっとずっと違う、それは――



「本気になったら逃げるなんて、やっぱり私は見る目がないのかしらね?」



 何を見る目がないのか、とはエリノアは聞けなかった。

 ふぅっと息をはくシエネの姿は、どこか艶めかしくて。エリノアを見つめる視線は、やっぱり悲しそうで。

 ――本気で、好きになった人。なんだろうな。



「相手に見る目がないだけだ、放っておけ。エリノア、棚の外皮、場所は上から三段目。六番」

「は、はい!」



 自分が空気を気まずくしてしまった自覚があるだけに、今のキリエの言葉は助かる。そそくさと逃げるようにシエネの前から動き、材料を置いている棚から外皮を探す。

 大人の話は、自分にはまだ早い。少なくとも今のシエネの話、その内容はエリノアには重過ぎる。シエネの話をまとめると、本気になった相手に、誠意を見せるため指を切って渡した。けれど相手の男は、それに驚き逃げた。ということだろうか。

 本当に、指を切って渡す人がいるなんて……。若いときと言っていたけれど、いったいいつの時なのか。



「あんたがフォローに入るなんて、明日は大雪かしら」

「隣でウジウジされると苔が生える。鬱陶しい」

「キリエ、あんたって男は……」



 ……お師匠様、それはあんまりです。なんともキリエらしい言い分ではあるが、内心で呆気にとられる。

 フルオーダーで出来た外皮が集まる引き出しから、さらに小分けにされた筒をエリノアは取り出す。数字は六番、で間違いない。中から、外皮を一枚取り出す。

 前もって構築式が掘り込んである外皮は、確かにシエネの肌の色に近い。外皮の色を合わせる人は少ない、その分時間も金銭もかかるから。支団長にいたっては、そもそも破損を前提としているためか合わせる気すらない。


 外皮と、皮下素材も用意してキリエへ渡す。軸心の、薄くなった構築式を彫り直す作業。相変わらず迷いのない動きは、寝起きの人間の手さばきとは思えない。

 もう少ししたら液体接着剤を混ぜ始めたほうがいいかしら? 小指なのだから、彫り直すのはそれほど時間がかからないだろうし。



「ところで、おチビちゃんはいつもこんなに夜更かししてるの?」

「い、いえ。今日はその……」

「明日、街に行くから寝付けなかっただけだろう」

「お師匠様!」



 何もここでそんなことを言わなくたっていいのに! それにちゃんと寝付けていた、ただ、目が開いちゃっただけで……。

 エリノアは顔を赤くして、もごもごと口の中で反論する。ダニエラの前ならいざ知らず、初対面といってもいいシエネの前で言うことないのに! 案の定、シエネは面白そうにくすくすと笑う。



「あらあら、成長期の子供が夜更かししたらよくないわよ。それに、女の子ならお肌に悪いわ」

「え? え? それ、本当なんですか……?」



 街の友達も言っていた、いわゆる美容の大敵というものだ。目の前の、大人の女性までも言っているとなるとやはりそれは事実らしい。



「そうよー。若いときの無茶は歳とってからドカンと跳ね返ってくるわよ」

「えええ!? ど、どうしよう!」

「大丈夫! 今から寝ちゃえば問題ないわ」



 びしっと親指を立てて、シエネはウインク。美人がやると様になる。



「む、無理ですよ! いきなり寝るなんて、それにお師匠様のお手つ――」

「心配ないわ、寝られるから。キリエの手伝いはダニエラだって出来るし。ほら、おチビちゃんはもう“寝るわ”」



 そんなシエネの言葉と同時に、唐突に、エリノアの視界が黒く塗りつぶされた――。



 くたりと、糸の切れた人形のように倒れるエリノアを、ダニエラが抱きとめる。その表情が渋く見えるのは、恐らくシエネだけではないだろう。

 非難めいた視線を受け止めながら、シエネは肩をすくめた。



「珍しく荒業を使ったな、『指切り姫』」

「このくらいじゃ荒業に入らないわ。指だって戻す気になれば元に戻せる、そっちの方が荒業よ」



 キリエは倒れたエリノアに自分の上着をかけると、ダニエラに部屋へ運ぶように言う。

 不承不承、それとも渋々か? 珍しく不満の意を含めた返事をするダニエラをキリエは宥め、シエネに視線を投げつける。



「それに、寝れないのなら寝かせた方がいいわ。これから先の話は、おチビちゃんには刺激が強すぎる」

「最近話題の戦争関連か? それともお前の相手が逃げる原因になった契約者か?」

「ある意味、それよりもやっかい」



 階上へエリノアを運ぶダニエラの姿を見送り、キリエは作業台の席へと戻る。

 「続けろ」と視線だけでシエネを促し、キリエは作業を再開した。



「アンカルジア、どうやらクーデターでも起きるみたいよ」



 しかし、動かし始めたキリエの指先はぴたりと止まる。



「しかも、首謀者は王太子。これって王位の簒奪? それとも下克上ってところかしら?」



 驚きに目を開いたキリエの表情を見て、シエネはピクリと片眉を上げた。


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