03・真夜中の訪問者
工房の広い作業台の上で、エリノアは作業に集中する。手に持っているのは、自分が作った外皮素材。作業台の上にあるのは、騎士団長の替え脚だ。エリノアが行なっているのは、外皮を貼る最後の作業工程。
外皮の合わせ目、つなぎ目になる部分は内側に。外皮は見た目に直接かかわってくるから、失敗したら最初からやり直しだ。変な皺がつかないように慎重に、エリノアは呼吸にすら神経をつかって、ゆっくりと皮下素材の上に貼っていく。
合わせ目がきちんと内側にきているのを見て、静かに息を吐く。不自然な皺はできていない。後は刷毛で、外皮と同じ素材を粉末にしたものに、液体接着剤を混ぜたものを塗っていく。人の肌に近い色にあわせたそれで、外皮のつなぎ目を見えないように隠す。
この合わせ目の部分は、外皮で一番劣化が目立つ場所だ。だから丁寧に、違和感のでないように塗る。
塗り終わったら爪の部分にあたる素材を付ければ、一応の作業工程は終了だ。
ただ、エリノアはキリエに教えられたように、貼りあわせた素材同士を馴染ませる作業をする。皮手袋をした手で擦るように圧着するのを忘れない。
弟子見習いのエリノアとはいえ、こだわりはあるのだ。キリエからしなくてもいい作業とは言われているけれど、慣らしといわれる、この馴染ませる作業が術具技工で何かと多いのを学んでいるから。外皮や皮下素材のしなやかさと弾力に、少しだけ影響があるらしい。
エリノアにとっての最後の仕上げを終えると、側で黙ったまま立っていたキリエに向きなおる。
「お師匠様、終わりました」
無言で近付いてくるキリエに、エリノアは作業台の前からどく。術具の上を滑るキリエの指先、その動きを視線が追っていく。
皮手袋をした手を握り締めながら、エリノアはハラハラしながらキリエの判定を待つ。作業中にストップがかかるような重大なミスはしていないが、最終確認で見つかる何かがあるかもしれない。
ああ、やっぱりこの待ち時間は何度経験しても耐え難い空気だ。
「いいだろう」
「やったぁ!」
きちんと仕上げられたことが嬉しくて声を上げれば、パシリと後頭部を叩かれた。もう少し完成の余韻に浸っていたかったのに、やっぱり痛い。
そんなエリノアを横目に、キリエは仕上がったばかりの替え脚を持ち上げると、工房の端にある小さな台が並ぶ場所へと歩き出す。
「あ! 私が運びます!」
「お前がか? これは成人の男、しかも騎士の脚だ。ひょろいお前が持てばコケるだけだ」
「こ、転ばないかもしれないじゃないですか!」
「どうだかな」
鼻で笑うように言って、キリエはさっさと工房の端へ歩いてしまった。
そこは他の作業台と違う、一回り小さい台が並んでいる。中央に穴の開いたその台は、術具を依頼者に渡すまで置いておくためのもの。接続部の軸芯を傷つけないように保護芯をして、その穴に差し込めば逆さまの替え脚が視界に入る。
エリノアは急いで、埃よけの白い布を持ってくる。師に術具を運ばせたのだから、これくらいはやらないと。
ばさりと被せた白い布に、これで本当にすることが終わったと、エリノアは肩の力を抜いて、皮手袋を外した。
「さて、俺もすることがないし今日はさっさと寝るか」
「お、お師匠様が!?」
「何だ、俺が早く寝るのに何か問題があるのか?」
「だ、だって! いっつも遅くまで仕事しているのが普通のお師匠様が早く寝るなんて! 明日は大雪が降り――っだ!」
うう、頭がぐらぐらする。どうやらさっきよりも強く後頭部を叩かれたらしい。むっとしながらも、自分が失礼なことを吐き出したのも事実なので、甘んじて受け入れる。
だがしかし、驚きに普段思っていても口に出さない事実が出てしまった。エリノアは後頭部をさすりながら、自分の反射的“口動”に口をつぐむ。
「明日寝坊したら、問答無用で置いて行く」
「分かってます!」
そう、キリエはそのあたりは容赦しない。
街に行くのは、エリノアにとっては楽しいイベントも同じだ。だからどうしても前日はワクワクして寝付けない。ベッドの中で何度も寝返りを打ちながら、ようやく寝付くのが通例だった。
そして結果は、推して知るべし。ダニエラに起こされることになる。一応ダニエラは、起こされたことをキリエに内緒にしてくれている。知ったら何を言われるか分かったものじゃ――
「ダニエラに叩き起こされても、俺は知らないからな」
「な、なんでお師匠様が知ってるんですか!?」
「子供のパターンは大体分かる」
……しっかりバレていたらしい。がっくり肩を落として、エリノアは大人しくキリエの助言に従うことにした。といっても早く眠れるわけではないので、夕食までは荷物の確認作業でもしておこう。
火かき棒を手に取ったキリエが暖炉の前に向かう。
「あ! お師匠様、火は私が消します!」
「火ぐらい俺でも消せる」
「でも……」
「小間使いのように気を回すなら、教本の一冊でも読め」
睨むように言われて、エリノアは今度こそ白旗をあげた。
これ以上粘れば、確実にキリエの機嫌を損ねる。エリノアは大人しく工房の扉に向かう。
「ああ、それと。もし降りが多ければ明日、玄関前の雪をかく」
「は、はい」
ギロリと向けられるキリエの視線が、間違いなくさっきのエリノアの失言に対する当てつけな気がしてたまらない。というか、そうだと思う。
扉の前で一礼して、エリノアはノブに手をかける。
暖炉の前にいるキリエの手に、火かき棒の他に、小さな紙があることに気が付いた。
(失敗した構築式の紙かしら?)
それにしては、質のよさそうな紙だけど……。
首を傾げはしたものの、エリノアは特に気にすることもなく、扉を閉めた。
+++++
「あー。やっぱり目が開いちゃったよぅ」
ベッドの中で体を丸めて、エリノアは頭を抱えた。やっぱりと言うべきか、キリエの予想が当たったと言うべきか。
今回はすんなり寝付けと思ったらこれだ。なぜにどうして、夜中に目が開いてしまったのか。しかもまるで昼間に起きているぐらい、意識ははっきりと、目はパッチリとしてしまっている。
目をぎゅっと閉じて、しばらくベッドの中で寝返りを打っても、再び眠気がやってくる気配が欠片もない。どうしよう、困った。羊を数えたら、今なら朝まで数えられそうな気までする。
ごろんと体の向きを変えれば、丸くなったリムが見えた。隣でぐうぐう寝ているリムが羨ましい。
ごうっと、一際強くうなる風の音。幸か不幸か、これは明日かなり雪が積もるかもしれない。エリノアを見るキリエの目が、とんでもないことになりそうだ。
嫌な予想に眉を八の字に下げるエリノアは、唐突に違和感を覚えた。
「……窓ガラス、揺れた音した?」
あれだけ大きな風だ、窓ガラスだって揺れていないとおかしい。いくらきっちりはめ込まれていて、分厚いカーテンでさえぎられていても、ガラスの音というものは意外と響く。
今度こそ、自分から意識して目を開いて、エリノアは勢いよく起き上がった。
毛足の長い絨毯の上を素足で歩く。少し冷たく感じるが、まだ耐えられないほどじゃない。急いで窓に向かって、二重に遮られたカーテンを開いた。
エリノアの目の前、ガラスの向こう側で、雪は静かに舞っていた。暗いなか目を凝らしてみても、地面の雪も綺麗なままだ。
おかしい。あれだけの音なのだから、まだ雪は乱れた降り方をしていてもいいくらいなのに……。それに地面だって、舞い上がった雪があってもいいはず。
「……気の、せい?」
それにしては、ずいぶんとはっきり耳に聞こえた。あれが寝ぼけて聞いた幻聴だというのなら、エリノアは今すぐにでも寝れそうなのに……。窓ガラスを眺めながら、首を傾げる。どうしよう、これはこれで微妙に気になって眠気が飛んでしまう。
昼間リムが言ったように、泥棒だったら早く捕まえなければ大変だし、それならダニエラが即時発見・捕縛しているはずだ。キリエの術具を盗みにくる不届き者が、年に一度は出現しているのだから。
……もうここまで来たら、気分転換もかねて少し屋敷の中を歩こう。泥棒だったら大声を出す、ダニエラなら絶対に気が付く。そう決めて、エリノアは靴を履いて、厚手の上着をしっかり着込む。手燭を片手に、階下へと足を動かした。
手燭の小さな明かりが照らす薄暗い廊下を、物音を立てないようにエリノアは進む。相変わらず夜の廊下は怖い。
階段を下りた先を曲がると、エリノアの視線の先に、細く明かりが漏れていた。あの場所は工房だ。中に誰かいるのか、小さな物音が鳴ると、漏れでた明かりが揺らめく。
もしかして、お師匠様……? 結局寝られなくて、また何かの作業を開始したとか? 人に早く寝ろって言っておきながら、お師匠様ったら起きてるんじゃない。ほんの少しむてくれて、エリノアは工房の扉を開けた。
「お師匠様、やっぱり起きて――」
開いた扉の先にいたのは、キリエでもなければ、ましてやダニエラでもなかった。
片付けたはずの工房は、なぜか散らかっていて。その作業台の上に、エリノアの知らない女性が立っていた。師であるキリエが見れば、目くじらを立てて怒りそうな所業である。
白銀の髪を舞い上げた女性の、空のように澄んだ青い瞳が、エリノアの琥珀色の瞳とかち合う。
瞬間、手燭の明かりが何の前触れもなく消えた。
真っ暗になっているはずなのに、目の前の女性は見える。工房の明かりは、何一つ点いていないのに!?
「ごめんなさいね。ちょっと待ってちょうだい、片付けの途中なのよ」
濃紺色の、襞の多い外套を揺らしながら、女性は静かに腕を動かす。腕の動きに合わせるように、乳白の虹色の風が吹き、白銀の髪が揺れる。
光の軌跡を残しながら、床に落ちた工具を浮き上げ、元の場所へと戻していく。大きな円を書くように腕を動かせば、倒れた椅子は起き上がり、散らばる箱は中身を詰め戻しながら、かつてあった場所に上に重なりながら置き直った。
女性は舞い踊るように、風を操る。風に煽られ広がる外套の下は、肌を一切出さない服で。エリノアにはない凹凸を持つ体が現れた。
ふわりと、エリノアの目の前をいつも使うペンが通り過ぎる。きらきらと散っていく光の粒子に、エリノアは手を伸ばす。手のひらに乗った小さな粒子は、雪のように見えるのに冷たくなくて、エリノアの手の上で、弾けるようにパチンと消えた。
(魔法みたい――)
風に浮いていたエリノアの茶色い髪が、肩へと落ちると、手燭の明かりが再び点る。あれだけ吹いていた風が収まれば、工房の中はエリノアが寝る前に見た状態に戻っていた。
ズボンの裾を入れた踵の高いブーツを履いた状態で、女性は片ひざを台の上につけるようにしゃがむ。作業台に外套の裾が広がる。
「おチビちゃんがキリエの秘蔵っ子ね」
鷹のように鋭い目元を和らげると、女性は微笑みエリノアに顔を近づけた。
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