02・昼夜鳩が運ぶもの
さっさと工房で作業を再開してしまったキリエに代わり、エリノアがクロードを見送る。窓から入って、窓から出て行くのだから困ったものだ。出来れば次からは玄関を使用してほしい。
ダニエラが工房にいるときならば、それはそれは恐ろしい歓迎方法が待ち構えているのだが、どういう訳かクロードはダニエラがいないときしかこない。何か危機回避の本能が働いているのだろうか?
首を傾げながらエリノアが片付けをしていれば、窓からコンコンコンと小さく叩く音が聞こえてきた。細かい工具を棚にしまって、音のしたあたりに視線を向ければ小さな鳩が一羽、そのクチバシを使ってガラスを叩いている。
「昼夜鳩?」
普通の鳩より小柄で、少し薄い灰色の鳩は、短い文の手紙を運ぶ専用の鳥だ。昼夜鳩という夜目が利く珍しい種類の鳩。そしてその足に付いている緑の足輪は、よく屋敷に来る商人が使うものだ。
キリエも一羽、昼夜鳩を飼っている。アルトと名前のついた鳩は、かなりの高齢なため滅多に飛ばすことはない。ほとんどキリエの部屋で、眠るように過ごしている。
「おいで」
窓を開けて中に促し、エリノアは足輪にある小さな筒を開けた。とうの鳩は、窓枠に座り羽毛を膨らませ静かにしている。相変わらずよく躾られている。こちょこちょと首の辺りを指で撫でれば、気持ち良さそうに小さく鳴いた。
手紙には二日後に屋敷に行くとの知らせで、何か必要な物があるなら用意をするから教えて欲しいと書いてある。これはダニエラ宛てだと思っていれば、その折られた部分に重なるように、もう一枚紙があった。
「ルークさんからだ」
めずらしいこともある。内容は、団長がそろそろヤバイ。いつ頃来れるか? と。妙に短い文に、ルーク以下騎士たちのひっ迫ぶりが窺える。
この手紙、検閲されたのだろうか。後でルークが怒られる事態にならなければいいけど……。
「お師匠様、緑の足輪の昼夜鳩です」
「それはダニエラだろう」
「いえ、それ以外にお師匠様宛てに、ルークさんからです」
「ルーク? この間本人が来ただろ」
「そうなんですけど……」
キリエに手渡して、そのままダニエラに手紙を持っていく。ランプがあるとはいえ、廊下はやはり薄暗い。この屋敷に来たときはこの薄暗い中、軋む床板の音にビクビクしながら歩いていた。
作業中のキリエを呼ぶわけにも行かず、リムを抱えて歩いたものだ。リムからさんざん苦情を言われたけど。
キッチンの扉を開けば、ふわりと鼻をくすぐる美味しそうな匂い。シチューの匂いだ。ちょうど夕食にあわせて作っているらしい。ブラックブルーベリーのジャム瓶が一つ、食器に紛れてテーブルの上に置いてある。他はリムが盗み食いしないように、ダニエラがすぐに食材棚にしまった。
「……ダニエラさんが、いない」
いつもならこの時間は夕食の準備で、ダニエラはキッチンにいることがほとんどだ。普段いる人がいないのは、不思議な感じがしてくる。どこに行ったのだろうか? 考えられるとしたら、ベットメイクで部屋にいるか、保管庫の整頓をしているか。
考えて、捜した方が早いことに気が付き、エリノアはくるりと後ろに振り返る。まずは保管庫に行こう。外に出たのならキリエに一言あるだろう、それはなかった。この屋敷の中にいるはずだから、いつかは見つかるだろうし。
「あ! エリー。おはようなのー」
「リム、おはようじゃなくてこんばんはの時間よ」
「よく寝たの」
「お昼食べてからいままでよく寝てたよね、本当」
「えへへー」
リムはあれだけたくさん食べて、そのあとすぐ寝ても太らない。なんと羨ましい体質だろうか。それとも霊獣といわれる生き物はみんなそうなのか。
……もしそうなら、今頃森は枯れ果ててもおかしくないので、きっとリムだけなのだろう。
「リムは今起きてきたのよね? ダニエラさんは二階にいた?」
「ダニエラは二階にはいなかったの」
「ならやっぱり保管庫かな?」
外にいる様子がないのだから、よく行く保管庫ぐらいしかエリノアには思いつかない。あとは保管庫の隣の、使われていない部屋。基本立ち入り禁止のその部屋は、時々ダニエラが掃除に入っている。一体何に使う部屋なのか気になるが、エリノアには教えられていない。
唯一キリエから、基本的に使うことのない部屋、と教えられただけ。使うことがないから立ち入り禁止とは、おかしな気もするが。実際エリノアも、あの部屋を使ったところを見たことがない。屋敷で暮らし始めてそれなりに経つのに、だ。
エリノアは勝手に、謎部屋と呼んでいることは二人には内緒にしている。
「ダニエラいないの?」
「見あたらないだけよ。昼夜鳩が来たから捜してるの、キッチンにいなかったから」
「お夕飯がピンチ!」
「……ちゃんとお夕飯の準備はしてあったわよ――って、どこいくのリム」
さも当たり前の如くキッチンに向かおうとしたリムを素早く掴む。ここでリムを見逃そうものなら、今日の夕飯が綺麗になくなる。
事実、一度経験した。あの時のダニエラの、キリエ並みに底冷えする視線は忘れられないし二度と経験したくない。
す巻きにされたあげく、天井から吊るされたハズなのに、リムはまったく懲りていないらしい。
「だーめ。お夕飯までまだ時間があるでしょ」
「お腹すいたのー」
「ぐるぐる巻きにされて、また天井から吊るされたいの?」
「…………それは嫌なの」
しょんぼりと、リムは両耳を下げた。さすがにリムも、あの経験は忘れたくても忘れられなかったようだ。
ブラブラと天井からぶら下がり、泣きながら鳴くリムの姿はエリノアにもトラウマになっている。霊獣の威厳など欠片もないリムの姿。
ダニエラはそんなものは目に入っていないと、普通に作業をしているし、キリエは何も言わなかったけど、若干引いたような表情だったのが妙に印象に残っている。
リムを抱き上げてエリノアは保管庫へと行く。早くダニエラを見つけないと、リムがキッチンに特攻しかねない。
保管庫に行こうと、謎部屋の前を通り過ぎるとき、中からガタリと音が聞こえた気がした。
「……リム、今の聞こえた?」
「聞こえたの! 泥棒!?」
「違うと思う。たぶんダニエラさんじゃないかな? 時々掃除してるから」
それでも、こんな中途半端な時間に掃除というのもおかしな気がするけれど……。エリノアたちが午前中から工房に篭もっていたから、その時から掃除をしていたのなら別におかしくはない、かな?
ノックをしながら、ためらいがちにエリノアは中に向けて声をかけた。
「誰かいますか?」
「……その声はエリノアですね。どうしました?」
返ってきた声は、予想通りダニエラのものだ。リムのいった泥棒じゃなくてよかったと、少しホッとする。
大きな物を動かす音を立てる扉の向こうで、いったい何をしているのだろうかとエリノアは首を傾げる。保管庫とは違う、第二倉庫のような扱いでもしているのだろうか? 例えば、クロードが使っているような、他に流用できない術具の類いをしまっている、とか。
静かに細く開いた扉の向こうは、ダニエラの体が塞いでいて見えなかった。冷やりとする風が来るものの、埃っぽさはしない。やはり定期的に掃除をしているからだろう。
「商人のライナーさんの昼夜鳩が来たので、捜していました」
ダニエラが手に持っていたのは掃除道具ではなく、火の消えた手燭だった。
今日は、掃除ではなかったのだろうか? エリノアは不思議に思いながらも、小さな手紙を手渡した。
「来るときに必要な物があったら教えて欲しいと」
「そうでしたか。ちょうど頼みたい物があったので助かりました」
エリノアは興味本位で背を伸ばして中を覗いてみたけれど、手燭の灯かりが消えた部屋は真っ暗で何も見えなかった。滑るように廊下に出たダニエラが、ガチリと重たい音を鳴らしながら鍵をかける。
謎部屋は、やっぱり謎のままだった。
それにしても、ダニエラは真っ暗な中移動していたのだろうか? それとも、エリノアに中を見せたくないから、扉を開ける直前に手燭の火を消したのか。それはそれで変な気がする。
「エリノアも、何か必要なものがあれば書いて私のところに持ってきなさい」
「は、はい」
キッチンに戻るダニエラの後ろ姿を眺めながら、エリノアは悩む。いざそう言われると、欲しい物はなかなか出てこないものだ。
新しいレターセット位しか思いつかないが、まだかなり残っているし。ライナーの持って来る荷にも、毎回入っているからわざわざ頼む物じゃない気がする。謎部屋も気になるが、こっちも問題だ。
「お菓子なの!」
「それはいつもライナーさんが持ってきてるでしょ。ダニエラさんだって作ってくれるし」
リムのように己の食欲に忠実なら、きっと困らないのだろうけど……。生憎と、エリノアはそこまで食欲旺盛じゃない。
お世話になっている二人に何か恩返しをと思っても、あの二人が何を欲しいか、まったく想像できない。何より隠れてこっそり購入するのは、難易度が高すぎる。街に行くとなると、この雪の中だ。意外と外出には厳しい二人は、絶対に一人では行かせてくれないだろう。
商人が来た時の買い物の支払はダニエラかキリエがしてしまうし……。お小遣いは貰っても使う機会に恵まれず、貯まる一方。
「肩叩き券ぐらいしか思いつかないよ……」
「肩?」
「あとはお手伝い券ぐらいだし」
浮ぶのは、街の友達が子供の頃に渡していたものだ。資金不要でも出来るもの。喜ばれるものだから、財布に優しかったと言っていた。使えるのは、本当に子供の頃だけだけど。
あの二人には絶対に不要なものだ。ダニエラの手伝いはいつもしているし、キリエの手伝いは出来ることに限度がある。はぁっと息を吐きながら、エリノアは頭を抱えたくなった。
恩返しで真っ先に思いつくのは、エリノアが術具技工師として一人前の実力をつけることぐらいで。先は長い……長過ぎる。弟子“見習い”の三文字ぐらいは、早く取りたい。
「術具技工の勉強、頑張ろう」
「なんかよく分からないけど、応援するのー」
「ありがと、リム」
エリノアは長い長~いため息をつく。教本は談話室に置きっぱなしだから、寝る前に部屋に持っていかなくちゃ。
残念ながらキッチンに行く理由はなくなってしまった。片付けが途中なのだから、早く終わらせてしまおう。特に練り粉に使った入れ物は、時間が立つと汚れが落ちにくい。
エリノアはのろのろと工房に足を動かす。工房にはエリノアが出て行く前と、ほとんど姿勢の変わっていないキリエがいた。お師匠様、背中が痛くなりませんか?
「二日後、街に行く」
エリノアに背を向けたまま、キリエは言った。
「……はい、二日後ですね――って二日後? あれ、でも二日後はライナーさんが来ますよ」
「ああ、そのライナーの荷馬車に乗せてもらうよう頼む。今回は持ち込む量が多くなるからな」
「あの、お師匠様。ライナーさんが、乗せてくれるとは限らな……」
すっとテーブルの上に、折り畳まれた小さな紙をキリエは置いた。
折られた紙の上には、交差する羽根と蔦が絡まる剣の紋が捺してあった。キリエの、術具技工師としての紋だ。貴族たちが持っている紋と同じで、どこの者かを知らせるもの。いずれエリノアが独り立ちをすれば、キリエからこの紋のどれかを分けられることになるはずだ。師弟関係であることを示すために。
(……ああ、もう決定事項なんですね。その紙は、お願いという名の命令書のような手紙ですね。お師匠様)
少なくとも、紋が捺されているということはそれなりの強制力を持っている。エリノアは人の良さそうなライナー親娘の姿を思い出す。ライナーには悪い気もするが、その分何か購入するということで許してもらおう。
たぶん、馬車賃は出すだろうし。意外とキリエはその辺りをしっかりしている。
「明日には替え脚を仕上げる。時間的に余裕はあるだろうが、泊まりの準備を前もってしておけ。準備が間に合わなければ問答無用で置いていくからな」
「は、はいっ!!」
なんだろう、急にやることが増えてしまった。まずは片付けだ。それからお師匠様の手伝いをして、ダニエラさんが来たら、昼夜鳩を飛ばして、そしたら荷物の準備だ。そうだ、貯まっているお小遣いも持っていこう。それと、それと――。
バタバタと動き始めたエリノアを横目に、キリエは無言で作業を再開する。
片付けを終え、キリエの手伝いを始めようとしたころ、ダニエラが紙を片手に工房に入ってきた。
頼む物を書いてきたのだろう。工房にやって来たダニエラからその紙を受け取って、キリエの紙も一緒に丸める。少し厚みがでてしまったけど、足輪の筒に入った。蓋が開かないようにしっかり締めて、エリノアは窓を開ける。
「それじゃ、よろしくお願いね」
手の平に乗せた鳩は小さく鳴くと、暗がりの中を真っ直ぐに飛んでいった。
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