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■番外3 スパルダ家の長い夜

 


■□番外3



■□■□■



 お帰りなさいませ。そう出迎えた老齢の執事は、主人の顔に隠すことのない疲労を見て、言葉を続けるのに一瞬迷った。

 前々から心身の不調を不安視されていた国王が亡くなられ、その国葬の段取りや打ち合わせ、それに手配といった裏方の仕事に方々へ走り回り、随分と屋敷に戻れなかったのだ。無理もない。王妃は完全に表舞台から引き下がり、進行者として立つマティアス王子は、他国の国葬の参列経験のみ。

 王妃から一通りの手順は聞かされていても、実際に動くのは自分たちになるのだ。未だ国内の混乱が収まっていないゆえ、控えめにするように。そう『国王』からの『遺言』がなければどうなっていたことか。



「どうした、ハンス」

「お客様がお出でにございます」



 そうハンスが告げると、主人の顔が一瞬強張る。一目で分かる変化に、内心でハンスは驚いた。何か、葬礼の儀であったのだろうか……? そんな疑問をすぐに飲み込む。



「取り急ぎ、旦那様にお会いしたいとのことでございます」



 控えめに声を出し、慣れた動作で主人の外套を受け取る。



「……まさか、白銀の髪に青い目をした客人じゃないだろうな?」

「いえ。ルビスタイン様にございます。……『例の方』の件でお話があると」



 ギクリと動きを止めたかと思うと、主人――スパルダ家当主ストレイドは、諦めたように息をはいた。

 ルビスタインと言えば、前当主の言動が原因で若くして家を出奔してしまった妹君、リムステラお嬢様の師だ。他の貴族の令嬢より行動的であったお嬢様が一人で生きていくことが出来たのは、かの人物の助けが大きい。

 それをハンスが知ったのは、お嬢様が亡くなってからだ。よき伴侶と出会い、子を授かっていたことすら、十数年も知らなかった。



「分かった。客間か?」

「はい。そちらでお待ちになっております。酒をお求めになりましたので、酒蔵にありましたものをお出ししております」

「……卿が酒を頼んだと言うことは、ろくな話ではないな」



 苦虫を噛み潰したような表情でそう一人ごちる主人を見送ると、ハンスは預かった外套を片手に使用人に指示を出す。ルビスタイン卿の屋敷は王都にあるがこの時間だ、泊まられることも考慮して準備をしておいた方がいい。



「ハンス、父上が帰ってきたのか?」

「アルフォンス様。旦那様は、先ほどお戻りになられました」

「と、言うことは、ルビスタイン先生のところか」

「はい。お話がいつ終わられるかは、申し訳ありませんが」

「いや、構わないよ。ちょっと気になることがあったから、確認したかっただけだ」



 階上から身を乗り出すように問いかけてきたのは、ストレイドの長男アルフォンスだった。スパルダ家の特徴である黒髪に紫の瞳を持ち、顔つきはどちらかというと奥様に似ている。幼少期より病弱だったため、同じ年の子息たちよりも体つきは細い。

 その病弱な体から、前当主から遠まわしに嫌味を言われていたのをハンスは知っていた。乳母やメイドが、不用意に前当主と顔を会わさせないよう神経を使うほどに。


 ――あの前当主は、己の娘で行った同じ愚行をやめる事はなかったのだ。


 前当主を隠居させ、主人が屋敷から追い出してからはだいぶ顔色も良くなった。同世代の者たちに比べれば体力は落ちてしまうが、それでも、以前のように喘息の発作を起こす頻度も減っている。



「気になることでございますか」

「いや、たいした事じゃない。工房仲間から小耳に挟んでね」



 アルフォンスは城の魔導具工房に在籍し、あのルビスタイン卿の弟子でもある。アンカルジアの宰相は世襲ではない。主人もご子息に宰相職を継いで欲しいとも思ってはいない。

 かなり魔導具の才能はあると聞き及んでいる。さすがにお嬢様程ではないらしいが、ルビスタイン卿からは筋がいいと言われ、遅咲きながら工房にご自分の研究室を持った。



「小耳に、ですか」

「ああ。例の事件のとき、城にスピカヴィルの術具技工師が来ていたらしい。と聞いてね。僕はそのとき、寝込んで城にいなかったから後から聞いたのだけど、父上にとても似ていたそうだ」



 どっさりと、氷の塊を胃に入れられたような感覚にハンスは胃を押さえたくなった。出てきそうになる声を、空気と一緒に無理やり飲み込む。引きつりそうになる頬を、どうにか普段の表情で取り繕う。今ほどハンスは、己の表情筋に感謝をしたことがなかった。



「みんなが話すほど似ていたそうだから、会ってみたかったのだが……」



 お会いにならない方がよろしいかと思います。そう喉からでかかる。主人からの話で聞いている。お嬢様の忘れ形見様は、恐ろしいほど主人に似ていると。

 現に『例の事件』では、主人の私生児ではないかと騒がれたほどには。どうやらそちらは、アルフォンスの耳には入っていないらしい。もともと工房などの技術職に就くものは、跡目争いや社交界とは遠いことが幸いしたのかもしれない。

 もしくは、マティアス王子が城に勤める者の心得が出来ていないと、厳罰に処したからか。


 ここでお嬢様の血筋、本家直系の子が出てきたら、分家であり当家には『迷家』な方たちが黙っていないだろう。

 アルフォンスとその奥方との間にまだ子がいないことが、きっと拍車をかける。もし、例の方の素性が明らかになれば、迷家の方がたはやっきになって家に引き戻しにかかるだろう。

 テイラーズ王家の血に、スパルダ家の血、そして今はスピカヴィルの高位貴族に縁がある。どれを取ってみても、欲しい伝手だ。



「さ、左様でございましたか。しかし、確か、『例の事件』の時にスピカヴィルから技工師が来ていたという話は、わたくしどもは聞いておりません」

「まあ、ほら、上の人間は都合が悪くなると隠すだろう? だから気になったんだよ」



 そういうところで推理力を発揮しないで頂きたかった……!! そうでなくても父親は宰相、口に出さずとも国益によっては隠しごとがあるぐらい予想は出来る。



「スピカヴィルは変則的な魔導具を作る技術者が多いからね、そういったきっかけで話をする機会が得られたらと思ったんだよ」



 関わりがなければ、さぞ息子と話があっただろう。主人がそう自嘲気味に話していたのを聞いている身としては、是とも否とも答えられない。極め付けがこの言葉だ。きっと、なんの関係もなければ話に花が咲くような間柄になっていた可能性がある。


 さて、ご子息が持った興味をどうやって諦めさせるか……。

 使用人の中でもっとも主人の話を聞くことが多いハンスは、抱え込む物が大きくなっていることに一人頭を悩ませていた。



■□■□■



「で、お主はラディ殿と何を話した?」

「数時間ぶりです、ルビスタイン卿」



 客間に入って真っ先に言われたことがこれだ。予想はしていただけにストレイドは最早投げやり気味な挨拶を返す。

 ストレイドの視線の先に、年の頃は六十も半ばはいっていそうな老人が、実にくつろいだ様子で酒を飲んでいた。短く刈り上げた白髪の頭を掻くと、老人はストレイドを見て意味ありげに笑う。



「……そちらはシエネ様と会談なさったとか。魔導具職人の工房から、隷属の紋の解呪式の報告書を頂きました」

「ふむ。公式の話は外すかの」

「そのほうがよろしいかと」



 まあ、お主も飲め。そういってグラスに酒を注いで、ストレイドの前に置く。

 受け取ったグラスを無言で眺めると、やがて煽るように飲み干した。普段ならばやらない飲み方、喉を一気に通り抜けていく焼けるような感覚に、どうやら随分と度数の高い酒を出しているらしい。どうせ明日は登城しない、いっそやけ酒したいくらいだ。



「その様子では随分とまあ、ラディ殿に言われたか?」

「ええ。年端も行かない子供を放置するバカがどこにいる、と面と向かって言われましたよ」



 相手は間違いなく自分より歳が下だった。王族と貴族ではなく、従兄弟どうしの雑談と称して繰り出されてきたのは、恐らく、今までテイラーズ王家がスパルダ家に言いたかったことなのだろう。

 接触を持っていたのだから、妹が死んだと連絡を受けた時、早急に引き取ればよかったのだ。父のことなど無視をして。



「そりゃまた、はっきり言いおったの」



 カラカラ笑っているが、ルビスタインは外の人間だからだろう。外ではあるが、リムステラを匿い、その子供の世話まで買って出ていたのだから、こちらとしては頭が上がらない。

 また定期的に妹の様子まで知らせてくれた。卿がいなければ妹の所在は分からず、伴侶と出会ったことも、子が生まれたことも知らなかったのだろう。そして二度と会うことなく別れることになったはずだ。


 妹は、キリエが生まれたとき、どんな気持ちだったのだろうか? 色を継いでいないことに愕然としたのか、それともほっとしたのだろうか。

 どちらであれ、きっと喜んだだろう。だが、ストレイドは後者であって欲しいと思った。妹はあの二色が原因で呪われたようなものだ、子まで色に縛られてほしくなかった。



「アガサ殿のご実家は山脈向こうです。何かあったとしてもすぐにはこちらに来られない、来ても土地勘の差で行動に制限が出てしまう。だからこそ、我が家が動くべきだったのでしょうね」

「そして動いた結果があれか?」

「あれは父が勝手に。私はあなた方が登城していたことすら掴んでいませんでした」



 父に呼び出されて、あの子供部屋に案内しろと言われ連れて行った。てっきり殿下に挨拶をしにきたのかと思ってあの部屋の扉を開けたら、そこに、キリエがいた。

 ……当時の光景を思い出して渋面になる。なぜ、親を亡くした子供に、あんな言葉が吐けるのか。一瞬で表情がなくなったキリエを見て、拙いと思った。そしてその目を見て寒気がした。

 あの瞬間にキリエは、父と、そしてその後ろにあるスパルダ家を切った。それだけは分かった。ルビスタイン卿のところで育ったキリエは聡かった。あの言葉は、己に流れる母の血を否定されたのだと、すぐに理解したのだろう。



「会えばどうなるかなんて、誰でも判ったことでしたね」

「だからさっさと根回しをして、家督を奪えばよかったんじゃよ」



 あの目は、ただ寒気がしただけではなかった。もっとずっと、深いものがあった。

 裏切られたと、思ったのかもしれない。あの瞬間を迎えるまでは、自分とキリエは険悪な仲ではなかったのだから。



「あの頃の私には、まだそこまでの力がありませんでした。後ろ盾を見つけている最中でしたから」

「その後ろ盾だが、筆頭はハウゼン家らしい」

「……やはりそうでしたか、こちらも聞いています。ハウゼン家とテイラーズ家。二家のどちらかだろうと、ラディ様から」



 唐突な話の切り替えだが、ちょうど良かった。どうやら卿もシエネから同じ話をされたらしい。

 自分の家ではないのが実に分かりやすい。そこまで嫌かと思いもするが、例の事件の出来事を考えると、家名をスパルダにしたら喧しい連中がもっと喧しくなる。無用なお家騒動が起きかねない。

 血筋だけなら文句なしだ、分家の連中が喜び勇んで食いついてくるだろう。……今のキリエなら問答無用で、相手の心どころか家ごと潰しそうだが。



「まあ、あやつは職人だ。貴族席なんぞあっても無意味だが、今回ばかりはしかたなかろう」

「あの弟子を表に出すには、最低限の護りは必要でしょう」



 キリエを助けてほしいと、シャルティアに懇願していたあの少女。

 自分と顔が似ていなければ、どうにでもなった。似ているからこその手段を取った。表に出しても食ってかかって来られない、侯爵家か王家の後ろ盾。安全策なら王家だろうが、キリエとイーゼルの関係を見れば侯爵家が有力だ。

 ……ハウゼン家の方が、よほど自分たちよりも家族に近い。皮肉にもそう思う。



「ラディ様から、表面上だけでもいいから戴冠式までに和解しておけと、笑顔で言われましたよ」

「嫌がらせだな」

「そう思いますか?」

「おう。ありゃお主が頭を抱えるまでを考えて言っておるよ。まあ、お主とキリエのくだらん噂の払拭には、形とはいえ和解しておくに越したことはない。そのときはハウゼン家とテイラーズ家も首を突っ込むじゃろ」



 卿の予想通りだ。まあ、あの二家からしてみれば、こちらの問題に手を煩わされたくないだけなのかもしれないが。



「でしょうね。少なくとも、国も違う三家が間に入って否定すれば、そういった手合いは減るでしょう」

「逆に縁談が増えるだろうがな」



 続けざまに言われた卿の一言に、今度は本気で頭を抱えた。国をまたいでの縁談は、申し込む人間の伝手になる。卿は城の工房で、出入りが制限される。

 つまりそれは……アンカルジア側は、間違いなく自分になる。ということだ。



「それとちと噂話だが、弟子の方を落としたほうが早かろうと画策しているのもおるらしいぞ」



 冗談じゃない!! あの少女に縁談なんて突撃をすれば、生ぬるい反撃程度で済まされるわけがない!

 一度でもキリエと会ったことがあれば縁談なんて考えてもやらないだろう。ましてあの弟子、妹の形見の指輪を預けてまで自分に会わせた少女。キリエからしてみれば、頼りたくなかったであろう存在に託した。それだけ身の安全を優先していたのが分かる。そんな少女に縁談を持ってくるとか……



「アホですか、そいつらは」

「知らなければ何の問題もないからの」

「…………大人しく窓口になっていた方がよさそうですね」

「そういうことじゃ。後見人のハウゼン家に都度連絡すればよかろうて」



 これから戴冠式までの間、別の問題も同時に対処しないとならないのか……。

 先の予測に気の重いため息をついたストレイドを、ルビスタインは上機嫌な様子で見ていた。



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