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■番外2 アンカルジアの小さな部屋

 


■□番外2



■□■□■



「あ~~~~~」



 式典用の上着をバサリと脱ぎ捨てて、マティアスはそのまま床に倒れこむ。絨毯の敷き詰められた床だ。子供が転んでも大丈夫なように、他よりも厚みがあるお陰で大半の痛みは感じない。

 マティアスが今着ているのは真っ黒な、哀悼を表す服。ここ七日ほど基調としている色の服だ。



「兄様、いきなり倒れないで。ビックリするわ」

「すまない、シャル。気が抜けた」



 同じように黒を基調としたドレスを纏ったシャルティアが、床に寝そべる兄の姿に苦笑しながら部屋へと入る。

 この慌しい中でも丁寧に掃除をされていた一室は、他の部屋に比べると雰囲気がやわらかかった。それもそうだ。ここはそのまま庭園へ続くサロン。王家の子供が、遊ぶために使う場所。

 そして、外から来た『ある子供』と会っていた場所で、外から来たある家族と、内に残ったある人物との密かな再会の場所だった。



「やっと、終わったわね。兄様」



 子供の時のように、シャルティアも床に直接腰を下ろす。今は、誰もそれを咎める人はいない。



「ああ。シャル、僕は親不孝者なんだろうな。キリエに顔向けできない」

「そうかしら? キリエなら、何も言わないんじゃない? 『王族として』間違った判断はしていないのだから」

「……不可抗力で親を亡くした友人と、自らの意思で親を亡き者にした自分。……どう思うだろうか」

「兄様。私も一緒に背負うのだから、そんなに思いつめないで」


 私も共犯よ。そう、影を落とした顔でシャルティアは言う。


 各国から弔問に来た代表が参列した葬礼の儀。儀式自体は二日で終わったが、弔問客はそうは行かない。数日前から城に訪れその準備を整え、そして滅多に交流することのない国々と、得た機会を逃さずに会談に持ち込む。

 最後の弔問団を送ったその足で、マティアスはここにやってきたのだ。

 最初に帰国したと思われた国が、実は最後にアンカルジアを去ったのは、完全に個人的な用だった。



「あの様子だと、スパルダは当面回復しなそうだな」

「……だいぶキツイお灸を据えられたみたいだもの。ちょっと可哀相だったわ」



 この一件ですら、揺らぐことのなかった宰相のスパルダ。だが、弔問団の一国、テイラーズの『個人的会談』はさすがに堪えたらしい。報告に来たスパルダがかなり憔悴しきっているところを見るに、自分と会談したときとラディはまったく逆の空気だったのだろう。

 キリエの従兄。テイラーズ王家の第一王子、ラディ。登城するのは直前と言う連絡を受けていたが、その前にキリエの屋敷に泊まっていたというのだから、肩入れ具合は相当なものだ。


 キリエたちを蔑ろにしていたのは『前』当主であるが、向こうには関係なかったのだろう。だが、スパルダ自身も前当主の行動を止められなかった責任を感じている。今回、他国王族と貴族ではなく、テイラーズ家とスパルダ家との話で一体何があったのか。

 スパルダの報告では、国自体に害はないとはっきりと言い切ったが……。裏を返せばスパルダ家には何かある可能性が考えられなくもない。一体どう折り合いをつけたのか。交渉の会話を聞いてみたい気もあるが、胃が痛くなりそうな予感もする。



「例大祭までには回復してくれるといいが……」

「その前にはキリエの手紙が来るんじゃないの?」

「どうだろうか。戴冠式の招待状の根回しの相談はするが……」

「シエネ様から、小耳に挟んだわ。テイラーズかハウゼンの家名をつけるかもしれないそうよ」

「……貴族枠で呼ぶ準備をした方がよさそうか?」

「技術職の枠で十分でしょ。いきなり貴族枠で呼ぶなら、テイラーズ王家の末席扱いよ。絶対本人が嫌がるわ。ルビスタイン卿の知人としても呼べるし、招待客についてはまだ時間があるのだから、ゆっくり決めていきましょう」



 今まで頑なに家名を名乗らなかったキリエだ、さもありなん。それでもスパルダを名乗ろうとしないあたり、確執は大きそうだ。

 どうやらキリエも、戴冠式を使って足場固めのようなことをするらしい。だったら自分は、少しでもその場を整えて提供するだけだ。

 招待状の件で他から苦言が来たら、ルビスタイン卿の教え子として呼ぶか……。少なくとも、王宮付きの魔導具工房の責任者に正面から食ってかかる貴族はいない。スパルダ家として呼ぶべきなのか……それはありえないだろうが、早いうちにキリエの方針を訊いておかないと。


 緩慢な所作で、マティアスは庭園へ視線を向けた。こっそりと、外からやってきた家族と、スパルダが会っていた場所。

 白銀の髪に澄んだ青い瞳を持つアガサと、黒髪に紫の瞳を持ったリムステラ。少し離れた場所でシャルティアと話していた子供は、黒髪に澄んだ青い瞳で。普段は剣のある表情のリムステラが、まだ歳若いスパルダと話す時は穏やかに微笑んでいたのを覚えている。

 アンカルジアの奇才、リムステラ・スパルダ。スパルダ家初代当主と同じ名前を持つ女性。あの色に拘りすぎた老人の考えが前面に出た名前を、彼女は嫌っていた。


 物凄くざっくばらんな、気さくな人だった。大雑把ともいえるのかも知れないが……。アガサもリムステラも、城の中の厳しい規律から大きく外れた人だった。

 キリエは、初めての利害が伴わない友達だった。キリエの前でなら王子ではなく、ただのマティアスとしていられた。

 それがとても新鮮で、宰相補佐のスパルダがいるからと、他の女官たちの目がないここでは自由にできた。



「元には、もう戻れないんだよな」



 あの二人はもういない。そしてキリエも、遠くへ行った。自分も、立場が大きく変わった。



「それはそうでしょう。でも、友人は友人のままよ」

「ああ。そうだな」



 むしろ、よく見限られていなかったとすらマティアスは思っている。とうの昔に縁も切れたも同然の友人。あんな形の再会でも、自分を覚えていてくれたキリエに正直驚いた。

 まあ、早々に「女顔」などと言われてしまったが。

 シャルティアが来るまで匿ってくれたハウゼン家への貸しも大きい。というか、大きすぎてどう返すべきか未だに悩んでいる。ごろりと体を動かして、頭を抱える。


 あの廊下での決意表明も、これでいいのかと今も尚不安になる。

 ナウイルとキリエとの話し合いの場。非公式に設けた場での帰り、キリエに独り言をいうかのごとく口に出した。その時のキリエの返答に、あっさりし過ぎて肩の力が抜けたのは記憶に新しい。


――悩むだけ、悩めばいい。誰もそれを責めはしない。それが間違っているかどうか、誰にも判らないのだから。


 本当に、手探りだ。どれが正しくて、どれが間違っているのか。常に不安だ。かかっているのが自分一人の生活じゃないのだから。……父も、この重圧に常にさらされていたのだろうか。

 もっと、話してみたかった。けれど自分が王子としての心構えを身につけたときには、すでに父は心を病んでいた。

 瞳の色以外は似ていないと周りからは言われたが、こうして今の自分の精神の揺れ幅を考えると、内面はあながち父に似ていないわけでもないらしい。マティアスはこっそりと自嘲する。



「兄様」

「どうした? シャル」

「兄様は一人じゃないわ、私も母様も、ケイトお義姉様もいるわ。間違えそうになった時、諌めてくれる家臣もいる。一人じゃ、ないわ……」

「……僕は、一人じゃなかったな。すっかり忘れていたよ、ありがとうシャル」



 体を起こして、マティアスはぼんやりと庭園を見る。あの頃と変わらない姿のままのその場所に、何故だか無性に泣きたくなった。



「シャル。ここでの事はケイトリンに言うなよ」

「お義姉様に言える訳ないでしょ、こんな情けない姿」



 しょうもないといわんばかりの表情で、シャルティアはばっさりと言い捨てた。

 そうでなくても……今にも泣きそうなほど弱った姿を、兄の婚約者に話すつもりはシャルティアには欠片もないのだから。

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