08・雪市
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「キリエ! さっきあんたの従姉がリムクレット連れて、向こう行ったぞ!」
「そうか、助かった」
人の多い通りに戻れば、近くにいた露店のおじさんが声をかけた。
「ナンパしようってヤツが何人か行ったぞ」
「返り討ちにあうのが関の山だな」
「ちげーね!」
従姉、と言うことはシエネだろうか? 疑問に思っていれば、「シエネだ」とキリエが小声で教えてくれた。
シエネさん、街中に出るときはお師匠様の従姉として普通にしているんですね。でも、あのきれいな白銀の髪はどうしているのだろう。南大陸では珍しいから目立つはず……。帽子でも被っているのだろうか?
「キリエ、彼女じゃないか? リムクレットが肩にいる」
ルークが指差す向こう、人込みの随分と前の方に、見たことのある襞の多い濃紺の外套が目に入った。肩には真っ白なリムクレットもいる。でも、あのシエネの特長ともいえる白銀の髪ではなく、キリエと似た真っ黒な髪の毛があった。
え? 本当にシエネさん? 後ろ姿だけ見れば別人だ。
「シエネ」
「あ。やっと来た、待ちくたびれたわよ」
振り向いた顔は、間違いなくシエネ本人だった。露店で買ったらしいクレープ片手に満喫中だ。髪の色が違うことに驚いていたのはエリノアだけで、どうやら魔法でちょっといじったとのこと。……魔法が便利すぎて怖い。
そう言えば、一緒にいるはずのラディはどうしたのだろうか? 普通、会談が終わったのなら一緒に帰るものだと思うのだけれど……。
「そうだとも! 暇だったからシエネと露店をまわっていたぞ!」
「えっ!?」
シエネの肩の辺りから、物凄く聞き覚えのある声が響いた。恐る恐る視線を動かせば、そこにいたのはリムクレットが一匹、エッヘンといったポーズを取って立っている。
……まさか、そのリムクレット。
「ラ、ラディ様ですか?」
「そうともさ! シエネってば酷いんだよ! あちこち見に行こうとしたら、見失うと面倒だからと、この僕をリムクレットの姿に変えてしまうなんて!」
「正常な判断だと俺は思うが」
キリエの一言に、悲壮感たっぷりの声をあげてラディはうな垂れるが、いかんせん見た目がリムクレットである。あのずん胴体型のしぐさは、悲壮感よりむしろ愉快なしぐさにしかならない。
「あら? おチビちゃん、コート新しくしたの? 可愛いじゃない」
「ありがとうございます。さっき仕立屋さんで、お師匠様が注文していたらしくて」
「ふーん。あんた私の買い物に付き合うときは、面倒がってろくすっぽ選びもしないくせに、おチビちゃんにはオーダー注文するわけ?」
「お前は時間がかかりすぎる」
「それに付き合うのがあんたの役目でしょうが」
「どんな役目だ」
どうやらシエネは、お忍びでの息抜きに何度も南大陸に来ていたらしい。それで出かける時はキリエに強制的に案内をさせていたとのこと。そのときいろいろ訊かれるのが面倒で、髪の色を変えて行動していたそうだ。
どうりで露店のおじさんが、疑問に思わず従姉と言っていたわけだ。よく今までエリノアの耳に入ってこなかったなと思ってみれば、今いる通りは、キリエから行くなと言われたあたりだ。あんまり治安的によくない通りになるから、市のときはスリが出たりすると言っていた。
「ま、いいわ。あっちにあった雑貨屋でスカーフ買ってちょうだい。それでチャラにするわ」
「なるほど。ならば僕は子供たちのお土産を買ってもらおう。キリエおじさんからと言えば、受けがいいからな!」
「ラディは自分で買え」
「子供、たち……?」
「そうとも、こう見えても僕は三児の父なのさ!」
「…………ええ!?」
さ、三児の父……。ラディ様がお父さん……。こういってはあれだけど、普段の行動がすごく子供っぽく見えるのに! 失礼なことを思いながら、エリノアは一人その事実に眩暈がした。
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「ふむ。あまり大きくならない物だと、この辺りになるか」
「そうですね。ところでラディ様は、何を買うつもりでいたんですか?」
「特に考えてはいなかった。キリエに丸投げするつもりだったからね」
「…………」
お師匠様、大変だったんですね。しかめっ面でラディの子供たちのお土産を買っている姿が想像できた。
「下二人は簡単に決まるんだが、長男がね。悩むなあ」
「一番上の子ですか、おいくつなんですか?」
「今年十一だ」
「うーん。悩みますね」
「悩むだろう」
ラディと露店を見ながら、一緒になって首を傾げる。生憎とエリノアには兄弟もいなし、残念なことに街中に普段行かないので、そのくらいの歳の子供が欲しがる物がピンと来ない。
ラディもそうらしい。自分がその歳に欲しがっていた物は、子供たちに受けが悪いそうだ。反抗期に入るのが怖いと、ずいぶん先の事まで頭を悩ませているらしい。
「そういえば、エリノア。君が襟につけているのは飾りピンかい?」
「そうです。この間買いました」
「キリエも一緒に?」
「ど、どうして?」
「いや、大したことじゃない。普段装飾品の類をつけないキリエが、襟にピンをつけていたからね。気になって見ていれば、君もダニエラもつけていた。ダニエラは外に出ることは出来ない。ならば、二人のうちどちらかが買い与えたのかと推理しただけだよ」
すらすらと出てきた推測に、エリノアは目を大きく開く。
ラディの観察眼に密かに驚きながら、エリノアはゆっくりと口を開いた。別段ラディの観察眼は驚くほど鋭いわけではなく、普段を知っている人間から見れば、割と簡単に判ることだったりする。
「はい。私が、その、普段お世話になっているお礼に……」
「へえ。キリエが素直に受け取ったのか、彼もずいぶんと変わったな」
「お師匠様が、変わった?」
エリノアの知っているキリエは、変わってからのキリエなのだろうか? 変わる前とは一体どんな姿だったのだろう? 想像が出来ない。
「ああ。少し前まで誰も近付くなって雰囲気に、死人みたいな顔でいたからね」
「死人!?」
「僕もお土産は飾りピンにしよう。エリノア、そのピンを買ったお店へ案内してくれるかい?」
「は、はい!」
まさかの死人発言に、内心で大きく衝撃を受ける。今のキリエに、死人のような表情がまったく重ならない。誰も近付くなというのは、今だって必要以上に人と関わらないことからも理解できるが、でも表情が分からない。
こっそりと、シエネに強制的につき合わされているキリエを見る。表情は嫌そうな顔だ、エリノアは前より、その変化がよく分かるようになってきた。
「キリエが両親を一度に亡くしたのは、大きなショックだというのは誰だって判る。やっと傷も癒えた頃、どっかのアホがバカを言ったおかげでキリエは行方知れずになった。僕たちは大いに慌てたよ。いっそ王家に引き戻そうと話し合っていた最中だったからね。シエネにだいぶ無理をさせて、キリエを捜させた。やっと見つけたとき、彼はスピカヴィルの西の街で、ある一人の職人に引き取られていた」
その職人は、イーゼルのことなのだろう。王都の貧民街にいたキリエに、声をかけてきた人。
「最初のころはだいぶ手を焼いていたようだ。それでも少しずつ、表情が明るくなっていったし、シエネの訪問に驚きはしたが、その職人と一緒に歓迎してくれたよ。僕たちはそのまま、彼がキリエを護り育ててくれるだろうと思った。少なくとも僕たちの所や、母方の実家よりは、心穏やかに過ごせるだろうと分かったからね。けど、あの事件が起きた」
それがミレハの事件だよ、ラディが静かに続けた。エリノアも、生活が変わるきっかけになった事件だ。
キリエたちから離れたエリノアに気付いたのか、ルークがキリエに声をかけてから後をついて来た。
「ことの次第を聞いたとき、すでにキリエは心を閉ざしていた。放っておけば今にも死にそうな顔で、ただ生きていただけだ。ダニエラに彼の姿を見つけたように、その幻影に依存するように何とか生きていた。彼の人の後ろ姿を追いかけて術具技工師になったのに、嬉しそうにもしない。置いて行かれたのが何よりも辛かったはずだろうからね。ここで追い出されようが、無碍にされようが、シエネがしつこく食い下がっていなければ、僕たちは縁を切られていただろう。そして何年も経ったある日、シエネがこう言ってきた。『キリエが子供を引き取り、世話をしている』とね」
「私のこと、ですよね?」
「ああ。それからだよ、キリエに変化が出てきたのは。死人のような顔がなくなった。相変わらずの無表情だが、ほんの少し感情が出てきた。それだけで僕らには十分だったんだよ。キリエは自分の意思で、前へ歩き出すことができた。だからエリノア、僕たちは君に感謝しているよ」
「へっ!? か、感謝!?」
よしよしと、あの短い手を使って肩に乗ったラディがエリノアの頭を撫でる。エリノアは文句を言われるのは予想できても、逆に感謝されるのは考えていなかった。
だって自分は、キリエに養われているだけの状態なのだから。何がどうして、ラディたちがそう思ったのかが理解できない。
「ここに来たときのように、またキリエと言い合いが出来るとは思っていなかったよ。変化が起きたのは君がきっかけだ。ありがとう」
「う、あ、えっ……!?」
いきなり投げられたその直球の謝辞に、エリノアは対応できない。そもそもキリエのことで言われた経験がないのだから。
嬉しいやら、恥ずかしいやらで、エリノアは顔を真っ赤にして、言葉にならない声を出すことしかできない。
「あ、あの! その! な、なんて言えばいいのかっ……!?」
「そうだね、こう言うときは素直に、『どういたしまして』あたりでいいんじゃない?」
「ええ!? む、無理ですっ……!」
「じゃあ、『はい』でどうだい。もしくは『こちらこそ』とかね」
「え、えっと……はい、こちらこそ、その、ありがとうございます」
「どういたしまして!」
見た目もふもふのリムクレットが、すごく嬉しそうにしているのが、エリノアにも判った。
それだけ遠く離れた、従弟を心配していたのだろう。離れて、すぐに駆けつけられないから、だから心配だった、不安だった、気になっていた。それはまるで兄のようで……確かにラディはお兄さんのように見えた。
「さて、僕もエリノアに何かお礼をしたいが、どうしたものか……」
「い、いいです! お礼とか!」
「ふむ。あと少ししたら、婚約だのなんだの話が来るだろう、そうだ! ウチの方で何人かお見合い候補を出そうじゃないか!」
「もっと駄目です!」
テイラーズ王家から来たお見合いの話とか、スケールが壮大すぎてエリノア一人で対処できない。
「ふーむ。そうか、ならば困った時には相談にでものろう。さあ、お父さんに何でも相談してごらん!」
ばっと両手を開いて、嬉々とした声で言うラディ。その姿がなんと言うか、そう、今の彼はリムクレットである。そのリムクレットがそんな動作をしながら言うのだ。
「ぷっ! あはは! ラディ様っ!」
「おや? 何かおかしなことを言ったかい? こう見えても三児の父だよ?」
「だって、今の、ラディ様、リムクレットですよ!」
駄目だ、見た目と言っていることが合わなくておかしい。笑うのを懸命にこらえて、お腹が痛くなってくる。
「はっ!? しまったあぁぁぁぁ!! シエネ戻してぇぇぇ!!」
冬の空に、ラディの叫び声とエリノアの笑い声が響いた。
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なぜかエリノアが選ぶことになった、ラディの子供たちのお土産を選んで、露店を巡りながら雪市を楽しむ。いつもの市と違って、大人数での移動は賑やかだった。
はしゃぎすぎたせいか、それとも帰りがいつもの荷馬車だったからなのか。いつの間にかエリノアは、その揺れに身を任せるように眠ってしまった。
エリノアの記憶の中に、父の姿はおぼろげにしか残っていない。母から聞いた話では、あまり話すのが得意ではなかったらしい。だからいつも、エリノアが話していた。今日何があったのか、友達とどんなことを話したのか。
帰りの遅い父は、エリノアがベッドで横になっていた時に顔を見に来ることもあった。その時にエリノアが起きていると、夜更かしはいけないと言いながら、エリノアにその日何があったのかを訊いてきた。
いろいろたくさん話して、今にも閉じそうなまぶたを懸命に開いて。父が頭を撫でてくれると、それにつられて眠りに落ちる、その瞬間。
「そうか、楽しかったか」
父はいつも、そう言った。
その声が、とても嬉しそうな響きだったのを、エリノアは覚えている。
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