06・露店の本屋
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布屋根のある露店に、地面に箱を並べその上に敷物を敷いただけの店、帆布を取った荷馬車の店。通りの両脇に並ぶ店に、エリノアはあちこちに視線を動かしながら歩いていく。
途中で友人のお店が出ていたので話をして――内容はキリエの屋敷に盗賊が来た話から、アンカルジアの国王様の話まで。最後はまた手紙の約束をして分かれた。こうやって知っている人からあの事件の話を聞くと、都合よく話しの中身がすりかわっている。
……こんな感じで情報統制がなされていくのかと、いやな方向でエリノアは知ることになった。物語で見る、味方の腹黒い高位貴族が披露する手口そのままだ。
「こうやって事実は隠されていくんですね……」
「そうだね。意外と多いことだよ、エリーちゃん」
キリエのところにいる限り、たぶんもっとたくさんの裏事情を経験していくんだろうなと思う。それが果たしていいことなのか、残念ながらエリノアには判断できないが。
友人の話を聞く限り、キリエとエリノアがアンカルジアに連れて行かれたことは一切表に出ていないようだ。二人がアンカルジアに行ったという事実は、記録の上では存在していない事になっているのだから。
あちこちの店を見ながらゆっくり歩いていれば、通りよりもさらに多い出店が並ぶ広場に着いた。普段はリムがいるからもう少し遅い。今回リムはお留守番だ。中央の噴水の周りには雪で作った人形が飾られ、その回りを小さな子供たちがはしゃぎながら走っている。少し話してくるとキリエは言っていたが、どのくらいだろうか? 念のため、ここからあまり離れない方がいいだろう。
職人が使う道具を扱う小さな店が多いここは、一箇所だけ他の店とは桁違いに大きな建物がある。キリエが言った、総合工房の建物だ。物々しい呼び方だけど、言ってしまえば職業訓練所のような場所だ。
何かの職人希望者の適正検査と、工房は持っているが弟子を受け入れる余裕のない職人の代わりに基礎を教えている。今はここで適正検査をしてから、工房に弟子入りする人が多いので役に立っているらしい。
実はエリノアのように、そこら辺のことを飛ばして弟子入りするのはスピカヴィルでは珍しい。まして声をかけてきたのが、師になる側だと尚のことで。だから当時は組合本部の人間が、腰を抜かすほどの騒ぎになっていたのだが、それはエリノアの知らないことである。
「あ!」
広場の店を回っていると、帆布をとった荷馬車の店に目が行った。馬車の上にある大量の本、書物を扱った店だと言うのは一目瞭然だ。その並ぶ本に、エリノアが知っているタイトルがあった。しかも一巻ではなく、二巻と三巻。
「魔女と異界の調律師……え? あれ、続編あったの!?」
なぜかキリエの書斎にもある本だったりする。文字を覚えるためと、書斎の入室許可が出た時に読んだ。なんで子供向けの本があるんだろうと、その時は不思議に思っていた。まさかキリエも読んでいたんだろうかと、微妙な気分になったのは懐かしい。
「お! お嬢ちゃんも一巻だけ読んだ口かい? この作者気まぐれだからさ、二巻が出たの三年後だぜ。三巻は今年出たばかりだ」
「ええ!? 新作!?」
「おう。どうだい? 買ってかないかい? 二冊買うならちょっとおまけしちゃうよ、おじさん」
「うっ……に、二冊買うと安い……!」
「エリーちゃん、お買い得の言葉につられていっぱい買いそうだね」
「ルークさん!」
クスクス笑うルークに、エリノアは顔が赤くなる。でも、どうせなら二冊とも欲しい。だって続きが気になるんだもん。エリノアはこの本に出てくるカボチャ頭のお化け、ジャックが好きなのだ。
「おじさんはアランが活躍する二巻がお勧めなんだが、娘は三巻が好きらしい。何しろ三巻はジャックがメインだってんで騒いじゃって」
「ジャックがメインっ」
こ、これは買うべしと言う、天の啓示なのだろうか。つい先日、ラディが言った言葉が浮かんできた。でもけして安くはない、本はどれでも高価なものだ。エリノアのお小遣いで、買えなくは、ない。でも……っ!! お財布が一気に軽くなってしまう!
「お前は何をやっているんだ」
一人盛り上がっていたエリノアを、一気に正常値にまで戻す静かな声が降ってきた。
その声と、きっと後ろに立っているキリエの姿を見たのだろう店員の、ニコニコとした表情が少し硬くなる。
「本?」
「ええっと、随分若そうだが、兄ちゃんがお嬢ちゃんの親かい?」
恐れを知らぬ質問が、店員の口から出てきた。
エリノアの隣に立って書物を見るキリエは、顔色一つ変えることなく答える。
「違う。保護者だ」
「はぁ……そうなのかい」
驚くような暴言が飛び出るのは、あのアンカルジアのおじいさんだけの可能性が出てきた。
「すまないが、その奥、そうだ。右奥の下から五番目の本を出せるか?」
「ああ、これね。はいよ。けど、それ高いぞ兄ちゃん。魔導具理論書だからな」
「見ない構築式だな、発行元はどこだ?」
「ああ、それはフィラスカだ。著者が海向こうの東大陸出身らしいぞ。悪いが俺も出もとの詳細が確認できなかった、外れかも知れないぞ?」
キリエはぱらぱらと中を軽く捲って、
「東大陸か……買おう」
「まいどっ! 兄ちゃんもしかして何かの職人か?」
「そうだ」
エリノアとは真逆の即決だった。
「それと、弟子が見ていたその本二冊も頼む」
「はいよー……って、弟子?」
キリエの一言で、店員の動きが止まった。ぎこちない動きで、エリノアを凝視する。
西の街では久しく見ることのなかった反応に、どうやらこの商人はここに来るのが初めてだった人らしいことが判る。
「お嬢ちゃん、弟子なのか?」
「は、はい。弟子です。隣にいるのはお師匠様です」
師にしては若いキリエの姿に、弟子にしてはまだ幼いエリノア。
そう答えたエリノアに、店員の口があんぐり開いたのは言うまでもない。
「お師匠様、ありがとうございます」
「ライナーに頼めば、行商で持ってきただろう」
「この本、続編出ているの知らなかったので頼めないです」
連れて行くところがあると言うので、エリノアとルークは大人しくキリエの後を歩いているが、どうにも周囲の光景が不穏だ。治安的な問題ではなく、精神的な問題で。なにしろ今歩いているのは、貴族向けの店が並ぶ道だ。高級やら老舗やらが頭につく店が幅を利かせる通り。エリノアにはほとんど縁のない店ばかりだ。
そんなエリノアでも唯一縁があるのが……
「あれ? ここ……」
キリエがよく服を仕立ててもらっている、仕立屋だった。エリノアもここで作ってもらった服がある。あの侯爵邸に行った時の服に、今着ているコートもここの物だ。
けれどどうして、こんな時に来たのだろうか? 何か注文をするにしても、キリエがどこかに出席するような話は聞いていない。エリノアの内心の疑問など露知らず、キリエは店へと入っていった。
「いらっしゃいませ、キリエさん。お待ちしていましたよ」
「また世話になる、ケンジット」
「本日は以前ご連絡を頂いた内容で、間違いありませんか?」
「ああ、本人も連れてきた」
言いながら、キリエはエリノアが大事に抱えていた本を取り上げて、首にメジャーをかけた初老の店主――ゲンジットへとエリノアを引き渡す。
「あ、あの!! お師匠様!?」
……あれ、これもしかして、ここで新しいのを仕立てるのは私ですか?
「では、以前からご相談頂いたとおりで宜しいでしょうか?」
「頼む」
キリエが短く答えると、顔の皺をさらに深くして店主は笑う。
「マーサ! エリノアさんの採寸を! 以前話していた通りで!」
「はーい。お待ちしておりました、エリノアさん。さあ、奥のお部屋へ。中に入りましたら、コートをお脱ぎください」
「え!? は、はいっ!」
呼ばれてやってきたのは、ケンジットの妻のマーサとその娘ネインで。マーサはニコニコしながらメジャーの束と、顧客表を持っている。ネインは大きな箱と筆記具を、器用に抱えていた。
「キリエさん、本当によろしいんですね? 一式ですよ?」
「ああ。アレは規定に則ってくれれば構わない。後は、そちらの判断に任せる」
「ではこちらの判断で、頭の天辺から足のつま先まで、一式準備させていただきます」
「あのっ!! 頭の天辺から足のつま先ってどういう意味ですかっ!?」
誘導するというより引っ張られているエリノアは、混乱しながら奥の部屋へと連行された。
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混乱と戸惑いの入ったエリノアの小さな声が奥の部屋に消えていくと、キリエもケンジットに連れられ別の部屋へと向かう。このまま店頭で待っていようとしていたルークも、キリエに呼ばれ続いていく。
通された部屋にあったのは、間違いなくキリエが袖を通すであろう礼服。普段は作業のしやすい服しか着ないこの男がこれを出すと言うことは……。それにその隣にあるのは、スピカヴィルの術具技工師が正式な場に赴く時の服だ。
普段は仕立屋に預けているこの服がこの場にある意味、そして、一式準備すると言うマーサの言葉と、エリノア本人が来る意味。
「キリエ、まさか……エリーちゃんをお披露目するのか?」
「ああ、そのまさかだ。だから連れてきた」
あっさりとした口調で言ってのけた言葉に、ルークは軽く頭痛がしてきた。ルークの言ったお披露目の意味は、貴族で言うならば社交界デビューと似ている。
もっとも、師弟揃って公の場に出るだけなのだが。だが職人のお披露目は、社交界デビューと違い逃げ場がないという事実がある。
師が弟子を連れて歩くのはそう珍しくはないが、公の場となると話が変わる。そこに師弟として出席したのなら、弟子は大多数の人間に顔が知れる事になる。そうなれば、その弟子が辞めようと思っても……それはほぼ不可能になる。次を探す難易度が格段に上がってしまうから。
まして今出している術具技工師の服は式典用。そしてキリエの持っている礼服の中で、目の前にあるのはそこら辺の社交場とは格が二つほど違う仕立て。これを出したと言うことは、行き先が伯爵家から上が主催の場になる。
場慣らしも何もなく、いきなりとんでもない上級者の集う場所にエリノアを引っ張り出すとか、
「鬼か、あんた」
「何か言ったか、ルーク」
「いくら何でも、いきなりこのレベルはないんじゃないか? エリーちゃんにはキツイと思う」
「人にアレだけの啖呵を切ったんだ。このぐらいの場を用意してやるのが、師として出来ることだろう」
(エリーちゃん何言った!?)
式典用の服に袖を通したキリエが鏡を見ながら言う。その口元が微かに、楽しそうに笑っている事に気付いて、ルークは目を見張る。本人にその自覚はないのかもしれない、ケンジットもキリエの表情に気付いたらしいが、そこは客商売だ。そ知らぬふりをして、直しがないかを確認していく。
『己の主人』の変化は、ここ数年で劇的に起こっている。初めてルークが出会ったときに見た、あの死人のような表情の少年からは予想が出来ない変わりぶりだ。何を思って生きているのか、人生になんの感慨も持てずただ生きているだけだったあの少年が。
あの時に『バラして中身を見てみたい』、そう思った少年が……。
「大きく出たんだ、俺の記録くらいは軽く抜いてもらわないとな」
「……あえて訊こうか、何の記録?」
「最年少記録だ」
「鬼畜だっ! せめて女性の最年少記録にするべきだろう!」
キリエの記録を抜くなら、エリノアには二年程度の猶予しかない。それはあんまりだろうと思った自分は悪くない。女性ならば四年、一人前になるには充分すぎる時間のはず。
キリエの教え方はかなり厳しい部類に入る。詰め込む量も多いし、教えるペースも早い。だからと言って、あと二年でどこまで彼女がものになるかは、正直予想できない。
……まさか、飾り文字を覚えさせ始めたのはこのためか!?
「失礼ですがキリエさん。普通ですと術具技工師になるには、何年ほどかかるものなのでしょうか?」
キリエの上着の線を合わせながら、ケンジットが問う。
「平均して七年ほどだ。本人の覚えと、師の意向でかなり差が出るから、細かくは出せないが」
「なるほど。だとすると、エリノアさんはかなり優秀な部類に入るのではないのでしょうか?」
「悪くないな」
「……何故その一言を本人に言ってあげないんだ」
言えば絶対にエリノアは喜ぶのに、このひねくれ者め。父親向けの育児書を投げつけてやりたくなる。
本人の知らない間に、エラく高い試練の山を着々と築いているキリエは、どうにも楽しそうだった。
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