表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/55

 05・飾り文字

 


■□■□■



「うぅ~ん……」



 談話室にうめき声が響く。ぐったりとした様子でソファに寝そべるのはラディだった。昨日の夜、キリエに物理的抗議をされたラディの顔は見事に腫れて……。シエネに治療の魔法も使ってもらえなかったため、濡れタオルで冷やして対処すると言う、客人への対応としては褒められない事態になった。

 もっともシエネは、アンカルジアに行く前に治すと言っていたので、恐らく反省しろという意味でラディに手当てをしなかったのだろう。キリエにいたっては、昨日工房を閉めるときに「ほっとけ」の一言で終わってしまったので、よほど腹がたっていると見える。

 朝食前にラディと顔を合わせた時の、冷え冷えとした視線が健在だったので、まだ収まっていないのは明白だ。



「……あの、ラディ様。お医者様を呼びましょうか?」

「んー。このぐらいなら大丈夫だよ、ありがとね」



 ひらひらと手を振りながら、ラディはのんびりと答えた。



「それに医者を頼む前に、ダニエラがにっがい薬用意するのが目に見えてるから遠慮する」

「あー……」



 さもありなん。昼夜鳩を飛ばそうとすれば、間違いなくダニエラが気付く。理由を問えば、エリノアが答えないわけにはいかない。そうなればダニエラは、無表情で痛み止めやら腫れを抑える薬を準備するだろう。

 何しろ彼女は、薬術師の国家資格を持っているのだから。



「ところでエリノアは、さっきから何をしているんだい? 勉強?」

「はい。お師匠様から、飾り文字を覚えるように言われたので、それで」



 部屋でやってもいいのだけれど、キリエが工房で通常の仕事を始めたので、手伝いで呼ばれたときのために談話室で勉強をしているのだ。あくまでも念のためだけれど、キリエのほうも、しばらく注文の引き受けを少なくしているのか、工房に篭りっきりな事態は格段に減っている。



「そういえば、こっちは飾り文字だけなんだっけ」

「北大陸は少し違うんですか?」



 ひょいっと起き上がって、ラディは軽い足取りでエリノアのいるテーブルに近付く。



「いや、飾り文字って名称は一緒だよ。ただ、北は男が陽文字で、女が月文字って分けられている」

「南大陸の花文字みたいですね」

「だね。でも、南は男は飾り文字だけでしょ? 女の人は花文字ってあるけど」

「そうみたいです。お師匠様は、花文字も読めるみたいですけど……」

「僕も女の人の文字を読めるよー。飾り文字って書くのは片方でいいけど、読むのは両方だから、結局どっちも覚えないとなんだよね」



 言いながら、ラディはエリノアの筆記具を借りるとさらさらと、流れるように文字を綴る。



「これが北の月文字だよ」

「ラディ様はどちらも書けるんですか?」

「そう。覚えちゃった」



 紙に綴られた文字は、見事な流体を描いていた。曲線がきれいな文字がそこにはある。こう見ると、確かに女性的な文字にも見える。南大陸の花文字も、同じように曲線が特徴だ。



「せっかくだから、エリノアもこれを書いてみてごらん」

「や、やってみます」



 ラディの文字の下に、見よう見まねで同じ文字を書いていく。やっぱり練習もせず書いたのだから、文字の線がガタガタだ。本来ならきれいなはずの曲線が妙な曲がり方をしている。



「いきなりだと、上手く書けませんね。あの、これ、なんて書いてあるんですか?」

「あとでキリエに訊いてごらん。キリエも月文字読めるから」

「はあ……そうします」



 にっこり、と言うよりもニンマリな笑顔でラディは言った。

 ……その腫れた部分を引いたとしても、どうにも嫌な予感がするエリノアだった。


 嫌な予感がするものの、月文字を読める宛はキリエの他にはシエネしかいない。さすがに一国の姫に文字を読んで欲しいと頼む度胸のないエリノアは、作業が終わるであろう頃に工房に向かった。



「北の月文字? 読めるがそれがどうした?」



 キリエに頼んでみれば、案の定怪訝な顔でエリノアを見る。

 質問が南大陸の飾り文字を飛ばして、いきなりの北大陸の月文字に、お前なにやってんだと無言の圧力が突き刺さってくる。エリノアだってなるべくなら訊きたくはなかったが、ラディはそのあとまったく教えてくれないし、だからと言ってほっとくには気になるし。

 キリエの書斎の本棚を捜してみたが、予想通り北大陸の飾り文字が記してある本の類は見つからなかった。調べる努力はちゃんとした。よって、知っているであろうキリエのところに来たのである。



「あの、ラディ様が……」

「今度は何をやった」



 事情を説明してノートを見せれば、キリエは眉間に皺を寄せた。お師匠様が不機嫌になった。一体何が書いてあるの!?



「お前、ラディに何を書かされているんだ」

「それを訊きに来たんです。ラディ様が見本として書いただけで、教えてくれなくて」

「…………」

「あの、お、お師匠様。何て書いてあるんですか?」



 キリエの反応が怖い。無言であのノートを見て、それからエリノアを見る。なんとも困惑した表情に、エリノアは内心でビクビクだ。

 やがて諦めたように息をはくと、キリエは作業台にあった筆記具で、エリノアが真似て書いた文字の下に何かを書いていく。書き終わったノートの、エリノアの文字の下にキリエの少し角ばった文字が並ぶ。



「南の飾り文字で訳を書いた。それを調べろ」

「分かりました」



 南の飾り文字なら、辞典があったからエリノアでも読むことが出来る。



「……ただし、それを音読はするな。それとそのノートを持ち歩くな」

「……お師匠様。この文字、読んでも大丈夫なんですよね? 呪われたりしませんよね?」

「問題ない。読んだら破棄しろ」

「破棄!?」

「何だ、文句があるのか?」

「な、ないです!」



 本当に、ラディ様は何を書いたのだろうか? いろいろと気になってしまう。

 そそくさと追い出されるように工房を出て、辞典が置きっぱなしになっている談話室に戻る。

 ソファに座って頬をぱちぱちと叩き、エリノアは気合を入れて辞典を開いた。


 ――そして数十分後。エリノアはキリエに訊くんじゃなかったと後悔することになった。

 机の上に突っ伏して頭を抱える。恥ずかしい、ただこの一言に尽きる。真面目な顔をして訊いたことがコレとか、もうどうしたらいいの! 今ならキリエが困惑した理由が判かった。音読するなも、破棄しろも判る。それもそうだ、だって、この文字……


『大好き』


 ラディに言われるままに自分も書いた、しかも思いっきりキリエに見せた。手書きのメッセージも同然の内容の言葉を。選りにもよってお師匠様に見せた! 恥ずかしい、背中がなんだかむず痒くなる。

 それに、この文字の訳をキリエが書いた。より正確に言うなら、エリノアが書かせた……。南大陸の飾り文字で。まるで自分が書かせたみたいじゃない!?



「どうしてラディ様はこんなこと書いたのよーっ!!」



 談話室から姿の消えたラディに向かって、エリノアは抗議の声をあげた。



■□■□■



 馬車の狭い空間は、実に気まずい空気で溢れていた。

 ラディたちが来て三日目。今日はフィスラの雪市の日だ。朝からお祭り気分のラディに、エリノアが恨めしい視線を送ってしまったのは不可抗力である。結局昨日は、ほとんどキリエの顔が見られなかった。夕食をとった後、逃げるようにエリノアは部屋に戻ったのだから。

 そんな状況に、ラディは楽しそうである。キリエがラディの相手は疲れる、そう言っていた意味が判った気がする。確かに疲れる、主に精神的に。


 朝、馬車を引いて屋敷に来たのは、以前宿屋でキリエを待っていた老人だった。予想していた通り、ハウゼン家の使いできた執事なのだそうだ。

 馬車が来たことで、行き先が貴族邸への訪問になった事にラディが不機嫌になったのは言うまでもない。馬車の中で、子供の拗ねかたを大人がしたような状況で……。顔の腫れは、他国の貴族の屋敷に行くのだからとシエネが治療したが、機嫌は悪いままだ。



「酷いじゃないかキリエ、ハウゼン候の馬車で迎えを寄越すなんて」

「ああでもしないとお前は逃げるだろう」

「あたりまえだろう! 雪市行きたいもん!」

「……お前な」



 どうやらよくある光景らしい。くあっと、姫らしからぬ欠伸をしながら、シエネが呆れたように二人を見ていた。あの、シエネさん。止める気ありませんか?


 拗ねていたものの侯爵邸に馬車が着いたとたん、ラディの雰囲気が一変した。表情がきりっとしたものに変わり、少し前までいじけるように丸めた背中がすっと伸びる。外から開けられた馬車の扉に驚くこともなく、慣れた様子で出て行く姿。



「ハウゼン殿、わざわざ出向くこともなかったのでは? こちらは非公式で来ているのですから」

「王太子殿下をお迎えしないわけにはいきませんので。それに、キリエのお従兄殿ですから。非公式ならば尚のことです」

「なるほど……ではこちらも本日は、従弟が世話になっていた方に挨拶をしにきたということで」

「お気遣い、感謝いたします」



 キリエの手を借りながら、おっかなびっくり馬車を降りたエリノアは、ラディの変わりぶりに驚く。ここだけ見れば、彼は確かに王族だ。キラキラした服を着てそうな、高貴な方に見えなくもない。

 見事な猫の被り方を見たのか、キリエがほっとしたように息をはいた。少なくとも、あの空間から出てこられたのだから気も楽だろう。それにこの後、ロデリックと会談なら普段の行動はなりを潜めるはずだ。

 あとから降りてきたエリノアたちに構うことなく、ラディとシエネが屋敷に案内されていく。非公式であるからこそ、二人の姿は見られないほうがいいからだろう。



「俺は少しロデリック様に話しをしてくる。その後に連れて行くところがあるから、エリノアとルークは総合工房前の広場に行っていろ」

「はい」

「了解」



 あの老人の執事に案内されながら、キリエも屋敷に入っていった。

 ラディたちを出迎えていた使用人たちが、本来の持ち場に戻る姿を見ながら、エリノアとルークは深い息をはいた。

 短い時間だったのに物凄く疲れた、普段乗っている気楽な荷馬車が恋しい。奇しくも二人は、同じことを思っていた。


.

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ