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 04・夜の工房

 


+++++



 のんびりとしたお茶会が終わったあと、エリノアはラディのお土産探しを手伝った。三個目の鞄からやっと、発掘するように発見された時はラディと一緒になって喜んでしまった。一生懸命探していたお土産は、茶色の包装紙に包まれた、形状からして分厚い本のようだ。

 鞄の見た目と、中身の量が合わないことが気になり訊いてみれば、魔法を使って詰め込んでいることが分かった。だから身軽に移動が出来るとのこと。……エリノアから見れば、私物の鞄が三個もある時点で身軽の定義からは外れる。

 部屋の用意が整ったダニエラが二人を案内して行ったが、しばらく屋敷が賑やかになりそうだ。それがいいことなのかは、エリノアには判断できない。



(なんか、喉が渇いた……)



 あのお茶会で食べたお菓子が原因なのか、今夜はやたら喉が渇く。そういえば、リムがお茶会の間中、すさまじい勢いで水も飲んでいたのが気になってはいたのだが……。

 新調された裾の長い厚手の上着を着込んで、手燭を持って食堂に向かう。入れ替わった家具が並ぶ廊下を、足音を立てないように進んでいく。階段を下りた先を曲がれば――細く明かりが漏れている、工房の扉が見えた。

 どう考えなくても、こんな時間に工房にいるのはキリエだ。シエネは今、客間にいるのだから、彼女ではないのは明白。ここしばらくは夜間に工房に篭ることはなかったのだけれど、今夜は作業をすることを決めたらしい。


 そう決めた理由が、ラディたちでないといいのだけれど……。こっそり思って、キッチンで水を飲む。もしそうだとしても、明日ラディがキリエにぞんざいに扱われるだけだろう。今日の様子だけでも大体の想像がついてしまうのが、悲しいところだ。

 一応、部屋に戻る前に工房に寄ってみる。放っておけば朝まで仕事をしかねない師に、寝ることを提案するのは弟子であるエリノアの役目の一つだと思っている。効果があるのか定かではないのが、残念である。

 ゆっくりと扉を押していけば、エリノアの予想通りに作業台の前で椅子に座っているキリエがいて。けれど違っていたのは、作業のための道具も術具も並んだ台の上に、見慣れない足輪の昼夜鳩が一羽いたことだ。



「何だ、エリノア」



 背を向けたまま、キリエが言った。相変わらず、後ろに目が付いているかのような言動である。



「いえ。なんだか妙に喉が渇いて、キッチンに行ってきた帰りです」

「フロスデンを食べたのか?」

「フロスデン?」



 鳩の足輪の筒を外しながら、キリエが言う。食べたのか? と言うのだから、多分食べ物だろう。だが生憎と、その名前に心当たりがない。

 エリノアの思案が伝わったのか、キリエが視線を向けながら続ける。



「シエネがよく持ってくる菓子だ。見かけが小さな正方形で色は白い」

「ああ! お茶の時に食べました! シエネさんが王都で人気の半生菓子って言ってました」

「……あれは異様に喉が渇く」

「な、なるほど……」



 つまり、お師匠様も食べたことがあるということで、そして今のエリノアのような状況を経験したと。



「あの、お茶会の間中、リムがすごく水を飲んでいたのは、そのお菓子が原因ですか?」

「だろうな。リムは食う事に関しては、異常なほど勘が働く」



 エリノアと違って、リムの目が夜に開かないのは野生の勘が働いた結果らしい。……小さな体のリムが、アレだけ水を飲まないといけないとか、人間だとどのくらい水を摂取する事になるのか。考えるのが怖い。

 馴れた手つきで、キリエは昼夜鳩を籠へと戻す。昼間、ハウゼン候ロデリックに手紙を届けたルークが持ってきたものだ。アルトを飛ばせなくはないがさすがに無理をさせる事になるし、タクトはまだ手紙を持って飛ばせない。そのため、ハウゼン家で所有している昼夜鳩の一羽を借り受ける形になった。


 作業台の上に視線を向ければ、広がる道具に筆記具。その中に手紙があった。もしかしたらロデリックと、ラディたちのことで話し合っていたのかもしれない。

 工房の中に入って、キリエの邪魔にならない場所で腰を下ろす。火の着いている暖炉の近くは、じんわりとあたたかい。



「お師匠様、手紙、書きましたか?」



 アンカルジアの一件以降、日常生活に変わりはないが、エリノアは一つ変えたことがある。それは少し、踏み込むようになったこと。



「……シエネに毒されたか」

「毒されてませんからね。ちょっと、気になっただけです」



 よほど聞かれたくはなかったようで、明らかに嫌そうな顔でキリエはエリノアを見た。とりあえず、筆の進みが順調に悪いことは分かった。



「書くことがない」



 それ、少し前に聞きましたよ。お師匠様。



「本当にないんですか?」

「ないな。そもそもシエネが来ているんだ。報告として、俺の話は聞くはずだ。なら、わざわざ書くこともないだろう」

「……えっとですね、お師匠様。報告と手紙は違うと思うんです、私は」

「どちらも内容に変化はない」

「…………」

「何か言いたそうだな」

「……いえ、何もないです」



 澱みのない返答に、エリノアは思わず言葉に詰まる。お師匠様、手紙じゃなくて報告書ならスラスラ書いてしまいそうな気がする。いっそシエネに、手紙じゃなくて報告書として書かせたほうがいいんじゃないのかと、相談したくなるくらいには。

 広げてあった筆記具を持つと、キリエは迷いのない手つきで軸芯に構築式の下書きを描いていく。



「お前は頻繁に手紙のやり取りをしている。何をそんなに書くことがあるのかと、いつも疑問に思っていた」

「何をと言われましても、普通のことしか書いてませんけど」



 作業を始めたのもあるのだけれど、真面目な顔で言うことでもないと思う。けれど、キリエには長年の疑問だったらしい。



「今日何があったとか、街のお祭りの話とか、あとは友達の手紙に質問があったらその答えとか、雪が溶けて春になったら出かけようとか」

「……それなら企画書の質疑応答や、日報を書いているのと変わらないだろう」

「お師匠様、企画書は企画書で、日報は報告書です。手紙は報告書ではないです」

「どちらも同じだろう」

「……日報が手紙だったら、私は凄い嫌です」

「それはお前の好き嫌いの問題だ」

「お師匠様、手紙を書く気あります?」



 ムッとしながらキリエを見れば、気まずそうに息をはいて無言で作業を続ける。

 これ、放っておいたら書かない気がする。



「何でそんなに手紙を書くのが嫌なんですか?」

「書くことがない」

「……それもう聞きました。報告書は普通に書いているじゃないですか、まさかとは思いますけど、この間のダブリスさんの手紙、その返事も報告書みたいに書いたんじゃないですよね?」

「正式書面は書き方が決まっている」



 ……なるほど。つまりそれをトレースしただけと言うことですか。

 お師匠様が普通に手紙が書けそうな人は、いないのだろうか? ……あのアンカルジアのおじいさん……は無理そうだ。宰相様はまずないし、マティアス様も同じだろう。シエネさんたちは今現状で書いていないのは分かったし。弱った。

 ライナーさんだと、お師匠様は絶対注文書を書き始める。ダニエラさんやロデリック様はどうだろうか? ……そうだ、お師匠様の先生ならどうなんだろう。うーん、何かお師匠様が報告書の手紙を書いても気にしないかもしれない可能性も……。



「お師匠様。お師匠様の先生、イーゼル様にお手紙を書いたことはないんですか?」



 ピタリ、とキリエの手が止まった。



「……二度、書いた」

「その時の手紙は、報告書でしたか?」

「……いや、報告書では、なかったな。……そうか、そう言うことか」



 何か、キリエの中で手紙を書くうえでの共通点が見つけられたらしい。けれど手元を見つめたまま、困ったような表情で再び動かし始める。



「お師匠様、イーゼル様はどんな人だったのですか?」

「……術具に関しては、厳しい人だった。それ以外は……そうだな、そこら辺に転がっている、うっとうしい酒好きのおっさんだ」

「……あの、イーゼル様は貴族でしたよね?」

「そうだ」



 き、貴族の人なのに、自分の師匠なのに。それをそこら辺に転がっている酒好きのおっさんって……しかもうっとうしいって、お師匠様。



「へべれけになるまで酒を飲んで、帰ってきたらそのまま廊下で寝る。風邪をひかれると困るから、毎回部屋まで担いでいた。数日後に酒場からツケの請求書が来て、金額にダニエラ様が雷を落とすのが通例だ」

「そんなにお酒が好きなんですか?」

「あの人から技工師の能力と酒を取ったら、何も残らないだろうな」



 結構酷い言われようである。本人が聞いたらえらく落ち込むのではないだろうか?



「まあ、酒がなければ普通の人だ。よく笑って、人で遊ぶのが好きな人だった」



 ……人で遊ぶことの一つが、あの馬車でロデリックが言っていた落書きかもしれない。やんちゃな人らしいことは判った。

 昔のことを思い出したのか、ほんの少しキリエが苦笑した。その横顔が、エリノアにはどうしても寂しく見えてしまう。初めて、キリエの身の上を聞いた時の、あの顔と重なる。



「私がお師匠様のことを聞かれたら、仕事人間だって答えることになりそうですね」

「事実だろうな」

「はい。仕事人間で、ぶっきらぼうで、そのくせ面倒見がいいって言っておきますね」

「後半二つは不要だ」

「あと、ダニエラさんには頭が上がらない人だって付け足します」

「待て、なんで俺がダニエラに頭が上がらないことになる」

「違うんですか?」

「いや、頭が上がる上がらないじゃなくて、ダニエラ様は先生の妹で……」



 しかめっ面になって、言い訳のようなことを言い始めるあたりに、キリエとダニエラの関係の一端が見えた気がした。時々、キリエがダニエラに押し負けているのはこの部分なのだろう。

 親も同然だったイーゼルの妹、それこそ姉や母のような立ち位置でいたかもしれない。この屋敷で新しく生活し直すまでの間は、二人は今と立場が逆だった気がしている。貴族の令嬢を、使用人と同じような立場にするには無理があるから。

 ドバタンッ! と工房の両扉が盛大に開け放たれた。その扉を開いたままの体勢でそこにいたのは――



「そうだともエリノア! キリエは頭が上がらないんじゃなくて、年上好きのむっつりスケベなだけなんだよっ!」

「ラディ様っ!?」

「あぁ?」



 どこからどう聞いても、キリエの「あぁ?」は濁点入りの声だった。不快に顔をしかめたキリエが、トンでもないことを言ってのけたラディを無言で睨みつける。



「もれなく今なら少女しゅ――ぐがぁっ!!」

「貴様は人を何だと思ってるっ!!」



 台の上にあった軸芯を動かないように固定させる木製の器具を、キリエはラディの顔面に投げつけた。言うまでもなく、見事な速さで直撃した。

 ……どうやらキリエは、ラディが相手だとかなり声を荒げるらしい。そして物理的抗議もするらしい。


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