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 03・手紙の書き手

 


 だんだんお師匠様の、ラディ様にたいする扱いが酷さを増している気がしてきた。



「キリエ。手紙を書いていたのなら、ついでにおじいさまの手紙も書いてちょうだい」



 ジト目になって言うシエネに、キリエは長いため息をついた。あまりシエネたち――というか、テイラーズと関わりたくないのだろうか? 家族ほど近くない相手。けれど、向こうは繋がりを望んでいる。

 それもたぶん、キリエが自発的に動くことでの繋がり。強制する事だって、彼女たちには出来る。ただしそこにあるのは、命令だったり、政治的問題だったりで……キリエの意思はない。

 だからシエネたちは、キリエが動くことによって出来る縁を求める。



「帰りはテイラーズに直帰だから、あんたが書かないなら、お兄様をこの屋敷に置いて私だけ先に帰るわ。手紙が書けたらお兄様と一緒に、引き取りに来るから」

「シエネ! 実の兄にたいして酷くはないかい!?」

「次期国王の扱いとしてどうかと思うが」

「あんたが言えた義理じゃないでしょ」



 お師匠様のため息その二だ。

 そしてラディは、シエネに無視されてへこんでいる。手に持っている、さっきとは違う服を顔に当てて、泣くそ振りまで見せてきた。

 見事にラディの存在を、二人は無視している。実兄だからなのか、シエネもなかなかの扱いである。キリエを急かすためだけに次期国王を置いていくとか、普通ならでない発想だと思う。


 徐々に二人の周りの空気が冷たくなってきた気がする。心なしか、鳥肌が立ってきた。リムも二人の空気に当てられたのか、ポケットの中に潜ってしまった。

 自分も凍りつく前にこの場から離れたくて、エリノアは静かにラディの傍に近付いた。一番近くの服を手に取りながら、散らかっている物を拾い始める。さすがに洋服はこのまま置いていたら皺がつきそうだ。

 驚くほど手触りのいい、厚みのある服を集めながら、これが王族の着ている物なのかと感心してしまった。少なくとも、エリノアが初めて侯爵邸に行ったときの服より上等なものだ。ちなみにその服は、それきり一度も着ていない。サイズも合わなくなって、クローゼットの飾りと化している。



「あー、ごめんねー。お土産見つかったら片付けるから、そこら辺に置いといていいよ」



 すでにそこら辺に置いている状況なのだが、ラディの中では違うらしい。



「まったく、あの二人は僕をなんだと思ってるんだか」

「実の兄よ」

「従兄だ」



 しっかり聞いていたらしい。間髪入れずに回答が返ってきた。



「とにかく、あんたはさっさと手紙を書きなさい。おじいさまがイライラしていてこっちも困ってるんだから。嫌だって言うなら、テイラーズに強制連行するだけよ。おじいさまはさぞ喜んでくれるでしょうねえ」

「…………分かった、書けばいいんだろ」

「そう言うこと」

「中身は期待するなよ」

「別にいいのよ、あんたが書いた手紙、ってのが一番なんだから」



 畳み掛けるように言い切ったシエネに、キリエが渋面になりながら首を縦に動かした。

 そして、両手にラディの服を抱えたエリノアを見て、



「こいつらは放っておいて問題ない。お前は部屋に戻って――」

「駄目よ。おチビちゃんは私のお茶の相手をする約束なの」



 キリエとエリノアの視界の間を、塞ぐようにシエネが立った。なんとなく、シエネの表情が勝ちを確信したようなもので、対称的にキリエはハッキリと不機嫌になった。

 あれ? これもしかして、私もお師匠様に手紙を書かせるための人質? 的扱いをされてる?



「…………エリノア、身の危険を感じたら構わず誰かを呼べ」

「は、はいっ!」



 身の危険を感じるとか、まったく気の抜けないお相手になりそうだ。

 ラディとは違った意味で背中に重たい空気を乗せて、キリエは談話室を出て行った。手紙一通を書くだけでこの騒動とか、キリエの筆不精加減がよく分かった。

 術具技工師、つまりは仕事としての手紙のやり取りは頻繁に見ていたが、どうやらプライベートな手紙はまったくないらしい。


 そもそもキリエの親族とも呼べる人は、王族含めた上流階級者。しかも国すら違うのだから。手紙の出しようがないのかも知れない。

 ……それに、ほとんど縁を切られているも同然の、アンカルジアの方面にはあまり出したくはないだろう。


 あのあと、ようやくエリノアたちが落ち着いた頃に、スパルダ家からエリノアに謝罪の手紙が届いた。キリエにも、検閲されていない状態で届けられたが、以前のように付き返すことはしなかった。ただ、受け取った時に眉間に皺が寄っていたので、複雑な心境だったのがうかがえる。

 そう言えば、マティアスから後日謝罪の場が欲しいと、見送りの時に言われたのを思い出した。キリエが、自分たちにたいしては今の謝罪で十分だと言って、さっさと移転の魔方陣に入ってしまったのでそれきりになっているが。



「シエネ、あまりキリエを苛めるんじゃないよ。ヘソを曲げて金輪際関わるなと言いでもしたら、叔父上に申し訳ないだろ」

「急かしただけ、人聞きの悪いことを言わないでくださる? それにアガサ叔父様ならその程度で怒りはしないわよ」

「アガサ叔父様?」



 聞いたことのない名前に、床に落ちた服を拾いながらエリノアは首を傾げた。



「アガサ叔父上は、僕らの父上の弟。つまりは、キリエのお父上だよ」



 ラディは教えることに少しだけ悩んだようで、困ったように眉尻を下げて言う。エリノアが抱えるように持っていた服を受け取ると、ラディは押し込むように鞄に入れた。



「ずいぶんと温厚な人でね、キリエとは正反対な性格だったよ。だからこそ、奥方と上手くいっていたんじゃないかな?」

「ほとんど城に、と言うか国にすら居なかったような人だし、たまに帰ってくると驚かれたぐらいよ。私もあまり会わなかったわ」



 ほっと息をはいたシエネが、エリノアが運んできたワゴンからカップを取り出し、テーブルに並べていく。本来なら自分がしなければいけない事に気が付いて、エリノアは慌ててお茶の準備を始めた。



「お師匠様のお父様、アガサ様が国に居なかったというのは、その、遠征とかですか?」

「違うよ。叔父上は、魔法の能力は後方支援特化型。もともと荒事が嫌いな人だったから、北の国家間の情勢とか……ほら、貧民街の状態とか、目で見ないと分からないことってあるでしょ? それを調べていたんだよ」

「諜報員のような方だったのでしょうか……?」

「うーん。諜報員はもっと、政治に突っ込んだ部分を調べるからね。叔父上は、それこそ旅行記みたいな感じだったから。まあ、そこから足を伸ばして、南大陸に行ってみる事にしたらしいよ」



 シエネは手馴れた様子で、ワゴンにあった予備のカップを取り出すと、さも当然のようにテーブルの上に置いた。……数はちょうど三客分になる。これは自分もお茶に同席することが確定したようなものだ。



「私たち北の人間には、南は未知の場所。だいぶお父様たちが止めたみたいだけど、『ちょっと散歩に行ってきます』なノリで行くような人だったらしいわ。さすがの私だって、用がなければ、行こうなんて思わなかったのにね」

「お陰で、テイラーズは南にそこそこ詳しくなれた。まあ、その散歩先で奥方を見つけたって聞いた時は、父上たちがひっくり返ったそうだけど」



 ラディはクスクスと笑いながら無理やり鞄を閉めて、今度は別の鞄へと手を伸ばす。

 散歩で未開の地に行ってしまうとか、温厚な性格の割には行動的である。お師匠様のお父様とは思えない。今のキリエの引き篭もり加減を見ると、余計にそう思う。



「お兄様。次の鞄を探す前に、お茶にしましょう。冷めちゃうわ」

「ふーむ。これはどこにあるのか推理しろという、天の啓示かな?」

「啓示があろうがなかろうが、探す労力は同じよ」



 ポーズを決めて言ったラディの一言に、シエネが冷たく水をさす。



「相変わらずシエネは休憩が好きだねえ」

「私に仕事が振られたら、死ぬ気で働かないと死んじゃうから。休める時はしっかり休むって決めてるの」

「その合間にこっちの様子を見てもらっているわけだし、我が妹は働き者だ。そうと決まれば、お茶会を始めようか。さあ、エリノアもこっちで一緒にお茶にしよう」



 そう言いながら、ラディは手馴れた様子で椅子を引いた。

 王子に椅子を引かせるとか、不敬罪にあたりはしないのだろうか。笑顔でエリノアが椅子に座るのを待つラディに、心の中で盛大な冷や汗をかきつつ、ビクビクしながら腰をおろした。ここで断るのもまた失礼に当たる可能性が高い。

 どちらにしても、エリノアが四面楚歌な状態であるのには変わらなかった。



「そういえば、おチビちゃんの名前は略称ではないの?」



 シエネが持ってきた北大陸、テイラーズ王都のお菓子は、不思議な食感の物だった。粉砂糖のようなものが振りかけられた、正方形の真っ白な見た目の小さなお菓子。触ると硬そうなのに、口に入れると弾力があってすっと溶けていく。ひやりと感じる口の中に、上品な甘さが控えめに広がる。

 途中からキリエが居ないことに気が付いたリムが、食べたいと騒ぎ出して大変だった。小皿に取り分けて渡したら、一心不乱に食べている。



「はい。私の名前はこのままです。シエネさんと、ラディ様は、その、凄く長いお名前ですよね。やっぱり王族の方とか、皆さん長いんですか?」

「南は知らないけど、北の王族はほぼ長い名前ね。貴族階級でも、魔力の高い人は長くしてるわよ」

「古い慣習ではないのだけれどね、北の人間は真名を教えないようにしているんだ。魔力があるということは、魔法の研究が進んでいる。そこでたまに契約といった、まあ、あまり褒められない魔法を使うことがあるんだよ。それを防ぐために、略称名を人前では名乗るのさ。シエネが公式で名乗っている名前も、まだ略称だからね」

「そうね。公式で名乗っている、シエネフィルミリアースタ・エディアルド・テイラーズ。これでも短いものね」

「……お、覚えるの大変そうですね」



 魔法がほとんど発展していない南大陸では、まず在りえなそうな話だ。



「ふふん。エリノア、キリエの名前も実はすっごい長いんだよ」

「ええっ!? そうなんですか!?」

「そうそう。キリエの公式略称はね――」



 …………ラディが教えてくれたキリエの名前は、シエネたちと同じように長くて、そして、エリノアにはとても覚えられそうにないと言うことだけは、ハッキリと分かった。


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