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 02・賑やかなお客さん

 


「二ヶ月ぶり?」



 エリノアの後ろから、ルークの小さな声が聞こえてきた。

 そっと後ろを振り向けば、ルークはなぜか火かき棒を片手に持ち、眉根を寄せてシエネたちを見ている。

 確かに、エリノアが名簿から外れていた期間――おおよそ三ヶ月の間にシエネが来ていた様子はない。……ただ、エリノアたちが眠っていた間に来ていたのなら、知らないのも分かるけど。護衛としてこの屋敷にいるルークから見れば、それはよくない事態だ。



「まったく。あんたが二ヶ月も前の手紙の返事を書いてくれないから、おじいさまが痺れを切らした結果でもあるのよ。自業自得はあんたも一緒」



 お分かり? そう、少し嫌味っぽく片眉を上げてシエネは言った。話ながらもシエネは、風の魔法を片手で操り工房をもとに戻していく。器用なことである。

 ……なるほど。エリノアたちが寝ていたか、外出していた時間帯に、そのおじいさまからの手紙を持って訪ねてきていたのか。



「書くことがない」

「ありまくりでしょうが! あんた今回の一件で、おじいさまを宥める大役があるんだから!」

「始末書でも書いて送ればいいのか?」

「そうじゃないわよ! 『こっちは色々あったけど無事です。心配しないでください』って書けばいいだけでしょ! なんで始末書なんて発想が出てくるの!」

「ここしばらくはそれ以外を書いていなかった。他はせいぜいロベリタ宛の正式書面だ」



 非公式で来ていたらしいダブリスからの手紙は、ロデリックと相談し、記録に残る形で断りの旨を伝えた。聞いた話だと、それなりのお叱りが彼女に行くらしい。

 ……街に行っては関係機関で手続きをして、屋敷に戻れば書斎にこもって、その理由は始末書を書いていたからなんですね。

 これだけの騒ぎになっているのに、エリノアは書類関係で何か書いたものはない。あるのは、街にいる友人の手紙だけだ。そういった諸手続きのすべてを、キリエが肩代わりをしている気がする。



「キリエ、なんでロベリタに手紙を?」



 窓から屋敷に再訪問したラディが、暖炉の前で雪を払い落としながら訊く。



「たいした事じゃない」

「君のその言葉の八割は大問題だ」



 エリノアはほんの少ししかラディを見ていないけれど、彼に手紙の中身を話したら嬉々として騒ぎそうな気がする。案の定、ラディの顔は楽しそうだ。



「そう言えば、外交官から報告があった。末席の王家に連なる者の結婚には、何かしらの条件があるのか? と、ロベリタから訊かれたとね」



 ……あれ。ダブリスさんの手紙って非公式じゃなかったんですか? 私はてっきり、タブリスさんが個人的に申し込んできたものとばかり思っていたのだけれど。

 今のラディのセリフを聞くと、国主導と勘違いされてもおかしくはない。



「ロベリタの件はすでに終わっているし、ある技工技術に関する内容だ。話すつもりはない。シエネ、おじいさまの手紙だけでここに来たわけじゃないだろう?」



 その話はしまいだと言うように、キリエはシエネに話を振る。



「ええ。アンカルジアに行くまで、ここに泊まることにしたから」

「さっさと向こうに行け。人の屋敷を宿屋にするな」

「いやよ。向こうの貴族ってば、人を舐めるように観察してくるのよ。登城するのは直前にしたいの」

「そう言うことはマティアスに言え。死ぬ気になって対処するだろ」

「本当に人死にがでるかもねー」



 ものすごい軽い口調で、ラディは重い一言をさらりと言う。



「南大陸だと他に行く当てないし、アンカルジアには事情は説明してあるから。どのみちここに泊まることは決定事項、大人しく諦めな。従兄弟なんだからそのくらいいいでしょ?」

「……何日だ」

「何日だっけ?」

「五日よ、お兄様」

「だって」



 疲れたような表情で、小さくキリエが息を吐いた。

 同じ従姉のシエネが来たときと違うキリエの様子に、もしかしてあまり仲が良くないのかと疑ってしまう。少なくとも、キリエは苦手意識を持っていそうだ。



「ダニエラ。空き部屋の準備をしてくれ」

「……畏まりました」



 本当にこの二人を泊めるのかと言いたげな表情で、けれどダニエラの口は了承の言葉を出す。工房から出る一瞬、ダニエラが見せた表情は実に渋いものだった。



「ルーク。この男は従兄だ、まかり間違っても仕留めるなよ」

「了解」

「それと馬の準備を。手紙を書くからハウゼン候へ至急届けてくれ」



 出された指示に火かき棒で肩を叩きながらルークは頷く。ちょっと危ないと思います、ルークさん。それとどこから持ち出してきたんですか?



「エリノア、お前は――」

「タクトを部屋に戻してきたら、お茶の用意をします。ダニエラさんは忙しいと思うので」

「……シエネはともかく、『アレ』の相手は疲れるぞ」



 お師匠様、そんな真顔で言わないでください。不安になります。



+++++



 二人を談話室に案内して、エリノアは急いで自室に戻る。鳥カゴを定位置の机の上に置いていると、ソファーの上にあったクッションで昼寝をしていたリムが起き上がっていた。

 リムが起きる=タクトが危険。この図式が、エリノアの中には出来上がっている。幾度となく危機に晒されたタクトである。最近はリムが近づくと威嚇をしてきたりと、大人になったら積年の恨みを晴らしそうな勢いの仲になりそうだ。


 寝ぼけ眼のリムをそのまま回収してポケットに入れて、キッチンでお茶の準備を始める。いつもの場所とは違う所に置いている、お客様が来たときに出すカップと茶葉。後はダニエラお手製のお菓子を皿に乗せて完了。

 これまた普段使わないワゴンを押しながら、エリノアは慎重に談話室に戻る。



「お茶をお持ちしま……」



 扉をノックして中に入ってみれば、二人は確かにそこにいた。けれどどうしたことだろうか? さっき見たときにはなかった革製の大きな鞄が三つ並んでいた。そのうち一つはお店広げの如く、開いた鞄が中身を見せている状態だ。

 その鞄を前にあーでもない、こーでもないと言いながら中で何かを探しているラディ。手に持ったものが違うとポイっと後ろに放り投げているお陰で、談話室は見事に散らかっていた。

 ダニエラが見たら、無言で窓から放り投げられても仕方がないと思ってしまった。それとどう見ても、散らばった物の量と鞄の大きさがあっていない気がする。どれだけ詰め込んだんですか? ラディ様。



「えっと、お茶を持ってきたのですが……」

「ありがと、おチビちゃん。ごめんなさいね、兄が散らかして。終わり次第片付けさせるから」



 扉に一番近い場所で、あっけにとられた表情でエリノアは立ち尽くす。



「あれー? お土産はどこにしまったんだっけなー」

「だから手荷物ぐらいは自分で準備はした方がいい、って言ったでしょ。お兄様の荷物は侍従が用意してるんだから。『これ、入れといて』なんて適当な言い方したら、どこに入ってるのか判るわけないでしょ」

「うーん、だってさ、皆僕が自分で準備するって言ったら、全力で止めにかかるんだよ。そう言うしかないじゃん」

「お兄様は片付けが絶望的なんだから、仕方ないでしょ」



 ……もしかして、そのお土産が見付かるまで、残りの鞄も探すのだろうか? 部屋を元の姿に戻せるのはいつになるだろう。



「おチビちゃん、一緒にお茶にしましょ。うちの王都で人気の半生菓子持ってきたのよ。テイラーズのお菓子は食べたことないでしょ? 冷たくして食べると特に美味しいの、だから冬場はよく食べるのよ」



 ウインクしながらシエネはラディから離れて、扉に近いテーブルに小さな箱を置いた。薄い水色の包装紙に、お店の名前なのか、イニシャルがデザインされたひし形のシールが貼ってあった。



「あ、シエネだ! お菓子お菓子!」



 やっと目が覚めたらしいリムが、ポケットから顔を出して、最初に言ったセリフがこれだ。

 どうやらリムは、シエネと面識があるらしい。ルークの時と同じセリフを聞くに、シエネもリムに会うときはお菓子を持ってきていたようだ。立派に餌付けされている気がしなくもない。



「おや。リムじゃないか、久しぶりだね!」



 鞄から取り出した服のような物を片手に、パッと笑顔を見せながらラディが声をかけた。

 ラディの様子から、恐らく以前にリムは会ったことがあるのだろう。だがしかし、相手はリムである。案の定リムは、上半身どころか体全体を傾ける特徴的なしぐさでラディを見つめる。この動作が出たということは、リムが何かを考えているときに出るものだ。

 ――つまり、リムがラディを覚えていないと言う、無言の事実を教えていた。



「誰なの?」

「五年だよ!? たった五年で僕のことは忘れ去ったの!?」

「エリー、『あれ』誰なのー?」



 飼っているわけではないが、リムもキリエに似たのだろうか? アレと言ってしまっている。

 そう言えば、リムはどういった経緯でキリエのところに来たのだろうか? エリノアがこの屋敷に来たときには、すでにリムはいたのだから。



「えっと、お師匠様のお従兄様で、シエネさんのお兄様のラディ様よ。リムは会ったことがあるんじゃないの?」

「んー。よく分かんない。人間の顔は皆同じなの」



 それ、アンカルジアでも言ってたよね?



「餌付けか!? 餌付けなのか!? 僕だってシエネみたいにちょくちょく来れれば――っ!!」

「次期国王がほいほい来るな、迷惑だ」

「従兄が羽を伸ばしに来ることの何がいけないんだい!?」

「いけないとは言ってない。迷惑なだけだ」



 ……お師匠様。むしろそっちの方が酷い言い様な気がします。

 手紙を書き終えたらしいキリエが談話室に入ってきた。部屋の光景を見て眉間にシワを寄せながら言う。

 目の前で悲観にくれた表情で床に崩れ落ちたラディは、しまいには膝を抱えてしまった。背後からは暗雲のごとく、暗いオーラが広がっている。



「ハウゼン候に手紙は送った、向こうが来るようなことがあったら会談ぐらいはするんだろう?」

「ん、別に来なくたっていいよぅ。どうせ明後日フィスラの雪市に遊びに行くから、その時会うよ」

「…………お前は南大陸に何をしに来た」

「え? 従兄の顔を見に来たに決まってるじゃん」



 他に何かあるの? そう言わんばかりの表情で答えたラディに、キリエが一気に眉間のシワを増やした。



「シエネ、今すぐこいつをアンカルジアに捨ててこい」

「いやよ、面倒くさいもの」



 面倒でなければ捨ててきたのだろうか? 王族との会話のはずなのに……妙に世間じみた内容に、エリノアはぼんやりとそんな事を思った。


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