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 08・木箱の中身

 


 まるで人がいないのを確認してから、キリエは話し始めたようだった。



「師の名前はフラウリンク・ピクシス。俺の師である先生と、生体技工の共同研究をしていた人だ。ミレハの内乱の折り……よりも前に、グウェインたちの手によって殺害された。数少ない女性の術具技工師で、とても繊細な仕上がりの術具を作ることで有名だった」



 その技工師は繊細な仕事をすることで評判だった。

 どこか懐かしむような、彼の言葉が耳に残っている。その人は、ナウイルの師匠だったんだ。だからあんな言い方を……。

 それに手紙の差出人の名前。その人の家族から、キリエに送られてきたのか。いったい何のために。



「……ナウイルの刑が執行された。今の手紙は、それを知らせるものだ」

「――っ!!」

「酌むべき事情があると、ロベリタもだいぶ粘ったようだな。結果、非公開での処刑だ」



 そこに、どんな事情があったのか? エリノアは彼と話す機会はほとんどなかった。だから分からない。でも、アズールにナイフを下ろし、グウェインに言い放った言葉。ナウイルは、師の復讐のためにあそこにいたのではないのだろうか。

 ただそのために、生きていた。だから、エリノアの目には彼が不可思議に映っていたんだ。目的は、同じ場所にいる人間。最初から、エリノアとキリエは彼の目的の範囲外だったんだ。

 その胸の内を覚らせないように、内で燻る炎を隠すように、彼は道化を演じていたのか。



「お互い、研究のやり取りの手紙で名前は知っていた。実際に俺があいつと顔をあわせたのは、工房の襲撃のときだ。それ以降、今回の事件まで会う機会はなかった」



 ナウイルの口振りから、そうだろうと思っていたけど……やはり、襲撃の時に顔をあわせていた。そして何の因果が、何年も経ってから再会した。



「ナウイルの刑が非公開になったのは、あいつの体に理由がる。あいつも、ダニエラと同じ器官に生体技工を施している。非公開にしたのは、『壊す方法』を見せないためだ。そしてその方法は……俺があいつに伝えた。非公開であれば、禁忌技工が施された人間がいたことも隠せる。遺体はロベリタが引き取り、『処理』することになる」



 キリエは予想していただろうが、知らせを重く受け止めているらしい。背もたれに深く体を預け、顔に暗い影が落ちる。

 あの時、ロベリタから渡された書類。彼が亡くなった後の体をどうすればいいのか、キリエはそれを書き加えていたのか。共同研究とはいえ、年数は経っている。どこかしら不足はあるはず。



「ナウイルに問われた、『君もいつかは、ダニエラを壊すのか』と。俺には答えられなかった。先生から背負わされたものは、ある意味俺の生きていく理由と同じだったから」



 彼女の体は禁忌技工の塊も同じだ。同じ技工を施された彼が処刑されて、どうして彼女は無事なのか。きっと、そう思う人はいる。現に、キリエ自身がそう思った。

 キリエにとって背負わされたものと言うのが、ダニエラだった……?



「生きる理由は、義務のように背負うものなのでしょうか」

「さあな。あの時はとにかく必要なものだった、そう先生は判断したんだろう。実際、ダニエラ様がいたから俺はここにいる。……俺もあいつも同じ事件に係わり、まったく違う結果に行き着いた。どこかが違ったら、あいつの場所に立っていたのは俺だったのかもしれないな」



 僕とキリエは同じで違う――。

 ナウイルも、そう思っていたのかもしれない。自分と、キリエを重ね合わせ、そして違う道を歩いている相手に、どんなことを思っていたのか。その心は、冷静でいられたのだろうか。



「エリノア、俺はお前に生体技工に関連するものを触れさせる気は欠片もない。本来あるべき道を外した先にあるものが、必ずしもいい結果を呼ぶとは限らないからだ。だからお前も知ろうとするな。俺や先生と同じように、深淵を覗くな。頼むから、道を外してくれるなよ」



 向けられる緑と青の瞳は、まっすぐエリノアを見ていた。自嘲じみた響きの言葉に含まれる、キリエの真剣な頼み。

 今、この瞬間だけは、見習いの言葉が外れた弟子として、キリエの目の前に立っているのだと気付いた。思わず背筋を正して、エリノアはキリエを見た。



「はい、お師匠様。お師匠様が道を外したら、必死になって戻しますね! それが弟子の役目です!」

「……俺はお前が外すなと言っているんだ」

「分かってます。私は外すほどの度胸はないですから! 安心してください!」



 だからエリノアも、その二色の瞳から逸らさずに答える。

 自信満々に答えたエリノアに、キリエは呆れたように笑う。



「お前は後ひと月は、術具技工に係われない。それまでは、四時間おきの不規則な生活をしていろ。期間明けには手も離れるはずだ」

「……あの、お師匠様。四時間おきって、話が見えないのですが」

「練り餌をやるのは、昼夜問わず四時間おきだ。最初の一週間は修羅場になる、覚悟しておけ。保管庫か、外の納屋に道具が残っているはずだ。それを使え。とにかく、初めの二週間で徹底的に懐かせろ。でないと後で躾けるのが面倒だ」



 もうしゃべるのは疲れた、キリエはそう言っているように、視線だけをテーブルの上の木箱に動かした。

 そういえば、テーブルの上に置きっぱなしだった。この箱の中身は一体なんなんだろうか? お師匠様は何も言わないし、というか、もう言う気はなさそうだ。相変わらず、まったく告げない人である。

 エリノアが再び箱に視線を向ければ、あの木箱の側面の穴から、何か薄い黄色の三角錐のような物が飛び出ていた!



「お、お師匠様! なんか小さな三角形が出てます!!」

「中身を見れば分かる」



 中身を知っているであろう当人は、実にそっけない。エリノアはゆっくりと、上蓋である箱の天辺をずらすように力を加える。小さく開いた隙間から中を覗くように見て、そしてすぐさまふたを閉めた。

 ……明らかに生き物がいた。それも雛だ、今出ていたのはこの雛のクチバシ!



「お師匠様! こ、これ、鳩、昼夜鳩!? の、雛!?」

「街に行って買ってきた」

「えっ? どうして?」



 キリエの意図が分からない。なぜ急に昼夜鳩の雛を買ってきた。アルトは確かに歳だけど、雛を買ってこようとしたそ振りはまったく感じられなかった。

 エリノアは再び、細くふたを開いた。箱の中には短く切った藁が敷き詰められて、その上にふわふわの羽毛が気持ちよさそうな雛が小さく鳴いている。やっとふたを開けたのかと訴えるように、雛はピイピイ鳴き始めた。手荒に箱を扱わなくてよかった。

 キリエはこの雛を自分に渡した。そしてキリエも昔は雛から育てていたと言った、つまりこれは、もしかして……。



「アルトはもう歳だ、飛ばすにも限度がある。だから雛を買ってきた。俺も昔育てていた」



 言葉を切ると、キリエは箱から視線を外してエリノアを見た。



「だから今度はお前が育てろ。名前は好きにしていい」

「――はいっ! 一生懸命育てます! お師匠様、ありがとうございます!」



 雑食だと教えられたリムから雛を守りつつ、キリエが書いていた飼育記録を参考に、初めて育てる雛に四苦八苦しながら、エリノアは雛鳥の世話に奔走することになる。

 エリノアがタクトと名付け育てた昼夜鳩が、屋敷と街の間を手紙を持って飛ぶようになるのは、それから数ヶ月先の事だ。


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