07・ロベリタの手紙
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屋敷に戻って二ヶ月。以前と同じような生活に戻ってきたものの、エリノアとキリエは微妙に戻れていなかった。
一度削除された名前の載らない弟子の記録は、復帰させるのに最低でも三ヶ月はかかるためだ。まだしばらくは、エリノアは記録の上では弟子ではない。工房にいるのに弟子ではないとは、これいかに。
そしてキリエは珍しく、屋敷と街を行き来することが多く、工房を留守がちにしている。本人曰く、面倒ごとを片付けるため。街では協会や行政機関に足を運んでいるらしい。
名簿に記録が復帰するまで、術具技工に係わることができないエリノアは、屋敷から勝手に持ち出された資料を片付ける作業をしている。
書斎に篭って、箱の中に整頓されて入っていた本を、目録と確認しながら本棚に戻していく。痛みがないかも調べる。今のところそれほど目立つものはないけれど、やはり古い資料は、表紙や背表紙に裂け目が出来ていた。目録に付箋をして、その本は別に置く。街に行ったときに、修理も請け負っている古本屋に預けるためだ。
自分が勉強をするときに使っている教本は、まったく問題なかった。彼らには必要なかった代物か、見ている余裕がなかったのか。頻繁に目を通すものだから、ほっとした。
そして今、エリノアは困っていた。書斎の本に、ではない。手元にある、恐ろしいほど質のいい、厚みのある封筒にだ。手の離せないダニエラに代わって、玄関に応対に出たエリノア。ロベリタの商人だと名乗る人物が、ロベリタ術具技工師協会の封蝋がされた手紙を、キリエに渡して欲しいと預けたものだ。
本物の商人なのか? さすがに疑ったエリノアに、その人はロベリタの組合が発行していた証紙を出した。本物なのか分からないエリノアに代わって、ルークが確かに本物であると確認をしてくれた。
ロベリタの商人が持ってきたもの……そう、検閲のされていない手紙。これ、きちんとした途中経過を辿ってきたものだろうか?
「今戻った。ダニエラ、ライナーも来ている」
「あ、お師匠様よかった! ロベリタの商人さんが、お師匠様宛の手紙を持ってきました」
「ロベリタの商人? 本物だったのか?」
「エリーちゃんと一緒に、証紙を確認したよ」
手に小さな木箱を持ったキリエが、二色に戻った瞳で、疑わしげな視線を手紙に投げつける。ひょっこり後ろから、箒を片手に持ったルークが補足した。
「誰からだ?」
「えと、ピ、ピクシス? さん、でしょうか? 封蝋はロベリタの術具技工師協会のものです」
あまりに達筆すぎて、逆に読みづらい。
「……見せろ」
エリノアの手から封筒を取ると、空いた手にキリエはその木箱を押し付ける。
両側に小さな穴が二つづつ開いた、軽い木箱だった。そして妙にあったかいし、やたら中でかさかさとした音が聞こえた。え? なんか中から、自発的に音が発生している気がするのですが……。
エリノアの脇を通り過ぎるとき視界に入ったキリエの襟に、あの飾りピンが見えた。いろいろな騒動を経て、やっと二人に渡せたプレゼント。付き返されるのを覚悟しつつ、お世話になっている日頃の感謝の気持ちを伝え、ビクビクしながら渡したが、あっさりと受け取られて逆に拍子抜けしたのは記憶に新しい。
「久しぶりだね、エリノア」
「あ、はい。お久しぶりです、ライナーさん。あのう、随分と見かけなかったのですが、どこかお加減でも?」
「ああ、違うよ。交易街道の舗装作業を見てきたんだよ」
「交易街道?」
「いらっしゃいませ、ライナー様。どうぞ談話室へ、お茶をお持ちいたします」
「ありがとう、ダニエラ」
ダニエラに代わって、エリノアがライナーを談話室へと案内する。いつのまにか、家具どころかカーテンに絨毯まで一式新調された部屋。間取りは変わっていないのに、なんだか新築の家に来た気がしてしまう。
エリノアの部屋も談話室と同じく、まるっと一式、それこそ全部入れ替わっていた。破門された時にまとめて鞄に入れていた服が、エリノアの知らぬ間に追加された新しい服と共に、新しいクローゼットに入っていた。部屋に置かれた、真新しい勉強机をエリノアはことのほか気に入っている。
キリエが桁が違うと言っていたが、本当に屋敷一つ分の家具だ。あえて金額を考えるのをエリノアは放棄した。もっとも、キリエは数日後には全額一括で払っていたので、気にする必要はないのかもしれないけど。金銭感覚の違いを感じた瞬間だった。
先に談話室へ入っていたキリエが、さっそく封を開けた手紙を読んでいた。
「シェスナ交易街道だよ。ロベリタの商会が、木蓮を移植する事にしたらしくてね。珍しいから見に行ってたのさ」
「木蓮の木が、その街道にあるんですか?」
「そうだ。凄く立派な木でね、最初は誰も気にしなかったんだが、いつからか誰かが手入れをするようになったらしくて、きれいな白い花が咲くようになったんだよ。寂れた街道では、それはもうよく映えた」
「へえー。見てみたいなあ」
「私は多分、ロベリタの誰かが手入れをしていたんだと思っているよ。今回の移植に、ロベリタの技工師協会の前会長が立ち会っていたからね」
ロベリタの前会長は、残念ながらエリノアは見かけたことが無い。そうそう偉い人と会う機会はないものだ。この間が異常過ぎただけで。
「またしばらくは、この屋敷には来れそうにないのでね。今日はちょっと顔を出しに来た」
「また遠くへ行くんですか?」
「ああ。こっちにはまだ知らせが届いてないかも知れないが、近々葬礼の儀が執り行われることになった。稼ぎ時なので、そっちに足を伸ばすことにしたんだよ」
葬礼の儀。王族が亡くなったときに行われる儀式の名称。でも、一体どこの国の王族が?
「アンカルジアの国王が死んだのか?」
手紙から視線を外すことなく、キリエが言った。
アンカルジアの国王。あの玉座の間にいた、小さく体を丸めて震えていた男の人。マティアスとは似ていない、どちらかと言うとシャルティアと似ていた王様。
「ああ、ありがとうダニエラ。そう、耳が早いじゃないか。『病で』亡くなったそうだよ」
「そうか」
ダニエラが出したお茶を一口含んで、ライナーは息を吐いた。
本当に、病で亡くなったのか。エリノアはあの一件で、政には裏事情が大量にあることを知った。アンカルジアの国王が、人魔戦争で精神を病んでいたのは国内では前から有名な話だったらしい。そこをグウェインに付け入られ、今回の事件が起きた。アンカルジは、そう対外的に発表していた。
首謀者、並びに事件を起こした仲間は全員斬首。一部の処刑者以外は、大通りにその首がさらされたと聞いている。詳細は分からないけれど、なぜかツギハギの話は出てこなかった。
「時期が時期だし次の例大祭にあわせて、マティアス王子が国王になると正式に発表するだろう」
「王妃が椅子に座らないのか?」
「グリティカの女傑が女王になったら、ただ事じゃないだろう」
「それもそうだな」
アンカルジアと同じように、北の山脈の麓を国土に持つ国、グリティカ。血の気の多い国民性で知られている国から輿入れした王妃。なかなかにして好戦的な性格だと噂されている。
もっとも、王妃になってからは子育てと、そして心を病んでしまった国王を、献身的に支える姿で知られているため、あまりその噂は実感できない。ただ、シャルティアのあの一言を思い出すに、あながち嘘でもないのかもしれない。
「周りから異論はないようだ。さすがにテイラーズと資源の交易を結んだ王子に、文句のつけようがないだろう。交易協定を作り、関係を結んだ国の中で、ロベリタが特に推していることもあるし。あの第一線に拘るミネルバ・ダブリスを、協定役員の椅子に座らせた実績も大きい」
キリエが、今度は色の違う便箋を読みだした。もしかして、封筒の中には二人以上の手紙が入っていたのだろうか? その淡い緑色の便箋を読み出すと、一気に目付きが悪くなった。
「また勧誘のお手紙ですか? お師匠様」
「……違う。自分と結婚しないか、と書いてある」
「け、結婚!?」
「ぶほっ!!」
「ライナーさんっ!? しっかりしてください!!」
運悪くお茶を飲んでいたライナーに悲劇が起きた。木箱を置いて、エリノアはむせるライナーの背中をさする。
あまりにも衝撃的な一言だ。まさか、その相手はキリエの性格を知らないのではないのか? そうとでも思わなければいられない。
「ごほっ! げほっ!」
「ライナー様、どうぞこちらを」
ライナーにタオルを渡すダニエラ、こんなときでも一人冷静な彼女を尊敬してしまう。さしものエリノアも驚きだというのに。
「へー、キリエ結婚するのかい?」
「誰がするか」
この騒動が気になったのか、談話室を覗いてきたルークが茶化すように言った。
「勇気ある御仁は一体誰だか白状するんだ、キリエ」
「今しがたここで話題になった、ミネルバ・ダブリスだ」
「あの人ですか!?」
頭に浮かぶ男装の麗人。あれ、おかしい。あの人、アンカルジアでお師匠様とやり取りしたはず。性格はしっかり分かっているはずなのに、何故!?
「結婚した際のお互いのメリットが、実に見やすく箇条書きで並んでいる。これは結婚の申し入れというよりは、商談の企画書を読んでいるようだ」
「彼女が結婚できない理由の一端が、今分かった気がする」
「ルークさん、ダブリスさんをご存知なんですか?」
「あ、うん。噂は聞いてるよ、凄いやり手の商人らしい」
……あの人にとって、結婚は商取引と同じなんだろうか。
と言うかこの手紙、検閲していないとしたら大変な事になる気がする。中身を元に戻して、キリエはライナーに封筒を放り投げた。
「ロデリック様に渡してくれ、大方未検閲だろう。白い便箋の中身は、ロベリタ術具技工師協会の前会長で、執行の知らせと、処理方法の追記への礼状。緑の便箋はダブリス殿の結婚の申し入れだ。特に後者はハウゼン家を通すようにと、それと断ると伝えてくれ。正式な書面が必要なら用意する。ああ、もう一つダブリス殿に伝えてくれ。貴殿の腕なら、俺の伝手は必要ないだろうと」
「ごほっ、わ、分かった。確かに伝えるよ」
未だ衝撃から立ち直っていないのか、ふらつく足取りでライナーは荷馬車に戻る。はらはらしながらエリノアは、普段よりかなりゆっくりと動いているライナーの馬車を見送った。
衝撃覚めやらぬのはエリノアも同じだ。まさか、キリエに結婚の申し入れとは。確かにキリエの年齢なら、おかしくはない話だけれど。今までそんな話が微塵もなかっただけに、驚きが大きい。
談話室に戻れば、まったく動じる様子のないキリエが注文書を見ていた。騒いでいたのは他人だけな状態だ。ルークもダニエラも、やることがあるのかもういなかった。
「エリノア、ツギハギを覚えているな?」
「はい。あの仮面の人ですよね」
忘れるのは難しい。あの何かの目的があって動いていた仮面の人。
キリエと自分が似ていながら違うと言った人。そしてたぶん、誰かの弟子だった人。
「あいつの名前はナウイルだ。ミレハから来た移民で、ロベリタにかつてあった術具技工の工房の一つに弟子入りしていた」
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