06・似ているもの
「ずいぶんと気の長い復讐になりそうだな」
「……お、お師匠様こそ、私を弟子にしたくない理由が、欲しそうな顔をしています」
ちらりと向けられた左目とかち合った瞬間、一瞬で全身に鳥肌が立った。キリエは剣呑な表情でエリノアを見る。なんだろう、今の指摘に怒っているような気がする。
キリエは小さく舌打ちをすると、やがて視線を逸らした。あれ、お師匠様、もしかして図星ですか? こっそりと腕を擦りながら思う。
「お前の望みはそれか?」
「お師匠様が言ったんじゃないですか! 『どちらも嫌ならついて来い』って。責任とってください!!」
持っていたペンがピタリと止まると、キリエは片手で顔を覆った。そのしぐさが、まるで「しまった」と言っているようで……。言った本人は、すっかり忘れていたらしい。
「お師匠様!」
今度は逆に、エリノアがキリエを責めるように問えば、キリエは深く長いため息をつく。
「……お前に言ったように、俺はかなり面倒かつ、しがらみの多い立場にいる。今回と同じような目に遭う可能性が、これから先ないとは言い切れない」
「だから出て行けって言うんですか。嫌ですよ、私、へばり付いてでもいますからね」
「お前はヤモリか。……危険だと分かっていて、それでもいると言うのか?」
「はい」
「ここまでくると呆れてものも言えんな。そもそも、俺の何がよくて弟子になりたがるのか理解できない」
真顔でそんなことを言われても、こっちも返答に困ります。正直に答えたって、きっとお師匠様は認めないだろうし……。
「なんだかんだ言いつつ、面倒見がいいとこ」
「は?」
「迷子になったら捜しに来てくれたし、服が小さくなったなって思ったら、タイミングよくライナーさんが服持ってきたし、文句言いながらも勉強教えてくれたし、風邪を引いたら小言いいながら、マメに様子を見にきてたし」
「……お前、そんなことまで覚えてたのか」
「ここにいる間も、私の安全を優先してくれているし、面倒ごとはぜんぶお師匠様が請け負ってます。お師匠様、私は、お師匠様の弟子ですよね? 弟子じゃないって言っても、弟子って言い張るので、弟子でいいですよね?」
にこりと、嫌みもかねた笑顔を向ける。
キリエはそれはそれは嫌そうな、でも、どこかほっとしたような表情で口を開いた。
「ああ、お前は俺の弟子だ。ただし、見習いがつくがな」
せっかくなので、それ取りましょうよ。そうエリノアが言えば、それは無理だと短い一言が返ってきた。
そっと、エリノアの頬にキリエが手をあてた。自分の手より大きな手のひら、少し荒れた指先は、確かにキリエのものだ。
「意地の悪い質問をした、すまなかった」
「本当です。お師匠様酷すぎます、かなり心臓に悪かったです。弟子にぐらい、その性格を少しは抑えてください」
「……善処しよう」
困ったような顔で、キリエは言った。
■□■□■
「キリエ、エリノア、準備はいいかな?」
女官に案内されて部屋に入ってきたのは、長身に痩躯の持ち主。グレイのロングコートを羽織った男性は、短く整えられた茶色の髪が毛先だけ波打っていて、穏やかな印象の緑の瞳を持っていた。
エリノアたちの後見人として迎えに来たのは、ハウゼン家当主、ロデリック・ハウゼンその人。
「はい。侯爵様」
「ロデリック様、ご迷惑をおかけしました」
絶対にありえない、キリエが丁寧な所作で頭を下げる姿に、思わず口が開いた。
「エリノアは、ずいぶんと呆けた顔をしているね」
「っ!? す、すみませんでした!」
慌ててエリノアも挨拶をする。なんか、お師匠様が一瞬、貴族の人に見えた。一応はその貴族の末席にあたるのだが、エリノアにそのあたりのキリエの細かい事情は分からない。
「……ロベリタからの物は終わったと聞いたが?」
「はい。後は向こうの裁量になります」
「確認をするが、他国に流して問題ないものなのだな?」
「処理に関してのみなので、むしろ渡しておいた方がいいかと思います。何を記載したのかは、戻りしだい協会経由で報告書を提出します」
「分かった。使者にもそう伝えておこう」
「お手間をおかけし、申し訳ありません」
いつもの態度がまったくない、内心でエリノアは驚愕する。あれ、お師匠様、結構普通にそういう対応が出来るんですね。そういう事、どこで教わったんですか? と、さりげなく失礼なことを思ってしまった。
「移転の先は王都になる。すまないが二人ともスピカヴィルに戻ったら、協会に行ってくれ。本部の人間が今回の件で報告して欲しいとの事だ」
「協会に顔を出すのは俺一人になります。エリノアはこの事件の前に破門しているので、呼び出しに応じることは出来ません。名簿更新の前に騒動に巻き込まれたので、先方はご存じないかと」
静かに、けれど異論は認めない。そう言っているかのようにはっきりとロデリックに告げるキリエを、エリノアは仰ぎ見る。大人しく破門されていろとキリエが言ったのは、この時のためだったのかとようやく理解する。
自分が行かないことで、協会にキリエがどれだけ責められるのか、不安になってエリノアはキリエの服を掴んだ。それが顔に出ていたのか、心配するなと言うようにキリエが軽く頭をたたいた。
「キリエ……君も、兄上と『同じ』ことをするのか」
「酒癖の悪さ以外は似たと、自覚はあります」
「適切な場所以外での口の上手さは似ていないぞ」
「それは失礼いたしました」
妙に寒気を感じる二人の間に、ひっそりとエリノアは鳥肌を立てる。無言のまま二人の睨みあいが続いたが、先に折れたのはロデリックだった。
「……確か記録を復帰させるには、三月はかかるはずじゃないのか?」
「問題ありません。その間一人養うくらいの稼ぎはあります」
「言うようになったな」
「お褒め頂き恐縮です」
「皮肉に対する返答を笑顔で言うところは、兄上に似る必要はなかっただろう」
複雑な表情で、かつ神妙な声音で言うロデリックに、キリエは虚をつかれたような顔になった。
今の指摘は、キリエに自覚はなかったらしい。かくいうエリノアも、笑顔でそんな回答をするキリエを知らないので、無理もない気がするなと納得した。
そもそもお師匠様の表情の大半は、不機嫌、睨む、呆れる、のどれかだから。
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暇なら観光でもしていろ。と一度だけしか来たことのない王都に放置され、キリエはロデリックと共に術具技工師協会の本部へと向かった。一緒に残されたスピカヴィルの使者の人が、このまま放置するのは拙かろうと、エリノアを連れて街を案内してくれた。
……なんとなく、キリエはわざと使者の目の前で放置した気がする。事情を知っていれば、いくらリムがいるとはいえ、エリノアを一人にすることはまずないだろうと踏んでいたように。
それでも何か一言、理由を言ってくれれば気持ちが違うというのに……。善処しようと言ったが、すぐには無理だろうなと思う。弟子ながら、師に対してなかなか酷い言い分だと思っている。
王都からハウゼン家の馬車に乗って移動している中、隣で寝ているキリエをエリノアは睨む。
目の前に侯爵様がいるというのに、いかんともし難い事態だ。そもそもこの狭い無言の空間で、どうして『寝る』という選択肢が出てくるのか激しく問いたい。
こっちはこれから、ダニエラにどんな顔をして会えばいいのか悩んでいるのに。いつも通りにしていればいいと、キリエは言うし。アドバイスが欲しい。
「キリエは起こさない限りは起きないよ」
「すみません……」
「いつもそうだ。馬車の中は寝心地がいいらしい」
「寝心地、いいでしょうか?」
そうエリノアが言った直後、車輪が石を踏んだらしい。がったんと揺れる箱に、座っていたお尻が跳ねた。
「私も、そうは思えないんだがね。キリエは長らく、商隊の荷馬車で生活していたそうだから、馴れているんだろう。行商をする人は、宿がない場所で寝起きをすることも珍しくはないから」
商人の荷馬車に同行していたと、言っていた。そうか、移転の魔方陣を使ったから、エリノアには時間を感じていないが、当時は違ったはずだ。
人魔戦争からどれくらい経ったのか知らないが、そんなに道行きはよくなかった可能性も高い。今よりずっと危険だって高かったはずだ。
「ふっ。エリノア、今なら顔に落書きをしても気付かれないよ。昔、兄上がそれをやって、目が覚めた後キリエに馬車から蹴り落とされた」
「ええっ!?」
……相手が誰であろうと、お師匠様は容赦がなかった。エリノアは落とされたくないので、謹んで辞退を申し上げた。
強制的にアンカルジアへ来たときよりも、日数をかけて戻ってきたフィスラの街の森、あの屋敷。
屋敷の前に馬車を止めれば、計ったようなタイミングでダニエラが出てきた。いつもの、一分の隙もないメイド服に、腰の肉切り包丁。
ダニエラの姿に、エリノアは気付かれないように息を飲み込む。
「お帰りなさい、キリエ、エリノア。無事に戻ってきた姿を見て、ようやく安心しました」
「ただいま戻りました、ダニエラ様。ご心配をおかけしました」
「エリノア? どうしました?」
「っ!? い、いえ、何でもないです! あの、ただいま戻りました、ダニエラさん。無事に帰ってきました」
お師匠様がダニエラさんに敬称をつけて呼ぶところ、初めて見た。
「申し訳ありません、ダニエラ様。エリノアには話しました」
「……そう。あなたが決めたなら、それで構いません。エリノア、あなたは私が恐ろしいですか?」
「いいえ、ダニエラさんは怖くないです」
エリノアが知っているダニエラは、すべて屋敷に来てからのものだ。キリエの話ではその時にはもう、ダニエラの体には生体技工が施されていたことになる。
今、ダニエラが見せている、気遣うような仕種と表情に作られたような感じはしない。
けれど、わずかなエリノアの困惑が伝わったのか、ダニエラがそっと体を抱きしめた。体温を感じるこの体が、技工を施されているなんて。
「貴方があなたであるのと同じように、私もわたしで変わることはないわ。ゆっくり、受け入れていってくれると嬉しいわ。エリノア」
「はい、ダニエラさん。ただちょっと驚いただけなんです、ごめんなさい」
人のあたたかさが体から離れる。エリノアは、ダニエラが微笑んだのを初めて見た。
「ロデ、交渉はしっかり行ってきたのでしょうね?」
「私は彼らの後見人として迎えに行っただけです。交渉はきちんと担当部署の、外交官が使者として行いました」
「そう。ロベリタが本気になったと聞いていたから、誰が行ったのかしら?」
「あちらはダブリス嬢が来ましたからね、ヘンリーには荷が重たかったかもしれません」
「……ああ、あの方でしたか」
……ダニエラさんの、いわゆる貴族の社交界の一端を垣間見た気がする。
ロベリタのタブリス嬢。あの男装の麗人。なんとも不思議な魅力がある人だった。ただ、目が合ったら逃げられない気がして、ずっとキリエの背中に隠れていた。あれはもう、獲物を狙う蛇の目だった。
「まあ、キリエを餌にするだけの能力はありますから、心配いりませんよ」
「……あの資料はロデリック様の差し金でしたか」
「差し金とは酷い言われようだ、せめて入れ知恵と言ってほしい。お陰でロベリタと安く交渉できたとヘンリーが喜んでいた」
帰るまでの数日間に取り掛かっていたロベリタの資料は、高次元の思惑の元、お師匠様に来たらしい。
「あ、お帰りー! キリエ、エリーちゃん。リムは無事かい?」
「あれ? ルークさん? どうしてここに?」
「リムは無事なの、お菓子を寄越せなの!」
「お菓子は屋敷にあるよ、リム。ちょっと前からね、住み込みで警護することになったんだよ。ロデリック様から聞いてない?」
まったく聞いていなかった。フィスラの街の警邏騎士を、一軒家で借りてしまって問題ないのだろうか?
「上と話し合った結果、ルークが住み込みで警護に当たる事になった。そういえば二人に言うのは忘れていたな」
「ロデリック様、そういうことは馬車の中で話してくれても……」
「その前に君は寝てしまっただろう」
「…………大変失礼いたしました」
キリエが寝付いたのは、馬車が動き出してすぐだった。確かに、ロデリックがキリエに言う機会はなかった。
ルークがキリエに、何か長方形の小さな紙を渡した。
「なんだこれは?」
「家具を新調したからね、請求書だよ。ライナーの知り合いに頼んだから、良心的な価格の店だ」
「…………おい、良心的な価格と言うわりに、やけに値段の桁が違うぞ」
「特急料金が追加されているよ。それと、こっち」
今度は胸元から二つに折りたたまれた、似たような紙が出てきた。
「この間の領収書ね」
「……お前っ」
ルークがエリノアを見ながら、にっこり笑う。……この間の領収書? え? まさか!? あの時の!! 本当に領収書をもらったの!?
ぽんとロデリックがキリエの肩に手を置いた。なんとなく、いたわるようなそんな感じで。
「一人養うくらいの稼ぎはあるんだろう? そのくらい気前よく払いなさい」
それがお師匠様にとって、トドメの一言になった。
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