05・見えない柵
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リムと一緒に眠ったベッドの中で、エリノアは目を覚ました。まだぼんやりとする目を擦って起き上がれば、キリエが作業台代わりにしているテーブルの上で、書き物をしている姿が見えた。
屋敷で自分が使っているものより、だんぜん大きいしふかふかしたベッドの上を移動して、端で足を下ろして腰掛けるようにエリノアは座る。さすがに一週間も使っていれば、ある程度慣れてくるというものだ。
残念ながらキリエはこの一週間、見事にソファーで寝起きしている。ベッドメイクにきている女官が、未使用なことに気が付いて何か不満があるのかと、こっそりエリノアに聞いてきたぐらいだ。……エリノアも困った顔で、分からないと答えるしかない。ソファーの方が落ち着くだけだそうです。とはさすがに言えなかった。
自主軟禁にも近い状態で過ごしている二人のもとに、二日前にやってきたロベリタの使者――エリノアが初めて見る男装の麗人が渡してきた資料に、キリエは黙々と何かを書き加えている。
昨日エリノアたちを迎えにやってきたハウゼン家当主ロデリックに、滞在の延長を頼むほどには重要なものらしい。ロデリックはロベリタから話を聞いていたらしく、日程の変更希望に驚いてはいなかった。
手伝おうにも、生体技工に関係する資料だと言われ、エリノアはすることもなく暇な時間を過ごすことになってしまっている。
あくびをかみ殺して、エリノアはキリエを見る。ロデリックが持ってきた荷物の中に、ダニエラから預かっていた触媒液のビンが入っていた。今は義眼を外して眼帯をしているせいか、頭痛は治まっているらしい。
外に出たくても、出られる状況じゃないのは体験済みだ。この客間に来た翌日、少し庭を見てみたいと頼んで、護衛の人と一緒に部屋の外に出たときのことだ。餌に群がる魚のように、貴族のような人たちに囲まれた。あまりのことに怖くなって、一瞬でこの客間に戻ってきた。
部屋に閉じこもっているのもつまらないだろうと、シャルティアからお茶に誘われ、シエネの遊び相手という名のもと城の庭園を連れまわされ、キリエと一緒にアンカルジアでお世話になっていた、女好きというご老人に会ってきた。……しかしそのご老人、強烈な人だった。
「キリエ、お前の子供か?」
「殴っていいか? じじい」
開口一番に言われた言葉がこれだった。年配者を敬うなんて言葉は、どこか遠くに放り投げられた二人の言葉の応酬に、精神的にごっそり削られて部屋に戻ってきた。あの人が、王宮付きの魔導具工房の責任者とか、世の中は不思議でたまらない。
お師匠様の口の悪さの何割かは、あの人が原因な気がしている。
「寝ないと成長できないぞ」
ちらりと、エリノアを見てキリエが言う。
「……お師匠様だって、寝ないと疲れがとれませんよ」
「なるべく早く向こうに渡さないと面倒な事になる」
「それは分かってますけど……」
「お前がやる訳じゃないんだ。寝ていろ」
そう言われてしまうと、返す言葉がない。手伝いようもない以上、エリノアにはどうしようもないのだから。仕方がないので眠気が再びくるまで、だれるようにベッドに横になって、エリノアはキリエを観察することにした。
エリノアが言い返さないことで、キリエはまた手元の資料に集中している。この客間で、シャルティアたちに連れ出される以外、キリエは何かしらの資料を見ていた気がする。屋敷から持ち出されてきた資料と、グウェインがこの城に訪れてから集めていた資料の仕分け。どこまでを廃棄するべきなのか、アンカルジアの書記官と一緒になって行っていた。
手を伸ばせば、すっかり返す機会を逃したキリエの指輪が目に入った。交差する羽根の模様がある指輪。
「お師匠様、そろそろ指輪を返します。ずっと持っていたら失くしそうです」
「この国にいる間は持っていろ。あの宰相を顎でコキ使えるぞ」
「……使いませんからね」
キリエの口振りからして、スパルダ家の何かを証明する指輪なんだろう。だからって、他国の宰相様を顎で使う予定もなければ、そんな度胸もエリノアにはない。
「この指輪、お師匠様が使っているものじゃないですよね? 何なんですか、この指輪」
「……スパルダ家のしきたりのようなものらしい。成人をすると、装飾品に模した魔導具を家族が贈るそうだ」
「へー。じゃあ、これは――」
そこまで言いかけて、エリノアは気が付いた。キリエがはめることの出来ない指輪、家族からの贈り物。そしてキリエは、スパルダ家からは離れていた。だから魔導具がスパルダ家から贈られる事はない。つまりこれは……。
「――っ!! お師匠様! 返します!!」
一気に目が覚めた。急いでキリエの元に駆けて、外した指輪を押し付けるように返す。
だってこれは、お師匠様のお母様の形見だ。大切な指輪。その指輪を、いつまでも自分が持っているわけにはいかない。
「屋敷に戻るまでは持っていろ」
「でも、この指輪はお師匠様の……」
「それでこの国にいる間、お前の安全が確保できる。理由あっての貸付だ、細かいことは気にするな」
「だ、だって……っ!」
ぜんぜん細かいことじゃない。大切なもの、お師匠様がいつも持ち歩いているもの。
「母はそのくらいでとやかく言うような、繊細な性格はしていなかった、問題ない」
「でも……」
「失くしたらその分請求してやる。安心しろ」
「逆に安心できなくなりました、どうしてくれるんですか!」
「なら屋敷に戻るまで、失くさないように気をつけるんだな」
「うっ……」
畳み掛けられてしまった。この指輪を返す口実が、エリノアには浮かばない。
がっくり肩を落として、エリノアは近くにある椅子に座って膝を抱える。この指輪の事情を知ってしまって、重い空気が背中に圧し掛かる。
「お師匠様、酷いです」
「なら気付かない振りをしていればよかっただろうが」
話の流れで気付いてしまったものを、気付かない振りでいるなんて高度な技術、自分には無理だ。
涼しい顔をして書類に手を走らせるキリエが恨めしい。
「お師匠様、訊いてもいいですか?」
「……なんだ」
「どうして私を、弟子にしたんですか? お師匠様なら、もっと腕のいいお弟子さんが見つけられたと思うんです」
実際、キリエのところにくる手紙に、弟子の受け入れを打診する旨が書かれた、協会からの手紙が何通かあるのを知っている。そしてその手紙のすべてを、断っているのも。
グウェインと、ツギハギが言っていた言葉。あの言葉が、どうしても気になってしまう。お師匠様はどうして、自分を弟子にしたの?
「腕がもともといいのなら、俺のところに来る必要性はない」
「……まあ、確かにそうかもしれませんけど」
「お前、俺が先生の復讐目的で弟子入りさせたと思っていたのか?」
「…………少し、考えました」
ぼそりと呟けば、キリエの冷ややかな視線が来た。でも、キリエはグウェインの言葉を途中で遮った。違うのだとしたら、どうしてそんな事をしたのかと思ってしまう。
「――グウェインのあの一言か」
小さく頷く。いたたまれなくなって、合わせた膝に顔を隠すように額を乗せた。
「放っておいても死にそうな小娘をなぶる趣味はない。俺はただ――」
「ただ?」
珍しく、キリエが言いよどむ。
先を促すように、エリノアは言葉尻を繰り返す。
「俺はただ、故郷を失くして、母親が死んだ子供に……間接的な元凶として、責任を取っただけだ。逆に訊きたい。お前は自分の故郷が無くなり、母が死んだ原因になった男だと知って、それでもまだ、俺の弟子でいたいと思うのか?」
間接的な元凶。原因となった男。
そうだ、ミレハの内乱。起こった原因は、スピカヴィルにいた術具技工師、イーゼル・ハウゼンの工房の襲撃。キリエはイーゼル・ハウゼンの弟子。話のつじつまは合う。
それはつまり……。
「お前にとっては、親の仇と同じだぞ」
いつもの二色の瞳じゃない。キリエの、空の青い瞳がエリノアを射抜く。
「で、でも、お母さんに怪我をさせたのは、人攫いの商人です」
「お前が母親と共に国を出る必要に迫られたのは、俺と先生が原因だ」
心臓が、驚くほど音を立てている。耳にまで聞こえてくる鼓動に、ぎゅっと手を握りしめる。呼吸が苦しい。息が詰まる。
どうして、その考えまで行かなかったんだろう。どうして、そう思わなかったんだろう。どうして、どうして……っ!
「……そ、それで、もし、わ、私が、死んでくださいと言ったら、どうするつもりだったんですか?」
「生憎、先生に背負わされた代物のお陰で、気軽にほいほいと死ねない。が、早死にする努力はしよう」
「そこは否定してくれたっていいじゃないですか!」
エリノアの甲高い声が響く。思わず、叫ぶように言い返した。死んでくれって言ったのに、どうしてそう平然としていられるのか、エリノアには理解できない。
「ならどうしたらいい? お前は俺に、何を望む?」
息を切らせてキリエを見るエリノアとは対照的に、キリエはどこまでも冷静だった。その瞳に映るのは自分の姿なのに、キリエはもっと違うところを見ている気がした。
「他にも、ミレハの人はいっぱいいます。皆がみんな、お師匠様にそんなこと言ってくるかもしれないのに、どうして……」
「事実だろう?」
「でも――っ!」
いろんなことが浮かんできて、頭の中がごちゃごちゃして、考えがぜんぜん纏まらない。何を言えばいいのか、どう伝えればキリエが納得できるのか。
あれ、どうして私は、お師匠様を納得させようとしているのだろう?
「私、お師匠様のところを出たら、行くところがないです」
「前にも言った。基礎は身に付いている、俺の紹介状を持っていけば工房はいくらでも出てくる」
淡々と、言葉が返ってくる。
行く当てがないなんて、キリエには何の理由にもならない。ただ、傍にいたいだけなのに。一緒にいて、その時に同じ場所にいて、同じ思いを共有して。
形は違えど、エリノアにとっては家族と同じで。帰る場所がない辛さは、きっとお師匠様だって判っていると思っていたのに……。
「わたし、わたし――」
「そもそも俺が、お前の教育に飽きて、そこらへんに放り出す可能性を考えていなかったのか?」
「だって、お師匠様はそんなこと……」
「今はなくても、これから先にあるかも知れないだろう」
「でも、そんな様子……」
なんだろう、見えない何かに、どんどん追い詰められている気がする。ここはどこなんだろう。目の前にいる人は本当に、自分のお師匠様なんだろうか? 逃げたい。実際に体は椅子から立ち上がっている。
どうして、だったらなんで、『まだしばらくは、大人しく破門されていろ』なんて言ったんですか? どうして私を弟子だと言ったんですか?
「お師匠様、性格悪いって言われたことありませんか?」
「心当たりがありすぎるほどよく言われる」
「お師匠様、私、あんまり頭がいい方じゃないです。要領だってよくないです」
「それで?」
「……でも、分かることはあります。確かに私の故郷がなくなったのは、お師匠様の先生の研究がきっかけです。お母さんと国を出る事になったのは、その結果です。お母さんが怪我をして……死んだのは、あの人攫いの商人が原因です」
ゆっくりと、一つひとつ確かめるようにエリノアは言う。間違えたら駄目だ、キリエに言葉を挟む余地を与えてはいけない。
「でも、お師匠様の先生がしていた研究は、間違った使い方をするためにしていたものじゃない。『我々の役目は、元の生活に戻る、手助けをすることだ。』私、お師匠様からもそう教わりました。……それにお師匠様はあの時、私に道を出してくれた。助けてくれました。最初の理由なんて、私はお師匠様じゃないから知りません。だから、何もしていないお師匠様を恨めって言われたって、私には出来ません」
深く、息を吸う。もう少しだ、頑張れ自分。
「私、見習いがつくけれど、お師匠様の弟子です。誰がなんと言おうと弟子って言い張ります。もし、何かしたわけじゃないお師匠様が自分を仇で憎めって言うなら、私、早く一人前になって、お師匠様を「ぎゃふん」と言わせることで、復讐する事にします!」
もう、ずいぶんと前に決めたことだ。
精一杯、キリエの目をそらずに、エリノアは言い切った。
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