04・魑魅魍魎の集まる場所
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高く遠くにある天窓のお陰で比較的日当たりのいい、地上の牢に入って四日目。差し入れの本を読みながら、ナウイルはのんびりと過ごしていた。
ナウイルのいる牢屋番の兵士は、よく話し相手になっている。その兵士から牢を出され向かった部屋に、面会人が一人いた。城に上がるということで仕立てのいい服を身につけ、こざっぱりとした姿の老人。その老人は、ロベリタの術具技工師協会の、未だ発言に力のある前会長だった。
「ご無沙汰しております。会長」
「もう会長は引退したぞ」
「僕の中では会長のままで、時間が止まっておりますので」
「ナウイル、よく生きていてくれた。フラウが死んだと知らせを受けて、お前の消息は分からず。どれだけ肝を冷やしたことか」
「……もう死んでいますので、その言葉は適切ではないかと」
そうナウイルが言えば、老人は皺だらけの顔をさらにクシャクシャにさせ涙を流した。
知らせは来ても、二人とも遺体すら見つからない中、月日だけが当人たちを置いて無常に過ぎる。
「フラウめ、あのバカ娘が」
「師匠を責めないでください。あの人はただ、僕に生きていて欲しかっただけなんです」
「わかっとる、わかっとるから、儂は己が許せんのだ」
ミレハの一件に係わりのある人間の、遺恨はけして小さくはない。
どうしてこうなったのか。道をどこで間違えてしまったのか。ミレハから技術交流の手紙が来たとき、止めておけばよかったのだ。どれだけそれを悔やんでも、すでに変えることの出来ない過去で。
交易の国。内部の生産技術力の小ささ。ゆえに技術職に就く人間の、行動は割りと大目に見られていた。発表された共同研究の内容。だから見過ごしてしまった。だから行かせてしまった。それが今生の別れになると露とも思わず。
「師匠ですが、シェスナ交易街道、ロベリタ寄りの一番大きな木蓮の木の近くに埋葬しました。今年もまだあの木はありますので、落ち着いたら師匠を国もとへ連れて帰ってください」
ゆっくりと仮面を外し、ナウイルは頭を下げて頼んだ。
見覚えのある顔は、自分が知らない月日の間に一体何をされたのか。老人は腹の中で膨れる怒りを押さえ込み、その懇願にも近い頼みに頷く。
ミレハから来た移民の少年。ことさら娘が可愛がっていた弟子。
「長らく挨拶にも行かない無精者でしたが、お世話になりました。まだしばらくは会長に迷惑をかけると思いますが、後をよろしくお願いします」
老人の知らない時間に成長していた彼は、泣きそうな顔で、静かに別れを告げた。
「年寄りよりも先に逝くとは、二人そろって大バカもんが……っ!!」
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集められた各国の代表に、今回の一件でマティアスは謝罪した。事件の詳細の説明、首謀者への刑の執行。そして、山脈向こうの国に攻めいる気がないことを示す。使者たちは、戦争が行われないことが確認できたことに安堵した。
室内を飛び交う問いかけと返答、時として入る嫌みのような一言。己の国の利益を求めるための交渉が始まっていた。
そんな中、大会議室の席に座る一人に、外から入ってきた人物が耳打ちをする。その言葉に了承したように頷く女性は、やや剣のある表情で口を開いた。
「一つ条件を追加しますわ。今牢に入っている罪人――ナウイルの、遺体の引渡しを求めます」
ざわりと、部屋の空気が揺れる。
男装の麗人は、ロベリタからの使者だった。赤みがかった茶髪をきっちりと纏め、それでいて己の容姿を最大限に利用すべく、男の服を身に纏いながら、女性としてのアンバランスさを前面に押し出す格好をしていた。
商いは戦いであると豪語する彼女の、餌食になればどれ程の悪条件だろうと呑まされてしまう。交易をする人間からは恐れられている相手。
「随分と、首謀者は非人道的な行いをしていたようですわね。――隷属の紋。裏社会でしか聞かぬようなあくどい手段を持ってして、我が国の民を利用するとは……。なんと恐ろしいことでしょう」
持っていた扇子を音を立てて閉じると、ツンと澄ました表情で彼女は言った。わざとらしくも聞こえるそれは、明らかにある国へのあてつけだと分かる。
「ミレハの内乱。そのときにあの者を逃がさなければ、この様な事態は起こらなかったのではないのかしら?」
「言っておきますが、そちらの件に関しては、我々が介入する前に起きた事であるのをお忘れなく」
ふっと、絹の手袋の上から、形のいい指先に息を吹きつける。やや上目使いに、厭味ったらしく見上げる相手は、スピカヴィルの使者。
一緒に来たハウゼン侯が使者として立つと思っていたマティアスには、予想を裏切られた形だ。彼はすでに、キリエたちの手続きを始めている。本当に後見人として、迎えに来ただけだった。
「ええ、しっかり覚えておりますわ。ですが、そちらのミスがなければ次はなかった。そう思いませんこと? さて、どうしたものかしら。今アンカルジアに来ている、そちらの術具技工師の師弟、彼らをこちらに引き抜こうかしら?」
「なっ!?」
「だってそうでしょう? テイラーズ王家の縁者。交易の国ロベリタとしては、新たな取引先にテイラーズは悪くない」
今日この場所に、彼女を使者として立てたロベリタの本気が判る。微塵も引く気はないということか。
スピカヴィルの使者の顔色が一気に悪くなる。隠していた情報が、どこから漏れたのか、今頃必死で予想しているのだろう。これだから交易の国は怖い。まったく、どこで情報を仕入れてくるのか……。
「アンカルジアの移民街をうろうろしていた、貴族らしいおじいさまに、感謝しないといけませんわね」
「……スパルダ、まさか」
続いた彼女の言葉に、スパルダが顔を手で覆った。まさかの自国からの流出だったか……。移民街の貴族の老人。思い当たるのはスパルダ家前当主。今の当主ストレイドが、あの色に拘りすぎた老人の考えを改めさせるために、隠居と称してわざと追いやった場所。
白銀の髪に澄んだ青い瞳。それがテイラーズ王家の特徴だと知っていれば、簡単に実益に結び付けられる。
「おい、スピカヴィル! テイラーズの縁者がいるとは聞いていないぞ!」
「いったい誰だ。まさかお前たち、移転の魔方陣で勝手に取引をしていたんじゃないだろうな!」
「そんなことをしている訳がないでしょう!」
スピカヴィルの使者の顔が引きつる。これはかなりの悪条件をぶつけられる可能性が高い。すまん、キリエ。フォローに入るだけの余裕は僕にもなさそうだ。
「あら? 皆さんそんなに私の国と取引をしたいと?」
大仰に開け放たれた扉から入ってきたのは、会議室の空いている席の一つに座る予定の人物。
いろいろ面倒事を片付けて、手札を作ってくると言ったシエネは、遅れてこの場に到着した。血まみれの外套を外し、正式な服に着替え現れた彼女は、確かに使者としてここに来た。
白銀の髪に、澄んだ青い瞳。その色の意味に気付いた面々は、ぎくりと体を強張らせる。まさか、その人物を連れてきたのかと、訴えるようにマティアスを見た。
「見ないお顔の方ですこと。どなた様かしら?」
誰が声をかけるか。窺うような周りの様子に臆することなく声をだしたのは、ロベリタの使者。判っている、だが確認のために訊ねた。そういった声音だった。
それでも先に名乗らないのは、下に立つ気はないという意思表示。
「お初にお目にかかるわ、『南大陸』のみさん。私はテイラーズ王家一の姫。シエネフィルミリアースタ・エディアルド・テイラーズ。本当はもっと長い名前なのだけれど、いつも省略させてもらっているわ。シエネで結構。貴女がロベリタの使者かしら?」
「ええ。本日ロベリタの使者として来ました、ミネルバ・ダブリスと言います。シエネ様、こちらこそお初にお目にかかります。常々、貴国とは交易を結びたいと思っておりましたのよ」
「そうなの? だったらいつでも手紙を送ればよかったのに」
「移転の魔方陣を利用しても、相手が決まっていなければ正確には届けられませんわ」
お分かりでしょう? そう耳に絡みつくような声音で、ミネルバは言った。交渉の場が始まった。一部の人間が、そのちらつき始めたミネルバの牙に慄く。
「それもそうね。ところでミネルバ様、報告はしておくわ。ナウイルの隷属の紋、効果を解除しておいたわ」
「――っ!?」
常日頃、余裕を持った表情を崩すことのない彼女が、驚きに大きく目を開いた。
キリエ曰く、悪趣味の極み。隷属の紋。それが厄介たらしめている理由は、その効果が、術をかけた人間が死んでも継続されることにある。解除できる術も存在している“らしい”が、南大陸では研究中のままで、効果的な解除方法は事実上存在していない。
それをシエネは解除した。間違いなく、手札の一つだ。
「国を代表して、感謝の意を申し上げます。シエネ様」
椅子から立ち上がり、最上級の礼をしてミネルバが言葉を伝える。
「確かにその言葉、受け取りました。こちらの解除方法については、アンカルジアの技術者集団に、まるまるお伝えしてありますので、広める相談はアンカルジアへ」
…………え? 聞いてない! 今の話は聞いてないぞ!?
それでもとっさに彼女に視線を投げることは出来ない。あくまでも前から聞いていましたよと、表情だけは取り繕う。被っていた猫が、途中で過労死しないかマティアスは不安になってきた。
シエネと一緒に来ていた外交官が席に着くと、マティアスは自分自身を落ち着かせる意味でも手を叩く。使者たちが、一応ではあるが居ずまいを正すのを確認して、当初の話に戻していく。
「それでは、グウェインの処遇についてお話します。先に話していた様に、すでに彼の処刑は済んでいます。事後承諾になってしまったことは謝罪します」
「本当に処刑したのだろうな?」
「それは当然です」
一度スピカヴィルの手から逃げ出した前歴がある以上、疑うのは当然だ。アンカルジアと同じように北の山脈の麓を国土に持つ使者が、疑わしげな眼差しを向ける。
マティアスはシエネに視線を向ける。ここからは彼女の言い分だ。
「刑を執行したのは、私です」
「何故かね?」
「今回、彼らはテイラーズへの侵攻を計画していた。ですがそれよりも以前に、彼個人は、我が国……というよりも、王家を敵に回したも同然のことをしたのですよ」
「ミレハの事件のことでしょうか?」
「ええ。件の事件で重傷を負った者の中に、テイラーズ王家の末も末席ですが、そこに座る者がいました。ですが末とはいえ、王家に連なるものです。それが理不尽に害されたとあっては、ただ黙って指を咥えているわけにはいきません」
椅子の背もたれに深く体を預けて、シエネはあの時見せた指切り姫の一端を覗かせる。
「機会がここまで延びたのは、当人の置かれた状況が理由です。ですが次はないと王家で話が纏まっていました。そしてこの事件が起きたので、今回テイラーズも介入しました。遺体安置所に、彼の体は預けてあります。ご安心ください。首から上『だけは』残してありますので」
首を残すように手加減するのが大変でした。にっこり笑いながら言うシエネに、内心で震えているのは何人いるか。
「皆さんの言い分もあるでしょうが、ここは収めていただきたい。グウェインは処刑した。集めていた禁忌技工の技術書はすべて破棄しています。残党に関しては……」
「ロベリタ商人連に潜り込んでいた数名から、こちらも把握している人員はいますわ。条件を呑んでいただけるなら、お渡ししてもよろしくてよ?」
「判りました。まずはナウイルの遺体の引渡しを」
「ええ。よろしくお願いします」
珍しく含みのない表情でミネルバは言った。
「スピカヴィルからは、技術者組合に探りを入れていた不審者と、そこから繋がりのある裏組織の名簿をこちらに用意してあります。フィラスカの組合にも繋がっているのがいましたよ」
「なんだとっ!?」
奪うような勢いでスピカヴィルの出した紙束を取った、港を持った国フィラスカの初老の使者が、眼を皿のようにして紙を凝視する。
「ぐっ……こいつらは!」
どうやら心当たりがあったらしい。
軽く息を吐いて、マティアスは気を入れなおす。正直なところ、ここからが本番といっていい。
「各国代表がすべて集まる機会はそうはありません。とくにテイラーズが参加するのは、まずありえない。よってこれより各々持ちえた情報の交換と、それに伴う交渉を行いたいと思います。皆さん異論はありませんか?」
室内をマティアスは見回す。誰からも異議はない。もとよりここにきたのは、事情説明とアンカルジアの謝罪の場。そして交渉のためだ。この機会を逃すほど、彼らは愚かではない。
こうして紛糾した会議は、一部の人間にロベリタの恐怖を植え付け、また大多数の人間の胃と毛根に多大なるストレスを与えて終了した。
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