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 03・色

 


 いつぞやのお師匠様の冗談ではないが、動かしたら吹っ飛ぶ、などのトラップはありませんように! おっかなびっくり首の魔導具をエリノアは外すが、特に何も起こらずほっと息を吐く。



「何だ、首が飛ぶとでも思ったか?」

「お師匠様が悪いんじゃないですか!」

「あっさり信じるお前もお前だ」



 皮紐に、鉄で出来た小さな飾り。いったい何の魔導具なのか、皆目見当も付かない。これはそのうち、魔導具の勉強もしたほうがいいのかも。



「人魔戦争で両親が死んで、俺も酷い火傷を負って、身を寄せていた領地の領主の世話になっていた。母の魔導具作りの師匠のような人だ」



 火傷……。もしかして、ダニエラさんが火の扱に神経質なのは、お師匠様の火傷が原因?



「女好きの色ボケじじいで、夜中にしょっちゅうトラブルを起こして、いい迷惑だった。安眠妨害もはなはだしい」

「……お師匠様、辛辣ですね」

「事実だ。まだしぶとく生きているから、アンカルジアにいる内なら会わせてやれる。安心しろ、少女趣味はなかった」

「返答に困る提案です」



 その世話になった人物を思い出したのか、キリエは顔をしかめる。それでも、困ったような、懐かしむような表情に見えて……。文句を言うような口振りだけど、楽しく生活をしていたのかもしれない。



「まあ、そこで過ごしたのも数年だ。どこで耳にしたのか、スパルダ家の当主……今は前当主か。が、母の子供の話を聞きつけ、捜していたらしい。もともと母の話から、本家にいい感情を持っていなかったからな。今更かという感想しか出なかったが」

「えと、それはお師匠様を引き取るつもりで、ということですか?」

「さあ、どうだろうな。その人と一緒に、城に上がったときに向こうから顔を見にわざわざやって来た。『色にしか』興味のなかった前当主は、母の色を継いでいないと判るや否や、」


『――娘と瞳の色が違う。お前は本当に娘の、スパルダの血を引く子供か?』


「面と向かって絶縁宣言が来たから、ちょうどいいとアンカルジアを出たわけだ」

「お師匠様! もっと怒っていいと思います! なんですかその人! 瞳の色が違うから、娘の子供か? って、失礼だし酷いです!」



 両親を一度に失くした子供に、言うべき言葉じゃない。本家の人間で、自分の娘の子供なのに……どうしてそんなことを言ったのよ!

 椅子に座ったまま、自分のことでもないのに一人憤慨するエリノアに、キリエは気付かれないように苦笑した。



「だから言っただろう、色にしか興味がないと。スパルダ家の男子は、黒髪に紫の瞳の二色を継ぐらしい。女でその二色を継ぐのは相当珍しかったそうだ。あの耄碌じじいの色に対する拘りは尋常じゃない。母が家を出て行くだけの根の深さがあるということだ。その後は商人の荷馬車に同行させてもらいながら、アンカルジアから離れたスピカヴィルに来た。俺も子供だ、勢いで来たはいいが先なんて考えてなかった。貧民街の少年たちにまじって、日銭を稼ぎながら暮らしていたときに、先生に会った」



 お師匠様のお母様は、女性では珍しい二色を継いでいたことになる。だから、その子供が色を継いでいないことに、前当主は落胆した。だからって、それを当人に言うのはお門違いだ。

 後はお前も大体は分かるだろう。そうキリエは続けた。



「そのお師匠様の先生が、イーゼル・ハウゼン様、なんですよね? ハウゼン侯爵家の……ご子息?」

「そうだ。ダニエラ様は、先生の妹の薬術師だ。侯爵家の令嬢だな、一応は。さらに言うなら、ハウゼン家現当主のロデリック様は二人の弟だ」

「…………」



 開いた口が塞がらないとはこのことか。どうしよう、ダニエラさんには礼儀とかちゃんとしてなかった……。後で無礼打ちとかされたりしないだろうか。



「ミレハの一件で、先生は幽閉されることになった。ダニエラ様は瀕死の重傷。俺には理由の想像しか出来ないが、先生なりの理由があってダニエラ様に生体技工を施した。俺自身もかなりの怪我をしたからな、しばらく侯爵邸に身を寄せていた。ある日、やたら深い眠りから目が覚めたと思ったら、失くしたはずの右目の視力が戻っていた。鏡を見て、見覚えのある瞳の色にぞっとしたよ」

「もしかして、その義眼は……」

「ああ。俺の義眼は先生の眼球でできている」



 どれ程の想いがそこにあったのか? 自分の眼を、差し出すほどの強い想い。師匠と弟子。でも、お師匠様とその先生との関係は、もっとずっと深い絆がある気がする。

 お師匠様にとって親も同然だった人。なら、その先生にとって、お師匠様は……。

 禁忌と呼ばれた技工を施すことになってもなお、弟子であるキリエの視力を戻したかった。



「まったく、あの人もたいがいだ。人に意見を聞きもしないで」



 囁くように呟いた一言は、とてもあたたかい響きを持っていた。呆れたような表情で、けれどその中に浮かぶ、寂しさのようなものが垣間見える。

 キリエの先生。どんな人だったのだろう、ある意味クセのあるキリエの師匠。喧嘩っ早かったのか、それとも逆にキリエをやり込めてしまう程の策士だったのか。ダニエラの兄だ、もしかしたらすっごい厳しい人だったのかもしれない。



「……ダニエラさんは、大丈夫でしょうか?」

「屋敷のほうは問題ないだろう。明日、時間があればマティアスに連絡用の魔導具が借りられるかは聞いてみる」



 ひっそりと家具の入れ替えが行われているのは、二人が知るよしもない。



「それと今、ここにシエネが来ている」

「え? この間のお客さんの? シエネさん?」



 ダニエラから、不用意にかかわるなと言われた人だ。それが向こうからやってくるとか、どうしたらいいのだろうか……。



「そうだ。今回の一件で、『向こう』も首を突っ込むことにしたらしい」

「向こう?」

「ああ。シエネはテイラーズの王族だ、今回は使者としてアンカルジアに来ている。どうせ耳にするだろうから先に言っておく。俺の父はシエネの父親の弟だ」

「え?」



 シエネはテイラーズの王族、つまりは姫だ。その姫の父親の弟が、キリエの父で……。キリエの母はアンカルジアの貴族の娘で、父親はテイラーズの王族の血筋。あれ、それってつまり……。



「え、ええ? えええっ!? ってことはお師匠様、なんてややこしい身の上なんですか!?」

「お前も言うようになったな」



 ぎろりと、今までの比じゃないくらいの鋭さで睨まれた。



「ついでに言っておく。お前はまだしばらくは、大人しく破門されていろ」

「えええええっ!?」



 エリノアの叫び声は、次の間の女官が驚いて訪ねてくるほど響いていた。



+++++



 息が詰まる。石造りの部屋に、鉄の格子が並ぶ場所。薄暗いそこは、掃除をするのが楽なのと、声が外に響かないとして、『うってつけ』だった。



「まったく、いろいろとやってくれたらしいじゃない? あなた」



 艶のある、シエネの声が響く。一つだけ使われている格子の向こうに話しかけている姿を、隣に立っているナウイルと一緒にマティアスは黙って見る。この場は、完全に彼女に預けた。まだ、二国からの連絡待ちの状態だから、手を出さないだけで。

 負けを認めていたとはいえ、グウェインに反省の色はないらしい。間違ったことをしていない。そう信じている彼を折るには、それを覆す必要がある。けれど、自分にそれを行うことは出来ない。



「おかげで忙しい最中、余計に忙しくなっちゃったのよ? どうしてくれるのかしら?」

「なぜ、わたくしが貴女の都合を汲まなければならないのでしょうね」

「確かにそうね。でもね、あなた、ちょっと自分勝手に殺しすぎちゃったのよ。駄目じゃない、そういうことは分からないように徹底的に隠さなくちゃ」



 諭しているのか、説教をしているのか判らない会話だ。彼女が、テイラーズが何を考えているのか。国としての意見でシエネは動いているが、そこにある根元はもっと単純な気がしている。

 重たい音を立てながら開いた分厚い扉から、宰相のスパルダが入ってきた。マティアスの耳元で、声を潜めて結果を話す。



「殿下、両国より承諾が得られました」

「快く、とはいかなかっただろうな……」

「はい。かなり叩かれましたが、テイラーズが介入するとの事で、一応の納得は。ただ……」

「なぜ介入したのか理由を述べよ、か?」

「はい。ただしスピカヴィルは彼を逃がした手前、強くは出てきませんでした。ですが理由の検討は付いているようで、早々に術具技工師キリエと、その弟子の身柄を引き取るとのことです。移転の魔方陣の許可を求めてきました。それとロベリタですが、交渉が始まる前に、術具技工師フラウリンクの弟子の面会を要求しています」



 マティアスは隣に立つナウイルに視線を向ける。その本人は、聞き耳を立てているだろうが口を挟むつもりはないらしい。



「だそうだが、場を用意してもいいか?」

「王様になるんだから、そんな顔色伺いなんてしなくていいんじゃないのかな?」

「……確かにそうだが、まだ王でもないし、一応はな。で、どうする?」

「誰が来るかにもよる」



 スパルダに相手を聞いているか視線で問う。



「ロベリタ術具技工師協会の、前会長です」

「会う」

「準備を始めてくれ」

「はい」



 開いた扉が再び閉じるのを確認すると、マティアスはシエネに向かって声をかける。



「シエネ殿、両国から承諾が得られた」



 ちらりと向けられたシエネの視線、許可が出たと伝えた瞬間、ぞわりと肌が粟立つほどの冷たい鋭さを持った。今まで見せていたものを打ち消すほどに。無意識に、足が後ろに下がる。これが、指切り姫の本性の一端なのか。



「ですって、元王子様。安心なさってくださいな。首はちゃあんと残しておくから」



 格子の間から手を伸ばし、グウェインの髪を掴む。にっと笑った形のいい唇は、恐ろしいほど真っ赤に染まっている。



「あなたが原因で、おじいさまがカンカンだったのよ? 『孫』の目を抉ったのはどこの輩だ! ってね。まあ、これで溜飲も多少は下がるでしょう」



 彼女の一言に、マティアスはやはりと思った。キリエの父親は、シエネの縁者だ。下手をしたら、王族の血筋の可能性がある。



「孫? 貴女は一体……」

「……たいした者じゃないわ。ただ、あなたが怖くて怖くてたまらない、テイラーズの人間。ここでは指切り姫と名乗ったほうがいいかしら」



 胡乱気にシエネを見ていた、グウェインの顔色が一気に変わった。己の髪を掴む手を振り解こうと、腕を動かす。



「マティアス! なぜここにテイラーズの人間がいる!」

「今回の件で、さすがにテイラーズも文句の一つも言いたくなったそうだ。自業自得だろう」

「なっ!? 元を辿ればお前の父、国王が原因ではないのですか!!」

「そうだな。元は父でもある国王だ。だがな、当時からテイラーズは我が国を歯牙にもかけていなかった。だが、結果として、この国に介入する機会を与える行動をお前にさせたのだから、元凶も同然なのだろう」

「だったら――っ!」

「だがな、そこで一線を越えるかを決めるのは、己自身だ。お前はやってはいけない事を、そして以前、人を人と思わぬこともやった、その責任は取らなければならない。もちろん私の父も、今回の件で責任を取らせる」

「なぜだ! マティアス! 戦争の当事国ならば、なおさらアレは必要なものだ! なぜそれが判らない! なぜ、なぜ、あの連中と同じ事をお前も言う!?」



 格子の向こうでシエネの腕を払おうと、グウェインはもがき叫ぶ。理解できなくはないだろう、その考え。死者を減らす、不死のような技術。キリエから聞かされたその技術が、まったく真逆の意味であると知ってしまえば、求めることなどまずありえない。



「……私も大罪人だな」

「それでいいんじゃない? 偉い人が清廉潔白なんてまずないでしょ」

「……それもそうか」



 呟いた言葉に、隣から淡々と言葉が返ってきた。

 彼もまた、はっきりと決められてはいないが、刑の執行を待つ側だ。



「ナウイル、君はそれでいいのか?」

「別に、やったことの責任は取る。師匠を殺した実行犯のアズールへの復讐は終わったし、他に目的もないしね。ああ、そうだ。多分だけどさ、ロベリタから、僕の遺体の引渡し要求が来るから、それは認めて欲しい。この体はある意味面倒な技術の塊だからね。きちんと処理できる人たちに預けたい」

「わかった」

「言質はとったよ。拒否したら幽霊になって枕元に立つからね」

「それは遠慮したいから、忘れず覚えておく」



 耳をつん裂くような絶叫が反響する。大量の水がぶちまけられる音に視線を向ければ、壁一面が真っ赤に染まっていた。



「意外と呆気なかったなあ。もっとすっきりすると思ったのに」

「……どう言うことだ?」

「たいした事じゃないよ。ただ、ヤツが嫌いな国の人間に殺される姿を見れば、気分が晴れるかなって思ってた、それだけ。じゃなきゃ、指切り姫を呼んでくれってキリエに頼まないよ」



 その身に纏った濃紺の外套に大量の返り血を浴び、片手についさっきまで生きていた男の首をぶら下げたシエネが、静かに立っている。



「終わったわよ。とりあえず、テイラーズはこれで収めるわ。おじいさまのお願いを実行しただけだから」


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