02・尋ね人は噂の人
出てきた名前に反応したのは、シエネではなかった。
「蹴り飛ばさないほうがよかったか?」
「僕にヤツは殺せない、それだけさ」
「メンテナンスの時に見たアレ、まさかと思ったが……そのまさかか?」
「そそ。隷属の紋、見ただろう? 魔法要素なかったせいか不完全だったけどね」
隷属の紋。奴隷の取り決めがなされる前に、長い期間使われていた魔術の印。今はもう、表社会では見ることのないそれは、強制的に人の行動を縛るためのものだ。絶対的な服従を強要できるその術は、裏社会では割と見かける代物でもある。
「悪趣味だな。……エリノアの首にかけていた魔導具は、隷属の首輪の偽物か」
「正解。よく解ったね」
「本物の隷属の首輪なら、俺の目に影響が出ていないとおかしい」
「あー、そっか。その目、不便なようで便利だねえ」
非合法な術の行使すら行われていたことに、密かに空気が凍りついているというのに……術をかけられた当人のその口振りだけが、妙に軽い。
「……あなたの事情は理解したわ。だけど、私はこの国の刑の執行官ではないと言うのは、お分かりかしら?」
「ご不快でしたら、『仕留めた後に』僕の首でもお持ち帰りください」
「仕留めた後ねえ。あなた、性格悪いって言われたことがないかしら?」
「計略には不向きな人種なもので。手紙に書いてあるのは、当事者“たち”が体験した事実ですよ。それでも聖人君子でいろと?」
「……無理ね。だからご立腹なのよ」
シエネは腹を括ったのか、諦めたように肩の力を抜くと、マティアスたちに視線を向ける。
「そんな話が上がっているけど、そちらはそれでいいのかしら? テイラーズはこの話、『すでに』呑むことを決めているわ」
すでに決めている――テイラーズはアンカルジアに来る前に、ある程度の交渉の方針を決めていたと言うことか。もしかして、マティアスには知り得ない、キリエの手紙の中身が理由か。
「この場は非公式である、と受け取っても?」
「そうなるのかしら。まあ、民間人が二人、外交官は口出し無用。それにお互い名乗ってすらいない……確かに非公式ね」
本来なら、こういった裏取引のようなことはしたくなかった。けれど今、テイラーズの代表として来ているであろう人物との、交渉の場を失う訳には行かない。繋がりは絶対に残しておかなければならない。問題は、スピカヴィルとロベリタだ。どちらもグウェインの身柄の引渡しを求める可能性が高い。
一方は、侯爵家の子息がかかわり、一方は、国に二つしかなかった工房の一つを営んでいた女性がかかわっている。そして、キリエとツギハギ――ナウイル、その二人は弟子だ。
何より問題になるのが、キリエの父親だ。前に見たことがある。あの白銀の髪に、澄んだ青い瞳を持った男。自分の鈍い銀髪とは違う髪色に、子供のころ憧れていた。魔法を難なく行使していた、シエネとよく似た色を持つ男。己の出自を明かすことなく、墓の中へと入って逝った男。
キリエとシエネの繋がり。もし、自分の予想が間違っていないとしたら……選択を誤れば、アンカルジアは一気に窮地に陥ることになる。
きれい事だけで、国の舵取りは出来ない。清濁を併せ呑むだけのことをしなければ……。自分は、汚名すべてを背負ってでも事態を収めると決めていたのだから。ともすれば、実の父すら姦計に陥れることになるとしても。
その先に進むのが怖くない、そう言ったら嘘になる。次代に滞りなく引き継ぐのではなく、かつてその椅子に座っていた王を引き摺り下ろして継ぐのだ。きっと周りの反発は大きいだろう、それでも自分は――
「でしたら、根回しは必要になりますが――」
今の自分が国のために出来るであろう、最善を尽くすまでだ。
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扉を叩く音に、エリノアは辟易していた。その度に部屋にいた女官が対応していたが、こう何度も何度も叩き、自分を呼べと横柄に言われると不愉快だ。女官は何か言い含められていたのか、けしてエリノアを呼ぶようなことをしなかったし、彼らも部屋に押し入ることはなかった。それが救いとも言える。
ソファーに座ったままでも聞こえる会話に、どうやらこの部屋に突撃にも近い訪問をする人たちは、そろってキリエのことを聞きたいらしい。宰相との関係に、エリノアとはどういった間柄なのかとも。
……今なら、キリエの人付き合いが悪くなる気持ちが理解できそうだ。また扉を叩く音に、いっそあの高そうなベッドにもぐりこんでふて寝をすればいいのかもと、思えてきた。
「どちら様でしょうか?」
「エリノアを迎えに来た」
「っ!? お師匠様!!」
キリエの声が聞こえてきて、ふて寝をする考えを遠くへ投げ飛ばし、エリノアはソファーを飛び降り急いで扉のほうへと走る。外にいるであろう人たちに、中を見せないように入ってきた姿は、間違いなく師匠だ。
「お師匠様あ!」
「……今度はなんだ」
「ここ、この部屋、すっごい高そうなものばっかりで!」
いやですよ、この部屋。こんな高そうな物で溢れかえった部屋に置いていくなんて、酷いです。ぜんぜん落ち着けなかったんですよ! 壊したらどうしようとか、ソファーがふかふかすぎて、座ってるんだか沈んでるんだか分かんないし! ティーカップは可愛かったけど、すっごい薄くて割りそうで!
がばりと抱きついて、キリエのコートを引っ張って、エリノアは必死に訴える。しかし、最後まで聞いていたキリエの一言はあっさりだった。
「……まあ、そうだろうな」
「お師匠様には、私が感じていた苦痛は判らないんですね……」
「そもそもシャルティアの昔の部屋、の時点で予想ができただろうが」
「だって……」
ここまで扱いに困りそうな部屋になるとか、エリノアには予想できない。自然と眉が八の字にさがる。
「部屋の用意が出来たそうだ。しばらくはここにいる事になる」
「しばらく、ですか?」
「ああ。恐らくだが、各国の使者が来て、話し合いという名の交渉が終わり次第だろう」
「…………あの、いつまでいるのかまったく予想が付かないのですが」
エリノアの的確すぎる疑問に、キリエはそれはそれは嫌そうにため息をついた。
あ、お師匠様も長期滞在は不本意だったんですね。面倒ごとを片付けてくるとは言っていたけど、どんな話し合いが行われていたのか。キリエだって、今回の被害にあった術具技工師というだけで民間人だ。王侯貴族の話し合いの場に連れて行かれるのは、異例中の異例で本来ならないはず。
「面倒だが仕方がない。お前は部屋の外に出るときは、必ずフードを被っていろ。あと、リムを見えるようにして、一緒にいろ」
「やった! 窮屈なのとおさらばなの!」
コートから出ることを許されたリムが、早速エリノアの肩に乗る。アンカルジアでは、リムはどうしたらいいのだろうか? あまり姿を見せないほうがいいと言われたり、今度は逆に姿を見せろとか。
エリノアのフードを被せると、キリエは部屋の外に出た。案の定、部屋の前の廊下には、何人かの人がいた。静かに外に出てきたキリエが、睨むように視線を巡らせるだけで、波が引くように離れていく。
……ここにいる人たちが、さっきまで何度も扉を叩いていた人たちなのだろうか? かなり仕立てのよさそうな格好だし、城に入れるということは貴族なのかもしれない。もっとも、今のエリノアから見れば、迷惑な人たちという認識でしかない。
今度は違う担当らしい、年配の女官に案内された部屋に入る。少し前までいた部屋よりは、ぱっと見、高そうなものはない。最初に確認するところがそこなのが、すでにおかしな気もするけれど……エリノアにとっては重要なことだ。
「わたくしどもは次の間に控えておりますので、ご用がありましたらお呼びください。また、マティアス王子より、こちらには自国の貴族の一切を通さぬよう仰せ付かっております。どうぞ、おくつろぎください」
深々と頭を下げる女官に、エリノアも同じように頭を下げた。しなくてもいいことだと、キリエに呆れたように言われた。
部屋を見て、エリノアはハタと気付く。キリエと自分が同じ部屋だということに。
「お師匠様、しばらく一緒の部屋ですか?」
「内部事情が安定していない。二部屋に警備を置くより同じ部屋にしたほうが、手間がない」
「つまり、人手が足りないから同室で我慢してくれって事ですか」
「文句はマティアスに直接言え。俺はお前の寝相で蹴り飛ばされないか、気にしたほうがよさそうだな」
「なっ!? 王子様にそんなこと言えるわけないじゃないですか! お師匠様! それに失礼なこと言わないでください! だいたいベッドは離れているじゃないですか!」
「大きな声で騒ぐな、頭に響く」
右目を押さえながら、キリエは暖炉の近くにあったソファーに倒れこむように横になった。
エリノアは覗き込むように、キリエの様子を見る。顔色があまりよくない。やっぱり、義眼が原因でかなり負担がかかっている気がする。ベッドの上にあった、皺のない毛布を抱え運ぶ。
「毛布を持ってきましたけど、お師匠様、ベッドのほうが楽なんじゃないですか?」
「悪い、助かる。アレよりこっちのほうが落ち着く」
高そうなベッドをアレ呼ばわりである。
「あの、お医者様をお願いしますか?」
「原因が判っている以上、医者は不要だ。お前は向こうで寝ていろ、これを逃したら次は経験できないぞ」
「でも……そうだ、義眼を外せば違うんじゃ」
「触媒液がない」
提案は次々却下された。それに言われて、エリノアは思い出す。確かに、屋敷でキリエの義眼が外れたときに、ダニエラが触媒液を持ってきていた。材料が判っていれば、ここで作ることも出来るだろうけど……。たぶん、それは難しい。
「とにかく、少し休む。一晩すればある程度は落ち着くから問題ない。お前も少し休んでおけ」
「……はい」
本当に、すぐだった。よっぽど疲れていたのか、キリエの寝息が聞こえてくる。エリノアは殆ど蚊帳の外の状態だった。その間、貴族相手の話し合いに行っていた、キリエの負担は大きかっただろう。
それに魔導具の影響を受けやすい義眼。痛みを持ったまま、顔に出さないでそれを行っていたのなら……無理のない話しだ。
エリノアは次の間の女官に、水とタオルが借りられるか頼む。快諾してくれた女官に準備をお願いして、静かに、刺繍の布が張られた椅子を動かす。ソファーの近くに持ってきて、次の間の扉に手をかけると、外から用意が出来たと小さく声がかけられた。なんとも素晴らしいタイミングだった。何度もお礼を言って、水の入った器を受け取る。
どうせ今は神経が張っていて、すぐには寝つけない気がしていた。だったら、何もしないよりはましだ。タオルを水で濡らして、エリノアはキリエの額に置く。そっと触れた額は、熱を持っている気がした。
タオルが温くなっては、冷やしてまた置く。何度もそれを繰り返す。リムも気を遣っているのか、騒ぐことなく静かに時間が過ぎる。夜の帳が落ちていく。いる場所は違うけれど、今だけは普段の工房にいるような気がした。
「アンカルジア、お師匠様の知り合いの人がいっぱいいたなあ」
もっとも、随分と会っていない人たちばかりなようだったけれど。そして相変わらず、偉い貴族だった。
「宰相様とお師匠様って……やっぱり、血縁なのかな?」
あれだけ似ている、そしてあの鈴蘭の封蝋の手紙。親族に当たるのだろうけれど、それならなんで、キリエはスピカヴィルで生活しているのだろう。
キリエの口振りからして、ずいぶんと毛嫌いしているような気もするし。それに、宰相もそれを判っているような様子だった。名乗らないキリエの家名。そういえば、キリエのご両親はどうしているのだろう。これだけ騒ぎになっているのに、話としてさえまったく出てくるそ振りがない。
「あの部屋にいたとき、貴族っぽい人たちがあんなに訊いてくるって事は、宰相様はお師匠様との関係を話してないってことだろうし」
「……あの男は俺の伯父になる。母親がスパルダ家の娘で、あの男の妹だ」
「お師匠様!? いつ起きたんですか!?」
「お前が人の耳元でぶつぶつ話して目が覚めた」
「……すみませんでした」
本当にもう、穴があったら入りたいです。
横になったまま、キリエは鬱陶しそうに前髪を掻き上げた。現れるのは、宰相とは色の違う青と緑の瞳。
「……まあ、予想はついているだろうが、俺はアンカルジアの出身だ。両親共に人魔戦争で死別、スパルダ家の耄碌じじいから存在否定をされてスピカヴィルに来た」
「いきなり話すことが重すぎます。お師匠様」
「お前が訊きたそうな顔をしていたから、話したんだろうが」
だからといってそれほど重たい話ならば、心の準備ぐらいはさせて欲しかったです。
「ああ、忘れていた。お前の首につけられた魔導具、偽物だから外しても問題ない」
「お師匠様、それ早く言って欲しかったです」
しかも忘れていたとか、やめてください。
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