10・問いかけ
「遅い、マティアス」
視線すら動かさず、冷たく言い放つ。
キリエは制止の言葉に、ペンを持つ手を止めたが、首を押さえる手は放さない。今放せば次がないのが判っているから。アンカルジアの王族が戻ってきたからには、グウェインの身柄は国の預かりになる。後はもう、キリエに手出しはできない。
「お前といいシャルといい、極度の貧血で死にそうな人間に言う言葉か。オズワルド! グウェインを――シャル!?」
「いい加減に、なさい!!」
ひゅっと風を切り、二人の間にレイピアを割り込ませ、シャルティアは斬り上げるように突き動かす。上がる剣先にあるのは、キリエの頭だ。
止まる気配すらないレイピアの手元に、舌打ちをすると急いでキリエは手を放し後ろに下がる。視野狭窄の状態に陥っていたキリエの、広がる視界にあったのは、テーブルの上に土足で上がりレイピアを構えたシャルティアの姿だった。
「ここからは我々が預かる。いいな、キリエ。グウェインを拘束、装飾品は魔導具の可能性がある、すべて取り外した後、地下牢へ連れて行け!」
王族が宣言した以上、もう何も出来ない。キリエは黙って場を譲る。ああ、どうせなら一発殴っておけばよかったと、冷静になってから気が付く。なんで殴っておかなかった。
「ごほっ、何故、こんなにも、早く、戻ってこられた。それに、どうして、足がある……」
激しく咳き込みながら、愕然とした表情でグウェインはマティアスを見る。
魔導具を利用したとしても、移転には時間がかかる。それは発動からではない、発動させる許可を得るのに、だ。ましてマティアスの右足は完全に切断していた。術具を身に付けるにしても、一日二日で動けるような代物じゃない。どんなに短くても、半月はかかる。なのに、なぜ。
疑問を隠すことなく顔に出すグウェインに、マティアスがふっと笑う。視線をキリエに向けて、
「いい腕の術具技工師が、友人にいるのでね」
ただひたすら憎たらしい。拘束された体をふらつかせ、それでもなおグウェインはマティアスを睨みつける。
「此度の一件の首謀者、グウェイン。国内外に混乱を運び、その王座を手に入れんとして働いた数々の行い、調べはついている。追って罪状を述べる故、牢にて大人しく己の行いを反省していろ!」
「ふ、ふふ。わたしくしが牢に入ろうが、アンカルジアの大国としての威厳は落ちたも同然。わたくしは牢にてゆっくり、お手並みを拝見させていただきましょう。マティアス王子殿下」
連れ出されてくグウェインの態度に、反省といったものは見られなかった。キリエは冷めた目で兵士に囲まれ歩く姿を見て、そして部屋に入ってきたマティアスたちに視線をめぐらせる。
マティアスとシャルティアの姿は見えるが、あの男の姿はなかった。ここにエリノアがいないことが果たしていいことなのか……。無事に会えていればいいのだが。捜しに行ったほうが早いか? ……修繕以外で城が改築されることは殆どない。ならば自分が動くほうが、効率がいい。ナウイルが穏便な手段を使っていればいいが……。
西塔と工房、あとは離宮か。記憶の中にある城の間取り図を、叩き出すように思い出させる。衆人監視の中歩いた道と、重ね合わせ――。
「ちょっと!? キリエどこへ行くの!?」
「……エリノアを捜しに行くだけだ。アレの特技は迷子になることだ」
「エリノアって、ああ、あの子ね」
会ったようなシャルティアの口ぶりに、キリエは足を止める。
「シャルティア、お前が保護したのか?」
「私はスパルダ家独自の文字は読めないわよ。……とりあえず、スパルダが保護しているはず」
「はず、だと?」
キリエの睨むような鋭い視線は、向けた相手が姫だろうが関係なかった。
マティアスから目つきの悪さは聞いてはいたが、実際に目にしていなかったシャルティアの、表情筋が強張る。思い出とは、きれいなままでいつまでも残っている物なのだと、まざまざと実感させられた。
「ええ。途中であのツギハギに追いかけられてい――」
いるところを助けて、話した。そう続けようとしたシャルティアの言葉は、突如聞こえてきた爆発音に遮られた。
音の方角は西。今しがた牢へ入れるために、グウェインが向かった方向。
……それと、エリノアがいるであろう西塔のある方向。嫌な予感にキリエは、マティアスの制止の声を振り切って駆け出した。
+++++
相変わらず、この絨毯は足音がしない。それはよく手入れをされているから、というのもあるのだろうけれど、今のエリノアには正直助かる。逃げる先が気付かれにくい。
少し前に、低い、けれど人の耳に聞かせるような鐘の音を聞いた。幾重にも重なる重厚な響きが、シャルティアの兄、マティアスが城に戻ったと知らせる音になると言った。あの王子を、一体どうやってこの短時間で連れてきたのか気になるところだ。
「エリー。キリエと同じ顔の人が言った曲がり角、あと部屋三つ」
「宰相様よ、リム!」
「人間の顔はどれも同じなの」
不満げにリムは言う。相変わらずリムの記憶は、人を個別で覚えようとしない。
三つ目の部屋の角を曲がる。聞いていた通り、庭園が見えるように広く窓が取られた廊下に入った。何もなければ、きっと雪化粧された庭園をここから眺めていたかもしれない。今はそんな余裕はまったくない。
視線の先に、聞いていた階段が目に入った。あそこを下っていけば、離宮前の庭園に出る。そうか、この窓から見える庭園は、離宮の一角に繋がっているのか。
「牢にいるはずの小娘がなぜ出歩いている。ツギハギは何をやっているんだ」
「くぁ――っ!」
ほんの一瞬だった。ちらりと視線を窓の外に向けただけ。その短い間に、首をつかまれた。ギリギリとエリノアの首を締め上げる、太い腕の持ち主はアズールだった。どうして彼がここにいるの!? だって、彼はグウェインの傍にいるはずなんじゃ……。
「があっ!!」
悲鳴に混じって、何かが砕けるような音に、エリノアの首が解放された。廊下に倒れ、戻ってきた呼吸に咳き込みながら何度も息を吸う。
いったい何が起きたの? 生理的に浮かぶ涙に視界がぼやける。その中に白い塊があった、リムだ。
「エリーに酷いことするヤツ、成敗なの!」
……たぶん、超がつくほどの至近距離で、アズールはリムの一撃を顔面に受けたらしい。あの砕けたような音はもしかして……。その結果を想像して、エリノアは一人冷や汗をかく。
エリアノからかなり離れた場所で、大量の紙が散らばる中にアズールは倒れていた。果たして彼は、顔の原型を留めているだろうか? 敵ながら気になってしまったのは、不可抗力だと思いたい。
「あーあー。ダメじゃないですかー、アズール様ぁ。廊下で昼寝しちゃ、ボクは運ぶの嫌ですよぉ」
ツギハギの声にぎくりとする。せっかく距離が取れたのに、ここで追いつかれてしまった。早く走って逃げないといけないのに、体が言うことを利かない。ガクガクと震える腕に、肺はまだ空気を求めて喘いでいる。
「彼女から離れろ! ツギハギ!」
兵士を連れて戻ってきたのだろうスパルダが、エリノアの前に立った。スパルダが連れてきていた兵士は二人。他の兵士たちはどこかで、シャルティアに着いて行ったのか? 彼は抜き身の剣を、ツギハギに向ける。
「エリノア、怪我はしていないか?」
「は、はい。大丈夫です」
「エリーはリムが護ったの!」
「……いやだねえ本当。顔が同じ人違いだ。普通ここは弟子を助けに、師匠が颯爽と助けに入るべきだろうに。まあ、宰相様が来たんじゃいっか。僕の『役目』も終わったし」
そう言って、ツギハギは腰に差したナイフを抜く。
一体何をするのだろうか、エリノアとスパルダが警戒した目の前で――
彼はそのナイフを、『アズールに向け』振り下ろした。
「……仲間、ではないのか?」
「同じ場所にいる人たちでしかないね」
あの状況、彼は確実に抵抗できる状態じゃなかった。そのアズールにナイフを下ろせばどうなるか……。考えなくたって分かる。
「さて、『コレ』はそっちに引き渡すけどいいよね? 僕はいらないし。首が二つ三つあれば、向こうも多少は納得するでしょ」
「ツギハギ、お前は何を考えている」
「ん? 何って普通に考えたら判るでしょ、とくに宰相様は。この事態の収拾に、首謀者の首が必要なのは当然じゃないのかな?」
だから仕留めた。だから殺した。結果を想定して、その先の事を先回りして行動した。
当たり前のことだと、言うように……。エリノアには理解できなかった。それは多分、自分がそういった政に係わったことがないから。人の死が、政の先行きに関係あるというのが実感できない。
「さてと、もう一つの首は……あれは、あっちにお願いするからいいとして。そのほうが楽しめそうだし」
「まさかマティアス殿下の首か!?」
「あのキレーな顔の王子様は、僕には関係ないよ。彼の首が繋がるかは国民感情論だ。ま、最初に槍玉に上がるのは国王様だと思うけど」
引き抜いたナイフを鞘に戻しながら、ツギハギはたんたんと告げる。
「キリエの弟子。君は術具技工師になりたいのかい?」
「当たり前じゃない」
不意に投げかけられた言葉は、エリノア自身への問いかけだった。
こんな場所で、人ひとり殺めた場所で、彼はなぜこんなことをエリノアに訊くのだろう。
「術具技工は、衰退していく技術だ。そう遠くない内に、扱える技師はいなくなるだろう。それでもか?」
「どうしてそう思うのよ。確かに技工師の数は減っているけど、無くなる技術とは限らないわ」
「質問に質問で返すのはマナー違反だ。キリエの弟子」
「……それでも、私は術具技工師になるわ。私は、他の道は知らないから」
「なら、他の道を提示されたら変えるのか?」
他の道なんて考えたことがなかった。街から離れた場所で暮らして、術具技工以外に触れている物がほとんどなかった。
もし、他に進むことが出来る道があったのなら、私は――術具技工は難しいこともあるし、お師匠様は術具のときだけは怖いし。でも、構築式を彫っているときの彫刻刀を動かすことも、材料を混ぜて形を作ることも。作業中のあの緊張感は、大変だけど苦じゃない。むしろ楽しい。一つひとつ、自分の手で作り上げていくのが。
「私は、それでも私は変えない。ずっとこの道で生きていく。早く一人前になって、独り立ちして、お師匠様をぎゃふんと言わせるって決めてるんだから!」
「ぎゃふんなの!」
「ぎゃふん……。ぷっ、くくく。面白いこと言うねえ、そうか、あのキリエにぎゃふんか。見てみたかったな。……昔ロベリタに、女性の術具技工師がいた。その技工師は繊細な仕事をすることで評判だった。――君も、良い技工師になれるといいな」
まるで懐かしむような声音は、少し前のふざけたものとはぜんぜん違った。もっとずっと柔らかいもので。もしかして今の声が、彼の本当の声だったんじゃないかとエリノアが思ったほどに。
キリエは僕が歩んでいたかもしれない、可能性の生き方をしている――
ツギハギが言った言葉を思い出す。もしかして彼は……誰かの弟子、だった?
「ね、ねえ! 待って!」
もう用はないと言いうように、ツギハギはエリノアたちと反対の廊下へと歩いていく。
こちらに見向きもしない。その背中が、直後起こった爆音と、吹き上がる黒煙に掻き消された。
「なっ!? 城内で爆発だと!?」
「――っ!? あの人はっ!?」
「待つんだエリノア! そこはまだ危険だ!」
「お下がりください!」
壁が焦げるような臭さに、それに紛れた別の匂い。肩を強く掴まれて、エリノアは足を止めた。異常な事態に、二人を庇うように兵士が前へと出る。
風にさらわれ、薄くなる黒煙の中から現れたのは、体を無数の剣で貫かれた騎士たちと――
同じように剣が体に突き刺さっているのに、平然として立っているツギハギがいた。
何が起きたのか理解するよりも先に、目に入ってきた光景に、エリノアの喉の奥で引きつった悲鳴が漏れた。
.




