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 09・北の大山脈

 


■□■□■



 キリエが通された部屋は、それなりの人数が集まって行う、大会議室のような場所だった。室内を埋める長テーブルの上に、大量の紙と本が並ぶ。その紙も本も、見たことのあるものだった。



「……俺の部屋にあった物を、ごっそり持ってきたわけか」

「ええ。安心なさってくださいな、研究場所がここに移っただけのことですから。他にもありましたので、今、アズールに持ってこさせています」

「わざわざご苦労なことだ」



 皮肉を乗せたキリエの声に、グウェインはベールの向こうで微笑む。やはり弟子をここに連れてきたのは、間違っていなかった。キリエから拒否や抵抗の言葉が出ないことに、あの少女に一定の価値を見出す。

 空いている席の一つに腰を下ろして、グウェインは手にしていた資料をキリエに見せるように広げる。本職の人間と、知識を得ている人間。生体技工に関する、見識の違い。それがこの場でどれだけ縮むか。

 もし、自分の考える方向性が間違っていなければ――死者すら蘇ることになる。そう。それが現実になれば、“あの連中を見返す”ことが出来る。



「さあ、お互いの意見の食い違いを、じっくり直していきましょう」

「――お前は、人魔戦争でアンカルジアが何に負けたか、知っているか?」



 まっすぐにグウェインを見ながら、キリエのよく通る声が問いかける。

 キリエから返ってきた言葉は、了承の返答でもなければまして拒否の言葉でもない。グウェインは、目を細めてキリエを見返した。



「魔国テイラーズに負けた。それ以外に何があります? 直接的な要因は、テイラーズが放った子飼いの魔物たち。それが王都にまで入り込み、混乱を招いた。ただ混乱するだけではなく、魔物は暴れるものです。アンカルジアは国内の混乱の収束にまで神経を向けないといけなくなった。前線は、増えはすれども減ることのない魔物に、兵士が疲弊していく。人すら喰らう魔物に、戦場にいた兵士はどんな気持ちだったのでしょう。あなたに分かりますか?」

「地獄絵図だったろうな」

「ええ。まったくもってその通りです。人間が相手でないだけで、こうも変わるのです。最終的に兵士が足りなくなり、アンカルジアと同盟軍は、引かざるを得なかった。そうでしょう、このままではどの国も国内の手すら無くなってしまう」

「自信たっぷりに話していたところ悪いが、根本的なところが間違っている。そもそも魔物は、テイラーズの子飼いじゃない」

「……あれが子飼いでないとしたら、いったいなんだと言うのです? テイラーズには確か、魔物を服従させる魔法も存在していると、わたくしは聞き及んでおります」



 キリエは椅子に座ることもなく、テーブルの上で指を軽く叩く。



「確かに、獣魔師と呼ばれる存在が向こうにはいる。だが、それは関係ない。そもそもあの北の大山脈は、大陸の北と南を分ける物理的な山と言う意味だけじゃない。あれは、――結界地だ」

「結界……? そんな過去の遺物のようなご冗談を。もし結界ならば、外からも内からも出入りはできない。魔物は山脈から、結界の内側から『出てきた』ではありませんか。それにいつからそんな話があったというのですか? 山一つを覆う大規模な結界、聞いたことがありません」

「かつて大陸に、魔法を使う人間が当たり前のように存在していた時代の話だ。大陸の北から山脈を越えた『白銀の髪と青い目』を持つ魔法使いたちが、南にいた魔法使いたちと共に、南大陸の魔物を閉じ込めるために作った。それが北の山脈結界。その北の魔法使いと結ばれた南の魔法使いが作った国が、今のアンカルジアだ。これはアンカルジアの歴史書に、ギリギリ載っているか……ロベリタが一番確実だろうが、あの国がそれを表に出す気はないだろう」



 あの保守的な、しかし歴史の古い国は、この話を外に出すことを良しとしない。いくら過去の、確証の取れない記録だとしても、今のアンカルジアの足元を危うくする。国が揺らげば、自分たちにも少なからず影響が来る。あそこは交易を中心として成り立っているのだから。

 人魔戦争の禍根は、アンカルジア国内でまだ燻っている。今回の戦争の準備は、ようやく持ち直してきたこの国にとっては大きな痛手だ。恐らく、アンカルジアの王政が執る手は一つしかない。



「結界を作った血脈の人間が、その結界を崩した。……人魔戦争、その呼び方は確かに間違ってはいない。だがアンカルジアはテイラーズに負けたんじゃない、魔物に負けたんだ。テイラーズはそもそも、この戦争に係わってすらいなかった」

「まさか――そんなことが……いえ、あるわけがない。あれだけの魔物が……そんな。ならばわたくしたち同盟軍は――」



 そう、この話を突き詰めれば行き着く先は自ずと判る。敵と見ていた国が、敵ですらなかったということに。

 北大陸の豊富な資源の噂。魔導具を作るのに最適な鉱石が数多くあるあの国。その資源欲しさに動いた結果、起きたのは……。



「アンカルジアは、その昔『自分たちが』封印した魔物に負けたんだ」

「……選りによって自滅とは。……ああ、まったくもって忌々しい! この国王も、お前たちも。わたくしたちを騙し同盟軍まで立ち上げて」

「その様子では、資源欲しさに攻め込む話は知っていたようだな」

「……後で調べ、知りました。ですが実際にあれだけの魔物が出たのです。テイラーズが攻めてきたと思っても、当時はなんらおかしくはなかった」



 錯綜する情報に、飛び交う憶測。戦争のさなか、それを精査していくことはあまりにも時間がかかる作業だ。

 ロベリタが今回中立を貫いたのは、敗戦の理由を知っていたからだろう。そこにグウェインたちが居ようが居まいが、関係はない。



「居もしない敵を攻めていたとは、茶番もいいところです!」



 苛立たしげにグウェインは、テーブルの上に広がる紙を払い捨てる。何が書いてあったのか、キリエには興味の欠片もない紙と、自分の研究資料が散らばる。

 もう少し丁寧に扱ってくれと、冷ややかに思う。どれだけ時間がかかっていると思っているんだ。



「お前が生体技工を探した理由は、人を喰う魔物が原因か?」

「……お前は、アレが恐ろしくないと?」



 唇を歪ませグウェインは言う。あの場所にいもしなかったお前に、何が分かると訴えるように。

 人すら喰う魔物は、確かに恐ろしい。国と国の、自分と対立するものたちとの争い。人間と魔物、その戦いは何もかもが違う。今まで南大陸で、人以外との戦いはなかった。

 だからこそ、その衝撃は大きかった。魔物は、人を喰うという事実が。



「だからミレハの民を殺し、呼び出した術具技工師たちを殺したのか?」

「ミレハの民が、ミレハの国のためにその身を差し出すのが、間違っていると? 結果が出なければ不要なのは、どこの国でも同じではありませんか」

「お前は……」



 二人の会話に割り込んできたのは、遠くから響く鐘の音だった。

 この城で、鐘があるのは西塔だけだ。あそこの鐘は、祭事と凶事にしか鳴らさないはず。今鳴ったということは、あいつが帰ってきたということか? だとしたら、エリノアはあの男に会えたということになるが……。

 自分で見て判る事態ではないことに、もどかしさを覚える。結局、当人たちの行動にすべてを預けてしまっている以上、どうしても不安は残る。



「何です? この鐘の音は」

「……さあな、誰かが錆付かないように動かしたんだろう。それでお前は、あれほどの死者を出したことに、罪悪感の欠片も持っていないらしい。さんざん試して、結果が出ていないことは判っていたはずだ。暴動が起こるほどの死者を出して、何故今日に至るまで、生体技工に拘り続けた」

「わたくしと父は、間違ってなどいない。どれほどの死者を出そうが、生体技工が実証できれば、そんなものは瑣末なこと!」

「あれだけ殺しておいて、瑣末なことだと?」



 ミレハの内乱。城内を制圧した後の、内部の探索。そのとき城の一角を占めていた研究施設、そこにあったのは大量の骨と、遺体だったと聞いている。

 グウェインたちが求めていたのは、不死に近い。生体技工は擬似的とはいえ、それを可能にしているように『見える』。不死を確かめる一番簡単な方法は、その対象を殺すことだ。死んだのなら、そのまま生体技工の研究に使えばいい。

 国を混乱させ、民を追い詰めても、その狂人的な行いは止まらなかった。



「わたくしはただ、間違っていないと証明したいだけ。そのためにこの国を潰そうが関係のないこと!」



 ベールに隠れた目元はわからない。けれどグウェインは確かに嗤った。

 嗤って言ったのだ、その理由を。当人たち以外には、何の意味も持たない理由を。

 間違っていないと、証明したかった。ただそれだけ……。



「証明したいだけ、だと……そんな、理由で……」

「そんな理由? お前にはそうでしょうね! わたくしにとってはその比ではない! あの時、わたくしたちを間違っていると糾弾した連中を、あの愚かしい民の目を覚まさせてやるのです!」



 ただそれだけで、そんな理由で、あんなことを仕出かしたと言うのか。そんな理由で、先生は術具技工師を辞めなければならなかったのか。そんな理由で、ダニエラ様があんな体になったのか。

 こんな馬鹿げた理由がなければ、あの二人は今でも普通に、屋敷で生活していたのかもしれないのに! もしかしたらエリノアも、母親と共に暮らしていたかもしれなかった……。

 こんな、こんな――!



「自分たちが間違っていたのだと、王家に悔い、改めさ――がはっ!!」

「そうか、俺はてっきり、もっと高邁な理由でもあると思っていたんだが……どうやら勘違いしていたらしい」



 テーブルの上に叩きつけ、グウェインの喉元を押さえ込む。グウェインが押さえ込む自分の手を掻くが、不思議と痛みが伝わらない。

 落ちたベールハット、現れた火傷の痕は、大方ミレハの内乱の折に出来たものなのだろう。そのことに、何の感情も浮かんでこない自分は、精神が一部分で麻痺を起こしているのかもしれない。



「王家を、愚弄した、愚か者どもがっ!!」

「エリノアは床だったが、お前はテーブルだ。幾分ましな扱いだが、床にしておけばよかったか。まったくどいつもこいつも、弟子を何だと思っている」

「があっ! お前も、あの男も! 何故、解らない!」

「ああ、解りたくもない! 術具技工も、生体技工も、お前の考えと同じだと思うな! 不死者だと? しかもそれが可能であると証明したいだけ、大層立派な理由だ! あれは、そんな夢物語のための技術じゃない!」



 生体技工の本来の目的は、術具技工と同じだった。元の生活に戻る手助けをすること。術具と違い、大幅にメンテナンスをする回数を減らせる。それに何より、本人の体を使う以上、見た目に差が出ないことが大きかった。

 歳に合わせて成長し、また衰えていく。まさに生体に施す技工。


 それが何をどう考えたら、不死者になれると思ったのか。キリエにはまったく理解が出来なかった。水面下で複数の技工師の意見を聞き、また研究にかかわる。表立って動いていたのは、ロベリタの女技工師と自分の師だ。

 生体技工は、術具技工の上を行く技術だった。すべてではないが、比較的穏やかに受け入れられていた。

 恐らく、そう遠くないうちに、術具技工は廃れていく技術だと誰もが思っていたから。



「死者の体を生者にする? そんなわけがない。あれは、生者を死者へと強制的に転換させるものだ! ダニエラ様は……先生が“殺すことで”作りあげた。お前に理解できるか!? あの人がどんな気持ちで実の妹に生体技工を施したのか!?」



 テーブルの上に散らばる筆記具が目に入る。ペンでも人は殺せると、笑いながらキリエに教えたのは赤毛の掃除屋だった。



『――すまない、キリエ。私はお前に、重すぎるものを背負わせた』



 素人が使うのならば、比較的先が細く硬い物が刺しやすい――。その時のことが頭に浮かぶと、手短なところにあったペンを手に取る。致命傷を狙うなら頚動脈、太ももの大動脈。付近を狙い、外れても体内で動かせるように、針先を滑り込ませるように……



「止めるんだ! キリエ!」



 キリエの後ろからかけられた声は、やや力なく聞こえてきた。澄んだ声の持ち主が誰か判ったのか、息苦しさに呻きながら、グウェインは大きく目を開いた。


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