08・隠し通路の奥
銀色の刺繍がされた、膝丈ほどの菫色の上着。白いブラウスに白いズボン、踵の低いブーツ。腰のベルトには宝石をあしらった銀細工。ほっそりとした顎先に、薄い耳たぶを飾る緑の小さな宝石。
動きやすさを重視しているらしい、シャルティアの細い腰のベルトには、細身の剣が下がっている。レイピア、だろうか?
「白い、悪魔?」
シャルティアの視線の先、手の中のリムを見ながらエリノアは呟く。
白い悪魔ってなによ。リムは霊獣じゃなかったの!?
「そう。アンカルジアでは白い悪魔って言われているわ」
「リム! 何したの!?」
「酷いのエリー! リムは何もしてないの!」
リムから悲鳴のような抗議があがる。まるで心外だと言わんばかりの勢いだ。
「その個体がした訳ではないよ。随分前の記録のことだ。この国が飢饉に襲われたことがあった、その原因が……」
「リムクレット、ですか」
「まあ、それでアンカルジアでは白い悪魔なんて呼ばれている」
……リムではなく、種族の問題だった。リムの食欲を知っているだけに、否定できない事件だ。エリノアは困ったように眉尻を下げた。
「あ、あの、このリムクレットはちゃんと言いつけを守っています! だからその、捕まえるとか、酷いことはしないでください!」
「ちゃんと管理できているなら、私から言うことはないから安心しなさい。ただ……」
スパルダは苦笑しながら、シャルティアを見た。
「昔のこととは言え、私の国では、リムクレットに過剰反応する人がいるのは確かだから、なるべく姿を見られないようにして」
「は、はい!」
そう言われて、急いでエリノアはリムをコートの中に隠す。何かリムから苦情が聞こえた気がするが、聞かなかったことにする。捕まって皮を剥がされでもしたら、そっちのほうが大変だ。
「ウォルター。君の兄上も無事だそうだ。相変わらず、君ら兄弟は職務に忠実だ」
二人のさらに奥、静かに男がたたずんでいた。そっと頭を下げたウォルターは無言でシャルティアの傍に立つ。シャルティアの専属の護衛らしい。後ろに流すように撫で付けたこげ茶の髪が、オズワルドと似ている。残念なことに、顔つきは似ていない。細身の体もあってか、ウォルターは精悍というより神経質そうな気がした。
「さてと。兄様が無事だと分かったからには、すぐに動かないと。スパルダ、兄様は今どこに?」
「あの魔導具の内容では、スピカヴィル、フィスラの街――ロデリック・ハウゼン侯爵のもとに運ぶとありました」
「……どうやら大きな貸しを作ったようね。今回の一件で、外交官にどんな厭味を言われるのやら」
「仕方ありません、厭味を聞くのも我々の役目です。それで国が守れるのなら安いものです」
隣で始まった、しかしエリノアには縁遠い内容の会話に、一人頬を引きつらせる。これってもしかして、立派な外交問題なんじゃ……。
確かにそうだ。オズワルドが連れてきたのは、アンカルジアの王子。連れてきた先がいかに森の中の、個人の屋敷とはいえ他国だ。大怪我をして逃げてきた。自国で起こった問題を、知らなかったでは済まされない。
それになにより、アンカルジアが戦争準備を始めていたのは周知の事実。国家間でいったいどんな話し合いが行われるのか、想像しただけでも恐ろしいことになりそうな気がする。
「私はウォルターを連れて、城の工房に向かうわ。兄様が生きていると分かったのなら、この問題の収拾に、引きずってでも連れてこないと」
「では、以前からの計画通りに?」
「ええ、母様もそろそろ我慢の限界でしょう。あの人が表に出てきたら、城の中で惨劇が始まるわ。最悪、父様とグウェインの死体が玉座の間に転がることになる。兄様のことは母様の耳にも入っているだろうし、時間の問題よ」
なんだろう、今の物騒なセリフが聞き間違いであってほしい。シャルティアが母様と言ったのだから、この国の王妃だろう。その王妃が惨劇を起こすとか、いったいどんな冗談だ!
「問題は工房に行くまで、見つからないようにしないと。普段だったらこの時間は手薄だから、簡単に行けるのだけど……。今日はあのツギハギがうろついているし、困ったわね」
「あ……。私のせい、ですね。すみませんでした」
自分がこの道に逃げ込まなければ、このあたりにツギハギが来ることはなかったのだ。
「あなたがここに来ていなければ、兄様の無事は分からなかった。だから気にすることはないわ」
首もとの襟を広げて、手袋をはめ直す。シャルティアは剣の柄を確かめるように、何度も握った。
「それに、突破する方法はいくらでもあるわ。ちょっと大騒ぎになっちゃうだけで」
「……大騒ぎにちょっとも何もありません、姫様」
ウインクをしながら軽い調子で言うシャルティアに、ウォルターが静かに釘をさす。
スパルダが一度エリノアを見た。あの魔導具に何が書いてあったのか、エリノアは分からない。
けれど、家名にかけて身の安全を保障すると言い切った。つまり、あの文字には、それをするだけの価値があったということだ。
「私は彼女を連れて、一度離宮に戻ります。シャルティア姫、強行突破しますか? 兵の準備は整っていますので、城内に連れて戻るのを待つのも手です」
「ツギハギは行動が読みづらいのよね。この間もばったり遭遇したのに、何も言わなかったし。離宮にグウェインの兵が来なかったから、恐らく上にも報告してない。どうも分からないわね、あの人は」
「シャルティア姫……私はばったり遭遇したという話、まったく聞いていませんが」
スパルダの冷たい一言に、シャルティアは気まずそうに頬をかく。姫と呼ばれている割には、ずいぶんと行動的らしい。
「……ゴホン。とにかく、私は工房に行って兄様を連れてくるから。スパルダは、兵を城に連れて――戻ってきた?」
ぴたりと壁に耳を当てて、シャルティアが声を潜めて言う。同じようにエリノアも耳を当ててみる。確かに、シャルティアの言うように足音が近づいてきている。かすかに声が聞こえた。ツギハギだ! 彼が戻ってきたんだ。
あろう事か今度は、エリノアたちが隠れている壁の前で立ち止まった。
「まずいわね。あなた、エリノアと言ったわね? 武器は持ってる?」
「いいえ。持ち出す余裕はなくて」
「これ、持っていなさい。万が一のときは、自分の身を護るのに使うのよ」
シャルティアの腰にあった短剣を、エリノアに手渡す。柄飾りのほとんどない、シンプルな短剣。両手でしっかり握り締めて、エリノアは頷いた。そして、同時にあることを決めた。
「あの、シャルティア様が行こうとしている工房は、この廊下のどちらへ向かうのですか?」
「え? 工房? この前の廊下を右に向かって行くけど……」
右。つまり、左に向かえばいいのか。確かちょうど左側は柱があった。
「シャルティア様、お願いがあります。お師匠様を助けてください!」
じっと、エリノアはシャルティアを見上げる。エリノアよりずっと背の高い彼女を見上げ、あの暗い青色の瞳を見つめる。
間違いなく、彼女たちにとって一番重要なのは国だ。国が体制を失くせば、混乱は一気に広がる。ましてや大国とまで言われたアンカルジア。そうやすやすと崩すわけにはいかない。
きっと、お師匠様はその次だ。外交問題に発展するかもしれない人。でも、国と比べてしまえば、優先順位は落ちてしまう。だから、言質が欲しい。それも王族の。自分が安心できるために。
「キリエって、ほっといても自分でどうにかしそうな気がするの、私だけかしら? 昔っからそうだったし」
「…………え、えーと」
シャルティアの言葉を、地味に否定できない自分がここにいる。お師匠様、昔からだったんですね、あの感じ。
エリノアが思わず言葉に詰まっていれば、肩を軽く叩かれた。
「安心しなさい。昔の友人を見捨てるほど、私は冷たくはないわ」
これが言質といえるのか、エリノアには不安のある言葉だ。けど、シャルティアは昔の友人といった。キリエと何かしらの交流があったということだ。その人の言葉を、信じるしかない。
「あの、私、あの人を何とかします!」
* * *
ものすごく、緊張しているのが分かる。運動をした後と比べ物にならないくらい、鼓動の音がうるさい。タイミングは任せると言われた。打ち合わせも出来ている。どの道、エリノアがすることは、ひたすら安全な場所まで逃げるだけだ。
使い慣れた場所に、シャルティアから渡された短剣をしまって、深呼吸。一度シャルティアたちを見て、隠し扉の向こうに意識を持っていく。
コートの中からリムを出して、行動開始だ!
「ほあたーっ!」
気合が入っているのか、聞いている方が気の抜けそうな掛け声を発して、リムは柱を根元から『へし折った』。後で損害請求とか、現実的な問題も山積みになるけれど、シャルティアから多少の破壊行為は見逃してもらっている。
その代わり、お師匠様が何か言われそうな気もするけれど……。お師匠様を助けたら謝ろう。
耳と心臓にあまりよくない音を出しながら、破片を撒き散らし柱が廊下に倒れた。隠れていたここにまで、振動が伝わる。
「あっぶないなあ。……リムクレット? あれ、コレはあの子の――」
「私はここよ! ツギハギ!」
「なんで出てきちゃったかなー」
追いかけていた本人から、奇妙な言葉が出てきた気がする。だけど、かまっている暇はない。リムが戻ってきたのを確認して、スパルダに教えてもらった場所に急ぐ。
「あー、もー。面倒くさいなあ」
ぼやきのような呟き。程なくしてツギハギは、肩を落としながらエリノアの後を追った。
* * *
エリノアと、その後ろのツギハギの姿が見えなくなると、シャルティアは隠し扉から出てきた。
周囲を確認し、スパルダが声を潜めながら話し出す。
「では、私は一度離宮に戻ります。兵を連れすぐに城に戻りますので」
「ええ、頼んだわ。スパルダ、あなたさっさと戻ってあの子のところに行きなさい。家名に誓って安全を保障したんでしょう?」
「はい」
口約束で済ます気はない。マティアスとオズワルドの生存、その身の安全確保。個人でやったことの功績は大きい。
手紙ですら散々拒絶を続けてきたキリエが、まさかここまでするとは正直思っていなかった。そのキリエが文字とはいえ、『頼んだ』のだ。一時とはいえ、あの指輪を手放してまで。あの少女にみすみす怪我でもさせてみれば、どんな目にあうか分かったものではない。
……それとも、これであの手紙の貸しを相殺したつもりか。頭の中で最短距離を叩きだし、エリノアの元へ早く合流できるルートを決める。
「ならいいわ。これでまたしくじってごらんなさい、今度こそキリエに殺されるわよ。あんな経験は一度で十分でしょう?」
「子供の殺意に恐怖を感じたのは、あれ一度きりにしたいです」
「そうね。私も怖かったわ」
その時を思い出したのか? シャルティアが顔をしかめた。
「ウォルター、行くわ」
「御意に」
廊下を駆け出したシャルティアたちを見送ると、スパルダもまた隠し扉の奥の通路へ戻っていく。
事態は早急に解決していくだろう。その先で、説明を求めるためにキリエに会うことは必須だ。外交問題、陳情書や、議決に必要な根回し。そのどれにも顔色一つ変えることなく当たってきた。果たしてその表情を、今回は保っていられるか……。
彼がそっと重たい息を吐いたのは、誰にも見られることはなかった。
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