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 06・化かし合い

 


「……ずいぶんと久しぶりに、その名前で呼ばれた。今まで直接顔を合わせてはいなかったよね。初めまして、かな? キリエ」

「確かに、お互い紙面でしか名を知らなかったな。ナウイル。初顔合わせは、『あの場』だ」

「ああ、そうだ。まあ、あれはカウントしていいものか悩むね」



 足元に手燭を置いて、ナウイルは仮面に手を伸ばした。硬質な金属が外れた先にあったのは、記憶の中の面影が残る顔。茶髪に琥珀の瞳。そして、皮膚が移植された肌が現れた。



「外皮素材、ではないらしいな」

「生体技工で言うなら、皮膚臓器(パーツ)かな。バカ王子の生体技工の練習さ」

「技工師見習いでもないくせによくやる気になったな。それで『ツギハギ』か?」

「ま、体中あちこち改造されちゃったってワケ。結構副作用がキツクてね」



 牢屋の石作りの床に腰を下ろして、おどけたようにナウイルは肩をすくめた。



「やはり精神は狂ってなかったか」

「おや、バレてた?」

「屋敷でずっと見てきたからな。ある程度の見分けはつく」

「彼女、凄い舞台女優になれそうだね」

「お前、あの男(グウェイン)に嘘を教えただろう?」



 キリエの問いに、ナウイルはニタリと嗤う。



「教えたのは師匠さ、僕もそれに倣ったケド。所詮王子様はお勉強しか出来ないって事さ」



 隣の牢屋で丸くなっているエリノアの様子を確かめてから、ナウイルは続ける。



「僕はあまり時間が取れないんでね、手早く話を進めさせてもらうよ。キリエ、取引をしないか?」

「取引だと?」

「そう、僕が出す条件は二つ。だからそっちも条件を二つ出せ」



 指を二本立て、ナウイルはキリエの目の前に出した。



■□■□■



 吹雪が明けた空は、相変わらずの曇天だった。この様子では、近いうちにまた荒れた天候に戻りそうだ。

 馬のいななきと雪を踏みしめる音、荷を引くような重たい音。屋敷に届いた来客の知らせに、男たちは持ち場に着くと打ち合わせているとおりに動く。

 玄関へやってきたダニエラが、来訪者の合図を待つように扉の前へ立つ。

 ノッカーが三回叩かれた。合わせたように扉を開くと、ダニエラは頭を下げる。



「やあ、ダニエラ。ライナーだ、キリエはいるかい? 廃液の回収に来た」

「お待ちしておりました、ライナー様。申し訳ありません、キリエ様はただ今外出しております。廃液回収の話は聞いておりますので、ご案内いたします」

「キリエは出かけているのか。まったく、吹雪が明けたからって、すぐに出なくてもいいだろうに。ニルス、ルーク。台車を持ってきてくれ――おや、お客さんが来ていたのかい?」



 ダニエラに保管庫へ案内される途中で、開いた談話室の扉の向こうに、人影があることに気付く。三人の男たちは、猟師らしき格好をしていた。ライナーは商人らしく愛想のいい笑みを浮かべて、談話室の男たちに話しかける。



「いやあ、皆さん。もしや吹雪で立ち往生を?」

「ええ、お恥ずかしいことに。こちらに工房があることを思い出しまして、助けていただきました」

「本職の方でも吹雪では危険ですからねえ」

「馴れているからと、判断を誤りました」



 恐縮しきった表情で頭を下げる男をライナーは止める。残念ながら、猟師ではない自分が頭を下げられる覚えはない。



「それは仕方ありませんよ。常に初心を忘れるべからず、ですね」

「本当に今回はそう思っています」

「お父さん! 台車持って来たよ!」

「ああ、こっちだ。それでは、私は仕事がありますので」

「いえ。こちらこそ、止めてしまって申し訳ない」



 男たちに軽く頭を下げると、ライナーは台車を引いたニルスとルークを連れて保管庫へと向かう。

 談話室の前を通り過ぎながら、ルークはちらりと中を覗く。視線を動かす先は決めてある。手、腕、足、体格全体。そして装備。得物は弓らしいが、指先に矢を宛がうタコが見当たらない。両腕の筋肉のつきに差がない、肩のつくりは平均的。バランスの取れた体格。腰のベルトはナイフのためか? 生憎と手の平が見えない、剣かナイフ、どちらかが彼らの本来の得物……か?

 ――猟師に擬態した、不審者。ルークはそう判断した。屋敷で感じる、彼ら以外の気配も気になる。



「こちらの樽になります。手前の三つです。『非常』に重たいですから、運ぶ際には『慎重に』お願いします」

「……ああ、倒れたりしたら大変だからね。ルーク、手伝ってくれ」

「了解です、“店長”」



 ダニエラの妙に強調した言い方に、ライナーは眉を寄せる。同じく、普段と違う何かを感じ取ったルークも、立場を合わせるように答える。

 じっとライナーたちを見つめていたダニエラは視線を動かし、奥から廃材となった軸芯の束を取り出した。



「こちらは鍛冶工房からの要望です。使わない物で比較的状態のいい物を選別しました。数は十二本だと思います。多ければ返却か否か、先方にお尋ねください」

「分かりました。どの鍛冶工房でしょうか?」

「“ロデ”様です。直接お渡しください」



 ダニエラの口から出た名前に、一瞬、三人の動きが止まる。そして瞬時に顔つきが変わった。

 “ロデ”とは、親しい間柄でのみ使われる名前。現ハウゼン侯爵家当主、ロデリック・ハウゼンの愛称。



「選定に時間がかかりました。十二本だとは思うのですが、数え間違いがあるかもしれません。『紐を解いて』確認してください」

「ああ、街に戻る時にニルスに確認させるよ」

「よろしくお願い致します」



 ダニエラと、なぜか帰る様子のない男たちに見送られ、ライナーたちの荷馬車は街へと戻る。

 本来ならば、屋敷に残るはずだったルークも乗せて。



「……ルーク、感想は?」

「ただの不審者。他にも隠れていたようですし、キリエの一件があるので、恐らくはその関係者かと」

「ニルス、紐にはなんと?」

「ちょっと待って!」



 御者台の近くに移動して、ニルスは急ぎ紐を解く。布を裂いて作ったらしい、縄よりは広い幅を持つ紐。広げたその紐の内側に、急ぎ書かれた様子の文字が並ぶ。

 ダニエラの普段の字を知っているだけに、よほど慌てているのだろうと予想できる。その文字列の初っ端の内容に、ニルスの頬が引きつる。急いで御者台に続く小窓を開けてルークに手渡す。



「ヤバイことになってます!」

「うん、まあ。予想はつくんだけどね……ああ、本当にまずいかも」



 ニルスから受け取った紐に目を通しながら、ルークは頭をかく。予想していた事態を防ぐために行こうとしていたが、到着前に事件は起きてしまっていた。

 やはり所属はしないで、個人でいたほうがこういったときに動きやすい。騎士団所属は“隠れ蓑”にはいいが、面倒事も多い。



「……お前たち、主語を言いなさい」

「キリエとエリーちゃんが誘拐された」

「おいおい、誘拐って冗談じゃないぞ!」

「冗談だったらよかったんですけどねえ。それと、樽はハウゼン候に直接届けたほうが良い。中身、エライ『者』が入っている。これは王都の外交官様に、早馬出すことになりそうです」

「…………なんだか胃が痛くなってきた。ん?」



 キリキリと痛みを訴えだした腹部をさすりながら、ライナーが目を凝らす。道の先、白い雪にまぎれるように狼に似た魔物がいた。



「やはり吹雪明けは餌を探しに魔物が出るか」

「ライナー。一頭引きでも荷馬車は問題ないかい?」

「ああ、スピードは落ちるが、運べないわけじゃない」

「じゃあ、『これ』と一緒に借りる」



 ライナーの足元にあった、車輪に詰まった雪を落とす鉄の棒を片手に、ルークは器用に二頭並ぶ馬の一頭に乗る。手馴れた様子で荷台と繋ぐ縄を外して、魔物に向かって馬を走らせる。



「ちょっと! ルークさん!」



 魔物も、目の前にやってきた餌に向かって駆けだす。ルークの、己が得意としている間合い近くで馬を飛び降り懐に入り込む。そして――首に食らいつこうとした魔物の首を、一撃で刎ね飛ばした。

 ドンっと、離れたライナーたちにも聞こえた鈍い音。ルークが持っているのは、ナイフでもなんでもない。ただの鉄の棒だ。しいて言えば、細かいところの雪が落とせるようにと先が平たくなっているだけで。とても魔物の首を斬り飛ばせるような代物じゃない。



「……“隊長”。あの雪かき棒、魔物の首を刎ね飛ばす切れ味ありましたっけ」

「無いな」

「あの、隊長。魔物を一撃で仕留めるような腕を持っているのに、なんでルークさんは一般の警邏騎士やってるんですか……。明らかにあれ、戦闘特化の騎士クラスじゃないですか!」

「そうかもな。普段から手を抜くのが好きらしい」



 少し距離を置いた場所で乗り手を待っていた馬にルークは跨ると、ライナーたちを待つ。



「まだ出る可能性があるので、先に道を確認してきます」

「……それは大いに助かるが、一人で大丈夫か?」

「ええ。『掃除は』昔から得意なので」



 唇の端にうっすらと笑みを浮かべ、ルークは答える。普段より強く赤みを感じる紅茶色の瞳からは、氷のように冷たい視線。寒気を感じるその笑い方に、ニルスは一人鳥肌を立たせる。



「分かった。無理だと思ったら素直に合流してくれ」

「了解」



 武器へとランクアップした、血の着いた雪かき棒を片手にルークは先に進む。

 御者台の小窓から、あっけに取られた表情でニルスはルークを見た。



「ニルス、よく覚えておきなさい」

「へ? あ、はい! 何でしょう!」

「彼は、敵にならない限りは人畜無害だ」

「……それって」

「彼は騎士団に所属しているが、身柄の預かりはハウゼン侯爵家だ。それと基本的に、キリエと“イーゼル様”の言うことしか聞かない」



 低い声で言われたライナーの言葉に、ニルスはごくりと息を飲む。

 ルークの消えた道の先には、早くも新たな魔物の死体が転がっていた。



■□■□■



 夜、ここに誰か来ていたのかもしれない。ぼんやりとした意識の中、お師匠様と誰かの話し声が聞こえた。何を話したのか分からない、ただ、誰か来ていたとだけで。

 朝起きて、すぐにキリエは牢の外に出されてしまった。予想はしていたらしいことに、キリエはため息をつくだけで、無言で兵士の後に続いた。



(お師匠様、大丈夫かなあ)



 かく言うエリノアも、今はツギハギに牢屋から連れ出されている。なんでも、屋敷から持ち出したキリエの研究資料の、振り分け作業に手伝わされるらしい。多分、術具技工の資料を弾けということなんだろうなと、エリノアは思っている。

 エリノアは生体技工なんて欠片も知らない。だから、エリノアが知っている、理解している資料は不要と言うことだ。それを選別しろと、言いたいんだろう。

 窓の外に目をやる。さっきから気になっていた塔は、鐘楼と時計が見えた。つまり今、エリノアが進んでいる先は城の西の方角。



「ねえ、あなたの腕って術具、なのよね?」

「そだよ」

「あの後、メンテナンスしたの?」

「そりゃあしたさ。まあ、軸芯にかすってすらいなかったから、簡単だったけど」



 エリノアの護身術の腕じゃ、本職の人間に敵うわけがないのは分かっているが……。いちいちカチンとくる言い方をする。



「もしかして、ボクの術具を心配してくれたのかな?」

「別に、気になっただけよ」

「ふぅん。弟子といえど、術具技工師の端くれってことかな」



 廊下は、入り組んではいない。別の道に繋がる箇所が多いから、本来ならそれなりに人が多く歩いていたのかもしれない。けど今は、城の中なのに人影が恐ろしいほど少ない。ここは本当に王城なのだろうか、そんな気すらしてくる。

 それとも……ツギハギが言っていた、不要人がいっぱいだと。まさか、城に勤めていた人たちを『そういった方向で』利用しているんじゃ……。



「ボクは君みたいな弟子が一番嫌いだ」



 振り向くことなく言われた言葉は、エリノアには唐突過ぎるものだった。


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