05・記憶の場所
「俺たちが行ったあの玉座の間、国王が座っていた椅子の真後ろの床に一つ。玉座の間に入る扉の向かいの壁に一つ。隠し通路に続く仕掛け扉がある」
「……あの、お師匠様。それ、何で知ってるんですか? 普通は場所までは知らないですよ」
「どっかの王子が、子供のころに口を滑らせた。あとでオズワルドに説教をされていた」
……それって、工房にきたあの王子様のことですか?
「これから言うことは、正直確証はない。今は潰されている可能性もある。どうなるか予想がつかない以上、記憶の端に留めておけ」
こくりと、エリノアが頷くのを確認するとキリエは口を開いた。
「この城の離宮の近くに、魔導具職人の工房がある。それと、高官立会いのもと実験が出来るように、城の中にも工房が置いてある。工房とそこに向かう通路には、城内で万が一のことが起きた際、研究の流出を防ぐため、必要な資料をすぐさま持っていけるように、隠し通路があるそうだ」
キリエは顔に手を当てて、何か思い出しながら話していく。
「その隠し通路は工房の職人のみが利用できる仕掛けになっている。王族や高官でも通ることが出来ない通路だ。城内の工房の隠し通路は、たぶん離宮近くの工房のどこかに繋がっているはずだ。行けるかどうか判らないが、外に出るチャンスが出来たなら、思い出せ。方向は西塔。鐘楼と大時計がある塔が見える方向に行け」
「鐘楼と大時計がある、西の塔の方向ですね」
「そうだ。通路に入ってから方向を決めるときだが、水の音がしたら、その方向には向かうな。城の外、街に繋がっている。今の状態で街に出ても、助けは得られない可能性が高い。音に集中して、通路の中では風が吹いて来るほうに進め」
覚えることが重要すぎて怖い。どうしてキリエは、こんな機密事項じみたことを知っているのだろうか。
「まず間違いなく、グウェインたちの抵抗勢力はある。……うまく城の外に出られたら、ストレイド・スパルダという男を捜せ。この国の宰相だ。人相を覚えるのは簡単だ」
キリエはエリノアを見ながら、自分の顔を指差した。
「俺と顔の造作がほぼ同じだ。違うのは瞳の色、あの男は紫の瞳を持っている。見つけたら今の指輪を、俺から預けられたと言って渡せ。それと、伝言を頼む」
「同じ顔!? え、それに、伝言!?」
「出られるかどうかも判らないんだ、たいした物じゃないから問題ない」
「は、はい……!!」
「仕掛けはお前のほうが詳しいだろう、そう伝えろ。あとは向こうが勝手に動く」
……お師匠様、最後が完全に投げやりな気がします。
そう思いつつも、急いで今の言葉を記憶する。絶対に忘れないようにしないと。
「お師匠様、どうしてそんなに――」
そこまで口に出して、止まる。聞いてはいけないことだと、気が付いて……。
「昔、寝物語で聞かされた。愚痴と一緒にな。それで覚えているだけだ」
「寝物語……」
それは、いつ、誰に聞かされたものなのだろう。
「とりあえず、寝なくてもいい。目を閉じて休んでおけ」
「……はい。お師匠様は?」
「寝れはしないだろうが休む、長期戦になるなら体力が持たない。ライナーが屋敷に来れば状況が変わる、それまで耐えろ」
「ダニエラさんに頼んでいた、あの会話、暗号かなにかですか?」
「簡単なものだがな。あれで気付かないほど、ライナーは鈍くない」
ダニエラのあの反応は何かあると思ってみれば、やっぱりそうだった。あんな状況で、どうしてそんな風に考えて行動できるんだろう。
「リム、お前いるな?」
「呼んだの? キリエ」
「状況に応じて、盛大に暴れる許可は出しておく。敵に容赦はするな」
「了解なの!」
……さらりと、恐ろしい許可が出された気がしてたまらない。
ひょっこり顔を出して、さっと隠れる。とりあえず、危機的状況にならない限りは、姿を出さないようにしてもらおう。
頭に毛布がかぶせられた。そこで会話が止まった。静かな牢屋。聞こえるのは二人分の呼吸。
一つ、キリエの謎が解けたら、また増えた。城の、工房に行く人しか使えない隠し通路。同じ顔をした宰相。それとこの指輪。
親指にはめたこの指輪を見る。キリエの紋の一つ、交差する羽根の模様がある指輪。キリエがはめることの出来ない大きさの指輪。この模様は、誰が使っているものなのだろう……。
もしかしたら、お師匠様は昔、アンカルジアにいたのかもしれない。エリノアはそんな気がしてきた。
■□■□■
本来なら執務室で行うのだろうが、もともと自分に宛がわれた部屋で、グウェインは事務処理を行っていた。反感の多い城の内部の人間に、まともに仕事をさせるのは毎度骨が折れる。
恐らく、宰相のスパルダが自分に従い、業務を滞りなく行っているから、従っているだけ――そう思っている人間が大半だろう。だが、それで十分だ。目的が達成できるまで、この国は潰さないのだから。
アンカルジアにいるスパルダの親類が、ことごとく問題のある人間だったのがグウェインたちには行幸だった。だからこそ、キリエが出されればあの男は従うより他にない。
己の子が病弱であるがゆえに、万が一の繋ぎとしての“本家直系”を失うわけには行かないはず。何よりあの男はキリエに負い目を感じている。それを引っ張り出せばどうとでも出来る。
自分たちが切り捨てたのだから、赤の他人を貫けばよかったものを……。半端に情を持つからこうなる。
アンカルジの奇才、破天荒のじゃじゃ馬娘。出奔した妹。失うには惜しい人材だっただろう妹の血筋。その娘の血は、確かに子供に引き継がれていた。
「陛下。もう一度確認を取りましたが、やはり工房の屋敷に、マティアスたちの姿は確認できなかったそうです。研究資料らしき物は、吹雪が明けたらこちらに運び入れます」
「ご苦労様です、アズール。屋敷に残った者たちには、あとで労わないといけませんね」
「きっと彼らも喜びます」
小さく息を吐いて、グウェインは背もたれに深く背中を預ける。
予想では、マティアスはあの屋敷に向かった可能性が高かったが……。やはり過去の遺物を、事前検証無しで使ったのは、オズワルドのミスだろう。あの家の、家宝。移転の輝石。かつて大陸中にあった魔方陣に繋がる魔導具。
「さて、どうしたものでしょうか。やはり他の魔方陣のある遺跡の近辺を、地道に探す以外はないようですしね」
「そのように人員を手配いたします」
旧ミレハ国の遺跡はすでに確認済み。アンカルジア国内の遺跡は、抵抗勢力派閥の貴族の領地内がまごついている。スピカヴィルに至っては、未だ西の街の遺跡のみ。ロベリタが保護しようものなら、発見は絶望的だ。
あそこは歴史が長い分、保守的な政権だ。ロベリタ国内の商人連を使って調べているが、時間がかかるのは間違いない。赤毛の掃除屋がまだ活動していたのならと、何度も思った。
「ままならないものですねえ」
「陛下?」
「わたくしは術具技工の知識を得ましたが、そこからさらに発展させるには向いていない頭のようですし。ツギハギの師が吐いた技術は、形は確かに理解した。けれどそれまで」
師が吐いた技術を、さらに補うようにツギハギにも吐かせた。理解はした、けれどそこからどうやって、理論を展開させるのかがまったく判らなかった。しばらくはツギハギに研究をさせてみたが、やはり彼も師の上を行く技術は持ち合わせていなかった。
こういうとき、自分が研究職には向いていないのだと突きつけられる。政に精をだしているのが王族の役目なのだから、仕方がないのだろうが。
死者の体を生者に、生者の体を死者に。
死を体現し、死してなお生きている。
崩れた城壁、燃え盛る旗、身なりに統一性のない人の軍勢。蹴られ殴られ、縄をかけられ、砂埃の舞う地面に這いつくばって、父である国王の首が飛ぶのをこの目で見た。
何が、いけなかったのか。父はただ、あの戦争から学んだことを変えようとしただけ。犠牲を少なくしようとしていた。その研究が、生体技工が、たまたまリスクが大きかっただけなのだ。
死んだかどうかを、死なないかどうかを。それを何度も確かめた。生体技工の技術が確立すれば、死はいっきに遠のく。臓器や部位の交換をするだけで済むのだから。前線に立つ騎士や兵に、死者はでなくなる。もとより死んだ人間なのだから、死は関係ない。
結果がはかばかしくないと、父はその研究をしていた術具技工師を牢へ入れた。次々に招聘し、牢へ送り、無能とそしり処刑した。
確かに犠牲者は出たが、それは尊い犠牲と言うものだろう。民草が国のための人柱になるのを、なぜ悪とするのか? 死してなお、その遺体が国のためになるのが、なぜ、狂っていると言うのか。
「死は何よりも恐ろしい」
そっと、焼けた頬を撫でながらグウェインは呟いた。
いったい誰が言い出したのだろう。父の首を刎ねた程度で、気が治まらなかったのだろう誰かだ。赤々とした炎が燃える松明を、『誰か』がグウェインの顔に近づけた。止める声もあったが、それよりも先に皮膚が焼けた。髪に燃え移り、地面の上をのた打ち回った。気管が焼けたらしい、苦しくなってくる呼吸にグウェインの頭に死がよぎった。
歓声と悲鳴の中、体の火を消し、担ぎ上げるように人込みからグウェインを連れて逃げたのはアズールだった。
それからは人目を避けながら生きてきた。アナグラのような生活をし、かつての仲間を集め、新たな政権を調べあげ、密かに力を蓄えた。商人として実績をあげ、この国に静かに足を踏み入れた。
そしてあのスピカヴィルの技工師、イーゼル・ハウゼン。ロベリタの師弟と研究交流のあったあの男。技術全ての公開を頑なに拒否してきた男。その弟子を今、自分の目の前に引きずり出し、牢へと送った。あの男本人ではないが、グウェインの溜飲をわずかばかり下げたのは事実だ。
スピカヴィルが、ミレハに介入する原因になった男。国が滅ぶきっかけになった男。自分が死を予感するような体験をする羽目になった男。
「本当に、師弟そろって忌々しいですねえ」
焼けた頬が、痛みを訴えた気がした。
■□■□■
「先生! 話してはいけません!!」
声を出した直後、雨のように頬に降ってきたのは、まだあたたかい鮮血だった。
ぐらりと、崩れ落ちていく体は見知った人で。その手から滑り落ちた短刀が、床に突き刺さる。刀には、血がべったりとついていた。
そう、彼女は自らの意思で、己の首を掻き切った。
「ダニエラ様!!」
床に押さえつけられながら、キリエは叫ぶ。
血溜りを静かに広げるダニエラから、返事は返ってこない。
「放せ! ダニエラ様ぁ!」
「ダニエラ!」
視界に、工房の扉からこちらを恐々覗いている、少年の姿が見えた。痩せたというよりもやつれた様な体に、茶色の髪と怯えた琥珀の瞳。少年は、何かの紙の束を抱えていた。どう見ても、この場には合わない姿。
「な、何をしているんですか!? みなさん! そんなことは指示されて――」
「貴様は黙っていろ! さあ、答えろイーゼル・ハウゼン!」
また、男たちと先生が言い争いを始めた。どんなに脅そうが、あの研究を世に出すわけには行かない。あんな物が出回れば、世界は一気に混乱する。使う人間がすべて、本来意図していた使い方をするとは限らないのだから。
不意に、天井を見上げるように頭を押さえつけられた。目の前に、小ぶりのナイフが現れる。
「やめろおおおっ!!」
『先生』の叫び声と同時に、右目に、激痛が走った――。
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まだ、先生のあの叫び声は耳に残っている。忘れたくても、忘れられない声。
普段は、快活な笑い声を上げていた口から出た叫び。
(先を予想して動いていたが、先生ほどのコネはない。実害が出ていない以上、遠回りになるのは分かってはいた)
隣の鉄格子の中にいるエリノアは、浅いながらも眠っているらしい。肉体よりも、精神的に疲労が出ているのだろう。膝を抱えて、丸まるようにその身を小さくしている。
本来なら、ここにエリノアはいなかったはずだ。少なくとも、自分が口を割るまでダニエラの安全は確保されている。だが、エリノアは違う。
グウェインのあの口ぶり。ミレハの民を護るのは当然、とはどの口が言ったものだか……。
「おや、起きていたのか?」
「ツギハギ……いや、ナウイルと呼んだほうが良いか?」
ゆっくりとキリエが顔を上げた先に、手燭を持った仮面の男、ツギハギが立っていた。
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