04・生者と死者
「さて。あのお嬢さんも席を外したことですし、話し合いを始めましょうか」
「後ろの、アンカルジアの国王はいいのか?」
「ええ、問題はありません。彼は飾りですから」
キリエはグウェインの後ろにいる国王を見た。もはや曖昧になっている記憶の中の国王は、あんなにも小さくはなかった。……ここ二十年ほどの間に、何があった。
「さっきお前は、テイラーズとの戦争を否定しなかったな。その戦争に、生体技工を施した兵士を導入するつもりなのか?」
「理解が早くて助かります。確かに、テイラーズとの戦の準備を始めていますよ」
「ならばなぜ、亡きミレハの地で始めないで、ここを使った」
ゆらりと、グウェインは首を動かす。ひらひらと揺れるベールの向こうの、頬に残る火傷の痕が見えた。
「言ったではありませんか。時として、国一つ滅ぼすほどの恐怖を持たせる、と。そして結果、わが国は滅んだ」
「恐慌に陥った王をさっさと玉座から下ろして、自分が座ればよかっただろう」
「あなたは、あの戦争に参加はしていないでしょう?」
「ああ。当時は年端もいかない子供だ」
「ならばあの恐ろしさを知らない。あの国は恐ろしい」
ほうっと、いっそ艶めかしいほどの吐息に乗せて、グウェインは言う。
「そして、なんとも勝手な理由で戦争を始めたこの国が憎い」
「復讐か」
グウェインは歪に嗤う。
「あなたとて同じでしょう。対象があの小娘か、この国か。たったそれだけの違いでしかない」
「どうだろうな」
「ふふ。随分と入れ込んでいらっしゃる。ならば、あの小娘をもう一度ここに連れ戻して、両手足の爪を一枚一枚剥いでみましょうか? あなたなら耐えるでしょうが、あの小娘は違うでしょう。さぞや泣いて騒いでくれるでしょうね。その姿に、心痛めぬ師はいないでしょう?」
「元王子とは思えないほど悪趣味だな。化けの皮が剥がれかけているぞ」
何か、自分は悪辣なことをしているのだろうか? そんな問いをしているように、グウェインは首を傾げる。
特権階級特有の、残酷さ。
「もう一度言う。生体技工は、お前たちが思っているようなものじゃない」
「それはどうでしょうか? 遠くとはいえ、わたくしは現物を見ております。『死体となった』ダニエラは、確かに動いていますでしょう? それにあなたの義眼も、元は死体から取り出した眼球を加工したものなのでは?」
「……だから、それが兵士にも流用できると?」
「ええ。当時のミレハの研究では、皆動きませんでしたから。同じ研究をしていた、ロベリタの師弟を招いても同じでした。あのあとイーゼル・ハウゼンの研究の一部が発表されて、わたくし、それは喜びました。これであの恐ろしい国に怯える必要はないと」
「それがどういう理論展開で、工房を襲撃することにしたのか理解し難いのだが」
グウェインはため息をつくと、違うと言うように頭を横に振った。
「あれは、手違いだったのです。わたくしは、誰かが傷つくことを望んではいなかったのです。もちろん、勝手な行動をした者を罰しました。特にこれから先、研究の手がかりを知っていそうな弟子を、あなたを。その目を抉った者は、厳正に処理しました」
「……処理だと?」
「ええ。資源は有限なのです。研究のために有効活用しました。あの研究の理論を確認するために、実験は必要です」
どれだけおぞましい事を自分たちがしたのか、まったく判っていない口ぶりにぞっとする。しかもそれが当たり前だと言う態度のグウェインに、キリエは小さく息を吐いた。
恐らく、いや、間違いなく、自分とグウェインの食い違いが直ることはない。そもそもこの男は、死体を利用し施すだけのものだと思い込んでいるような……。それとも、正しく理解していないのか……?
当時、ロベリタの技工師と、自分の師が何度も研究を重ねた。結果、生体技工はどれほどの瀕死であれ生者であること、該当者の生体を利用してでしか施せないと結論が出ている。該当者以外の生体を利用すれば、副作用が出る。自分の義眼のように。
それに重要な器官には、事実上施すことは不可能だ。人体の一部欠損とはワケが違う。大量の液体金属の使用、循環器はデメリットが多すぎる。ダニエラは『死んでいなかった』から可能だったが、もうあれを手がけることが出来る技工師はいない。
結果彼女の行動には、著しい制限がかけられた。屋敷の床下の、対になった構築式。日々行う、液体金属の洗浄。
『師の最高傑作』ダニエラ、師が『自ら手を下し』作り上げたもの。生きながらにして死を体現した存在。
何が理由なのか、キリエは思考をめぐらせる。グウェインの行動理由に、統一性を感じないことが気になる。アンカルジアの復讐はまだ、判る。自分だって、殺してやりたい人間がこの国にはいるのだから。
だが、それにしては温い。復讐が国の乗っ取りなのか、国を滅ぼすことなのか。乗っ取るつもりなら、戦争をさせる意味がない。準備だけして、やっぱりやめましたと言ったら、民は反感を持つだろう。一度は敗戦した国なのだから。
ならば、滅ぼす方が早い。なのに、準備をして、しかも死なない兵士すら考えている。負け戦にしかならない戦争を始めようとしているのに、なぜそんなものを求める。
判らない。根幹にあるはずの、行動理由が。復讐だけではないそれは、いったい何だ。
もしかして……、テイラーズに攻め込むことが目的か? だとしたら、あの北の大山脈を越えようとすること自体が、無駄だと言うことに気が付いていないことになる。……北の大山脈が、物理的に越えることがそもそも不可能だということに。
静かに、キリエは目の前のグウェインを見る。理由はわからない、だが……
人魔戦争の本当の敗因を、この男は知らない可能性がある――。
+++++
エリノアが連れてこられたのは、城の地下らしき場所にあった牢屋だ。牢屋番の騎士のお世話になりたくないと思っていたら、とんでもない方向で入れられることになってしまった。
「ここって、どこからどう見ても牢屋じゃない」
「そだね。丁重におもてなしを検討した結果、こうなった!」
「ぜんぜん検討してないでしょ!」
鉄格子を掴んで鳴らしながら、目の前のツギハギに八つ当たりもかねた抗議をする。まるっきり囚人だ。
「えー、困ったなぁ。君、ここから出たらすぐ処刑されちゃうかも? だよ」
「何でよ」
「ここは処刑されるまで時間がある人用だから」
「はい?」
「んー。判りやすく言うと、殺すのは決まってるけど、すぐ殺さない人の牢屋」
「…………判りやすく言ってくれてありがとう」
「どういたしまして!」
仮面がなければきっと、腹立たしいほどニコニコとした笑みを浮かべているのだろう。
ぎりぎりと歯を噛んで鉄格子を握る。ハタから見たら、立派な囚人だ。自分以外に誰も、この牢屋にいないから出来ることだ。いたら、どんな凶悪な娘だと勘違いされるに違いない。
「あ、袖に隠してたナイフを出してね」
「あのね、私は家にいたのよ! そこにあなたたちが来て、ナイフなんて袖に入れてる暇なんてなかったわよ! 見てなかったの!?」
「……君、家にいると防犯意識ゼロになるタイプでしょ? 術具技工師を目指してて、それはマズイとボクは思う」
「余計なお世話よ!」
神妙な声音で指摘されてしまった。心当たりがありすぎるエリノアには、ダメージが大きい。
「君のゆるゆる防犯意識のおかげで、手間が一つ省けたからいっか」
「そうですか」
「朝になったら、ごはんは持ってきてあげるから。それまでに機嫌直しておいてねー」
マイペースに手をひらひらと振りながら、ツギハギは出て行ってしまった。本当に囚人と見紛うばかりの扱いだ。食事がきちんと提供されるのは、ちょっと意外だった。
「ご飯ご飯!」
「リム! 出てきちゃダメでしょ!」
ひょっこりとコートの中から顔を出してきたリムを、慌てて隠す。牢屋のある部屋はエリノア以外いないし、見張りすらいないのは拍子抜けするが、誰に聞かれているかわからない。
……ただ単に、エリノアには見張りは必要ないと思われているだけかもしれないけれど。
「寒いなぁ。お師匠様、大丈夫かな」
「キリエならきっと大丈夫なの」
「だといいんだけど……」
石作りの床に無造作に置いてあった毛布を羽織る。汚いとか言っていられない。凍死するよりましだ。
生体技工。聞きなれない技工名を耳にした。術具技工とは違うものだろう。生体、とは何を意味するのか。術具は魔導具を意味する。生体……とは、普通に考えつくのは人体の一部だ。
術具技工とは違う技術の研究、もしかしたら、禁忌技工。
それに、グウェインとツギハギが言った。あの男、師に似た、君の師も生き残って――。
キリエの、記載されていない師匠の名前。
弟子は、名前を記録されない。襲われた技工師の工房。重症を負った、薬術師の女性と弟子。ダニエラは、薬に詳しかった。だから工房に調剤室がある。今まで、何の疑問も持たなかったその部屋。終身の幽閉措置をとられた技工師。
生体技工、広く知らされていない技術。それはなんらかの理由で、公表することを取りやめたから。例えば、禁忌技工に指定されたから、とか。
グウェインたちの話し振りから、不死身に近い人間を作る技術なのだろう。損失が減る、死なない兵士。忌避しそうな内容だ。
禁忌技工の中身を知るために、弟子に危害を加えたのではないだろうか。その技術を知るために、師ではなくその弟子を拷問した。きっと、耐えられないと思ったから。自分が受ける危害ならば、精神の強い人は耐えられるかもしれない。
けれど、自分が育てていた弟子が、危害を加えられたのなら――話は別だ。エリノアを破門にしたキリエでさえ、ナイフを持つ手を止めたのだから。自分は、キリエの口を割らせる手段の一つ。
考える時間はある。エリノアが調べた情報と、今与えられた情報。それを少しずつ重ね合わせていくと、一つのことにたどり着く。
――キリエは、イーゼル・ハウゼンの弟子。
唯一、あの研究を知っているであろう弟子。何らかの理由で、その門下から出た。だから師の名前が記載されなかった。その何らかの理由が、襲撃事件。
お師匠様が外部とほとんど交流がなかったのは、この一件が原因かもしれない。どこで、誰が耳にするかもしれない研究。やたら高貴な方の知り合いが多いのは、イーゼル・ハウゼンの弟子だから。常に誰かから、保護や監視、名目はなんでもいい。とにかく誰かの目に入るようにしておきたかった――?
本の読みすぎかもしれない。さすがにここまで行くと、考えすぎな気がしてくる。エリノアは頭を振った。とにかく、今はここを脱出して外に助けを求めないと。
「予想していた通りか」
「お師匠様! 無事だったんですね!」
キリエが右目を押さえながら、エリノアの隣の牢屋に入ってきた。キリエを連れてきたのは、あのアズールやツギハギとは違う兵士だ。
「静かにしろ、頭に響く」
「あ……」
あの遺跡の魔方陣! あれって大きさは違うけれど魔導具の一種、だから影響が出ているんだ。
「お師匠様、大丈夫ですか?」
「ああ、体が軽い」
……軽いって、それって隠していたナイフが取り上げられたってことですか? 立ったまま兵士が立ち去るのを確認してから、キリエはなぜか牢屋の中をうろうろと歩き始めた。壁に手をついては、ノックをするように叩く。
「お、お師匠様? 何をしているんですか?」
どうしよう、お師匠様がおかしなことをしている……。アワアワとしながら、キリエの行動をエリノアは目で追う。
「どうやら、ここには無いようだな」
「無いって、何がですか?」
なんだろう。じっと自分を見るキリエの目が、なんだかものすごく可哀相な子を見る目に感じる。
「隠し通路があるか確認していた。ここは城だぞ、万が一のルートが複数あってもおかしくない」
「ああ!」
ぽんと手を叩いて納得する。足の感触、叩いた音の違いで、空間があるか確認していたのか。
「城の重要な部屋から離れていたから、可能性は低いと思ったが……その通りだったな」
「牢屋に隠し通路ってあるものなのでしょうか? だって牢屋ですよ」
「何も入れられるのが犯罪者ばかりとは限らないだろう。クーデターでも起きて、城が乗っ取られたら国王が入ることだってある。王の血筋、王族さえ生き残っていれば、政権を取り戻すことも可能だ。大義名分の神輿は必要だろう」
「神輿って……しかも大義名分って言っちゃってますよ。お師匠様」
「事実だ。エリノア……とりあえず、お前はこれを持っていろ。無くすなよ」
キリエが胸元から首飾りを出した。その紐に通された飾りの、二つの内の一つを格子越しに手渡す。
受け取ったそれは、銀色の指輪だった。男の人が使うには小さい大きさのリング。幅の広い側面に、正面にあたる部分には交差する羽根の模様が彫ってある。
「お師匠様、これ、なんですか?」
「ある男に見せれば、お前の身元が保証される」
「ある男?」
そのある男を思い出したのか、急にキリエがしかめっ面になる。
「あの文面から読み取れることを、信じてみようと思う。頼るのは、遺憾極まりないがな」
.




