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 03・かつての王子と今の王

 


+++++



 男たちがダニエラに感じていた薄気味悪さが、はっきりとしたのは、アズールたちが屋敷を出てすぐだった。

 あろうことかダニエラは、玄関の扉に鍵をかけたのだ。それもしっかりと、チェーン錠までかけて。自分たちが押し入った側であると自覚がある男たちでさえ、押し入られた側が、押し入った人間を屋敷に残したまま鍵をかけるとは予想していなかった。

 顔色一つ変えることなく、まるで男たちがいないかのように屋敷の中を歩くダニエラは、やがて掃除用具を手に取ると掃除を開始した。


 散らかった談話室の家具を動かし、ごみを払い、死体を廊下に放り落とす。けして貧弱ではない体格の仲間が、文字通り粗大ごみのように廊下に投げ出されたのを見て、顔が引きつる。

 ――『これ』はいったい何なのだろう、と。

 男たちは、後ろ暗い活動を中心としていた。だから、自分たちの死に弔いがないことも理解している。自分たちの活動に余裕があるときに、仲間の死を悼み手厚く葬る。そう、決めていた。


 今回もそのつもりだった。屋敷に残ったものたちで、故郷から離れたこの地で弔うはずだった。それがどうしたことだろうか。今、死んでいった仲間たちが、ごみのような扱いを受けているのは。

 このままいけば、あのメイドの腰にある肉切り包丁を使い、遺体を細切れにして庭に撒きそうな気さえしてくる。

 慌てて他の仲間たちが、死んだ仲間をあのメイドから引き離す。青ざめた顔で、メイドの一挙手一投足を注視する。


 まるで、十年ほど前にロベリタを騒がせた暗殺者の行動のようだ。赤毛の掃除屋と呼ばれた暗殺者は、武器を持たないことでも有名だった。

 暗殺の目標となった人物の付近のものを使い、殺す。恐らく赤毛の掃除屋、最後の活動と言われた事件は、屋敷のキッチンにあった肉切り包丁が凶器だった。全身くまなく、百箇所以上の刺し傷は、被害者の判別すら出来ないほどだったと聞いている。

 だというのに、遺体のあった現場は、掃除をしたばかりのように綺麗だった。


 奇妙な恐怖感に駆られ、男はダニエラを見た。

 もくもくと作業をしているダニエラは、絨毯に染み込んだ血痕を落とし始めていた。汚れたから、掃除をしているだけ。まるで、そう言っている様だった。

 あれが、自分たちの主人が望んでいるものの末路なのだろうか。だとしたら、そら恐ろしい想像しか浮かばない。あれならばまだ、魔導人形の方がましだ。あれは、材料が魔導具だ。だから、行動の奇妙さが納得できる。


 だが、これは違う。

 これは……生きた人間を、加工するのだから――。



■□■□■



 目の前にあふれた真っ白な光が、徐々に収まってくる。今までに見たことがない魔導具の効果に、エリノアは一人驚く。自分が知っている魔導具と、本家本元、魔法の国の魔導具はこんなに違うものなのか。

 やがて光が消えた先に見えたものは、殺風景な石作りの部屋だった。ランプの炎が揺らめき、影が動く。



「お疲れ様です。アズール様」

「ああ。陛下はどうしている?」

「今は玉座の間の掃除中です」

「掃除?」



 怪訝なアズールの声。

 王様が、玉座の間を自分で掃除している姿がエリノアの頭に浮かんだ。



「はい。汚れが気になると陛下自ら立会い、女官たちに指示しております」

「相変わらず潔癖な方だ。すぐに行っても問題はないか?」

「はい。アズール様は戻り次第、すぐに来るようにとのことです」

「そうか。では今から行く。二人ともついて来い」



 アズールと、そしてどうみても兵士にしか見えない人たちに囲まれながら、エリノアたちは石作りの部屋を出た。一歩、出てみれば、そこは豪華な作りの廊下だった。真っ白な壁に、高い天井、毛足の長い青い絨毯。黒壇の台に、生花の活けられた花瓶。

 広い廊下を余すことなく照らす明かりは、ランプとは違った。あれは、なんだろうか? 魔導具で出来ているのだろうか?



「なるほど、アンカルジアの城に直接来るのか。いや、来るようにした、が正しいか?」

「いかにも。この城の書庫を漁れば、どうにでも出来る」



 そう、遺物といわれた、動かない魔方陣を動かす方法も。

 やがて見えてきた、高い天井に届く大きな扉。その扉を、アズールはゆっくりと押し開けた。その部屋に入る前に、ツギハギがエリノアのフードを捲る。



「君は、フードをとっていた方が安全だよ」

「どういうことよ?」

「行けば分かる」

「陛下。アズール、ただ今帰還いたしました。術具技工師キリエと、その弟子エリノアを連れてきました」

「お帰りなさい、アズール。よく無事に戻ってきましたね」



 そういって振り返ったのは、ベールハットを被った男の人だった。

 陛下、確かにアズールはそう言った。けれど目の前の男は、貴族のような服装はしていない。むしろ、上流階級に出入りしている商人のようないでたちだ。

 枯れた古木のような、茶色い髪を緩くまとめて肩に乗せていた。ベールに隠された顔は、エリノアには分からない。



「そしてようこそ。キリエ、エリノア」



 軽く手を叩くと、男は女官を下がらせる。エリノアを通り過ぎていく女官の表情、誰もが恐怖を隠していなかった。



「ところでアズール、ダニエラはいないのですか?」

「申し訳ありません。不測の事態により、屋敷から連れ出すことが不可能でした」

「不測の事態?」

「最高傑作、解術式の分解が出来てないんだって。屋敷の外に出したら、自壊するんだってさ」

「おや、それは不測の事態でしたね。やれやれ、『あの男』はそこまで見越していた、としたら癪に障りますね。せっかくここに連れてきて、分解しようと思っていたのに」



 陛下と呼ばれた相手だろうが、ツギハギの態度はあまり変わっていなかった。

 分解、まさかダニエラに解体のようなことをする気なのだろうか。



「仕方ありませんね。貴重な検体を失うのは得策ではありません。ここはキリエに丁寧に話していただければいいでしょう」

「……“あれ”は、お前たちが思っているほど、万能な代物じゃない」

「そうでしょうか? 損失は減るでしょう?」



 趣味の悪い指輪を大量にはめた手を口元に当て、男はニタリと嗤う。



「『生体技工』が普及すれば、死なない兵士が出来る」

「テイラーズと戦争でも始めるつもりか?」

「彼らは実に恐ろしい。あの人魔戦争で、戦死者に、それと巻き込まれた民間人の死者は驚くほど多い。そして、戦争関連死も。時として、国一つ滅ぼすほどの恐怖を持たせる」



 大仰な物言いの男の背後に、正確に言うなら部屋の奥の玉座に、一人の男が座っていた。煌びやかな衣装に、ずれた王冠。小さく体を丸めた男は、震えているようだった。

 あの人が、本当のアンカルジアの王様?



「だからキリエ、協力してほしいのですよ。これから先の、悲劇を少しでも減らすように。あなたがさりげなくその背に庇っている、少女のような目にあう子供が、少しでも減るように」



 いいことを、言っていような気はする。エリノアたちを連れてくる方法は問題だが、もしかして、悪い人ではないのだろうか? ……騙されちゃ、ダメ。お師匠様を拷問するような人が、いい人なわけがない。



「ねえ、エリノア。師がここで技術を広めている間、あなたは保護しますよ。ええ、だってあなたは、ミレハの民なのですから。ミレハの王族が、ミレハの民を護るのは当然でしょう」

「ミレハの、王族……」

「ええ。わたくし、ミレハ国の王族、スピカヴィル王家に殺された王の子供。グウェインです」



 誇らしげにそう名乗り、グウェインの唇が微笑む。

 ミレハの王族。殺された先王の息子。名前はグウェイン。聞いた、ことがある。母が言っていた。今度の王様は王様ではないの。先王のご子息、グウェイン様ではないのよ、と。



「見てすぐに分かりました。ミレハの民に多い、茶色の髪に琥珀の瞳。きっと何も知らずに、スピカヴィルにいたのでしょう?」

「何も知らないって、どういうこと……」



 揺れるベールの向こうから見える、薄い唇が歪に嗤う。



「あなたが師と呼んでいる男はね、あなたで――」

「止めろっ!!」

「お、お師匠様……」



 叫び声のようなキリエの制止に、ビクリと肩が震える。キリエは、自分に何をしようとしていたのか。不意に頭をもたげてくる疑念に、エリノアは不安にキリエを仰ぎ見る。

 けれどキリエは、くすくすと笑うグウェインを睨むだけだ。



「情が移ると面倒ですねぇ。ご安心なさい、エリノア。“あなたは”保護しますとも、キリエの口を割らせる手段ですから」

「――っ!?」



 そこに、キリエの安全は考慮されていないと言ったも同然だ。



「ねえ、キリエ。時間はあります。お互いの意見の食い違いを、話し合って直していきましょう」

「永遠に食い違ったままだろうな」

「強情な人ですねぇ。違った意味で、師に似たのでしょうか? まあ、いいでしょう。ツギハギ、エリノアを部屋に案内してあげなさい。彼女はお客様です、くれぐれも失礼のないように。ええ、丁重に、丁重におもてなししてあげなさい」

「はーい」



 変に強調した言い方が、かえって信用できない。



「きゃあっ! ちょっと、何する――」



 荷物のように持ち上げられたエリノアの、顔の真横、ツギハギの首との間に、細身のナイフが割り込んできた。

 キリエの仕込みナイフの一つ。



「やってみろよ。ボクが死ねば、この子も死ぬよ」



 今、この瞬間に、キリエとツギハギの立ち位置が決まった。

 明らかに、キリエが不利になる位置に。



「君は生き残って、君の師も生き残って、けれどこの弟子は死ぬ。それってすっごい不条理だよね!」



 嬉々とした声音で流暢に話す内容は、キリエにとっては言われたくないことなのだろう。

 ツギハギの首筋にあたる、キリエが隠し持っていたナイフが、キリエの感情を表しているように揺れた。ぎりっと歯を食いしばると、キリエはその手を下ろした。

 嘲るように笑うと、ツギハギが歩き出す。まったく知らない場所だ、どこに行くのか見当なんてつかない。



「お、お師匠様! あの、話しちゃダメです!!」



 ツギハギの肩を掴んで、身を乗り出すように大声を出す。こんなに大きな声を出したのなんて、リムを追いかけて登った木から落ちたとき以来な気がする。

 何が正しくて、何が間違っているのか。今のエリノアには分からない。

 けど、キリエは言いたくない。どんな理由かは知らない。けれど、その体の古傷に、義眼。酷い目にあってもなお、話さなかった技術。



「話したら――むぐっ!」

「はいはーい。君もしゃべっちゃダメだよー。ここから先はお喋り厳禁」



 抗議の意味でエリノアはツギハギを睨む、けど彼にはまったく効果がない。逆に軽くあしらわれてしまった。



「まったく、お前は……自分の心配をしていろ」



 どんどん姿が遠くなっていくキリエは、困ったような表情で、そう言った。


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