02・過去の遺産
なだれ込むように、屋敷に人が入ってきた。その男たちは、エリノアとキリエには見向きもせずに、何かを探しているように、屋敷の中を動き回る。
「何を……」
「ああ、彼らかい? 人探しだよ。反乱分子のリーダーになりそうなのが来たらしいからね」
「反乱分子?」
「そ、銀髪に女みたいなキレーな顔した王子様だよ。ま、見つかったらその場で殺しちゃうから、キレーでも関係ないんだけどね」
「こ、殺すっ!?」
銀髪の、女の人みたいな王子様……。考えなくても、思いつくのは一人しかいない。昨日来た、あのお客さんだ。あの人、王子様だったの!?
今日、エリノアが見た範囲ではいそうにはなかったけど……。もし、まだ残っているとしたら、大変なことになる。
反乱分子、それに王子。最近のアンカルジアの噂。あの人、王子は王子でも、アンカルジアの王子様!?
「エリノアっ!?」
「ダニエ――あぐっ!?」
聞こえたダニエラの声に、全員の意識がそこに向かう。けれどエリノアが姿を確認することは出来なかった。一瞬、体が解放されたと思ったら、すぐさま床に叩きつけられた。頭を強く押さえつけられながらもがく。
ほんの少し動かせた頭に、視界に、自分の顔に向かっているナイフが見えた。
(ダメっ――っ!?)
ぎゅっと目を閉じていれば、顔の真横にナイフが突き刺さる音が聞こえた。
「アズール様ぁ、この子、人質になりそうですよー」
「そのようだな。ツギハギ、連れて行くぞ」
「はーい」
バクバクと動く心臓に、どっと吹き出る汗。膝どころか、全身に力が入らない。やっと起き上がって、激しい呼吸を繰り返す。
「では、そのサーベルを下げてもらおう」
サーベル? どういうこと? やっと頭を上げてみれば、キリエがアズールの首元にサーベルを突きつけていた。いつ、お師匠様は斬り込んできたのだろうか。こんなに近づいたことに気付かなかった。お師匠様はもしかして、助けようとしていた?
キリエは小さく舌打ちをすると、サーベルを下げた。アズールがそのサーベルを取り上げる。
「キリエ様! エリノア!」
保管庫にいると思っていたダニエラは、キッチンに続く廊下から出てきた。その手に、血に濡れた肉切り包丁を携えて……。真っ白なエプロンについた赤黒い模様は、なんだ……。頭が、それを考えることを拒否している。
「最高傑作って結構物騒だね」
「えっ……!?」
聞き間違えかと思った。今、ツギハギはなんと言った? 『ダニエラを見ながら』、最高傑作と言った。
ダニエラさんが、最高傑作? どういうこと? あれはお師匠様の術具のことでしょう? どうしてダニエラさんが最高傑作になるの?
「それ以上は動かないでもらおうか。大人しく我々について来てもらう」
「それは無理だな」
「何?」
ツギハギがエリノアを立ち上がらせる。ふらふらした状態のエリノアに、手を貸してくるのが気に入らない。人を床に叩きつけておきながら、手を貸すってどういう神経してるのよ。
「屋敷の、敷地の外に連れ出せば、自壊するぞ」
「なんだと! そんな話は聞いていないぞ!!」
「制限の“解術式は”、俺でも分解しきっていない。まあ、壊れて使い物にならなくてもいいと、お前らの主人が納得するのならば、屋敷から出せばいい。そうなれば、大方全員の首が刎ね飛ぶだろうがな」
はっ、とあざ笑うかのようにキリエは言った。キリエは、ダニエラが最高傑作であることを否定しなかった。
でも、ダニエラの何が最高傑作なのか分からない。術具ならば、体温の有無で判るのに。ダニエラには、“体温がある”。それにエリノアたちと、同じテーブルについて食事もしている。どこにその術具を使っているのか、皆目見当もつかない。
確かに、いつ寝ているのかや、見かけによらず力があること……。でも、それだけじゃ判断できない。
「ふーん。解術式以外の理論は完成してるんだ」
ぼそりと、ツギハギが言った。誰にも聞こえないように、エリノアだけは近くにいたから耳に入った。だけどアズールは気付いていない、キリエの言葉の意味に。ダニエラが外に連れ出せないことのほうが、彼には重要らしい。
解術式は、分解しきっていない――ちょっと考えれば、それ以外は出来ているとわかる。現にツギハギは、すぐに分かった。そっと、自分を拘束しているツギハギを見る。
「ん? なぁに?」
「何でもないわよ」
「そ」
ダニエラの周りで、男たちが彼女を拘束すべきなのか迷っていた。少なくとも、彼らの主人はダニエラに傷をつけることを良しとしないのだろう。だから、アズールの判断を待っているんだ。
「……しかたない。彼女をここに残したまま計画を進める。ダニエラ、妙なことをすれば、この二人の首が飛ぶぞ」
ダニエラはキリエとエリノアを交互に見ると、肉切り包丁についた血を払い鞘へと収めた。
すうっと目を細めてアズールを見るダニエラに、行動の意思はないと答えているようだった。彼はダニエラが動かないことを確認すると、周りの男たちを離した。
「アズール様、屋敷の中をくまなく探しましたが見つかりません」
「そうか。ここ以外に、潜伏できる場所はないと思っていたんだがな」
「ダニエラ、俺が眠っている間に誰か来たか?」
壁にもたれる様に立っていたキリエが、唐突にダニエラに話を振った。
「はい。キリエ様がお休みの最中に、確かに来ました」
「それはどんな奴だったか答えてもらおう」
割り込んできたアズールに、ダニエラは不愉快そうに眉を寄せる。
「……茶髪の、体格のいい男でした。何か抱えておりました。やたら切羽詰った様子で、キリエ様に会わせろとの一点張りで……。身なりが明らかに貴族階級者だとわかったので、厄介ごとを避けるために追い返しました。あの吹雪の中でどうなったかは分かりません」
「吹雪が明けたら、森を捜索しに行くべきか……。他に三人残れ、明けたら軽くでいい。森に痕跡がないか探せ」
「はっ!」
今、ダニエラははっきりと嘘をついた。ダニエラは追い出そうとしていたけれど、キリエが屋敷に上げたのだから。まさか、まだ彼らはこの屋敷のどこかに隠れているの?
「では、我々は計画通りに戻る。お前たちは、誰が来ても予定通りに振舞え」
ツギハギが何かをエリノアの首にかけた。多分、魔導具の一種だ。キリエの人質として使えると分かったら、きっとこれを使って脅すんだ。
「ねえ、アズール様。この二人、このまま吹雪の中歩かせたら凍死しちゃうかも」
「……おい、誰かこいつらに着るも――」
言い終わる前に、ダニエラが動いた。いつものように二階へと足を運ぶ。当たり前のような自然な動作に、一拍おいてから気付いた男が後を追う。
とりあえず、彼らは目的が達成できるまではエリノアたちの命は保障するらしい。少なくとも、キリエが最高傑作の技法を口にするまでは。その間の身の安全はまったく保障されていないけれど……。
キリエはこんな状況の中、どうしてそんな平然としていられるのだろうか? 内心で動揺している自分とは大違いだ。じっと見ているエリノアに気付いたのか、キリエがため息をつきながらエリノアの傍へと来ると、いつもの目付きのまま頭をなでる。……あの、今のは心配するなってことですか? お師匠様。ダニエラが、コートを持って立っていた。
「キリエ様、お気をつけて。くれぐれも無茶はなさらぬように」
「……ああ」
「エリノアも、気をつけるのですよ」
「はい……ダニエラさんも気をつけてください」
「ええ」
緊張からかうまく動かない体に、ダニエラが着るのを手伝ってくれた。
「吹雪が明けたら、ライナーたちが廃液の回収に来る。保管庫の樽を三つ出してくれ。手前に動かしてあるものだ。それと、鍛冶工房から不要になった軸芯を何本か別けてくれと言われた。使えなくなった軸芯で、古いものを選別して、こちらもライナーに渡すように。軸芯のことは話していないから、“ロデ”宛だと伝えてくれ」
一瞬、はっとしたような表情になりながら、ダニエラはエリノアに着せていたコートの最後のボタンを留めた。
きっとすぐに乱れてしまうのだろうけど、ダニエラが簡単に身だしなみを整えていると、コートの内ポケットに何かが入っていることに気付く。やたらもぞもぞと動く、柔らかな感触……もしかして、リム!? ごくりと息を飲んで、リムが彼らに気付かれないようにエリノアは祈る。
「かしこまりました」
「この状況で、よく先の予定の話が出来るな」
「お前たちが言ったんだろう。誰が来ても予定通りに振舞え、と。この屋敷で俺がいないのは別段問題はないが、事前に取り決めてあったことが中止になれば怪しまれるぞ。それでもいいのか?」
「お前たち、来た連中が怪しいそ振りを見せたら手はず通りに」
怪しい動きをしたら、ライナーたちに危害を加えるのだろうか。不安になりながら、エリノアはキリエのコートを掴む。今回は、振り払われることはなかった。
ツギハギがダニエラを見ながら、首をかしげた。
「君、だいぶ変わっちゃったんだね。それってワザとそうしてるの? それともそうなっちゃったの?」
「……どこかで聞いた声だと思えば、お前、あの時にいたな」
「うん! やっと思い出してくれたね、キリエ!」
「お前もだいぶ変わったんじゃないのか? 前はそんな面もなかったし、道化み――」
「黙れよ、キリエ」
「――っ!!」
ぐっと低くなった声に、エリノアの首に何かがあてられた。冷たい感触に、ツギハギが持っていたナイフなのではないのだろうか。
エリノアを間に挟んで、視線の静かな攻防が始まった。無言でにらみ合う二人、せめて自分を間から外してやって欲しいと思ってしまった。だって、怖い。
「まあ、俺にはどうでもいいことだがな」
先に視線を外したのは、キリエだった。小さく肩をすくめると、未だ何か指示を出しているアズールを見る。
やがてアズールはついて来いと言うと、屋敷の外へエリノアたちを連れ出した。
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だいぶ風が弱くなっているとはいえ、吹雪の中だ。風に煽られ、雪に足をとられながら、森の中を進んでいく。一歩でも踏み出す足を間違えれば、そのまま遭難しそうな気がする。
「エリノア、今は絶対にフードを外すな。それと、周りを見るな」
どのくらい歩いたのだろうか、キリエがエリノアのところへ近付くと小さく言う。
どういう意味だろう? 吹雪だからもともと被っているフードを外すことはないのに。逆に周りを見るなと言われると、遭難しそうで不安になる。
そんなエリノアの疑問は、すぐに解消されることになった。
雪が、緋色に染まっていた。
そして、前を歩いていたキリエの足が止まる。何が原因で赤く染まっているのか、エリノアは考えたくなくてキリエの傍に小走りで寄った。
「よくこれが動かせたな」
「魔法の知識は、アンカルジアが一番だ」
「そうじゃない。率先して協力する奴がいるとは思えない」
この先にあるのは、もしかして遺跡の一つ? 今日は場所が分からないから確かではないけど、前にキリエに連れてこられた事がある。かつて、魔法が当たり前のように使えていた時代に、国をまたいで移動できる便利な魔方陣が刻まれた石が残っていたはず。
今は、使うことすら出来ない遺物。
「心配要らないよ。起動のための材料はアンカルジア直送だ。今は不要『人』がいっぱいだからね。それに、アンカルジアの人間はもともと魔力を持っている人間が多い。使えないだけで。だから比較的少人数ですむ」
……不要人。ツギハギの話の流れから、起動のために必要なものが、まさか人間!?
キリエには、周りを見るなといわれた。もしかして、自分たちの周りには、大量の遺体があるのではないのだろうか? その光景を想像して、小さな悲鳴が口から出た。
キリエと一緒に、一部が雪に埋まった魔方陣の上へと連れて行かれる。
足元に広がる遺跡は、エリノアが前に見たものと同じだった。
「じゃあ行こうか、アンカルジアへ!」
周りの状況の深刻さとは正反対に、場違いなくらい陽気な声があたりに響いた。
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