■五章 01・繋がる糸
■□五章
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燃える薪が割れた音で、エリノアは目を覚ました。気が付けば火が点いている暖炉に、体にかかっているコートと毛布。コートの下、エリノアの体の上にはリムがいた。
どうやら自分は、ソファに座ったまま眠ってしまったらしい。腫れぼったい目を擦って、開いたままのカーテンの向こうに目を向ける。外の天気は吹雪いたままだけれど、昨日に比べるとだいぶ勢いが弱まっている。これなら今夜にも、吹雪は止むかもしれない。
そう言えば、あれから時間はどれくらいたったのだろう。時計を見れば、いつもよりずっと早く目を覚ましていたことを知る。
誰かが、エリノアにコートと毛布をかけてくれたのか。ダニエラさん、だろうな。お師匠様がするとは思えないし……。それにたぶん、急な処置で疲れているはずだ。エリノアに気を回す余裕はないだろう。
リムを起こさないように、コートからでる。あの銀髪の男の人とオズワルドさんたちは、どうなったのだろうか? ダニエラは、処置が終わり次第出て行けといっていたけれど……。気になったところで、もう自分はかかわることはできない。
夢だったらよかったのに……。そう思っても、目の前に広がる光景にため息が出る。詰め込む途中の鞄、戸が開いたままのクローゼット。散らかった様子に、やっぱり夢じゃなかったのだと落胆する。
「続き、やらなくちゃ……」
惰性で体を動かして、エリノアはまた荷物を詰め始める。悩んでいた服も作業をするときに着ていた、動きやすい服を中心に詰めることにする。ノートを一枚破って、詰めていったものを書き出す。いつになるかは分からないけれど、購入費用は少しずつ返していかないと――。
当座をしのげるだけの荷物がまとめ終わると、鞄を引き摺りながらエリノアは一階へ下りていく。談話室に荷物を置いておけば、部屋に取りに行く手間が省ける。階段を下りたところで、ついでに顔を洗いにいってしまう。幸い誰にも会うことなく、身だしなみは整えられた。
屋敷の中があまりにも静かなので、もしかしたらオズワルドたちは処置が終わってすぐに出て行ったのかもしれない。彼の体格を考えると、姿が見えないのは不思議だ。それとも、談話室にでもいるのだろうか? どうせ談話室に行くのだし、そこにいなければきっと屋敷を出たのだろうと考えよう。
天気を考えると、明日、明後日にはライナーが来る可能性が高い。そうしたらもうこの屋敷とも……キリエとダニエラとも、お別れだ。
談話室の扉を開いて、暖炉の火が点いていることにエリノアは驚いた。客人のオズワルドも誰もいない部屋に、火を点けるのは危険だ。ダニエラが消し忘れたにしては、おかしい。火だけは、彼女は神経質なほど確認しているのだから。
鞄を端に置いて、火を消そうと暖炉の前へ向かえば……あの三人がけのソファに、毛布に隠れるような状態で、キリエが横になっていた。
「お、師匠さま……」
疲れた表情で横になる姿。近くにエリノアが寄っても動くそ振りのない様子に、本当に眠っているのだと気が付いた。キリエが寝ている姿を見たのは、初めてだ。寝ていても、しかめっ面に見えるのはなぜだろう。
起こさないようにエリノアはキリエの隣に、床の上にしゃがんだ。部屋が暖かかったせいか、絨毯の上は思った以上に冷たくない。
「あの、たぶん、聞こえてないと思いますけど……その、今までお世話になりました」
見ても聞こえてもいないのだろうけど、それでもエリノアは言いたかった。ゆっくりとキリエに向かってお辞儀をする。
「お師匠様からみれば、出来の悪い弟子見習いだったと思います。怒ったり、苛ついたり、すごくしたと思います。すみませんでした。他の工房に行って、一人前の術具技工師になれるようにがんばります。……私が入れる工房、見つかるといいんですけど……」
ポツリと、不安が口を出る。実際、他の工房がどうやって弟子を迎え入れるのか。エリノアの素性調査になれば、嫌がる人は必ずいるはず。技工師協会には、別の人のところへ紹介をしてくれるだろうか……。
とりあえず、ライナーが来たら訊いてみよう。商人は細かい情報を持っているのを、エリノアは知っている。
「お師匠様。あんまり仕事ばっかりして、ご飯とか睡眠とか、体に障るほうをサボるのやめてくださいね。普通はサボるのは仕事のほうなんですから。それと、リムを放り投げる回数を減らしてください。リムは霊獣だから大丈夫だと思いますけど、ハタから見ていると心臓に悪いです。あとダニエラさんも、たまにいつ寝ているのか気になるときあります。ちゃんと夜は休んでくださいって、お師匠様、言ってください。たぶん、ダニエラさんはお師匠様が言わないと無理だと思うから。えっと、あと他には――」
普段、こんなにキリエに話したことがあっただろうか。もともとキリエはしゃべらない人だし、術具の話以外で、エリノアがここまでキリエに言うこともなかった。むしろダニエラや、リムのほうが会話をしていた時間は長い。
眠っている相手、返事なんて返ってこない相手。だからなのだろうか? こんなことを話したときのキリエの反応が怖くて……眠っているから安心して、自分は話せるのだろうか。
泣き言なんて言えなかった、言ってる暇なんてなかった。必死になって勉強して、精一杯一日を過ごして。怒られたらへこんで、褒められたら喜んで。
……エリノアにとってこの屋敷で過ごした期間は、形は違えど、家族として過ごしたも同じだった。
楽しいことも、うれしいことも、悲しいことも、寂しいことも、この屋敷で経験して、全部積み重ねてきた。
そこから離れる。それも独り立ちをするのではなく、出て行く形で――。
この人に、弱音を吐いてもいいのだろうか? いつも先を歩いている、エリノアが一生懸命になって追いかけているこの人に。迷うそ振りすら見せない人に。果たして訊いて、くれるだろうか。
じわりと熱くなってくる目元を押さえて、眠っているキリエに、エリノアはかすれた声で話し出す。
「……お師匠様、私、術具技工師になりたいです。他の人に教わりたくないです。ここで勉強していきたいです。ダニエラさんも、リムも……お師匠様も好きだから。だから、破門しないでください、お師匠様。今まで以上に一生懸命勉強します、お手伝いもします、寝坊もしません。お願いします、お師匠様。私、ここから離れたく――」
最後まで言い切ることは出来なかった。毛布の中から伸びてきた腕に、押し倒されるように大きく体が斜めに傾く。
今までエリノアのいた場所に向けて、“キリエが”サーベルを突き出した。そのまま部屋の奥へと投げ出すように動かす腕。サーベルの切っ先が、知らない人の腹に突き刺さっているのを見た。
いつ起きていたのか、あの話をどこから聞いていたのか。そんなものを問える余裕はすでにない。
「ダニエラのところへ行け! 保管庫にいるはずだ!」
「は、はいっ!」
家具を倒しながら床を転がる男と、キリエの逼迫した声に押されて、エリノアは急いで部屋を飛び出した。
けれど、飛び出すことだけしか出来なかった。そこから先には進めなかった。だって、目の前にあの仮面の男がいたのだから。
「やぁ。ちょっと振りだね、キリエの弟子。それともエリノアちゃんって呼んだほうがいい?」
おどけた様に言いながら、仮面の男はすばやくエリノアの体に腕を回した。驚いて、逃げることが出来なかった。どうしてこの男がここにいるのか、さっきの男の仲間なのか。だとしたらこ今の男は野盗では、ない……!?
がっちりホールドされた状態で、仮面の男はするりとエリノアの首を撫でる。
その仕草に、この男が首を切り落とすことをまだ諦めていないことに気が付いて、鳥肌が立つと同時にエリノアの顔が引きつる。
「ありゃ、アイツはもうだめかな? 一発で仕留められちゃったか、残念」
部屋の中で動く様子のない男に、そんなことを呟く仮面の男。ぜんぜん残念がっているように感じない。
「ねえねえ、キーリエ! 大人しくしてくれないと、可愛い弟子の首が飛んじゃうよ」
やっぱり! 仮面の男はキリエを脅すために、自分を使うんだ。どうしたら、どうしたらいいの!?
現状をきちんと理解してしまって、遅れて震えがやってくる。エリノアの震えに気が付いたのか、仮面の男が自分を見たような気がした。
キリエは、狙われる理由はあるといっていた。それは悪いこと、なのだろうか。それとも、いいことなのだろうか。
イーゼル・ハウゼンの事件は、研究内容が引き金だった。……お師匠様は、確か何かの研究をしていた。それが何なのか、エリノアは知らない。ただとても複雑な構築式を描いた紙と、それを一つずつ分解した物を描いた紙を見たことがある。
見たものを一瞬で記憶するような特技は持っていない。だけど、あの構築式に似たものは、術具を作るときに見かけたことはない。
もしかして、それ、なのだろうか……?
「そいつはもう、弟子じゃない」
足元に動かない人間が倒れ、血に濡れたサーベルを片手に立つキリエ。その光景が、エリノアの知っているキリエとはまるで別人のように見えた。顔つきが、ぜんぜん違う。目付きが悪いとかじゃない。ぞっとするほど冷たい顔に、その視線の先にエリノアは入っていないのかも知れない。けれど寒気が走る。
……怒っている、のだろうか。エリノアは漠然とそう思った。
「あり? そうなの?」
それはキリエではなく、エリノアに問うものだった。首をかしげながら言う様子に、気味の悪さを感じる。
「……そうよ。昨日、破門されたわ」
「ああ、それでお目目が赤かったんだ。泣いてたの?」
「――っ!? あ、あなたには関係ないでしょ!!」
「そだね」
なんで、こういう時に……お師匠様と同じように、言うのよ!!
しかもあっさり引くくらいなら、最初から言わないでほしい。
「おい、ツギハギ。遊んでないでさっさと動くぞ」
エリノアの視界にない場所、この仮面の男の後ろから別な男の声が聞こえた。
一瞬、ほんの一瞬だけど、ツギハギと呼ばれたとき、仮面の男の体が硬くなった気がする。
「術具技工師キリエ。我々と一緒に来てもらおうか」
「断る」
「なら、この弟子の首を落とすがそれでもいいのか?」
現れた体格のいい茶髪の男が、ナイフでエリノアの顎を持ち上げた。屋敷の他の場所から、なんだか争うような物音が聞こえてきた。ダニエラさんは、無事だろうか。気になっても、その場所を見ることすら出来ない状態だ。
「アズール様、この子もう弟子じゃないんだってさ」
「……なるほど。ならば首を落としても何の意味もないと」
ツギハギは、この茶髪の男を上と見ている。おどけた様子でも、線引きはしているらしい。
自分がキリエにっとての人質にならない可能性が出てきた。お師匠様の足枷にならなくて少しほっとしたものの、
「ならば両手足を切り落として、必要な情報を吐き出させた後、始末しろ」
ただ首を切り落とすよりも酷い結果が出てきて、胃に直接氷を入れられたような寒気が全身を駆け巡る。
ツギハギと違う、おどけた様子のない言葉に、抑えることの出来ない震えが出てきた。
「アズール様。この子始末しちゃったら、キリエは余計喋らないと思うけどー」
「拷問すればいい」
「師匠ってそういうものなんでしょう? だったら無理だと思うなあ、『前に』拷問したときもそうだったし。死体の隣で抉っても喋ってくれなかったもん」
……前に、ってどういうこと!? 前にも、お師匠様はこうやって襲撃を受けたことがあるの?
拷問した、死体の隣で抉ったって……。キリエの古傷に義眼って、まさか――!!
はっとしてエリノアはキリエを見た。
「つまりお前たちの目的は、前と変わっていないと――」
「いかにも。最高傑作、その技法、今度こそ答えてもらうぞ」
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