07・意味と理由
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昨夜、前話を投稿しています。
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「……追求を受けるかと、思っていました」
一通りの手当てを終えたオズワルドが、おもむろに口を開いた。
「追求などという手を使うのであれば、最初から叩き出したほうが早いです」
ダニエラが使った道具の片づけを手伝いながら、隣からひしひしと感じる殺気の様なものに、エリノアは一人鳥肌を立てる。キリエの指示に従い、手当ては素直に行ったけれど、ダニエラが納得していないのは誰の目から見ても明らかだ。
ただ、キリエが屋敷に上げた人間で、キリエが手当てをしろと言った人間だから。
キリエの古い知り合いだから、じゃない。ダニエラに、知己かどうかは関係ない。屋敷の秩序を壊す人間が、許せないだけ。でも、本当にそれだけだろうか?
「私は、あなた方がどこで野たれ死のうが関係ありません。あなたがお連れになった方の処置が終わり次第、すぐさま出て行ってください」
「……処置をして頂いただけでも十分です。これ以上の迷惑はおかけしません」
深々と頭を下げるオズワルドの姿を、ダニエラは一瞥してエリノアを促すように外に出た。キリエは知っているが、自分たちは知らない相手。素性のはっきりしない輩と、同じ部屋にいる気はないとダニエラは暗に言っていた。
「エリノア、何があったのですか? キリエ様に、何か言われたのですか?」
廊下に出て、談話室の扉が閉まっているのを確認してから、ダニエラが控えめに訊ねてくる。
リムを抱えたまま、エリノアは頷く。
「お師匠様から、破門すると言われました……」
「まさか、キリエ様がそんなことを――」
「吹雪がやんだらライナーさんが来るから、街へ行けって。荷物をまとめておけって……」
反復するように自分で言っても、今度は涙は出なかった。
エリノアの言葉に、ダニエラが施術室の扉を見た。キリエにことの次第を確認しに行きたくても、当の本人は部屋に篭って処置に入ってしまっている。恐らくは人体側の手術だ。
それに……あの布を捲ったときにダニエラには見えた。あれは、持ち込まれた本人の足のはず。あの師にして、この弟子あり。場合によっては、禁忌技工に手を出した可能性すらある。協会にバレれば咎めどころではない処罰を受けるのが、ダニエラには容易に想像できた。
「荷物を、まとめてきます……」
「エリノア! 待ちなさい、キリエ様も本気で言っているとは――」
キリエが本気かどうかなんてエリノアには分からない。けど、破門は師弟関係の解消だ。冗談で言うような言葉じゃない。だから自分は、荷物をまとめなければならないのだ。エリノアは重たい足取りで、二階の自室へと向かう。
最初にこの部屋が与えられたとき、中は殺風景だった。少しずつ必要なものをそろえて、今の姿へとなった。自分の成長と一緒に、変わっていった部屋。そこを離れる。
クローゼットにしまっていた、いつもより大きな鞄を取り出して、エリノアはのろのろと荷物を詰め始めた。
どこまで、まとめればいいのだろうか。エリノアの私物となっているものは、大半はキリエが買ってくれたものだ。ここへ来たとき、エリノアの荷物はほとんどなかった。僅かな着替えと、両親の遺品だけ。あの時持っていた少ない額のお金は、手つかずのまま置いてある。
教本は持っていけない。キリエの書斎にあるものを、エリノアが借りているだけだ。写したノートは大丈夫だろう。他の技工師のもとに弟子入りはできるだろうか。基礎は教えてあるから問題ないといっていたけれど、教え方の違いででる癖はどうしようもない。
そもそも、エリノアを……ミレハ出身の人間を、弟子として迎えてくれるところがあるだろうか……?
「エリー、本当に出て行くの?」
「うん。お師匠様に言われちゃったし」
「キリエ、冗談で言ってるかもしれないの。エリーに意地悪してるだけかもなの」
「……たぶん、冗談じゃないと思う。あとは、服かぁ。持っていっていいのかな?」
冗談で言うのなら、普段からいっているものだと思う。破門に関係する言葉は、今まで言ったことはなかった。だから本気なんだと思った。
それに……もう、エリノアに何も思うことがないようなキリエの態度が、余計に拍車をかける。
ソファに腰掛けて、クローゼットの中を見るエリノアの頭にリムが飛び乗る。
「リム。エリーと一緒に行くよ」
「ダメでしょ。リムはお師匠様といなきゃ。美味しいお菓子が食べれなくなるんだから」
「でもエリー、お外でたらすぐ死んじゃいそうなの」
「うっ……。そんなはっきり言わなくたって。確かにそうだけど……」
住む場所の確保すら、難儀しそうな気がしている。霊獣のリムから見ても、エリノアは弱くみえるのは間違いない。
鞄の中の銀貨を見る。若葉模様の銀貨、術具技工師見習いの証。
この銀貨は、屋敷を出たら返却することになるのだろうか。エリノアの三年間の努力を証明する、この銀貨を。
ソファの上で、エリノアは膝を抱えて丸くなる。頭を撫でてくれるリムが、慰めてくれているような気がして。一人静かに、声をださずに涙を流した。
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施術室の扉をキリエが開けたころには、とっくに夜も更けていた。正直、何時間篭っていたか分からない。集中しすぎたのも原因か、頭痛がしてくる。これも義眼の影響だろうと予想はつく。もう少し休めていれば違っただろうが、そうも言ってはいられない。
物騒な連中を考えると、念のために隠しておいたほうがいいだろう。あとはオズワルドにメンテナンスの方法を教えておけば問題ないはず。意識のはっきりしないマティアスに言ったところで、記憶に残っているかはわからないし、本人ができない状態のときに困る。
それになにより、他言無用ができる人間が他にいない。ハウゼン侯に鳩を飛ばすにしても、吹雪が明けてからになる。
「キリエ様」
「ダニエラ……。なんだ、苦情なら――」
施術室の前で姿勢を崩すことなく立つ彼女は、いったい何時からここにいたのか?
「エリノアに、破門を言いつけたと聞きました」
「そのことか。確かに破門した。だからどうした」
「考えを変えるつもりは?」
「ない」
ダニエラの非難めいた視線が、ふだんのそれよりいっそう鋭い。理由と元凶を知っているだけに、自分に言いたいことは山ほどあるのだろう。
「ならばせめて理由を言うべきです」
「言ったところで意味がない。それはお前も判っているだろう」
「……それでも、あの子には必要なことです」
「随分入れ込んでいるな」
「キリエ様ほどではありません」
大元は違うが似た境遇に、多少なりとも贔屓していたのは認める。だが、入れ込んではいない。
すっと目を細めて、かつてこの屋敷の主だった人を思い出す。あの人は、いったいどんな気持ちだったのだろうか。
「……ダニエラ、“先生”ならどうすると思う?」
「そ、れは……」
「あの人なら、多分言わないだろうな。俺がそうだった。検討はつくが、未だに理由は分からない」
連帯、咎、功罪。当てはまる言葉は多くある。技工師の奇妙な慣習に、あの時は助けられたのだと。そしてそれを、あの人は最大限に利用した。
弟子は師に似るという。なら、きっと俺も似たのだろう。あの人の口のうまさが似なかった事だけが、残念でならない。そう思って苦笑する。まあ、酔っ払ってクダを巻きながら人に絡むところは似なくてよかったが。
「ダニエラ、オズワルドを呼んできてくれ」
「分かりました。……キリエ様、オズワルド様とは向こうにいた時に?」
「ああ。何も知らずに無邪気なものだったよ」
「そうでしたか」
談話室へと向かうダニエラを見届けると、キリエは再び施術室へと戻った。
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まって、お母さんをどうするの?
目の前で、遺体となった母の体を持ち上げた青年のコートを掴み引き止める。
また、雪の降りが強くなってきた。大きな塊となって落ちていく雪が、母の眠っていた跡を覆い隠す。
――お前、名前は?
エリノア。
――父親はどうした?
病気で……。
――どこから来た?
ミレハから、逃げてきた。
青年は、コートを引っ張るエリノアをものともせず、雪を踏みしめ歩き出す。
到底エリノアの力で敵うわけもなく、仕方なくエリノアは青年の後をつけ始めた。けれどすぐに距離は離なれる。そのたびに雪を漕いで急いで追いつき、また離れてはを繰り返す。
何度それを繰り返したかは覚えていない。ようやく青年との距離が開かなくなったころ、エリノアは街へとたどり着いていた。
こんなにも近い場所に、街はあったなんて……。ただただ、それがショックだった。もう少し頑張れば、母は死ななかったのではないか? そんな思いが、胸を締め付ける。
明るい場所。詰め所の騎士の姿。どこか不安げな表情で、詰め所へと向かう大勢の人たち。あの人たちは、自分と同じように国を出てきた人だろうか?
呆然としていると、青年が随分と前を歩いているのに気が付いて、エリノアは慌てて後を追った。
「キリエさん! 無事でしたか! 帰りが遅いんで心配していました。あのー、その肩に担いでいる人は……」
「少し寄り道をしていた。それと拾い物だ」
「きゃっ!」
無造作にエリノアの腕を掴むと、キリエと呼ばれた青年は、詰め所の騎士へと放り渡した。
「この子供はいったい。それに肩に担いでいる人は、もしかして……」
「こいつの母親だ。医師を頼む。埋葬許可書を出してくれ」
「埋葬……すぐに! と、とにかくキリエさんは中へ! ええっと、君もだ!」
後はもう、流されるままだった。詰め所に入って、医師を待って。やはり死んでいることを確認して。何かを書いてある紙をエリノアは受け取ったが、読むことはできなかった。貴族でもなければ、エリノアの歳の子供でも、字が読めないのは当たり前だった。死亡診断書と、埋葬許可証だと、キリエが言った。字の書けないエリノアに代わって、キリエが代筆をした。
「母親の名前はわかるか?」
「お母さんの名前は――」
キリエは小さな長方形の石に、エリノアの言葉を手早く文字として彫っていった。その字が、母親の名前なのかはわからない。遺品として渡されたものの中に、母の名前はなかったらしいから。
その名前の彫られた小さな石を地面に埋めると、見たことのある景色があった。父の墓よりは少し小さいけれど、そこが母の墓なのだと理解した。
「役人に話してある。気が済むまでそこにいたら、騎士の詰め所に戻れ。あとは役所の仕事だ」
「これから、私、どうなるの?」
「お前は戦災孤児だ、孤児院預かりが妥当なところだろう。運がよければ養子になれる」
「孤児院……」
「先を考えるなら、手に職をつけろ。何かの職人に弟子入りすれば、食うには困らない。むしろその方が、まっとうな生活ができる」
孤児院がどんな場所か、エリノアも知っている。そこで僅かな可能性に賭けて生活をしている子供が少ないことも。
近くに住んでいた少年は、鍛冶技師見習いだったのは覚えている。
「孤児院が嫌なら、野たれ死ぬだけだ。どちらも嫌ならついて来い。ちょうど弟子を探していた」
「弟子を探していていたの? なら、何かの職人?」
「ああ。術具技工師だ」
術具技工師。エリノアは、その時に初めてその名前を知った。
「ここには弟子を探しにきたの?」
「さあ、どうだろうな」
離れていくキリエを追って問うエリノアに、曖昧な表情をみせながらそう答えた。
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