05・吹雪の中の来訪者
「助けてなのー! リムは美味しくないのー!」
悲痛なリムの叫び声を意に介さず、キリエは立ち上がると緩慢な所作で階段の手すりに手をかけた。あまりにも危なっかしい動きに、エリノアはアルトの籠を抱えたまま、キリエの空いた腕を取る。
エリノアが腕を取った瞬間、キリエの動きが一瞬止まるも何か言われることもなく。むしろ何も言わないことに居心地の悪さを感じながら、ゆっくりと進んでいく。
「アルトは、俺が雛から育てた鳩だ。もう随分な歳だろうし、何を気負うこともなく過ごして欲しかった」
「そうだったんですか。そう言えば、私が来る前から屋敷にいましたね」
「ああ。前はかなり無理をさせた」
可愛がっていたとか、友達だったとか、そういったこととは別の次元だった。雛から育てたのなら懐き具合も、信用も段違いだ。文字通りキリエの、長年の仕事の相棒だったのだろう。
それをリムがどうかしたと、言ったところか。……煮るなり焼くなりされても、文句は言えない気がしてきた。
今のキリエの姿しか知らないエリノアには想像できない。まだキリエが駆け出しだったころが、どんな生活をしていたのか。こんな大きな工房は持っていなかったかもしれない。成長し、躾けられた昼夜鳩は高いから、だから育てていたのかもしれない。
想像することはできても、訊くことは許されない。今まで聞くことのなかった師弟関係の解消、その言葉がキリエの口から出てきたからには。想像しただけで怖かった、現実味のなかった言葉が、ついに表に出てきたのだから。
目隠しを取り、あたたかい毛布から出て。その先を考えないといけなかった。今まで言われなかったのだから、きっと大丈夫だろう。そんな甘い考えを持っていた自分に怒鳴りたくなってくる。
二階の一番奥にあるキリエの私室。家具はあまりないのに、中は散らかっていた。絨毯の上に積み重なった資料に、広いテーブルには細かく何か書き込まれた紙が無造作に置かれている。インクの入ったビンは、後少しで空になる状態だ。その紙の上に、キリエはあのビンを置く。
「アルトは奥の丸テーブルに」
「はい」
手で扉を開けながらキリエは言う。きっとそこが、アルトの定位置なんだ。寒さを感じる窓からも、火が点けば熱く感じる暖炉からも、ちょうど離れている。部屋でキリエが座っていると思うソファに近い場所。
籠に入ったままアルトを連れてきたということは、リムはキリエに黙って私室に侵入したのだろうか? それはそれで大問題だ。屋敷を空けている間のアルトの世話は、ダニエラの役目だ。アルトがいるのだからと、お師匠様は鍵をかけなかった可能性が高い。もしくは暖炉に火を入れたダニエラが合鍵で開けたか。
アルトの近くのソファに腰掛けたキリエが、エリノアを振り仰ぐ。空の青い瞳は変わらず、いつもは見上げている師のそのしぐさに妙な違和感を持つ。
「――お前、泣いていたのか?」
一瞬にして、エリノアは顔が真っ赤になった。よりにもよって、一番気付かれたくない人に気付かれた! 普段はそういった術具以外の細かいことに、全然気が付かないくせに!
「な、泣いてなんてい――」
「キュキョーッ!!」
屋敷に響き渡るリムの叫びに、エリノアの肩がビクリと跳ねた。何が行われているなか、本当に煮るなり焼くなりされている気がしてきた。いや、逆に皮を剥がされているのかもしれない。明日になったら談話室に、リムの皮の絨毯が広がっていたらどうしよう……。
「気になるなら行け。そもそもここはお前の部屋じゃない」
「……はい。失礼しました」
エリノアはため息をつきながら、キリエの部屋を出てキッチンに向かう。お師匠様、デリカシーなさすぎです。なんでそういう時だけ気が付くんですか? そう思ったものの、たぶんキリエはエリノアがなぜ泣いていたのかは分かっていない気がする。
もう一度、今度は深いため息をつく。あの言葉の意味を、聞ける状況じゃなかった。談話室に置いたままの鞄を取りにも行かないといけない。時間をかけて探したプレゼントは、この様子だと渡すことなく終わってしまいそうだ。
重たい足取りでキッチンに入れば、なぜか床に水溜りが広がっていた。
「え? 雨漏り?」
「うわぁぁぁん! エリー、助けてなのー!」
リムの悲鳴のような泣き声が頭上から聞こえてきて、エリノアは天井に視線を向けた。
「リ、リム!?」
「エリー!」
そこには――天井から、簀巻きにされたリムがぶら下がっていた。
「エリノア。リムは罰を受けている最中です、下ろさないように」
「は、はい――っ!」
エリノアが下ろさないことに気が付くと、よほどショックを受けたのか、リムはまた泣き出す。
ぼたぼたと落ちていく大粒の涙は、エリノアが雨漏りだと思っていた水溜りの原因だったらしい。
「リム。そんなに泣かないで、ね?」
「うわぁぁん! ごめんなさいなのー!」
天井からぶら下がっているリムをまったく気にすることなく、黙々と作業を続行しているダニエラが恐ろしい。
普段のキリエならばあそこまで言わないだろうけど、あのアルトだったのがいけなかったのだろうか。結局ダニエラのお仕置きに、加減をかける言葉を入れなかったのだから。それにダニエラから見れば、キリエが階段から落ちた元凶だ。本当に、煮るなり焼くなりされなくてよかった。
ダンッ! と作業テーブルの上に肉切り包丁を突き立てると、ダニエラにしては珍しくリムを睨みつける。底冷えするような視線が、心なしかキリエに似ている。
「キュッ!」
「エリノア。鍋が焦げ付かないように見ていてください」
「は、はい!」
姿勢よく返事を返してしまったのはなぜだろう。急いで火の点いた鍋の前に行く。
「キリエ様に薬を持って行くので、戻るまでお願いします」
「薬?」
「……ただの痛み止めです」
「痛み止め……。あの、義眼って、その、外すと痛いんですか?」
あらかじめ調合していたのだろうか? 作業テーブルの上に置いてあった水差しに水を注ぐと、ダニエラがエリノアを振り返る。
「いえ。義眼自体にそういったことはありません。魔導具を使用したことによる体への副作用、そういったほうが分かりやすいでしょう」
「その副作用が、体への痛みですか?」
「一概にそう、だとは言えませんが……。ただ、キリエ様の義眼は少々“特殊”なので、魔導具を使うと影響がでるのです」
ゆっくりと言葉を選びながら、ダニエラは話している気がした。
「あの……教本で読みました。術具技工師は目がもっとも重要だと。細かい作業になるから、目は労わったほうがいいと。腕がなくても教えることはできるけど、目がないと指摘も何もできない。だから目を傷めたら、技工師は続けられないって。ぎ、義眼でも、術具技工を続けることは可能なのでしょうか……?」
両手でお玉を握った状態で、及び腰になりながらエリノアは訊く。ダニエラが答えてくれるかは分からない。もしかしたら、自分には教えることができないことかも知れない。
けれど、気になる。義眼を身につけても、術具技工ができるのかと。
「……不可能ではない、としか私には答えられません。キリエ様は……好き好んで義眼になったわけではないのですから」
お盆を持ちキッチンを出て行くダニエラが、小さくな声で続ける。
「あの時、私は何もできなかった。自分の選択で、救えると思っていたの」
キッチンを出て行くダニエラの表情が悲しそうに見えて、エリノアは引き止める言葉が続けられなかった。
「ダニエラさん……」
何もできなかった――。彼女も、キリエとずっと一緒にいたのだろうか? キリエが義眼になった、その出来事のときも。
よくよく考えてみれば、エリノアはダニエラのことも知らない。屋敷に来たときからキリエの使用人で、助手のようなことをしていて。ああやって家人の体調に気を回して薬を用立てていたのは、いつもダニエラだった。
「エリー、なんか焦げ臭いのー」
「へっ!? きゃああ、お鍋がっ!! 大変!」
背後からしてきた、香ばしいを通り過ぎた匂いに、エリノアは大慌てで鍋と格闘を始める。
ダニエラが戻ってきたのは、エリノアが鍋との戦いを終えてしばらく経ってからだった。
■□■□■
目の前の、三人がけのソファに寝そべるキリエ。けれど眠っているわけではなく、額に濡れたタオルを置いて目を閉じているだけだ。
部屋で横になっていたほうが楽だろうに、なにか理由があるのだろうか。ただ、昨日のあの出来事に、本調子ではない可能性がある。だからこそ、仕事をしないと決めたのだろう。
どのみち今日は、鳩もお客さんも来ないのは分かりきっている。薄いカーテンが閉じた向こうは、吹雪で真っ白だ。これでは誰もこられない。
翌日、エリノアよりも遅くに一階へ下りてきたキリエ。キッチンに入ってきたキリエの瞳は、エリノアが見慣れている二色の瞳に戻っていた。そして開口一番に、今日は工房を開けないと宣言したキリエは、早々に談話室に入るとソファに横になり、今この状況になっている。
朝食の前に開放されたリムは、かなり反省したらしい。いつもなら人一倍旺盛な食欲が鳴りを潜めていた。今も談話室にいるけれど、ソファの上でひざ掛けに包まってメソメソしている。
「リム。霊獣なのに、霊獣なのに……」
トラウマが再現されたらしい。こういうときは下手に触れないほうがいいのだろうと、エリノアはそっとしている。
かく言うエリノアも、リムとは違う気まずさを感じている。昨日の今日だ。師弟関係の解消をほのめかした当人と、同じ部屋とは如何ともしがたい。けれど工房が開いていないのだから、結局ここで教本を読むことになる。なかなかうまくいかないものである。
ノートと教本を広げて、黙々と勉強をしていく。やけに進みがいいのは、エリノアに対する嫌味だろうか?
「ん?」
この吹雪の中に、玄関の扉を叩くような音が聞こえた気がする。気のせい? 首をかしげながらダニエラを見れば、彼女も怪訝な顔で玄関の方へ向いていた。……いくらなんでも、こんな荒れた天気の中、工房に来る人はいないはずだ。
雪になれた狩人でも、吹雪になったら動かないのは鉄則だし。そもそも、荒れそうな天候のときに外に出ない。自殺行為でしかないのだから。
やがてダニエラが、編み物をしていた手を止めて玄関へと向かっていった。一応、誰か来たのか確認しに行くことにしたらしい。聞き間違いか、雪の塊が扉にぶつかった可能性も高い――。
「今すぐお帰りください!」
「え? ウソ。本当に誰か来てたの?」
ソファから腰の浮いた状態で、エリノアは閉まっている談話室の扉を見た。
「失礼を承知でお願いします。どうか、キリエ殿に会わせて頂きたい!」
「本日は工房を閉めております。そのようなことは術具技工師ではなく、医者に行くべきではないのですか!?」
「それは十分わかっています。ですが、キリエ殿でないと無理なのです!」
閉まる扉から聞こえる声ははっきりしないが、ダニエラが客人と思われる男の人と言い争っているのはわかった。今のところ、相手のほうは実力行使に出る様子はないけれど……。エリノアは暖炉の傍に置いてある火かき棒を手に取ると、物音を立てないようにゆっくりと廊下に顔を出す。
「うわっ!?」
不意に、エリノアが壁にしていた扉が動いた。よく見ればキリエの手が、自分の頭の上に見える。どうやらキリエも、この騒動が気になって見に来たようだ。
「ダニエラ」
「――っ!? キリエ様!」
ダニエラが、弾かれたように振り向いた。二人が廊下に出ていたことに、気が付いていなかったらしい。
振り向いたダニエラの体の向こう。そこに膝を床についてダニエラと言い合っていたのは、体躯のいい精悍な顔つきの男の人だった。短く切りそろえられたこげ茶色の髪にも、その体にも、大量の雪がついている。
男の人は、何か大きなものを抱えていた。抱えている物を巻いている布、所々赤黒い染みのようなものがある布にも、張り付いている雪。
「オズワルド……」
かすれた声でキリエが言った名前に反応したのは、あの男の人だった。はっと顔を上げると、その男の人はキリエを見て大きく目を開いた。
「キリエ、殿? 私を、覚えて、おいででしたか……」
「ずいぶん老けたな」
オズワルドと呼んだ男の前に立つと、キリエはダニエラを後ろへ下がらせた。
感慨深いといったキリエの声音に、オズワルドが困ったように苦笑し、
「お久しぶりです、キリエ殿」
そう言って、その手に抱えていた布の一箇所を、オズワルドは捲った。
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