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 04・階段の出来事

 


 野盗に遭遇したことを話せば、ダニエラはすぐさま準備を始めた。手馴れた様子で、エリノアの首の傷を消毒し包帯を巻いていく。談話室で大人しくダニエラの手当てを受けているエリノアは、暖炉の近くに座るキリエに視線を動かした。どうにも戻ってから、キリエの様子がおかしい気がするのだ。

 自分の首の傷は浅かったので、すぐに治るだろうとダニエラに言われた。足の具合も時間が経つにつれて、元の感覚を取り戻してきている。なのにキリエは……逆に体調が悪くなっている気がしてたまらない。

 もともと自分のこともほとんど話さないキリエだ。まさか具合が悪くなっているのに、黙ったままでいるのだろうか……。微妙にありそうで怖い。そういえば、エリノアがここに来てから、キリエが体調不良を訴えたところを見たことがない。


 気付かれないようにこっそりとキリエを観察する。寒い中歩いてきたから、古傷が痛んでいるのかと思ったけれどどうも違う。顔に手を当てて俯いたまま、ソファにじっと座っている。声をかけるべきなのだろうか、それとも放っておいた方がいいのだろうか?

 たぶん、屋敷の人間の具合が悪くなったらすぐに気が付くのはダニエラだ。けれど今、救急箱を片付けているだけで何も言わないし……。どうしたものかとエリノアが悩んでいるうちに、キリエが席を立たった。



「二人とも、後のことはすべて明日にして休め。俺も今日はもう休む」



 などと、エリノアが耳を疑うような言葉がキリエから出てきた。普段ならば街から帰ってきても、休まず工房で作業をするお師匠様が!

 ダニエラも同じように驚いていたけれど、それを良しと判断したのか。救急箱を戻しに、早々に部屋を出て行ってしまった。部屋に残っているのは呆気にとられたエリノアと、仏頂面のキリエだけだ。



「なんだその気の抜けた顔は」

「い、いえ。お師匠様が休むと言ったので……」



 ギロリと、射殺さんばかりの視線をエリノアに向ける。相変わらず怖い目だ。あんな事件があったのに、どうしてそう平静を保っていられるのか、エリノアは不思議でたまらない。……って!



「お、お師匠様! 待ってください!」



 体が半分以上扉の外に出ていたキリエを、エリノアは慌てて止めに走る。話しておかなければ、自分が遭遇したのは野盗と違うと。あの仮面の男は、キリエを知っていたと。キリエを狙っていたと。

 ぐいっとキリエの袖を掴んだエリノアは、その直後に起こったことに自分の目を疑った。普段ならば、エリノアが引っ張ろうがびくともしないキリエの体が、わずかにふらついたのだから。



「お師匠様、どこか具合が……。ダニエラさん呼んでき――」

「騒ぐな。ダニエラを呼んでも意味がない」



 急いでダニエラを呼びに行こうとしたエリノアを、キリエは静かに止める。



「でも――!」

「一晩休めば問題ない。それで、お前が呼び止めた理由は何だ? くだらないことなら容赦しないぞ」



 体調が悪くても容赦しないらしい。具合がよくなくても、お師匠様はお師匠様だった。



「あ、あの。私が遭遇した野盗なんですけど……。その、野盗じゃないみたいでした」

「ああ。それなら騎士との話で出ていた。尋問は向こうに任せてある。そんな――」

「いえ、その、あの……」



 鋭くなった視線に、背中に冷たいものを感じながら、それでもエリノアは何度も唇を濡らしながら言葉を続ける。



「あの、その人、仮面をつけた男の人で。それで、お師匠様のことを知っているみたいでした」

「仮面をつけた男が、俺を知っていたと」

「は、はい。その、私の首を持っていけば、お師匠様は絶対怒るって……」

「それでその首の怪我か?」

「……はい」



 なんだろう。暖炉の点いている部屋なのに、なぜだが寒くなってきた気がする。恐る恐るキリエを見るも、目つきの悪さに拍車がかかっていて、声を出せる状況じゃない。



「当面の間、お前は一人で屋敷の外に出るな」

「お師匠様! お師匠様は、あの仮面の人を知っているんですか? なんでお師匠様を狙って――」

「生憎と、仮面の男に心当たりはない。が、狙われる理由の一つは思い当たる」



 その人物は知らないけれど、狙われる理由は何かしらある――。エリノアはそう捉えた。混乱する頭を必死にまとめていれば、“それ”を口に出していた。



「……最高傑作」

「なぜお前がそれを知っている」



 キリエが、驚いた表情でエリノアを見た。この人はこんな表情をするのかと、どこか他人事の様にエリノアは思ってしまう。

 ――最高傑作。多分、術具技工の何かなのだろうと思いはすれど、それがどんなものなのかエリノアには想像もつかない。けれど、キリエの術具を狙いに来る泥棒はいる。それだけキリエの腕はいい。そのキリエが作った最高傑作。術具が必要な人間ならば、必ず欲しがる代物なのは間違いない。



「仮面の人が言っていました。最高傑作を切るとうるさい、と」

「……正しい判断だろうな。『それ』を切るぐらいなら、お前を切ったほうがいいだろう」

「私はよくないです」

「だからどうした。犯罪者にまともな理屈が通用すると思っているのか?」



 そう返されてしまうと反論できない。犯罪者が普通の考え方でいる、なんて思うのは無理だ。

 ……あの商人たちはどっちだったのだろう。普通の皮を被った闇商人だったのか。この混乱に理性の箍が外れ、そして道を外してしまった普通の商人だったのか。今でも判らない。

 エリノアが押し黙ってしまうと、部屋の中が静かになる。ガタガタと窓を揺らす風と吹き付ける雪。これだけ風が強いと、今夜は荒れた吹雪になるはずだ。



「あくまでも理由の一つだ、それ『も』含まれる。とにかく、お前は一人で屋敷の外に出るな」

「それもってことは、『他にも』あるってことですよね……」



 キリエの袖を掴んで、エリノアは引き下がらない。何も知らず、目隠しをされたままの子供じゃない。

 珍しい弟子の行動にキリエは内心で驚きながらも、元に戻した表情を変えず、前から決めていたことを淡々と話す。



「……状況によっては、お前は街に行ってもらう」

「えっ!? ま、街って!?」

「基礎は身に付いている、他に師事しても問題ない」



 袖を掴むエリノアの腕を払い落とすと、キリエは振り返ることなく部屋を出た。

 払い落とされた手をそのままに、エリノアはぱたりと閉じた扉をただ見つめることしかできなかった。追いかけることも、嫌だと拒否する言葉を発することもできなかった。

 はっきりと言われた言葉じゃない、けれどそれは――確かに師弟関係を解消すると、言われたも同じだったから。



(言われちゃった。本当に、言われちゃった)



 何がいけなかったのか。考えるまでもなく、答えは一つだ。きっと、深く訊いてしまったから。気を付けていたのに、分かっていたのに……。知りたくて、訊いた。

 急に足の力が抜けて、エリノアは床に座り込んだ。口から乾いた笑い声が出てきた。おかしくて出たのか、悲しくて出たのか。もうどちらなのかエリノアには分からない。ただ滲んでぼやける視界を隠すように、まぶたを閉じて手で何度も擦る。薪の爆ぜる音に鼻をすする音が混じった。



「止せ! リム!」

「……お師匠様?」



 焦ったようなキリエの声に、エリノアは思わず閉まった扉を見た。階段を駆け上がる足音だろうか? この屋敷にしては聞くことのない音が気になって、エリノアは目を擦って溢れたものを拭うと、そっと扉を開き廊下を覗いた。



「すぐに下ろせ!」

「へーきへーき!」

「バっ、そういう問題じゃ――!?」



 キリエの声が途切れると、次いで大きな物が階段から転げ落ちるような音が響く。硬いものでも、柔らかいものでもないその音に、エリアノはまさかと思って階段に走った。

 近づけば目の前を通り過ぎる小さな網籠、半円形の籠の中に小さな鳩――アルトがいた。なんでこんな所に!? 思うよりも先に体が動く。とっさにその籠を抱えるように掴んで、ほっとするのも束の間。黒い影が出てきたと思うと、目の前にキリエが落ちてきた。



「お、お師匠様!?」

「キリエ、大丈夫なの!?」



 うつ伏せに倒れたまま動かないキリエの上に、リムが着地する。

 エリノアはそっとキリエの体に触れてみる。大丈夫、呼吸はある。首の骨とか、多分、無事。急いでダニエラさんを呼んで、お師匠様を診てもらわな――



「えっ……?」



 キリエの呼吸を確認するために伸ばした指先の近くに、白い球体が転がってきた。それは板張りの僅かな凹凸に勢いをそがれたのかやがて止まる。エリノアの視界の前に来た白い球体に繋がる、細い管のようなものが伸びていて、なんとなく図鑑で見た視神経に似ている。

 そしてなりよりも、その球体の一箇所に、中心に黒い色の丸い点のある、緑色のきれいな円形が存在していた。

 ……そのきれいな緑色は、森の緑と似ていて。よく知っている人の瞳と同じ色で――。



「お、お、おし、お師匠様っ! お師匠様ぁっ!」

「キュキョーッ!!」



 『それ』が何なのか理解すると、アルトの眠る籠を抱えたままエリノアは、リムと一緒に悲鳴を上げた。



「キリエの目なのー!?」

「お師匠様の目が、目がーっ!?」

「やかましい。頭に響くから静かにしてくれ」

「お師匠様!?」

「二人とも何の騒ぎですか、いったい」

「ダニエラさん!!」



 ほとんど悲鳴に近い声で、エリノアはダニエラの名前を叫んだ。

 騒動の中ひとり落ち着いているメイドは、呻きながら体を起こしたキリエの傍にあるものに気が付いて、大きく目を開いた。



「キリエ様!」

「頼む、騒ぐな。頭に響くんだ」

「……“魔導具を”お使いになりましたね」

「…………」



 ダニエラの静かな、けれど責めるような問いに、キリエは気まずそうに顔をそらした。

 右目を隠すように、顔に手を当てると大きく息を吐く。



「今度の調整なら大丈夫だと思ったんだ」

「前回もそうおっしゃっていた気が、私はしているのですが?」

「……触媒液を持ってきてくれ」

「……キリエ様!」

「持ってきてくれ」



 まだ言いたいことはあると態度に出しながらも、ダニエラはすばやく行動した。キリエでさえ滅多に入ることが許されない調剤室へと向かう。



「お師匠様、目、大丈夫なんですか……?」

「ああ、これは義眼だ」



 義眼が、あんな生々しいはずがない! エリノアの知っている義眼と、キリエが言っている義眼に、著しい差異がある気がしてたまらない。



「アルトは無事か?」

「え? あ、はい。籠から落ちてないです」

「そうか」



 エリノアが籠を持って見せれば、キリエが指先でアルトの頭を撫でた。アルトもキリエが撫でているのが分かったのか、その頭を摺り寄せるように動かす。

 キリエのアルトに向ける眼差しが、普段よりずっと柔らかいことに気が付いて、エリノアの気分が沈む。自分には、向けられたことのない目だったから。

 それほど経たないうちに、ダニエラが透明な液体の入ったビンを持ってきた。そのビンの中に義眼を入れると、キリエはフタを閉める。沈んでいく義眼は、ビンの底につくことなく液体の中で浮かぶ。あれが触媒液、なのだろうか?



「キュ!?」



 ビンを片手にキリエはむんずとリムを掴むと、そのままダニエラに渡した。



「煮るなり焼くなり好きにしろ」

「キュキョキョー!? キリエひどいの! リムは食べ物じゃないの!」



 がっしりとリムを掴むダニエラが、静かに頷くとキッチンへと歩いて行った。

 今のキリエの一言で、階段から落ちた原因がリムであると伝えたのだろう。かく言うエリノアも、そう思った。皮を剥がれるよりも酷い目に遭いそうな気がしてたまらないが、それを止める手立てをエリノアは持っていない。

 簀巻きにされる程度で済むことを祈るしか、エリノアにはできなかった。


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