02・ 雪道の遭遇
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本日、二話目の投稿です。
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「すまないキリエ。ライナーが屋敷に“片付け”に出た」
屯所で団長の術具の具合を確認した後、ルークが両手を顔の前で合わせながら謝った。
「ライナーに頼むつもりだったのか?」
「ああ。仕入れが終わったら知らせてくれと頼んでいたから。夜中なのにわざわざ屯所に尋ねに来てくれてね、そしたらタイミングよく屋敷から昼夜鳩が。で、慌てて……」
「“片付け”に行ったわけか。付帯事項は」
「ないよ。片付けだけだ」
「なら問題ない」
「……あ、相変わらず動じないな、キリエ」
ライナーはいったい、何を片付けに行ったのだろうか? 二人の会話を聞きながら、エリノアは首を傾げる。今の屋敷に、ライナーを呼んで片付けなければならない物はなかったはず。廃液は処分するものだけれど、普段はもう少し溜まってから捨てているし。
しかも慌てて行くほどの物。何か大きな物が壊れたりしたのだろうか? けれど、ダニエラが物を壊すような気がしないし……。謎だ。
エリノアたちが街に出た後、廃棄処分をする物が見つかったのかしら? あの謎部屋あたりなら、発掘でもしたら何かしら出てきそうな気もする。
昼夜鳩を飛ばしたということは、アルトのことだろうか。天気はよかったから飛ぶ負担は少ないだろうけど、ちょっと心配になってくる。屋敷に戻ったら様子を見てみよう。
自分たちの脇を通り過ぎる騎士たちに気付いて、エリノアは道を開けるように一歩避ける。
「片付けって、ダニエラさんは何を片付けたんでしょうか?」
「ただの粗大ごみだ」
「まあ、確かに間違ってはいないけど……」
きっぱりと言い切るキリエに、どこか濁すようなルーク。ごまかされた気がしなくもないけど、じゃあ何だと逆に聞かれれば出てこない。
キリエが空を見上げた。エリノアもつられるように、視線を上に向ける。昨日までの晴れ渡った天気はなりを潜めて、今日は灰色がかった厚い雲が低い位置にまで落ちていた。時間が経てば雪が降り出すかもしれない。それに湿った風が弱く吹き始めているから、夜には吹雪きそうだ。
徒歩で帰るなら、途中で降られるのは覚悟しておかないと。リムのおやつはポケットに入れてあるし、行きと違って持ち物は少ない。歩きなれている道だから、仮に降ったとしても大丈夫だろう。
「ああ、それとキリエ。早くても夜になると思う、吹雪いたら明日になりそうだ」
「もともと話を振ったのはこっちだ、それでも十分早い。いくつ飛ばした」
「……後が怖いから聞かないでほしい。特事だから見逃されているだけだと思うし」
「分かった。睨まれない範囲で急いでくれ」
「お仕事相手はお役所だよ、どれだけ腰が重いと思っているんだい」
ルークはため息をつきながら、そんなことを言う。
二人だけに分かる会話に、エリノアは戸惑う。なんだろう、急に自分だけ置いてけぼりになっている気がした。
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ルークと詰め所の騎士たちに見送られて、エリノアたちは街を出た。
馬車が何度も行き来したのだろう。雪がどかされた街道に、轍のあとが来たときよりも多く残っている。魔物も問題だけれど、野盗も問題だ。流れてきたとルークが言っていたけれど、どこから来たのか。
ロベリタは、ないような気がする。あそこは女性の商人が交易にいける数少ない国だ。野盗が出たとなれば、真っ先に情報が流れるはず。商人の情報網は驚くほど早いのだから。だとしたら、ミレハ地区だろうか。あそこはまだ、治安がいいとはいえない場所だ。かつてのミレハ国民から代表を出し、スピカヴィルの代官がついて舵取りをしているらしいが、いまだ問題が山積みな状態だ。
街道で見回りをしていた騎士たちを通り過ぎながら、エリノアはキリエの後ろをついていく。ルークが言っていたように、見回る騎士は多い。残党だけならいざ知らず、魔物が出現する可能性もあるからだろうか。
ちらちらと白く小さなものが、エリノアの視界を通り過ぎていった。視線を動かせば予想通り、綿毛にも見える雪が舞い降りる。
急いでフードを被る。雨とは違ってすぐには濡れないけれど、体温を奪われるのどちらも同じだ。それは嫌というほど知っている。
「雪なの」
「降ってきたね。それも荒れそう」
そうなれば、しばらくは屋敷から出られないだろう。備蓄はいつもしているから不安はない。何より、キリエとダニエラが普段とまったく変わらないので、逆に拍子抜けしてしまうぐらいだ。
不意に、キリエが足を止めた。
「お師匠様?」
「リム。お前は姿を出すな」
「了解なの!」
エリノアが被っているフードをキリエはさらに目深にさせると、前に向き直る。
キリエの後ろから覗くように前を見るけれど、エリノアの目には何も見えなかった。もしかして、あの野盗の残りが現れたのだろうか。そう思って、体が強張る。
「エリノア、笛は持っているな」
「はい」
キリエの問いに、反射的に首に下げている笛を掴んだ。
「合図をしたら後ろに走れ。距離をとったら笛を鳴して騎士を呼べ。お前はそのまま騎士の所へ行け」
「お、お師匠様はどうするんですか」
「ある程度なら対処できる。お前は邪魔だ」
「――っ!」
確かに、野盗の残りが現れたら、エリノアに勝ち目はない。分かってはいる、分かってはいた。けれど自分で理解しているのと、はっきりとそう指摘されるのとでは、受け取る重さがまったく違う。
ならばキリエと共に残るかと問われれば、エリノアには無理な話だ。所詮教わっただけの護身術、出来ることは限られている。キリエの言葉どおり、邪魔にしかならない。
内心の落ち込みを悟られないように、エリノアは小さく返事をすることしか出来なかった。
「あんた、術具技工師なんだってな」
唐突に、エリノアの耳にしゃがれた男の声が聞こえてきた。キリエの陰に隠れながらそっと前を窺がえば、薄汚れた服を着た男たちが森から出てくるところだった。身だしなみといった言葉から程遠い格好の男たちなのに、その手に持った短剣だけは手入れをしているらしい。研ぎ磨かれた刃が異様な光を放っていた。
「野盗の残りか」
「その言い方は気にいらねえな。新しく組んだんだよ」
「ものは言いようだな」
騎士が捕縛できなかった野盗たちが再編したらしい。散り散りに逃げて、新しい場所で新たな生き方をするという選択肢は彼らにはないようだ。
今度は西の街を餌食にする気でいるのだろうか。ミレハ国を出るときに、野盗がまるで火事場泥棒のように略奪を行っていたのを目にしているだけに、エリノアは不快に眉根を寄せた。
「さすが技工師様はお高くとまってらぁ。国一番とまで言われてりゃそうもなるか。まあいい。術具技工師とそのガキは殺すなよ」
道を塞ぐように立っていた男たちが、その言葉を聞くと少しずつ近づいてくる。
じっとりと、まるで検分するかのような男たちの様子に、思わず足が後ろにさがる。前にも感じたことがあるこの視線、エリノアはこの目を知っている。
「技工師様は家まで案内してもらおうか、売れるものが大量にあるだろうしな。ガキは女弟子だ、売るぞ。術具持ちの貴族なら大枚はたいて買う」
「走れ!」
「――はいっ!」
ぬかるんでいた地面に積もった雪を踏みしめて、エリノアは一気に駆け出した。
残すことになったキリエに後ろ髪を引かれるが、直後聞こえた、通常の魔導具ではありえない大規模な爆発音に、エリノアは冷や汗をかく。何かしらの魔導具を使ったのだ、これだけ大きな音となれば、対策をとっていなければ敵味方関係なく巻き込まれる。
それにキリエの持っている魔導具が、一般に流通している物である可能性はない。この規模の大きさだと、間違いなく『改造』している。規制から外れた代物に、加減なんて言葉はない。……確かに、キリエが言ったようにエリノアは邪魔だ。あのままあそこにいれば、すべてが片付いたときにはエリノアは黒焦げになっているかもしれない。
背後の爆発音が遠のいてきた頃合をみて、エリノアはおもいっきり笛を吹いた。音にはならない響きを出す笛は、魔導具の一つだ。響かせる相手を指定できるこの笛、今なら魔導具を持っている見回りの騎士の耳に届くはず。
一呼吸おいて、エリノアは再び走り出した。お師匠様なら大丈夫、そこらへんの野盗に負けたりはしない。何より、敵に容赦はしない人だ。今の魔導具のように、手加減無用で対処する。
「エリー。リム、一足先に騎士を呼びに行ってくるの!」
コートの中に隠れていたリムが飛び出して、雪の上をすばやく駆けていく。もともとの白い体もあってか、すぐに雪にまぎれて見分けがつかなくなった。リムの足は短いのに、なぜかものすごく速い。霊獣のなせるワザ、なのだろうか。雪の上に足跡すら残らないのは不思議だ。
リムが向かったのだから、笛に気付いた騎士が向かってきていると考えても、エリノアが合流するのにそれほど時間がかからないだろう。後ろから追ってくる様子もないし。もしかしたらキリエが野盗をコテンパにしている可能性もある。
そう、お師匠様なら大丈――
「きゃあ!」
何かが、エリノアの足を掴んだ。盛大な音を立てて地面に倒れる。幸いぬかるんでいた上に、雪が積もっていたおかげで痛みはない。エリノアは慌てて体を起こして、持っていた鞄を探した。近くに落ちていた鞄は、どうやら無事らしい。二人へのプレゼントが入った鞄を潰すわけにはいかない。
いったい何が足を掴んだのだろう。地面に足を伸ばして座った状態で、エリノアは自分の足を見た。そこには細い鎖が、『生き物のように動きながら』エリノアの左足首に絡まっていた。
「まさか、魔導具……」
エリノアが魔導具と認識したまさにそのとき、あの細い鎖がぎゅうっと足を締め上げた。ぎりぎりと引きちぎるような強さで足に絡みつく鎖。厚手のブーツがまるで意味をなさない程に食い込んでくる。
手を伸ばして必死に引っ張ってみてもびくともしない。逆にエリノアの手から逃げるように、その締め付けを強める。このまま行けば、足が千切れてしまうような気さえしてエリノアは焦ってきた。
布と肉を締め付ける音に、いっそう強く食い込む鎖。リムが戻ってくるまで、はたして自分の足は無事でいられるか。そんな不安まで出てくる。
「いた、い――!」
「キリエの弟子、ほーかく!」
エリノアの焦り具合と対照的な、底抜けに明るい声が、“目の前から”聞こえてきた。
いつの間に現れたのか? エリノアの前に、目と口元に穴が開いただけの、のっぺりとしたお面をつけた小柄な男がいた。
「あ、あなた、誰? あなたが、私の足にこの鎖を巻いたの?」
痛みに呻きながら問うエリノアに、男は答えない。
目の位置の穴から覗く琥珀色の瞳が、エリノアを見ているだけだった。
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