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■四章 01・選択の結果

 


■□四章



■□■□■



 早急に行動しなければならない。懸かっているのは国家の存続と、民の命だ。

 気付かれてはならない。小数で、気取られぬよう廊下を進む。マティアスが目指す先は国王の執務室だ。青い絨毯が長く伸びる廊下、今までは何も思うことのなかったこの道。どうして今は、こんなにも重苦しく感じるのか。

 鈍い銀色の髪の間から、マティアスの暗く青い瞳が覗く。銀と青の糸で刺繍が施された縦襟を、息苦しさから少し広げた。腰に下げた剣の柄を握り、今から入る部屋の扉を前に息を深く吸い込む。



「殿下……」



 背後からマティアスの忠臣の一人、オズワルドが気遣わしげに声をかける。

 幼少期よりマティアスの護衛を勤めた、精悍な顔立ちの男。既に歳は四十も半ば、望めば栄達も出来るだろうに、本人が望んでマティアスの護衛をしている変わり者だ。

 だが、今はこれほど頼もしく思える者もいない。


 本当なら、彼らを巻き込むつもりはなかった。だが状況は、マティアス一人だけでどうにか出来る範囲を超えてしまった。頼りになる妹は離宮に監禁され、唯一、王妃として父を諌められる母は後宮に完全に閉じ込められた。異常性に気付いた文官、武官の大半は地下牢獄。

 あの宰相だけがなんとか残り情報を収集し、刑の執行を止めているが、いつまで持つか判らない。まったく覚えのない罪で裁けてしまえるほど、今この国は混迷を極めている。

 こんな状況では国は立ち行かなくなるし、まず間違いなく負け戦にしかならない。一刻も早く事態を収拾しなければ。それが、王太子である自分の役目でもある。


 ――あの戦争を、再び起こすわけにはいかない。



「大丈夫だ。心配するな」



 そのためなら、自分はどれだけ血に塗れようが構わない。逆賊だろうが王位の簒奪だろうが、どんな言われようをしても。もしかしたら、歴史上最悪の王子として名前が残るかもしれない。それでもいい。この首を差出し、汚名すべてを背負って事態を収めてみせる。

 震えそうになる細い体を気持ちで押さえ込み、男にしてはやわらかい線を見せる顎を引く。閉じた瞼に翳る睫毛の下から、ゆっくりと暗い青色が現れた。すっと表情を抑え、静かに扉を見据える。

 国王でもある自分の父親の執務室に、マティアスは初めて、感情を優先して入った。



「父上! 此度の一件に――」



 目の前の光景に、マティアスは言葉が続けられなかった。父は、確かにいた。磨かれた黒壇の執務机を前に、その身を小さく縮めるように。



「おや、マティアス王子ではありませんか。そのように怖いお顔で、何をしていらっしゃるのですか? ここは国王陛下の執務室ですよ」



 その脇に、あの面妖な男を従えて。

 商人と名乗って城にやってきた痩身の男は、貴族のような装いはしていない。だが上流階級に出入りする者たちと同じように、仕立てのいい服を着ていた。

 歳は商人にしては若い部類だろう。マティアスより一回り上、といったぐらいか。



「それを言いたいのはこちらだ。なぜあなたが執務室にいる」

「わたくしは陛下に請われ助言をしていたまで」

「助言だと!? 世迷いごとを吹き込んでいただけだろう!」



 どんな場所でもけして取ることのない男のベールハットの向こうから、火傷の痕が残る頬が見えた。

 悪趣味な指輪を大量にはめた手を口元に当てニタリと笑う男の姿に、商人として持つべき信用というものをマティアスは感じられない。絶対的な上位にいる事実を知らしめて、歪められた琥珀色の瞳。どれほど手入れをしていようが古木のような印象しか残らない、枯れた茶色の髪が肩から落ちる。



「世迷いごと? これはまたおかしなことを王子はおっしゃる」



 すっと国王の肩に手を置き、耳元でささやくように男は言葉をつむぐ。



「陛下。わたくしは何か、おかしなことを申し上げましたでしょうか?」



 その言葉に、毅然とした態度をとるわけでもなく、またびくりと震えるわけでもなく。ただ父は、ガタガタと震えているだけ。

 やっとのことで動かす口に、威厳のある国王の姿はない。



(あの人は、こんなにも小さい人だったろうか?)



 マティアスは愕然とし、そんなことを思った。

 自分と似ているのは瞳の色しかない父。顔つきは母に似ているといわれた。妹は、比較的父に似ているが性格は今では見事に真逆だ。妹はマティアスとも逆だった。魔法の使えないマティアスと、使える妹。

 あの戦争で、すべてが変わった。父も、国も。そして自分は友をなくした。



「よ、よいか、マティアス。この者はわが国のために、じょ、助言をしておるのだ。あのお、恐ろしい、魔国テイラーズの、侵略行為を止めるために。そ、それを、おかしなことや、世迷いごとと、言うでない。この、アンカルジアは今、き、危機に瀕しているのだ、臣下を、こ、混乱させるようなこと、吹聴するで、ない」



 今のこの言葉が、マティアスの目を見て、もっとはっきりと言われたものならば、きっと信じることが出来ただろう。けれど、マティアスは理解した。

 ――もう目の前の父が、ただの人形としてでしかいないことを。

 傀儡のための操り人形ですらない。恐怖に怯え、隠れるだけの置物だと。きっとこの戦争の勝敗など関係なく、父は遠からずその首を刎ねられるだろう。


 満足そうに頷く男をマティアスは睨みつけた。今はまだ、この男は国政にかかわる人間を処刑してはいない。殺してしまえば、立ち行かなくなるのは判っているはずだ。だからまだ、父は殺されていない。飾りとして、玉座に置いておくために。

 あの敗戦は、父にとって大きな傷となった。見た目だけではない、精神を深く傷つけた。それも当然だ。人間としか戦をしたことがない父は、目の前で生きたまま魔物に食われていく兵士を見たのだから。その衝撃は想像を超えていたことだろう。

 それ以降、すっかり人が変わってしまったと母が言っていた。その父の変わりぶりは子供心に残ってしまっている。それが戦争を避けようとする理由の一端になってしまっているのだから、皮肉としか言いようがない。



「そう国王陛下もおっしゃっています。ですからマティアス王子、その物騒な物に手をかけるのはおよしなさい」



 剣の柄を握る指先は、白くなっていた。相手を見据えているのに、あと一歩が踏み切れない。覚悟を決めて、ここに来たと言うのに。目の前の、あの面妖な男を切り伏せた後、自分は父を殺すのだ。

 ――それを決めて来たというのに。国と民の命が懸かっているというのに。

 なぜ、その一歩が踏み切れない!!



「本当は、それを抜きたくはないのでしょう? わたくしは判っております王子。ええ、王子は“本番”で人に向けたことはございませんものね。さぞや恐ろしく、そして震えていらっしゃる」

「――っつ」

「慣れない物は使わないほうがよろしいかと」



 あざ笑うように言われた一言は、的確にマティアスの心を見透かしていた。早まる鼓動に、マティアスは硬い動きで剣を抜く。手入れのされた剣。刃先に映る自分の顔が揺れているのは、気のせいじゃない。

 そう、今までは訓練で、刃を潰した剣でしか人に向けたことはない。訓練用ではない剣を初めて向けた相手は、目の前の男と、そして父。


 一言、後ろにいる忠臣に、オズワルドにいってしまえばいい。彼ならば、その剣の腕は自分よりずっといい。まず間違いなく、二人を仕留めてくれるだろう。

 だが、それではだめだ。自分がやらなければ、背負うことが出来ない。

 ごくりと喉を鳴らして、マティアスは男に向かって床を蹴った。大丈夫だ。体は覚えている、剣の振り方を、どう動かせばいいのかも。



「グウェイン!!」



 男の名を叫ぶように言い捨て、剣を振り上げようとしたとき――



「殿下! 離れてください!」



 グウェインが、外した一つの指輪を床に叩きつけた。

 耳をつんざく爆音と同時に黒煙が視界を塞ぐ。耳鳴りにくらむ頭に追い討ちをかけるように響く甲高い音。突如としてきた右足の激痛に、立つことすら出来ずマティアスは床に倒れた。その体の上から、誰かが覆いかぶさってくる。

 出血をしているのは容易に想像できた。疼くといった状態を通り越した痛みに、怪我の程度を想像して脂汗が出てくる。痛みのせいで、もはや足先の感覚はない。



「ぐぁ……」

「殿下、ご無事ですか?」

「オ、オズワルド……いったい何が、まさか魔導具」

「そのようです」

「他の、者たちは」

「恐らく数名は……」



 明るくなったマティアスの視界が捉えたのは、オズワルドの姿と――いくつもの刃先が覗いた、真っ赤な背中を見せる従者たちの後ろ姿。



「ぁ……」

「殿下、お気を確かに。あの者たちは、立派に勤めを果たしたのです」



 自身も腹を剣に貫かれながら、それでもオズワルドはマティアスを気遣う。

 彼らを巻き込んだのは自分だ。まだ、彼らには先があった。それを自分が潰した。



「マティアス様! 隊長! まずいです、この爆音に気付いた近衛兵が戻ってきました!!」

「くそっ! 殿下、すぐにここから逃げ――」



 急激な出血から一気に血の気のなくなったマティアスの顔。オズワルドが視線を動かした先、マティアスの右膝から下が、離れていた。近場から放たれたのだろう血に染まった剣が、その間の床に刺さっていた。

 奥歯を強く噛み締めて、声に出しそうな衝動を押さえ込む。まだ、自分の主人は生きているのだ。ならばするべきことは、もう決まっているじゃないか。



「おや。それではもう、動くのも無理でしょうに。国王陛下にたて突くからこうなるのです」

「隊長!!」

「ああ、近衛の皆さんが来ましたね。まったく遅い、彼らは全員クビですね。ええ、ですが仕事はさせておかないと。さて、逆賊の皆さんにはご退場願いましょう」



 グウェインの耳に纏わりつく言葉を振り払い、オズワルドは手早く王子の脚を止血する。マティアスを肩に担ぎ上げ、オズワルドは逡巡した。そしてすばやく手を伸ばし、マティアスの離れた右足を掴み抱え走り出しす。



「ご安心くださいな、マティアス王子。いえ、マティアス。あなたがおらずとも、わたくし立派に国を支えていきますので」

「誰が、貴様などに国を、渡すか……!」



 うめくようにマティアスが言う。腸が煮えくり返るような怒りに、犠牲を出した自分の不甲斐無さに、あれだけ覚悟を決めたのに、結果として何も出来なかったことに。ごちゃ混ぜになった感情が、こみ上げてくる。



「……お前たち、すまない。輝石を使う計画で行く」



 低い声音で告げたオズワルドの言葉が、何を意味するのか、今のマティアスにはすぐに理解できなかった。

 霞み始めた視界に、マティアスとオズワルドに向けて剣を捧げる礼をした従者たちが入る。



「オズワルド、何をするつもりだ」



 マティアスの質問に答えることなく、オズワルドは従者たちをその場に残し、一番近くの部屋の扉を蹴破った。



「マティアス様、ご武運を!」

「お気をつけて、マティアス様、隊長!」



 カーテンを引きちぎり、オズワルドはマティアスの脚を包む。不衛生などと言ってはいられない。窓を開けて、部屋の中心に移動する。

 オズワルドはマティアスを抱えたまま、服に忍ばせていた小さな石のようなものを取り出した。きれいな正方形を模したそれは、親指の先ほどの大きさしかないのに、その面すべてに複雑な模様を刻んでいた。

 万が一を考えて、持ってきていた『コレ』を使うことになるとは……。オズワルドは胸中で息を吐く。この状況で、マティアスを一人には出来ない。仲間たちもそれを理解しているはずだ。


 廊下から、剣戟の音が聞こえる。もうそこまできているのか……。動くには邪魔な、腹に刺さった剣をオズワルドは引き抜く。止血は後回しだ。

 硬そうに見えるそれを指先で軽く潰し、正方形を歪ませる。使い方は聞いている。ただ、確実に発動してくれるか……それだけが気がかりだ。過去の遺物、家の家宝。



(頼む、発動してくれ――)



 いびつな正方形になったそれを、オズワルドは床に叩きつけた。

 弾けるように欠けた破片の一つひとつが強烈な光を放つ。一瞬で白に埋め尽くされる部屋に、急激に体が引っ張られる感覚。

 マティアスを離してなるものか。オズワルドは肩に担いだ自分の主人を、光の奔流の中で必死に掴んだ。


 やがて光が収まった室内、そこにマティアスとオズワルドの姿はなかった――。


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